どうにも上手く行かない
王城警備部隊はその名の通り王城周辺を守る兵士達で構成されている。
王城内部や王族、重臣達を守るのは第一騎士団の騎士達。その中でも王族直属の警護をするのは、家柄見目とも優れた騎士達から選ばれる近衛と呼ばれる騎士達だ。
ここ、グランディス王国には他にも第二、第三騎士団があるが、所属するのはほぼ貴族の子弟になる。王城警備部隊のみが、広く平民からの応募を受け付けており、腕に覚えがあれば出自は問われない。
もちろん厳しい審査があるが、広く門戸は開かれているのだ。
ウィリアム・アレンビーはその王城警備部隊に所属している。伯爵子息であり、領地の私設兵団で鍛えられた成果は警備部隊でも発揮されて、若いが一目置かれる存在になっている。
始めは部隊の宿舎に入っていたウィリアムだったが、父からの要請で王都の邸宅に戻ってきた。今度はあの女、ピンク頭のルルーシュの周辺を警戒するようにと言われたのだ。
王太子から呼び出されて帰ってきた父から、ルルーシュを守る必要があると言われた時は怒りで震えた。
あんな女を守る必要があるのか?父上の考えている事はさっぱりわからない、それに感情的にやはり許せない。ルルーシュの事も自分自身も。
*
時が戻ればと何度願った事だろうか。己の不甲斐なさに何度絶望した事だろうか。
あの女の魅了に掛かったのは始めは態と、そう、意図的にではあった。あの女がヴァレリーに害を為すのではないかと恐れたのだ。だから彼女に目を向かせない為にと引っかかった振りをするつもりだったのだ。しかし気がつくと良いカモにされていた。
父からは、お前が婚約者になったのはヴァレリー嬢を守るためであり、然るべき時がくれば婚約は解消される、後で辛い思いをするのだから本気になるな、と聞かされてはいたもののその理由は知らなかった。
だから本気にならない様に避けてきた。親しく交流もしなかった。それなのにいつも目線はヴァレリーの背中を追っていた。だけど彼女は振り返らなかった。
「俺なんてどうでも良い存在だったんだよ、きっと」
つい恨み言めいた口調になるのは仕方ない。それに父親が何を言っても正式な婚約者なのだから、きちんと交流すれば良かったのだ。それを照れとプライドから不機嫌を装い、避けてきた結果がこれだ。
同じ伯爵家同士、家格に問題があるわけではない。あるとすれば自身の態度のみだ。いつか誤解を解いてこの冷たい関係が覆せると思っていた。なのに。
ルルーシュという女の魅了から抜け出す事ができなかった。
いや、本当はわかっていたのだ。正しく魅了に掛かっていたわけではない事はわかっていた。何故なら、ルルーシュに触れられるたびに嫌悪感で一杯になっていたのだから。
それなのにあの卒業式で、婚約破棄などと叫んでしまった。
口から零れた言葉に一番驚いたのは俺自身だ、ウィリアムは今でもそう思っている。
だからあの女を嫌い憎み続けた。
それは自己を正当化したいか為の責任転嫁だと、父親に一刀両断されたけれど、やはりあのピンク頭は苦手だ。
未だに女々しくも持ち続けているまだ幼いヴァレリーの絵姿に、ウィリアムは問いかけた。
「なあヴァル、俺はどうしたら良かったんだ?」
*
「ウィリアム様、旦那様が執務室へ来る様にとの事です」
イライラしていた時に間が悪く知らせに来たのは、そのルルーシュだった。今は職場では「ルル」と呼ばれている。どうやら心機一転のつもりらしい。
顔を顰めて振り返ったウィリアムは少し驚いた。ルルの代名詞でもあったピンクブロンドの髪は肩あたりでバッサリと切られて、髪色も地味な茶色へと変貌していたのだ。
じっとりした目で見られている事に気がついたルルは、
「お目汚しでした」とさっと離れて行こうとしたが腕を掴まれた。怯えた顔のルルに一瞬身体をびくりとさせたウィリアムに「何か粗相でも?」と恐る恐る尋ねた。
「いや、この家の仕事には慣れたのか?使用人達から虐めにあってはいないか?」
「わたしの過去にも関わらず皆様には良くして頂いております」
「領地の母上やキャサリンが何と言うかだな。お前の様な女は一番嫌われるだろうから」
「奥様もキャサリンお嬢様も特には何も仰いませんでした。
この髪色はキャサリンお嬢様の勧めで、魔道具で変えております」
「…もう、会っていたのか」
「矯正施設はご領地の近くにありましたので、こちらにお世話になる前に、領地のお屋敷にてお声をかけていただきました」
「まあいい。お前が揉め事を起こさなければな。父上が受け入れた人間を俺がどうにか出来るわけではない」
頭を下げて去るメイド姿のルルを見送って、ウィリアムは父の待つ執務室へと向かった。
何故あんな事を?そして知らぬ間に母や妹とも会っていた?
