それぞれの秘めたる思い
少し間が空いてしまいました。なかなか更新出来ませんがよろしくお願いします。
窓から差し込む光が優しい昼下がり。
王太子妃マルガレーテは私室にいた。お腹が目立ってきたので、身体に負担が掛からぬよう、執務は最低限に減らしている。
王太子妃の不在を担うのは専属の女官達である。マルガレーテには3人の女官が付いていてその内のひとりがヴァレリーだ。元々侍女として採用されたのだが、学院時代のあだ名が『ガリ勉メガネ』で、勉強大好きなものだから、翌年の女官採用試験を受けて無事突破したのである。
それはマルガレーテの目論見通りだった。彼女の優秀な頭脳を活かさないのは損失よ、とまで言い切る王太子妃に誰も文句は言えない。
*
さて私室のマルガレーテがのんびり優雅に過ごしているかと思えば、そこには頭を突き合わせて何やら深刻な顔をしている男女の姿があった。
「ポロック嬢、それは危険だからやめていただきたい」
「大丈夫ですわ。メガネを外すとわたくしが誰か認識出来ないと思います、ほらね?」
メガネを外して素顔を晒したヴァレリーに、王太子の側近エルンスト・コリーンは顔を赤くした。
「う、慣れない、心臓に悪い……」
「何かおっしゃいまして?」
「だからその!貴女がそのように素顔でいられると余計に危険が増すのだ。酒場の荒くれ共の前に現れてはいけないと先程から言ってる」
「何故ですの?例のルルーシュさんの企みを暴くのでしょう?それなら同性の方が気を許すに決まってます」
「たとえ今はあの者の持つ魅了が無くなったとしても、多くの男性に罠を仕掛けた女だ。貴女のような美しい淑女が現れたら、嫉妬心から何をするかわからない。だから潜入は我らに任せていただきたい」
黙って彼らの会話を聞いていたマルガレーテだったが、手に持っていた扇をパチンと閉めると
「企みがあるかどうかも未だわからぬ話に、ヴァレリーが乗り込む必要はありません。貴女はわたくしの側を離れないと宣言したばかりでしょう?」
と、彼らの終わらない会話を切り上げた。
*
同じ時期に、魅了をかけた女とかけられた男が王都に戻ってきた。ただそれだけの事なのに話がどんどん膨らんでいく。
魅了をかけた女の身元保証人をかって出たのが、魅了をかけられた子息の父親だというのが余計に話をややこしくしている。
当事者であるアレンビー伯爵は黙して語らない。魅了されて婚約解消された息子のウィリアムの情報は、王城警備部隊に所属して真面目に勤務している事からいしかわからない。
ではもう一方の当事者であるポロック伯爵はと言えば、うちにはもう関係ないからと、歯牙にもかけぬ様子だった。これにはヴァレリーもほっとしている。過去の話を蒸し返されて注目されるのは懲り懲りだ。
「それでもルルーシュさんが何を考えているのか気になるところではあるわね。
あら、わたくしいい事を思いついたわ。ここに呼びましょう。直接聞くのはいかが?」
「妃殿下、それはなりません!」
「妃殿下、危険です!」
王家に忠実なふたりは声を揃えた。
「あなた達息がぴったりね」
マルガレーテは楽しそうに笑った。
*
「困ったな、王家に召喚されてしまった」
まるで困った顔ではなく寧ろ口元に笑みを浮かべながら語るのは、アレンビー伯爵、そうウィリアムの父親であり渦中の人である。
「あの、伯爵様、わたしのせいですよね?ご迷惑ばかりおかけしてすみません。わたしも一緒に行かねばならないのでしょうか?」
「その必要は無い。ルルーシュは我が家のメイドだ。王族がメイドを呼び出すほど暇じゃないだろう」
「でもきっと、王太子殿下はわたしが王都にいる事を、快く思ってはいらっしゃらないでしょう。妃殿下は特に。
それにご子息様には多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。わたしが償える事を仰ってください」
「君を引き取ったのは私に利があるだ。だからそう心配しなくとも良い。償える事を何でもすると言い出したら、それこそ私は君を監禁し死ぬまで責め続けねばならない」
アレンビー伯爵の言葉に、ルルーシュはびくついた。
*
王太子の側近、エルンスト・コリーン侯爵令息は、ヴァレリーより2歳年上で、王立学院で絡んだ事はないが、ガリ勉メガネの先輩としてヴァレリーは尊敬している。
彼の場合はヴァレリーのように野暮ったく見せる為のメガネではなく、寧ろその怜悧な表情を緩和する為なのかもしれない。近寄りがたい孤高を醸し出す雰囲気とメガネの奥のアイスブルーの瞳が、女子学生達の人気を集めていたが、迂闊に近寄れば切れ味の良いナイフのような視線に射られる。その冷たさが良いともっぱらの評判だった。
