閑話 エイムズ・ポロック
直接描写はありませんが、人が亡くなった話と不義の子どもの話が出てくるので、苦手な方はご注意ください。
22年前。
エイムズ・ポロックは王立学院時代の親友、ジョージ・アレンビーから久しぶりに会わないかと誘われた。
互いの領地は隣同士であり、幼い頃から交流があった。積もる話もある。エイムズは楽しみだった。
比較的治安の良い王都の下町の、賑わっている飲み屋で落ち合ってエールで乾杯をした2人は、懐かしい話で盛り上がっていたが、そういえば、とジョージが話を切り出した。
「そう言えば、あいつがお前に会いたがっている」
それはあまりにも何気ない言葉だったので、エイムズはうっかり名前を呼びかけて、ぐっと気を引き締めた。
ジョージが名前を出さずにいたその人はおそらく、この国の王太子であり自分達の学友で悪友だった男だ。この度、漸く隣国の王女との婚姻が結ばれて大規模な祝賀パレードが行われ、つい先日めでたくも第一子の王子が誕生したばかりだ。
「何故だ?いまさら旧交を温めたいわけではあるまいし」
ジョージは王太子直属の部下だ。但しその存在は秘されているので知っているのはほんの一握り。2人は側近にならないかと誘われていたが、エイムズは伯爵家嫡男のため、守るべき領地があるからと丁重に断っていた。
しかしジョージ・アレンビーは違ったようだ。王太子レナウスの願いを聞き入れ、表には出したくない裏方面の雑事を引き受ける事を承諾した。
誰にも知られぬ用にとある場所で、彼は待っていると言う。
一体何なのだろうか?中央と関わりのないしがない伯爵子息の自分に用とは?まさか本当に旧交を温めたいだけなんじゃないだろうな、とエイムズは己の想像をあり得ないと打ち消したが、実際はより複雑な事情に巻き込まれてしまうのであった。
*
「で、その子は誰なんです?まさかレナウス殿下のお子だと言うのではないでしょう?」
困ったような、しかし誇らしいような顔でレナウスは頷いた。
「私の娘だ。生まれて半年程になる」
「殿下!妃殿下との間に王子殿下がお生まれになったのは、つい先日ではありませんか!
なんだよ、一体何やってんだよ!
おいっ!レナウス、一体誰との子なんだ!お前、妃殿下に隠れて浮気しやがったのか、この野郎!」
言葉が乱れたのは仕方ないと思う。国民に祝福された婚姻の結果、生まれた王子がいて、更には婚外子である娘がいて、娘の方が先に生まれたとは一体どういう事情なのだ?
不敬になっても構わないくらいエイムズは怒っていた。何故かわからぬ義憤で腑が煮えくり返っていた。
(こいつら王族が権力を傘にきて、感情の赴くままに目についた女に手を出した結果がこれだ。
そんな奴じゃなかったのに権力を持つと人は変わるのか?)
「母親は?」
「名前は出せない或るご令嬢が母親だ。その令嬢は身の危険を感じて他国に出奔し、そこでこの子を産んだ。命懸けで」
「ご存命ではないのか」
「詳しくは話せぬ。
エイムズに頼みたいことがある。この子を育ててはくれないか?」
「はぁ?責任は最後まで持てよ!」
「出来るなら私だってそうしたい。しかしそれが出来ない事くらいお前だってわかるだろう?私には妃と王子がいる」
「側妃が産んだ事にすれば良いじゃないか。王族とはそういうものだろう?」
黙ったレナウスは静かに首を横に振った。
「頼む。理由は聞かないでくれ。この子の色味はお前と一緒だ。お前の子となれば誰も疑わないだろう」
エイムズは怒鳴りたくなる気持ちを抑えて赤ん坊を見た。伸ばしてきた小さな指に触れると、赤ん坊はエイムズの指をぎゅっと握り返して、にこりと笑った。
胸に熱いものを感じたエイムズは、自分と同じ色味をしたその赤ん坊を腕の中に抱え込んだ。
「この子は姉上に似ている」
少し前に流行病で亡くなった姉と、その赤ん坊を重ねて見てしまったエイムズの目元は潤んでいた。
「私の姉が流行病で亡くなったんだ。嫁ぎ先からは伝染してはいけないからと遺体も、遺骨すら返してもらえなかった。髪の一房すら無いんだ。嫁ぎ先でうまく行ってない事は知ってたさ。だけど余りの仕打ちじゃないか?
