求婚は花盛りの庭でと決めた男
コリーン侯爵家からポロック伯爵家へ、婚約申し込みの打診の使者が訪れている頃、王城に出仕したヴァレリーは好奇心を隠そうともしないマルガレーテ王太子妃に捕まっていた。
「昨夜の話、聞かせて頂けるかしら?」
「久しぶりにお会いするサーシャ様は、相変わらず聡明で美しさに磨きがかかっておられましたわ」
「サーシャさんは元々美形ですものね。貴女といいサーシャさんといい、どうしてそのお顔を隠そうとするのかしらね?
それよりもエルンスト様に婚約を申し込まれたというのは本当なの?」
ああ、そちらの話。ヴァレリーは昨夜の出来事を思い出して少々頭が痛くなってきた。
「ええ、あれが夢なら良かったのですけど」
「何を言ってるの!わたくし、常々考えていたのよ。あの氷の男は貴女を見る時だけ、ほんの少し眉が下がるのよ。つまり気が緩むというか本音が漏れるというか、とにかく彼が貴女を気にしているのは一目瞭然だわ」
「はぁ、左様でございますか。初めて聞きましたわ」
「もう、貴女ねぇ。元婚約者からのあの仕打ちで、恋愛に夢を見ないのは判っているけれど、そろそろ結婚を考えても良いのではなくて?
その相手がステファン様の側近なら言う事ないじゃない。2人が結婚しても2人でわたくし達を支えてくれるのでしょう?」
思考の先走りで自分の結婚後の話まで考えているマルガレーテから、ヴァレリーを逃すまいという意志が伝わってきて、嬉しいような気もする。それだけ信頼されているのだから。
「マルガレーテ様。わたくし結婚はいたしません。独身のままでも妃殿下にお仕えする事は出来ますでしょう?結婚の必然性を感じませんから、お断りするつもりです」
「「どうして?」」
声が重なった。
驚いて振り返ると王太子ステファンが、エルンストを背後に連れて立っていた。
エルンストは伊達メガネを外して、そのアイスブルーの瞳を丸くして驚いたような表情をしている。使えるものは全て使う、自分の容姿も……そんな気概すら感じられたのだが。
「昨日の今日ですぐに結論を出すのは確かに早計だな、ヴァレリー嬢」
王太子の登場に頭を下げていたヴァレリーは、楽にしてという言葉で頭を上げた。そして困ったように
「王太子殿下。わたくしは一度婚約を解消された身。いわば傷物でございます。輝かしい未来のあるコリーン様には相応しくありません」と告げたのだが。
「相応しいかどうかそれは君が決める事ではない。エルンストとコリーン家が決める事だろう。
まあ、君は固すぎるんだよ。伴侶を得て、そして愛の結晶を得る、これほど幸せな事が他にあるだろうか?
僕たちのように君たち2人にも幸せになってもらい、その上で我々の支えになってくれたらと考えているよ」
「ステファン様の仰る通りですよ。ヴァレリーは考え過ぎなの。もし貴女達がお互いに恋愛感情を持てなくても、2人の結婚は我らにとって利のある事だと言えば、貴女は進んで協力するでしょう?でもそれは虚しくはないこと?
実際、エルンスト様のお気持ちは……」
「妃殿下、それ以上はどうか勘弁を。自分の気持ちは自分から伝えたく思います」
「…だそうだ。エルンストとヴァレリー嬢は2人で話し合うと良い。結論はそれからでも良くはないか?」
*
というわけで、2人は花盛りの庭を歩いている。
「殿下の無茶振りで申し訳ない」
「いいえ。わたくしもきちんと話し合うべきだと思っておりましたので」
「断るつもりだと聞いたが、理由が過去の婚約解消なら問題ない。私など婚約者すら居なかった身、人として或いは男として問題があるのでは?と見做されても仕方ない状況だ。
そんな男に求婚されて迷惑なら、正直に言って欲しい」
「そういうわけでは無いのです。今まで顔を合わす事があっても、その、そういう態度を取られる事はなかったのに、何故急に?と思ったのです」
「ああ、成程。契約結婚とか偽装を心配しているのか。
それは誤解だ。誤解させた事は申し訳なく思う。確かに今までは単なる同僚だったが、あの日、貴女が身の程を弁えない男に絡まれたと聞いた時から、自分でもおかしいくらい貴女の事が気にかかるのだ」
ヴァレリーは驚いたが。エルンストの真剣な眼差しに嘘はないと感じた。
「誰かを好きになるという感情を、私はよくわからなかった。物心ついた頃から女性に好意を寄せられる事があまりにも多くて、面倒で仕方なかった。女性はすぐに感情を昂らせ我儘を言い、愛される事ばかりを望む身勝手な存在に思えて。
済まない、同じ女性である貴女にこんな話をして、気分を害されないと良いのだが」
「エルンスト様は正直な方ですのね。そういう内面は普通お隠しになりましょう。わざわざ言わなくても取り繕う事だって出来ますのに。ただ世の中にはそういう女性だけではない事も知っていただきたく思いますわ」
「知っている。目の前のヴァレリー嬢は私が嫌う女達と全く違うという事を知っている。
そして同時に、貴女の心が欲しいという自分の欲にも気がついてしまった。これが恋なのだろうか」
王宮の庭園の中にあるベンチに辿り着いて、エルンストはハンカチを広げてヴァレリーに座るように促した。
「恋……わたくしにもよくわかりません。エルンスト様と同じ気持ちをお返し出来るかどうかもわからないのです。それでも、わたしで宜しいのですか?」
「共に殿下、妃殿下にお仕えするうちに、貴女がどれほど信頼できる人物かわかっているつもりだ。貴女の心が欲しいが、私と婚約関係になれば、他に心を寄せる相手を作らないであろう事もわかる。
打算的と言われたらそれまでだが、然るべき相手と家庭を持ち、子を儲け、生涯を共にするのなら、私はヴァレリー嬢が良い。貴女以外考えられない」
戸惑いながらも目が離せない、その熱い視線から逃れられない。
こんなに感情を剥き出しにするエルンストなど見たことが無かったから、ヴァレリーは困った顔になる。余裕のないヴァレリーにエルンストは追い討ちをかけた。
「ヴァレリー嬢、貴女が好きだ。私は貴女に恋をしている」
戸惑うヴァレリーの頬はほんのり赤く、言い切ったエルンストは耳まで赤かった。
*
「あの2人お似合いだと思うのだけど」
マルガレーテの呟きにステファンは相槌を打った。
優雅にお茶を飲む美しい王太子は、目立ってきた妻のお腹に優しく手を置く。
「エルンストはああ見えてロマンティストなんだ。氷の貴公子みたいに言われているけどね、
今頃、花盛りの庭で口説いているんだろうね」
「まあ、彼にはそんな一面が隠れてるのね」
「我々の様に深い愛情で結ばれるかどうかは、エルンストの頑張り次第だな。尤もあの男はかなり前からヴァレリーに気持ちが向いていて、僕にバレてたなんて知れば、氷嵐が吹き荒れるだろうから言わないけれど」
優しく微笑む妻マルガレーテのそばにずっと居たかったが、この後人と会う予定なのだ。後ろ髪を引かれる思いでステファンは立ち上がった。エルンスト達を呼び戻すのに人をやって、執務室へと戻って行った。
一時後、王太子と側近は応接室にて客人を迎えいれた。
現れたのは、ウィリアムの父であり、元犯罪者ルルーシュの身元引受人のアレンビー伯爵だった。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァレリーはわざと鈍いのか疑惑もあるけど、情緒面がお子様なんです。