初更グラフィティ
固有名詞説明の回。
「じゃあ何から聞けば……、そうだ、あの白黒な世界は何だったんだ?」
ようやくというか、本題に入ることが出来た。
朱夏は僕の質問に淀み無く答えた。
そのことが朱夏の断絶というか逸脱というか、違いを感じさせられる。
「あの『場』は〝封陣〟と言って、『昨日みたいな奴ら』が普通ではない悪さをするときに出す、『結界のようなもの』だと私は思ってる」
結界……要するに、秘密の世界、ってところか?
……世の中ってのは便利なもんだ。こんなに簡単に隠し事がまかり通るんだから。
そこから僕は、必要な知識を出来るだけ得ようと、細かく質問することにした。
ただ、会話をしながら質問を考えるために、どうしても僕の言葉は対照的に淀んだ。
「やっぱり、その封陣……に現れない、普通の人には、その……何が起こっているのか分からないのか?」
僕のその淀みは、無性に朱夏との差を感じさせられた。理不尽にも、自分で作った淀みなのに。
それで仕方ないと思いながらも、どこかでそれを否定したい自分がいる。
「そうなるね。あいつは、私が来る前に何かしていた?」
言われて、僕はゆっくりと正確に思い出す。
確か……そうだ、
「通行人を『捕らえて』、色を抜いていた」
「『色を抜いていた』……?」
朱夏の目が据わった。
……ん? その表現はまずかったのか?
「『何か白いもやのようなもの』を吸い取っていた、とかじゃなくて?」
白い靄のようなもの……?
確かにそこに白黒のフィルタをかければ、そう見えるのかもしれない。
「あ、ああ……おかしいのか?」
そう聞くと、朱夏は意外な返事をした。
「いや、私もそう見える……」
****
朱夏が帰った後、僕は、ベッドに寝転がってさっきまでの説明を反芻していた。
「軽い気持ちだったけど、これ、ちょっと情報量が多すぎるな……整理するか」
彼女、獅子島朱夏曰く――――
昨日、周囲から『僕達が外れた空間』は、〝封陣〟と言うらしい。
「まず、封陣、と……」
僕は試しに、下敷きの上に敷いた白紙に、ドーム、簡単な半球を書いてみた(その中に『封陣』の文字を書き込んだ)。その中で棒人間が諸手を挙げている。
……救いようのない、下手くそな絵だった。
「自分の首を絞めたかな……」
いや、他人に見せないからいいだろう。
僕はさっさと続きに取りかかった。
曰く、封陣は普通の人には認識されないらしい。そのうえ、封陣からは干渉される、とか。
描いた『封陣』の中で、点線で描かれた棒人間がわらわらとしている。外には、普通の棒人間がちらほらと。
「この点線の人間が、『向こう』からは自由にされるって事か……」
曰く、そんな世界を認識できた僕なんかは『普通ではない』存在、らしい。
「…………」
『封陣』の中に、『統那』と書いた名札を書いて、それを新たに書き入れた棒人間――それに、自分で気づいたある要素を混ぜている――に、くるっと一回転した線で結んだ。タグ付きの棒人間。
曰く、封陣で動ける存在を、一般に〝色採〟と呼ぶらしい。
タグ付きの棒人間、朱夏バージョンを作って、その輪郭に赤ボールペンで色を付け足す。
「これ……朱夏には見せられないな……」
ちなみに、『一般に』という表現は、朱夏が『違う呼び方をする人もいるけど』と言っていたからで、それ以外の他意は全くない。
角柱を適当に作図して(極めてシステマティックなビルディングのつもりだ)、その一部を黒く塗りつぶす。しかしそれをまた消しゴムで消して、また角柱を描く(一回目は線がゆがんでしまい、気に入らなかったので二回目は定規を使った)。
対して、点線人間の一つを、消しゴムで軽くこすった。消し切れていないが、これはこれでいいのでそのまま放っておく。
曰く、封陣の中では物理的損壊は回復するらしい……いや、これは朱夏が焦がした物が直ったのを自分の目で確認できたから伝聞の情報ではない。
ホント、便利だよなあ……。
「……で、あの男、ね……」
角柱のビルの足下にぐちゃぐちゃ、ぐるぐるした線を書き込む。点線人間は驚かないが、棒人間にはふきだしを足して、中に『!』を書き入れた。
「ん……これは一つの図だと説明しきれないか……?」
『封陣』の真ん中にいた棒人間に『尖刃』のタグを付けた。
ついでにわざと平仮名で『きつね色』と書いてやる。
昨日の男の名前は八木尖刃と言うらしい。……名付け親、グッジョブ。
僕からすればあの息子なら両親が『そういう系』なのだろうという簡単な推測でしかないのだが、納得のいく話ではあった。
まあ、人のことを言えた名前でも、全然ないのだけれど。
本当に、ひねくれてストレートな名前だ。
さて、この八木尖刃、もちろん色採とのこと。
ただこれが最近事件になった宝石店での盗難事件の真犯人で、その時も封陣を使って行われたらしいというのは、 一般市民として恐ろしいと感じる。
異常を経験した今の僕でさえも。
『勿論私としては人の色……〝存在〟を抜き取っていることの方が許せないけど』
僕……と、朱夏の認識で言うところの、『色』を抜き取られた人は、死ぬことはないが、あらゆる『個性』というものが無くなるらしい。
『私は一回見たことあるけど、……酷かった』
ここで、中途半端に消して、かすれた点線人間に焦点を当てる。
これに、狐色に近い色の、『琥珀色』のタグを付ける。
そうした、『何もしようとしなくなる、人との関係を築かなくなった』状態になった者を、〝虚白〟と言うらしい。
「名称、ほとんどそのまんま……」
まあ、名前はどうでもよかった。
既に色採のこともあるし……。
色彩。
朱夏の言うには、それは死んでいないが、生きてもいないような状態らしい。つまり、無気力の最端、だろうか。
「…………」
最後に、『統那』に、『灰色』と書き込んだ。
その『灰色』には、右の腕が――ない。
まあ……比喩のようなものだけど。
それは今はさておくとして。
曰く、朱夏が紅いように、僕はそういう色なのだとか。
果たしてそれが薄鈍なのか、本当の灰色なのか、もしくは蝋色なのかは分からないけれど。
多分自分で確かめれば分かったのだろうが、あの時の僕にはそんな自分のことに気を回す余裕は無かった。
「ふう、こんなもんか……?」
僕は完成図を眺めた。
……まさに、落書きだった。
「……上手く情報を暗号化、隠蔽できたと考えよう。うん、なんて前向きなんだ僕ってやつは」
いっててむなしかった。かんじにへんかんするのもむなしくなるくらい。
とまあこうして僕は現状認識をようやく終え、眠ることが出来た。
次の日、さらに日常が塗り潰されるとも知らないで。