婚約?誰とだれが?
サーシャ・コリーン侯爵令嬢の21歳の誕生会は、コリーン家の身内と、サーシャの王立学院時代の唯一といっても良い友人、ヴァレリー・ポロック伯爵令嬢が出席して終始和やかだった。
家まで迎えに来られた時に確認したのだ。
「ご家族の団欒にわたくしのような部外者が参加してもよろしいのでしょうか?」と。
「何も問題ない。妹は貴女が来てくれると知ってはしゃいでいる。両親も私も喜んでいる」
エルンストは早口でそう言うとさっと目を逸らした。
何だろうか?うまく乗せられている感じが否めない。そもそも今回の事は、エルンストの策略でもある。旧友サーシャ嬢に会えるのならと、うっかり引き受けてしまった自分が迂闊なのだ。
コリーン侯爵家での内輪のパーティに招かれている事を知った父と母から「何故そうなった?」と聞かれて、王太子妃の執務室での会話内容を話せる訳はなく、なんとなく?と誤魔化してみたものの、確かに何故?ではある。
そもそもサーシャが自分に会いたいと思うのなら、直接連絡してくれば良い事だ。だからなのか、父は
「コリーン家の令息がヴァレリーと個人的に知己を深めたいのだろうなあ。それしか無いよなあ」と諦め顔だった。
「行き遅れになる前に、どんなご縁でも繋いでおかなくてはね」と、母もなかなかに容赦がない。
ウィリアムとの婚約が解消された時、一生嫁に行かなくても良いと言ったあの言葉は何だったのだろう?そしてそれを追求すると、あの時とは事情が変わったと言う。
「わたくし達はね、ヴァレリーが幸せになってくれれば良いの。いえ、生きていてくれれば、もうそれだけで……」
何故か感極まった母は涙ぐみ、父はそんな母の肩を優しく抱いて慰める。
「ヴァレリーはどこに出しても恥ずかしく無い、我々の素晴らしい娘だよ。手放したくないのは私とて同じだが、いつまでも王家に預けるわけにはいかない」
「お父様、預けられているわけではなく、わたくしは女官の仕事で」
「違うんだ、ヴァレリー。お前を守る為にに必要な事だったのだ。ウィリアム君だってそうなんだ。彼には可哀想な事をしたよ。ま、自業自得なところはあるが。
父と母を許して欲しい。私達はヴァレリーの幸せを願っているだけなんだ」
父の様子も何だかおかしくなってしまい、ヴァレリーは途方に暮れた。そんなに困惑するのならお招きは断ろう。
「お父様達が心配です。コリーン侯爵家へお邪魔するのはやめましょうか?」
「いや、あの家ならヴァレリーを守れると思う。だから婚約の打診があれば受けても良い、うん、あの家ならば」
「お父様、コリーン様とは王家に仕える仲間です。そういう関係ではありませんよ?」
両親は残念な子を見るような目でヴァレリーを見た。
*
ジュエラスから届けられた果物山盛りのケーキは、サーシャやコリーン家に大好評だった。
「まあ、この美しいケーキを貴女のお店で?素敵ね、ヴァレリー」
「サーシャならいつ来ても大歓迎するわ。特別なお客様だけにお渡ししている通行券をお渡ししておくわね。これを見せると
別室で対応させて頂くわ」
王立学院で競い合った優秀な2人は共に高みを目指した同志としての共感があって、お互いを尊敬し合っていた。その気持ちは久しぶりに会った今も変わらないようだ。
彼女達を見守るエルンストは、仕事中の冷たい眼差しではなく表情を緩めている。そのエルンストを眺める侯爵夫妻、さらには家令や侍女といった使用人達。
ヴァレリーは気が付かないまま、視線の連鎖反応の一番先に居る。
さて、サーシャの誕生会という事で彼女の好物が給仕された。そのどれもが美味しく、ヴァレリーは舌鼓を打った。
最後にケーキとお茶が出される頃には、コリーン家の人たちとも打ち解けた。
名前呼びをされるのを嫌がるエルンストが、ヴァレリーに対して、ここでは全員コリーンなのでわかりにくい、どうか名前で呼んで欲しい、そして自分もまた貴女を名前呼びしても良いだろうか?と言い出した時は、仕事中とは余りにも違う態度に驚いた。そしてそんな事を言い出した息子を目にしたコリーン侯爵夫妻と妹サーシャは目を丸くして驚いた。
いくら妹の友人でケーキの融通をしてくれたとは言え、婚約者でもない女性を内輪のパーティに招いた息子に何かを察した夫妻は、この機会を逃してはならないと頷きあった。
侯爵夫妻は明日にでもポロック家へ婚約の打診をする事を決めたのだった。
*
「ねぇ、ヴァレリー様。お兄様の事どう思う?」
サーシャは兄と同じアイスブルーの瞳でヴァレリーを見る。
あの兄が、あの冷静で感情に揺さぶられない兄が、女性を連れてきたというだけで、コリーン家は大騒ぎなのである。
しかもその女性というのが、ヴァレリー・ポロックなのだから、サーシャの心は喜びに満ち溢れている。
自らが唯一の好敵手と認めた才媛であり、実はとんでもない美貌を隠しているヴァレリー。本当は学生時代に一緒に出かけたり遊んだりしたかったのだ。しかし、そんな事を言うと嫌われてしまうかもと逡巡した結果、誘う事も出来なかったのだった。
(それほどにヴァレリーは自分を地味に見せて、他人と関わらないようにしていたのよね)
その理由が知りたいサーシャだったが、聞くのは躊躇われた。どうせ尋ねても、そんな事ないわ、貴女が誘ってくれたらいつでもご一緒したのに!と、その愛らしい口元を少しだけ尖らせるのだろう。
