再来コラプス
次の日。
僕が八木という奴におそわれて二日後の、今日。
僕はまたしても遅刻した。
あえて言うほどのことではないのだが――まして繰り返すほどのことでもないのだが、荷物検査があるのだ。
ただ間抜けなことに、この荷物検査、遅刻者には行われないので、僕はそれを利用して一時間目を休ませていただいてるのだった。
検査が行われない理由は知らないし、聞きたいわけでもないので知らないけれど、ありがたいことだった。
昼休み、僕は何だか久しぶりな気がする打葉と会話していた。
この打葉、眼鏡をかけているのだが、それが似合いすぎているのだ。
とりあえず女子代表として筑紫の言を借りれば、『眼鏡をかけてもイケメン! 外してもイケメン!』らしい。僕に言わせれば、シャープな目とすっきりおさまった鼻梁と女子の化粧顔負けの整った肌と顔と……まあ、パッと見でイケメンと分類されるぐらいには面はいい……と表現するところだろう。
筑紫の時とは違い、僕と打葉が会話するときは、趣味の話や面白そうな事を会話の中で探っていくのがいつからか、基本のスタイルになっていた。
共通するのは、ゲームの話題とか。
意外と筑紫も、この辺にかなり付いてこれる(モンハンやってるぐらいだし)。
「おっす、久しぶりだな四手」
向こうも久しぶりだったらしい。
奇妙な一致だ。
「いや、おまえそれは不一致の方が変だろう」
「やっぱり無闇に賢明ぶるのはやめた方がいい……か」
「おまえ、探偵でも志望してるのか?」
「いや、全然そんなことは」
それにしても、無『闇』な賢『明』、面白い対比だよな……。
「だからそぐわないんだろ」
「闇と光の対立ってよくあるけど、あれって最近どっちが良いのか悪いのか分からないよな」
天使って名乗る奴が残酷だったり、闇が被害者だったとか。
「あー、逆に固定観念だったりするよな。何か読んでくとさあ、『あ、コイツ後で敵になるな』みたいな」
「そうそう、なんか腹に一物持ってるのが見え見えというか」
「……ところで、最近思うんだけど、おまえって荷物検査のとき、いつも遅刻するよな」
そういえば、もう一年の付き合いになるんだから、気づいてもいい頃か。
「色々と、ね……」
本当に、色々。
「そういや、そっちは昨日休んだみたいだけど、どうしたんだ?」
「俺も、色々だな……本当は今日も来るつもりはなかった」
「…………」
お互い、事情があるみたいだ。
「そんなだから、浮いてるんだよな。俺ら」
「いや、おまえはモテるだろ?」
そのイケメン、誰かに告られるぐらい、少なくともないと言うことは無さそうなものだが。
「ある意味、な……」
「……? 何か含みがあるな」
ある意味、と言った打葉の表情が複雑っぽいのでそれ以上追及してやることもないだろうと、僕はそれきり、黙った。
「まあ、次はないけどな……」
「次……?」
その面は、さらりと窓の外を見ていた。
……様になってる。打葉様と敬称をつけたくなるぐらいに。
「おまえ、何気に寒いこと言うのな」
「何を言うか。僕は最近、箸が転げただけじゃあ笑わないんだぞ」
「いや、全く凄くねえぞ」
しかもこのやりとり、全然面白くなかった。
何と言うか、この時間はのんびりするのが目的だったりするので(それこそ雲を眺めるようなまったりっぷりだ)、これはこれで、僕は構わないんだけど。
見ている人にしてみれば、退屈だっただろう。
まあ、すぐに退屈じゃなくなると思うけれど。
****
「よー、また会ったな」
その日の帰り道、昨日と同じように一人で歩いていた。
しかし、その結果が、昨日と同じであるとは限らない。
だからって、一昨日と違うとも完全には言い切れない。
再び周りから人がいなくなり、世界は白と黒と灰色に。
「いやー、よーくな、考えたらよー、ケーサツに通報とかされたらまずいわけよ俺。別に捕まったりはしないけどな、社会的に生活できねーよコレ、って気づいたし」
狐色、八木尖刃。
服は上下ともに着用している。さすがにそこまで突き抜けた質ではなかったようだ。
「ところでおまえはよー、この世界をどこまで知っているんだ?」
「……?」
急にそんなことを問いかけてくる八木。
僕が答えるのを、待っていた。
試されている、らしい。
「この空間は封陣で、あんたは色採、僕達は外れた存在……とりあえず、そのくらい」
それを聞いて、八木は短絡的に落胆した声を出した。
どうやら素晴らしいことに、僕はこの気に入らない男の眼鏡にかなわなかったようだ。
「ダメだなぁ。そんなんじゃダメだ」
ありがとう、あんたからならそれは最上の誉め言葉になる。
……と、かっこよくつらつらと並べているけど、正直、まだ怖い。
脚はかちこちだし、頭も上手く回らない。
目の前の異常に、勝てる気がしない。
「『俺達』はな、こういうことが出来るって見せてやったよな?」
八木は、再び『通りすがりの人』を捕まえた。
その人は、スーツ姿で、営業のサラリーマンらしかった。少なくとも僕にはそう見えた。
……ちょうど良いから、ここでひどく個人的な語り手、つまり僕に関しての説明がある。
今、僕は『らしかった』とか『少なくとも僕にはそう見えた』と言った。いや、書いた、だろうか? ……どっちでもいいか。
そこでだ、……クオリアとか、そんな簡単な言葉で説明したくないのだが、僕はその人が『僕にとって』サラリーマンに見えるからと言って、また、その人が本当にサラリーマンだとしても、『他の誰か』の視点からは失業者や利権者、変装した刑事、『こっち』とは別の裏の世界の住人、果ては男装趣味の女性に見えるという可能性を否定したくはない(でも、少なくとも最後のやつだったら僕はとても悲しい)。
なぜなら、だったら、そうしないと、僕の見ている世界も信じてもらえないだろう?