この王都のタウンハウス内でも、侍女長や料理長を味方につけたと聞く。あの娘には既に魅了を操ることは出来ないから、自分の行動で信頼を勝ち得たのだろう。
虐めに遭っていたりすると、それはそれで気分の良い物ではないので、まあせいぜい頑張る事だなと、ウィリアムは思った。
*
一方、ヴァレリーに婚約をすっ飛ばして求婚したエルンストは、返事は待って欲しいと言われた事でモヤモヤしていた。
ポロック家への婚約打診もまだ色良い返事を貰ってはいない。
仕事柄、王太子妃付き女官のヴァレリーとは顔を合わせる機会もあるのだが、彼女はいつも通りに冷静で、エルンストを見ても慌てたりしない。寧ろ自分の方が、胸の動悸を抑えるのに必死で、氷のような冷たい男のはずがと、恋に翻弄される己に驚き顔を赤らめる始末。
しかし表面的には何の変化もなく落ち着いているように見えるヴァレリーも、実は内心で焦りまくっていた。エルンストと2人きりで会う事を何だかんだと理由をつけて避けていた。
(わあ、どうしまょう。エルンスト様に睨まれているわ。早くお返事しないから怒ってらっしゃるのかしら?
ああ、でも怒ってても美形よね。
マルガレーテ様、なんで笑ってるの?わたくしの顔に何かついてる?)
他人と関わる事が少なかったせいなのか、他人の感情に疎く(自分の感情にも疎いがそれはそれとして)、王太子夫妻が自分とエルンストが結ばれる事を願って暗躍していた事など全く知らなかった。
エルンストからの好意は正直嫌ではないし、一度婚約を解消されている傷物の自分には勿体ない人だと思っている。
自分自身を傷物だと思っているヴァレリーの心の中を知れば、全員が声を大にして言ったに違いない。
「ヴァレリーには一切否は無い」
王太子ステファンは、言い辛そうに切り出した。
「ヴァレリーに一切否は無い。勿論エルンストにもだ。
うん。2人ともに何の問題もないのだが。君たちの婚約に待ったが掛かっている」
「殿下。まだ正式に返事を頂いておりませんので」
エルンストは嵐の吹き荒れそうな冷たい目でステファンを見た。
「そうか。そうだった。実はこの話が陛下まで伝わっており、陛下から暫し待つ様にとの沙汰があったのだ。私にも理由はわからないんだ。
……お前達、何かやらかしたのか?」
*
「どう言う事ですかっ!父上、一体どう言うつもりですか!」
アレンビー伯爵の執務室で父と向き合ったウィリアムは激昂していた。
「落ち着け、ウィリアム」
「落ち着けるわけがないでしょう!俺は絶対に嫌だ!」
「何故だ?何が気に入らない?」
「全てだっ!何故俺が、この女と婚約しなければならないんだ。父上、これは冗談では済みませんよ」
真っ赤な顔で怒りを隠さないウィリアムを、アレンビーは面白い物を見るような目で眺めた。
「しかし、過去には惚れていたのだろう?」
「父上。言って良い事と悪い事があります。俺は魅了にかけられ辛い目にあったんだ。それを、その魅力かけたバケモノと一緒になれとは……
どうしてもと言うなら俺はこの家を出ていく。あなたの息子である事を辞める!」
興奮したウィリアムがテーブルに手を置けば、お茶の入ったカップが落ちてガシャンと音を立てて割れた。扉がノックされ慌てた家令が何事かと飛び込んでくる。
それを目で制したアレンビーは、ルルをここへ呼ぶ様に告げるのだった。その言葉はウィリアムを更に刺激し、怒り心頭で部屋を出て行こうとして、出会い頭に小さくて柔らかいモノにぶつかってしまった。
それがルルで、ぶつかった衝撃で転倒して頭を打ち大騒ぎに
なってしまっても、怒れるウィリアムは振り返りもせずに出て行った。今日は休日なので仕事はないが、こんな家に居たく無いと、街中を彷徨いた。
そして甘い香りについ引き寄せられて立ち止まったのは、ヴァレリーが出資しているカフェ兼菓子店のジェエラスの前だったのは偶然とはいえ皮肉な事だった。
*
「もしや、アレンビー伯爵子息では?」
後ろから声を掛けられてウィリアムはハッとした。気配に気が付かないほどイライラしていたのだろうか。
「あ、わたくし、エルンスト・コリーンの妹でサーシャと申します。王立学院では同級生でしたわ。覚えていらっしゃらないかもしれませんが」
淡いブルーの簡易なドレスを纏い町娘のような格好で、お供に侍女1人をつけて、サーシャがそこに立っていた。
学院では、ヴァレリーと並んでガリ勉と呼ばれていたサーシャだが、コリーン一族の美麗な遺伝子を受け継ぎ、黒髪にアイスブルーの瞳のクールビューティと呼ばれるタイプの美人だ。
「これは失礼。コリーン嬢、勿論覚えておりますとも」
騎士らしく挨拶してみたものの、何故声を掛けられたのか、ウィリアムには見当もつかない。
「せっかくこちらで巡り会ったのですから、旧交を温める為にもご一緒してくださいませんか?ええ、ここのカフェ、大層美味ですのよ」
断る理由もさりとて見つからなかったウィリアムは、サーシャに誘われるままジェエラスの店内へと吸い込まれていった。確かにこの甘い香りは魅力的で、心が疲れている自分には必要な物だと感じたのだ。
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