埋葬した後に知らせてくるなんて。
なあ、この子はまるで姉上の生まれ変わりみたいじゃないか?心なしか姉上に似ている気がするよ。美しい人だったから、きっと別嬪になるよ」
理由はわからないが、この赤ん坊に触れていると流行病で亡くなってしまった姉が思い出されて、エイムズは他人事に思えなくなってきた。
「こんなに小さい赤ん坊を遺して逝く事になったご令嬢は、さぞかし無念であった事でしょう。
レナウス殿下の事は男として許せませんが、この子に罪はありません。奇しくも同じ髪と目の色をしているから、我が娘と偽っても誰も疑わないでしょう。
この子は私が我が子として育てます。その代わり殿下には、今後一切親として名乗りをあげる事の無きよう念書を書いて頂きたい」
それはエイムズ・ポロックが訳ありの赤ん坊を我が子として育てる決意をした瞬間だった。
腕の中の赤ん坊は知ってか知らずか、スヤスヤと寝ついてしまった。
その温かい重みが、既に二児の父であるエイムズの父性を激しく刺激した。亡くなったこの子の母親の分まで幸せにしてやらねばならない。
エイムズは緋色の髪に緑の瞳をした令嬢がどの家出身かを思い出そうとしたが、国内では思い付かなかった。
この特徴的な燃えるような髪色はポロック家の特徴なのだ。
そうか、殿下は留学経験があるから、他国の令嬢か?
或いは貴族ではない平民の娘か?
平民の方があり得る。隠し通さねばならなかった存在、殿下の子を身籠り命を狙われる存在。きっとそれに違いない。
エイムズは考えるのをやめた。母親が誰だとしても父親は王族なのだ。この子が政権争いに巻き込まれる事のないように、大切に育ててやろう。
愛情深いポロック家の中でもとりわけその人柄を褒められる事の多いエイムズだった。貴族として優しすぎる、甘いと言われるエイムズだった。
だが彼はこの赤ん坊を我が子として育てる事を決めた。
(遠い他国で土に還った姉上の生まれ変わりだと思えば良いのだ)
*
赤ん坊を人目から隠して連れ帰ったエイムズは、妻マーガレットに全てを打ち明けた。
初めはエイムズの隠し子だと思い、浮気を責めたマーガレットだったが、事情を聞いて思うところがあったようだ。勿論、エイムズもマーガレットも決して他言はしないと言う、魔法による誓約書を王太子と取り交わした。そして王家からも一切干渉しないという念書を貰った。
万が一にでも「王女である」などと言い出したら面倒だし、ヴァレリーにとってそれは不幸でしかない。
辻褄を合わせるために、マーガレットと子ども達を2年ほど領地に帰して妊娠と出産を偽装した上、出生の証明書は王太子が王家の力で秘密裏に片付けた。
少し大きくなると半年くらいの成長の違いは誤魔化せるだろう。ヴァレリーと名付けられた娘は、他人の目から隠すように大事に密やかに育てられた。
そうやって隠されてきた深窓の令嬢ヴァレリーが表舞台に出てきたのは、王立学院入学時だった。それまで隠され続けたポロック家の末娘は、メガネをかけて野暮ったいなりをした、勉強が大好きな地味な娘だったので、注目されることなく学生生活を過ごす事が出来た。
いずれ親戚筋の信頼できる若者に嫁がせるつもりが、
アレンビーから自分の息子ではどうだ?と勧められ、秘密を共有出来るからと婚約させていたら、その息子はヴァレリーを傷つけ、衆目の前で婚約破棄を宣言する愚かな若者だった。
ただ、この婚約もその後の解消も全て国王になったレナウスの指示だと、ジョージ・アレンビーから聞かされたエイムズは、やはりそうだったのかとがっくりと肩を落とした。
ウィリアムは単なる当て馬でヴァレリーの虫除けにされたに過ぎなくて、若さゆえに持て余し葛藤する気持ちをヴァレリーに冷たく当たる事で消化してたと知り、なんともやり切れない気持ちになってしまった。
しかし婚約が無くなったからにはヴァレリーに良い相手を見つけてやらねばと考えていたら、本人が全くその気がないと言う。
それならばいつまでも家で過ごせば良いと言えば、いずれ跡を継ぐお兄様の迷惑になるからと、女官の試験を受けて王太子妃付きになり、寮に入ってしまったのである。
*
「で、今度はコリーン侯爵家との良縁も気に入らないと。国王は一体何をお考えになっておられるのか」
「あなた、不敬にあたるような事を軽々しく口にしないでくださいな。
わたくしだって本当に腹が立っているのを我慢しているのよ」
「ヴァレリーは、コリーン侯爵子息の事を気に入っているんだろうか。それならば何としても婚約させてやりたいのだが」
そうね、と相槌を打った妻のマーガレットは
「ヴァレリーと話し合いましょ。あの子の気持ちが一番大事よ」と、夫を宥めるように言った。
「そうだな。王家からは一切干渉しないという念書もある。いざとなればアイツを脅すしかないな」
「もう!だからそれ、迂闊な事を仰らないで!心臓に悪いから」
「しかしだなあ、どこかの王族なんかと結婚してしまうと、ヴァレリーとはなかなか会えなくなるんだぞ?」
「嫌だわ!王族なんて絶対駄目よ」
ポロック夫妻の会話は堂々巡りのまま、夜が更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァレリー達の親世代の話。
王太子(国王)にも秘密があります。