まさかの遭遇
本日2話目です。
その日ヴァレリーは油断をしていた。
マルガレーテに頼まれて王宮図書館で本を借り出し、王太子妃の執務室へ戻る途中の事だった。近道を通ったのが不味かった。木々が繁っており昼間でも鬱蒼と暗い道でひと通りも少ない抜け道を、小走りで急いでいるところだった。
木立の中からいきなり目前に飛び出してきたのは、以前婚約を申し込まれて断った伯爵子息だった。
「ポロック伯爵令嬢。私の何が気に入らなかったのです?
行き遅れの貴女を引き受けると申し上げたのですよ?その分厚いメガネやひっつめ髪で、お世辞にも美しいと言えない貴女を嫁にしても良いと申し上げているのですよ?」
「その件につきましては、父からお断りさせていただいております。わたくしは仕事がございますので失礼いたしますわ」
「貴女のような不細工な女を、わざわざこの私が引き受けてやろうと言ってるのです。納得の行く答えを貰わねば私とて引き下がれません」
この男は必死だった。王太子妃からの覚えがめでたい女官を何が何でも手に入れろと、父親から厳命を受けていたのだ。そして自分の容姿に自信にある男は、不細工な行き遅れに拒絶された事がどうしても許せなかった。
「ああ、そうか。初心な貴女は恋の駆け引きを楽しみたいのですね?しかしそれでは私が待てそうにありません。強引に既成事実を作っても良いのですよ」
にやりと笑ってヴァレリーの手を引っ張って自分の方に引き寄せた男は、震えて声も出せない女の分厚いメガネを取り去った。
「ほら、こうやってメガネを外せば何も見えないのだろう?
って、え!お前……」
男はびっくりしてうっかりヴァレリーの手を離した。メガネを外したらそこにいたのは長いまつ毛に縁取られた大きな瞳を潤ませた、美女だったのである。
「なんと!こんなに美しい顔を隠していたのか!こりゃまた美しい。この美しい女が俺のものになるとはな、ははは!」
高笑いして気が緩んだ次の瞬間、男は股間を押さえて崩れ落ちた。
「誰かー助けてぇー!痴漢ですわー!誰かー、助けてくださいましー!」
ヴァレリーが良く通る澄んだ声で叫ぶと、慌てた男は痛む股間を押さえつつ立ち上がり、ヴァレリーの口を塞ごうと飛びかかってくる。素早くその男の背後に周り、男の尾骶骨を靴の先でツンと蹴れば、男はバランスを崩して転んだ。
目端に駆け寄ってくる警備の者の姿を捉えたヴァレリーはにっこり笑ってとどめの台詞を述べた。
「潰れてはいないでしょうけど機能はどうでしょうねぇ?よく確認してくださいませね。お大事に」
男は真っ青になって走り出した。未だ痛むようで走り方がぎこちないのが笑えてくる。ヴァレリーは落ちたメガネと本を拾い上げて立ち去ろうとしたところ、声を掛けられた。
「大丈夫でしたかっ?悲鳴が聞こえたのですが?」
走ってきたのは王城警備の兵士だ。深く帽子を被っており、逆光もあってその顔はよく見えないが、余程急いだらしく息が上がっている。
「勘違いでしたの。何でもありません。ご迷惑をおかけしました」
「そうですか。あの男はレディに何か不埒な行いをしようとしたのではありませんか?」
尋ねつつも、その兵士はヴァレリーの顔に釘付けで帽子の奥から視線を外そうとしない。
「報告の必要があります。失礼ですがレディのお名前を伺っても?」
「わたくしはその必要を感じません、勘違いでしたのよ。それに王太子妃殿下の不興を買いたくないのであれば、このまま立ち去ることをお勧めいたしますわ。ではごめんあそばせ」
一気に言い切るとヴァレリーは本を抱えて駆け出した。まるで貴族令嬢らしくない行動だが、王太子妃を待たせているのである。こんなところで時間を食っている場合ではないのだ。
ひとり残された兵士はその後ろ姿を呆然と眺めるしかなかった。
*
うわー驚いた!
ヴァレリーは心臓の動悸が止まらない。襲われかけた事は無事に乗り切った。こんな事もあろうかと小さい頃から体術や剣技の練習を続けていた。家族は無駄に美しいヴァレリーの身を守る為に護身術を習わせていたのである。
(あの方、きっと痛い目を見るわね)
もう既に肉体的に痛い目にあっているのだが、彼に待ち受けているのは更に恐ろしい王家からの沙汰である。
当然許す気はないので王太子妃に報告するつもりだ。
それよりもあの兵士、あれは、思い違いでなければ元婚約者のウィリアム・アレンビーではなかっただろうか?
婚約解消の手続きの日にあったのが最後の男に、たまたま偶然、あんな場所で遭遇するとは。しかもウィリアムは婚約解消の責任をとって伯爵家の後継から外され、領地に戻ったのではなかっただろうか?
相手は助けようとした女官がヴァレリーだと気がついていない様子で、名前を聞きだそうとした。
(何年も婚約者だったのに、わたしだと気が付かないのね。婚約解消して本当に正解だったわ)
真実の愛だと言ってたけど、あの平民のお嬢さんは禁忌の魅了魔法で捕らえられた。夢から醒めたウィリアムは、どのような気持ちだったのだろう。愛した女性は王太子狙いで、自分はほんの遊びの当て馬に過ぎなかったというのに。
真実の愛という言葉ほど中身の薄っぺらいものは無いわね、ま、関係ないけどねと、ヴァレリーはウィリアムの事を頭から追い出した。そして辿り着いた王太子妃の執務室で、先ほどの不埒な男についての報告を済ませたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
1話目は説明会でした。少しだけ話が進みます。