風船ライアー
ライアーは嘘吐き。という嘘。
「んんーん~? またなんか来たな」
八歳の少女に向かってそんな事を言う八木。
僕への注意が一気に失せた。
「なんかってこれまた随分なご挨拶だねー」
そうして、周りのグレーな空気を快晴の空色に染め上げる少女は、風船を遊ばせながら、ゆったりと、ふわふわと僕の後ろから回り込んで、僕と八木の間に立った。
「こちとらそっちに迷惑しているんだから、謝って欲しいよ、こちとらとしては」
ん? 『こちとら』って、一人称か? なんか面白い響きだけど……。いや、僕なんかが気にすることでもないか。
その、こちとら少女に、八木は『悪びれたように』見せた。
「あーそうなの? ゴメンなあー、悪気は一切ないんだよー。これでおっけ?」
八木はおざなりに頭を下げ、軽薄な顔を上げた。
しかし風船少女は、それをさらに無視していた。
僕の方を向いて、晴れやかな笑顔を見せていた。
こっちの方がまるで悪びれているようだ。
無視。
「いやー、こちとらも大変だけどきみも大変だね。四手統那くん」
どうして僕はこう有名人なのか……はさておいて。
どうせ主人公だからとかそんなとこに決まってるじゃないか!
「ていうかちょっと待って危ないから!」
その後ろには殺人……殺したのを見たことはないが、それくらい平然とやってのける奴なんだぞ!
「何が? もしかして後ろの〝形取り〟が? ないない、そんなこと天地神明が無いって言ってるよ」
「……象り?」
何かの象徴か?
「あー違う違う、『形を取る』って書いて『かたどり』。あいつの称号みたいなやつ。漢字って意味が二重以上になる事が多いから、『ぞう』って書く『かたどり』だとほら、きみみたいに『象徴』みたいな誤解をするんだよ」
「…………?」
僕はどうやら違いの分からない男らしい。字面はともかく。
そんな僕たちを、八木は黙って見ていた。
というより、驚いているようにも見えた。
「……あーん? おまえ何だ……? ただの小学生じゃねえってか?」
これまでの、ゲームで言うところの、チートや隠しコマンドを使って序盤の敵をいたぶって遊ぶような奴、の印象だった八木(なんて比喩だ……)の雰囲気が初めて変わった。
今はただ、油断無い目をしながら探るようなそれだった。
「今時普通な小学生の方がレアだよ?」
「いや、それはどうかと思う……」
皆が魔法少女だったら僕は間違いなく自殺する。
……なんて勢いで考えたけど理由は全く不明だ。
「さーて形取りさん、おーにげーなさい」
「……え?」
今、『逃げろ』って言ったのか?
普通『かかって来い』とかじゃないのか?
いや、そもそも戦う気満々な相手が逃げる訳ない。
もちろん、八木は一介の高校生とその半分の年齢の少女を前にして、それを承諾することはしなかった。
最初は。
「逃げろ言われて逃げるバカがどこにいるんだバーカ」
そう言って八木は肩の高さに持ってきた手を凶悪そうに、いつかの五本の鉤爪にし、僕たちの方を焼き尽くすように睨み、鉤爪を蠢かせて、それから――
「んんーん~♪ どうしたのかな~」
「……ちっ!」
それから、後ろを振り返り――逃げた。
本当に。
「ね? だから言ったでしょ? 形取りのレベルなんてこちとらのブラジルぐらいだから」
「それはまた……」
足下を遥か通り越して地球の裏側、か。これまた大胆に出たな。
まあ、ブラジルからすれば東アジアがめっちゃ下の存在なんだけど。
「あなたは……誰ですか?」
話の流れ的に、このワンピース少女が見た目通りの存在でない、のだろうと思うので、僕は僕なりの丁寧さで質問する。
「あ、そうそう、別にこちとらは偉くないから普通に喋っていいよ、やりづらいし」
「……分かった」
「それでこちとらの名前だっけ? 名前はね、川井窓枠。三本線の川に、井戸の井で川井、窓の周りの枠って言えば分かる?」
「あ……ああ」
言いたい字画は一発で僕に伝わった。ただ、僕の記憶が薄弱なせいで『枠』という字を僕はそらんずる事が出来なかった。
この時はあろうことか『粋』などと、窓をすごいことにしていたのだが、これは前もって墓に埋めておこう。
粋な窓。
「窓枠って呼んでちょうだい?」
「もちろん!」
多分この時、僕の目は時価にしてどんな宝石よりも高かったことだろうと思う輝きを放っていただろう。
「……かなりいい返事だね」
「いや、こういうテンションで行くべきかな、と……」
かわいい女の子のお願いを断れない男子、みたいな感じで。
ほら、僕も一応、男子だから。
「僕も自己紹介した方がいいのか?」