こうして僕の『見える』世界を語っているけれど、他の人からは違うかもしれない。そんな可能性ぐらいは残しておきたい。
さて、そういう僕の主義を聞いてもらったところで、今後困ることはないけれど(ないのかよ! と自分でも突っ込みは入れた)、話を戻そう。
八木はそのサラリーマンに見える人を脱色した。人から色を抜くその顔は、恍惚そのもので、さらに、ぽっと息を吐いた。
色を抜かれたそいつは、さっきまでの青系統の――それ以上詳しくは、どんなだったかも思い出せないが――色とは違い、『見るも無惨な』琥珀色を浮かび上がらせ、八木の手から離れ、二三歩くと、消えて見えなくなった。
まるで世界から脱落するように、うっすらと、僕の視界から消えて無くなった。
「おっと最後まで、そして最期まで見てみろよ」
封陣が、解かれた。
世界が色を取り戻し、人から色が見えなくなる。
スーツはスーツを呼ぶのか、さっきの男……が混ざっているだろう集団を、僕は見つけだすことが出来た。そして、僕は外見の、身体的特徴以外の要素で、色を抜かれたスーツを見つけ出してしまった。
曰く、虚白は、個性、存在感、気力、感情、人格の特徴、その他人としてのプラスもマイナスをも最小限にした、『死んだ生き者』であるとのこと。
その事が一目で理解できた。
百聞は一見に如かず。
ましてや一聞。
大差だ。
そいつは、スーツの集団の中で、息をしているだけだった。
それはもう見るも無惨聞くも残酷な光景で、これ以上の説明は、ただの飾りでしかないのかもしれない。
話しかけもしないし、話しかけられもしない。見もしないし、見られもしない。ただ、後ろについているだけ。
僕は今、なんて外れたところにいるんだ。
『それ』を認識できることが証拠だった。
周囲からの脱落と逸脱と脱却と……虚脱。
八木が、再び『僕らだけの世界』を築く。
「おまえも、そういうことが、出来るんだぞ?」
僕は再び、色を抜いて、人を、無為にした八木を見る。
二度目の、それ以上に初めての光景は、さらに全身に拒絶の心理をもたらした。
呼吸は浅く乱れ、汗は滲んで粟立つ皮膚を滴り、四肢は力が入らず、僕はすでに常ではいられなかった。
あるいは、これが常になるのか。
僕は縋るように、左手を動かす。
僕にはもう、これしかないのだ。
左手が胸に達する、直前だった。
八木がにやにやと僕を静観する。
そんな、抜き差しならない状況。
「ふっふっふー困ってるねー。そんなきみに、こちとらのとーじょー♪」
覚悟を決められない僕に、都合よく、救いの手が現れた。
ただし、それはあの凛とした少女ではなかった。
僕の後ろから現れたのは、見た目八歳ぐらいの、失礼ながら、とんでもなく幼女に見える女の子だった。
無地の淡い色のワンピースに白の長袖を羽織り、赤いリボンが一回りしてちょうちょ結びされている、鍔広で雪のような質感を持つ帽子をかぶったその子は、ちょうど僕の目線の高さにある青い風船を持っていた。
その、僕の半分も生きていないらしい女の子は、いかにも子供らしく、にこにこと、しかし大人びたさわやかな笑顔で僕と八木を見つめていた。
そして――
――晴れ渡る蒼穹の如き、空色だった。