ただひとつだけ確かめたい。ヴァレリーは兄の事をどう思っているのだろう。お互い適齢期の端っこにかろうじて引っかかっている年齢だ。兄は優良物件として貴族令嬢から狙われている。そんな兄から誘われて我が家にやってきたヴァレリーは、兄を好いてくれてはいないのだろうか。
少なくとも兄の行動には意図がある。ヴァレリーが意図を汲んでいるとは言い難いが、嫌悪感はないから来てくれたのだろう。それにしても。
(お兄様がわたしを口実に使ったのは許すとして、ヴァレリーの気持ちが知りたいわ)
「エルンスト様は仕事熱心で真面目で、王家からの信頼篤く尊敬できる方だわ」
「違う違う、男性としてよ。ひとりの男性として、貴女の目にはどう映っているのかしら?」
ヴァレリーは頭を傾げて考えた。どう映るか以前に仕事仲間という以外に認識した事がない。
「そうね。いつも表情が変わらないから冷酷に見られがちだけど、案外心の中は表情豊かな方かしら。
意志が強く真っ直ぐで王家への忠誠心が篤いわ。王城の使用人達への対応も決して上から押し付けるような事はしないし、こちらへ伺ってもそれは同じだと感じたわ。
つまり上に立つ者としての誇りと矜持を持って正しく生きてらっしゃる、そんな感じかしら」
「まあ!良く見てくれているのね!妹のわたしが言うのもなんだけど、お兄様は伴侶として最高の人だと思うわ!」
「そうかもしれないわね。少なくとも弱い者、小さい者に対する優しさをお待ちですもの」
ヴァレリーは思い出して、ついつい頬が緩み笑い声を上げたら、不思議に思ったサーシャにどうしたの?と問いかけられた。
「いつだったかしら、王城の庭園に迷子の子猫が現れたの。たまたまわたしがそこを通り掛かったら、エルンスト様が子猫を追いかけてらして、植え込みに逃げ込んだ猫を捕まえる為に腹這いになって」
「お兄様が!」
「そうなの。想像してみて?あの冷静な方がね、子猫に引っ掻かれて手を小さな傷でいっぱいにして、立ち上がった時にはメガネがずれてて。それでも子猫を慈しむように胸に抱いていらしてね。
目撃した侍女やメイド使用人達は、それはもううっとりとエルンスト様を見つめてたのよ。
子猫にすらあのように優しい目を向ける方だから、きっと父親になればご自身のお子様を溺愛しそうね」
「貴女は?貴女はそんなお兄様をどう思ったの?」
食い気味に尋ねるサーシャである。
「人は見かけによらないなと。それまで王太子殿下の側近で仕事熱心な方がとした知らなかったから、猫のような小動物がお好きだなんて、意外と可愛らしいところがおありなのねと。
もしや、子どもの頃、猫を飼ってらしたとか?」
なんだか期待していた答えと違う事に内心がっかりするサーシャ。
「でも」
「でも?」
「仕事が出来て優秀で、それでいて慈愛の心を持ってらっしゃる。女性にモテるのは納得だわ」
「もしも、もしもよ?お兄様が貴女に婚約を申し込んだら受けてくださる?」
「まさか。それはあり得ないからもしもの質問には答えられないわね」
その時、ヴァレリーとサーシャが2人で話しているサーシャの私室のドアがノックされた。
そろそろ送って行くからとエルンストがやって来たのだ。
そしてポロック家へと送り届ける馬車の中で、エルンストは何か言いたそうな、迷っているような素振りを見せていたが、後少しでポロック家というところで、口を開いた。
「サーシャが言ったことは強ち嘘ではないんだ」
「どういう事でしょう?」
「ヴァレリー嬢、私は貴女に婚約を申し込むつもりだ。貴女とこれからの人生を共に過ごしたいと思っている」
呆気に取られているうちに馬車はポロック家へと着いた。
馬車から手を取ってヴァレリーを下ろすと、馬車を待たせてポロック家の玄関へとエスコートする。
そして待ち構えていたヴァレリーの両親に向かって、
「ヴァレリー・ポロック嬢に婚約を申し込みます。明日、父がこちらに伺います」と深々とお辞儀をするのだった。
*
父と母からの矢継ぎ早の質問をなんとか交わして、明日は出仕いたしますのでと逃げてきたヴァレリー。
一体どういうつもりで?と不思議に思う。
今までも仕事で関わってきているのに、何故急に婚約などと言い出したのだろうか。
エルンストの事は嫌いではない。真面目すぎる性格も信頼の証だと思っている。では好きなのか?と言うとそれはわからない。
一体わたしのどこが気に入ったと言うのかしら?
もしかしたら家格や年齢が釣り合って、仕事に理解があるというそんな理由なのかもしれない。
(打算的だけれど、そろそろ身を固めても良いのかもしれない)
そうすれば変な見合い相手にも出会わないし、逆恨みされたり襲われたりする事もないだろうし、ウィリアムだって安心するだろう。
なぜそこにウィリアムが出てくるのか本人は意識していなかったが、ウィリアムとの婚約が自分を守る為のものだったと聞かされてから多少の罪悪感を持っている。
機会があれば、ウィリアムときちんと話し合わねばならない。ヴァレリーはそう思った。
卒業式の後、婚約解消は父に任せたので、本人の口から言葉を聞いたわけではないのだ。あり得ないこととはいえ、自分に今も婚約者がいないのは、ウィリアムを思い続けているからだと勘違いされていたらどうしましょうなどと、割と酷い事を考えているヴァレリーだった。
お読みいただきありがとうございます。
エルンストの追い込み開始宣言。