「うん、いいよ。自己紹介は大事だからね」
「じゃあ、僕は四手統那。漢数字の四に、右手左手の手で四手、統計学の統に旦那とか那覇の那で統那」
「うんうん。よく分かるよ。じゃあ四手くん、本題に行こう」
「……僕に何か用事があったみたいな言い方、だね」
結局、語尾に迷う僕だった。
「そうだね、味方は多い方がいいからね」
「味方……」
まるで敵がいるような言葉だ。
封陣の中、窓枠は『風船にぶら下がっていた』。
「こちとらはこの世界が大好きだから、虚白を作らせたくないんだよ。だから、そういったことをする色採を止めないといけないんだ。だけど、こちとらが今の所出来るのは、実際、今みたいな撃退だけなんだ」
「撃退?」
十分すごいと思うけど、それではダメなのか。
「今、あの八木って奴を追っ払ったけど、どうせ別の場所で同じ事をやるのは、想像付くよね?」
「ああ……」
また、色を抜くのだろう。
「そういえば、何であの形取りが人を虚白にするか、分かる?」
「……?」
そういえば、考えていなかった。
酷いことをする非道いことをするとは思っていたけど、その理由は分かろうともしなかった。
「ああ、いやね、うん、えーっと、別に悪いことじゃないんだよ。朱夏ちゃんなつくまで大変だからなあ」
「え? 朱夏? 獅子島?」
思わず聞き返していた。
この状況って、朱夏が絡んでいるのか? ……益々話が難しくなるな。僕はどうすればいいんだろう……。それに、まだ僕の中で重大な問題が解決できていない。
そんな僕の思考が読めているのか、窓枠は朱夏についての話を始めた。
「うん、そうだね、その朱夏ちゃん。こちとらの味方というか、仲間というか……うん、目的は同じだから、こちとらとは間違っても戦わないよ」
「戦うって……」
「駅前で最初に、朱夏ちゃん戦ってたでしょ。相性が悪いから勝ち目はなかったけど」
押し付けるように、僕にその言葉を叩きつける窓枠は、真顔で僕を見ていた。
その子供の顔のどこにあるのか分からないが、窓枠は簡素な言葉と表情で、どんな言い訳も許さない、峻厳な事実だけを僕に告げる。
だけど、僕はそれに押されるわけにはいかない。
「それじゃあ、その言い方だとおまえが朱夏を戦わせているみたいじゃないか」
虚白を作らせない、というのは僕も(事情をまだ深く理解していないとはいえ)賛成するところだが、他人を勝手に巻き込んでいいということにはならないだろう。
僕は、いつの間にか、返答次第ではこの八歳の少女に対して『ナイフ以上の何か』を突きつけようかという心境まで至っていた。
多分、朱夏を利用しているんじゃないか、と思った辺りで、だった。
そのとき僕は、自分で自分を制する自信を、十六歳にもなって失いかけていた。
そんな僕の何かを察したのか、窓枠は地に足を着け、風船を掴んだ片手はそのままに、もう片手で否定を示した。
「ああ、待って待って。別に『私』も好きでやってる訳じゃないの。危ないなあ」
「……危ない? 僕が?」
「そうだよ。今にも襲いかかってきそうだったよ」
それは朱夏のことだろう――
――と思ったのだが、窓枠の言葉を聞いている内に、その理由は忘れた。
……覚えていたら僕はこの先どれだけマシなことになっていたかと、後になってみれば、思わずにはいられない。
「ふう、きみはまだ自分のことに気づいていないみたいだから、こちとらが気づいたことを教えるよ」
「気づいたこと?」
「そう、気づいたこと」
窓枠は、また風船にぶら下がり、今度はゆらゆらと揺れた。僕の脳裏には、こんな事をしていてカラスに襲われないのだろうかなどと、場違いな疑問が浮かんだ。
「今、形取りと対峙したときだけど、胸の『それ』に手を近づけようとしていたけど、何をするつもりだったのかな?」
それは――本人にそんな意図が無くても、僕にとって最後の崩壊だったと思う。
僕は、意識をブレザーの上着、胸の内側に常に収まっている『それ』に向けた。
多分、『それ』が僕の本質に関わるということは一昨日から薄々感づいていた。
僕、封陣、欠損、狐色、色採、虚白、緋色、ナイフ、灰色、もしかしたら――。
僕は――――
「…………」
「何もしなかったらどんなつもりがあっても意味なんて無いんだよ。統那くん。きみはまだ、『やる気しか』出していないんだから。朱夏ちゃんについて言うならそのあとだよ」
そう言って、窓枠は笑った。
僕は、震える左手を握りしめた。
次に八木尖刃と会ったら、必ず戦う。
目的は、守る。
日常を、
みんなを、
自分の事も、
勿論、朱夏も。
……まだ自信は出ないけど。