そんな冷たい男の心を熱くするのは、一体どんなご令嬢かと噂になっていたが、本人は至って真面目に答えるのだった。
「自分の隣に並び立てるほど気高く聡明な女性はいない」と。
そんなエルンストにも弱点は勿論ある。今のところそれを知るのは王太子ステファンだけだ。
そのエルンストと、王太子妃の女官であるヴァレリーは打ち合わせ中だ。
「ポロック嬢、貴女は今回の件をどのように考えている?」
「左様でございますね。アレンビー伯爵がルルーシュ嬢の身元保証人となられた事に何か意図があるとしたら、それは何だろうか、その理由を知りたく思います」
「それは探究心から?」
「ええ、そうですわ」
「ウィリアム・アレンビーについては気にならない?」
「アレンビー伯爵子息様とは婚約解消の際にご縁は無くなっております。何を気にするのでしょう?」
エルンストはメガネの位置を直して、首を横に振った。
「久しぶりの再会に何か思うところがあるかと」
「コリーン侯爵子息様なら、そのような場合は何をお考えになりますの?」
「…質問を質問で返すのは良く無いな」
ヴァレリーは肩を竦めた。
「そうですわね。答えはあの方個人に思うことはございませんが、何かの企みに巻き込まれているとすれば対策が必要、でしょうか」
「長年の婚約者であったと聞くが、それを破棄させた女に対する恨みは?」
「破棄ではございません。話し合いによる解消ですわ。先ほどからわたくしに問いかけていらっしゃいますが、コリーン様はご自身の婚約者様にもそのように質問ばかりなさいますの?」
思わぬヴァレリーの反撃にエルンストはたじろぐ。
「婚約者は今は居ないし、君には関係のない事だ」
ぴしゃりと言って不機嫌になった。
「それは失礼致しました。ご気分を害してしまいました。お許しくださいませ」
「いや、こちらこそ済まない。私的な内容に踏み込むべきではなかった。
推察だけでは先に進まない。まずはアレンビー伯爵から話を聞くのが肝要だな」
ところで、とエルンストは言葉と態度を改めた。
「ポロック嬢は甘い物は詳しいだろうか?
実は近々妹の誕生日が来るのだが、何か菓子でも買ってやろうかと思うので良い店があれば教えて貰えないだろうか」
「まあ!サーシャ様の!」
「妹とはたしか学院の同期と聞いている」
「はい。数少ない友人のひとりですわ。最近お会いできていないのですがお元気でいらっしゃいますか?」
「隣国での留学を終えて帰国したところだ。良ければ会いに来てやって欲しい」
ガリ勉メガネのヴァレリーの数少ない友人のサーシャ・コリーンもまた、勉強大好きで、2人はお互いを認め高め合う、良きライバル同士だった。
たしかサーシャ様の婚約者も、ルルーシュ嬢に惑わされてしまい、彼女は潔く婚約を解消すると卒業を待たずに隣国へと留学したのだった。
友人といっても年に一、二度程度の手紙のやり取り、それも隣国での学問についてがほとんどで、サーシャの私生活など知る由もないヴァレリーは、彼女が無事帰国していた事を喜んだ。
「あー、もし時間があるのなら、買い物に付き合って貰えると助かる。何しろ慣れておらず、女性の多い店に出向くのは苦手なのだ」
「かしこまりましたわ。なるべくマルガレーテ様のお側を離れたくはないのですが、そういう事ならば早速妃殿下に許可をいただいて参ります」
「それで、もし良ければ……
いや、本当に都合がつけばで良いのだが、妹の誕生パーティにも顔を出してもらえればと」
「予定を確認いたします。パーティはいつですか?」
「明日。そう、明日なんだ」
「まあ、それは大変!早速妃殿下にお話ししてお菓子の手配とプレゼントを探しに行かねばなりませんわ!コリーン様は」
「わ、私は既に殿下から外出の許可を得ている」
幾分慌てながらもエルンストが答えるとヴァレリーはにっこり微笑んだ。
(だから、その笑顔の破壊力………)
エルンストは心臓がバクバクと早打ちするのを感じながら、なるべく平静を装おうように努めたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
登場人物メモ
○ヴァレリー・ポロック 伯爵令嬢 21歳
○マルガレーテ王太子妃 21歳
○ステファン王太子 21歳
○ウィリアム・アレンビー 伯爵子息 21歳
ヴァレリーの元婚約者。王城警備部隊の兵士。
○エルンスト・コリーン 侯爵子息 23歳
○サーシャ・コリーン 侯爵令嬢 21歳 ヴァレリーの同級生で良きライバル
○ルルーシュ 21歳 平民なので苗字はない。
アレンビー伯爵が身元保証人になり、現在アレンビー家のタウンハウスのメイドとして働いている。前世の記憶あり。
○アレンビー伯爵
ウィリアムの父。何か企んでいる。