白銀踏み鳴らす霊山
もう少し北に行けばオーロラも見えたかもしれないだろう。
なんて冗談はさておき、この目に写ったそれは間違いなく岩石に身を包んだゴーレムだ。
全長は30メートルをゆうに越すほどの体躯を誇る。
これでは人の身で戦うにはあまりにも分が悪い相手になるだろう。
「ルテシア、くれぐれも無闇に動いてくれるなよ。今回はあくまでも視察しにきただけだ。下手に刺激して奴が暴れでもしたらたまったものではない」
「オーケーオーケー、わかってマース!」
……本当にわかっているのか? 彼女はいつもこうだ。こちらが何度言って聞かせても聞き分けがない。
まあ、そこも含めて彼女の良いところでもあるのだが――。
ソワソワする彼女はまるで子供のように落ち着きがなかった。
早く近くに行きたくて仕方ないといった様子である。
まったく……そんなだから私は心配なのだぞ……?
「…………」
だが、ここで彼女を叱っても意味はないことは理解しているつもりだ。
ここはひとつ私が折れるとしよう。
「…わかった……。ただし、無理だけはしないこと。危なくなったらすぐに退くように。あとそれと、奴を目視で見てわかった点があったら報告してくれないか?」
「ハーイ!!」
元気よく返事をする彼女だったが、果たしてどこまで信用できるものだろうか。
いやしかし、今は信じるしかないのだが……。
はぁーっとため息をつく私であった。
ルテシアは意気揚々と翼を広げて滑空して降りていく。
その背中を見つめながら私は頭を抱えたくなった。
どうしてあの子はあんなにも無邪気そうなのだろうと。
昔はもっと…いや、昔のほうが問題児だった……今は人の話を聞いてるれる分マシだろう。
「ふむ……」
あの巨像の動きは少し奇妙だった。
まるで周囲の木をなるべく避けながら同じ場所をぐるりと回っているような動きをしているのだ。
ただ、なんのためにそうしているかまではわからない。
その中心になにかあるのだろうか?それともただ単に歩き回っていただけなのか。
「う~ん…………」
やはり私一人で考えるより誰かの意見を聞いたほうがいいかもしれない。
ちょうどそこにルテシアが戻ってきたようだ。
どうやら無事に戻ってきてくれたらしい。
ホッとした反面、また何か問題を起こさなかったかどうか不安にもなるが、とりあえずは一安心というところか。
ルテシアは私の目の前までくるとクルリと回ってみせた。
そしてそのままピョンと跳ねるように着地すると、今度はその場でターンをしてみせる。
それが一体どういう意図がある行動なのかはわからなかったが、とにかくご機嫌なことは間違いないだろう。
ひとまずは褒めておくことにする。
もちろん言葉ではなく態度で示さねば伝わらないが。
「よしよし、ちゃんと戻って来れたみたいだね。偉かったよ、ルテシア」
頭を撫でてやる。
「エヘヘっ♪」
嬉しそうだ。
「それでなにか気付いたことはあったか?」
「ハイ!ありまーシタ!」
「ほう、それはなんだ?」
「アレはおそらくこの森を守るガーディアンのようなものだと思いマース!」
なるほど。確かに理に適っている。
だが、それだけではないはずだ。
「続けてくれ」
「えぇとデスネ……あれは多分ですけど、自分のテリトリーに入ったものを攻撃対象にしていると思いマスヨ!」
「つまりは縄張り意識が強いということかな」
「ハイ!」
「他には?」
「イエッサー!!他には特に思いつきませんデシター!」
……。
うん、まぁ、予想通りといえばそれまでなのだけれど……。
もう少し考えてほしいものだ……。
とはいえ、何もなかったわけではないようで何よりだ。
彼女のことだから無駄足に終わる可能性も考えていたから、これは大きな収穫といえるだろう。
それにしても、まさかここまでとは……。
さて、ここからはさらに質問していくことになるだろう。
私は早速彼女に訊ねることにした。
先程からずっと疑問だったことを。
それは――。
「ルテシア、私以外に人の気配はしたか?」
「ノーデス!!」即答である。
「では、あのゴーレムは人の手によって作られたものだと思うか……?」
「イエスッ!!」
「ふむ……。となると、あのゴーレムはどこから来たんだろうな」
「オーウ、ソレはデスネー……」
彼女はそこで言葉を区切ると、指を顎に当ててしばらく思案するような仕草を見せた。
それからしばらくしてから、ポンと手を打って言った。
「たぶんデスガ、あのゴーレムは空から降ってきたんデスヨ!」
「……」
思わず私は眉間に手を当ててしまった。
なぜそういう結論に至ったのか理解に苦しむ。
そもそも、そんなことができるはずがないではないか。
あの空の高さまで登るだけでも大変な労力を要するというのに、そこからさらに落下するなんて到底不可能に等しい。
いや、それ以前にどうやって空を飛ぶと言うのだ? 鳥のように羽でもついていたのか。
しかし、その発想はとても好きだ。彼女らしい豊かな想像力は実に素晴らしいと思う。
一方、残念ながら今回はそれを採用することはできない。
なぜならば、仮にそうであったとしても、やはり人の手であの巨像を生み出して操ることは不可能だからだ。
まず第一に、あんな大きさのものを動かすためには相当な力が必要になる。
しかも、それを長時間維持するためには魔力を常に注ぎ続けなければならない。
しかし、私達は今までそのようなものを見たことがない。
もし、そんなものが本当に存在するなら、それこそ世界中が大騒ぎになっていることだろう。
もちろん、過去に例がなかったわけではないが、それでもせいぜいが人間の背丈程度の大きさのものだった。
それが今や、見上げるような高さにまで成長している。
いや、成長し続けていると言ったほうがいいだろう。
一体、どのような仕組みなのかは皆目見当がつかないが、このまま放置しておくのはあまりに危険すぎる。
「ビスマース?どうしましたカ?」
「あぁ、すまない。少し考え事をしていた。なんでもないよ」
「ソウデスカー!よかったデス!」
「そうだな。ルテシア。もし、あれと戦うなら何が必要だと思う?どんなものでもいい」
「うーん、デスカネェー。やっぱり武器デスネ!剣とか槍とか斧とか!あとは弓なんかもアリマスヨ!ワタシは弓がスキデース!」
「なるほど……。他には?」
「他デスト……あっ、魔法はどうかと思いマス!」
「ほう、それはどうしてだ?」
「だって、アレはきっと土で出来てるんじゃないデスカ!なら、火で燃やすと溶けるんじゃナイデスカ!?」
「なるほど、確かに一理あるが…私達の身の保証はできそうにないが…それに、奴の体表があまりにも硬すぎて、普通の炎では歯が立ちそうもない」
「えぇ~、じゃあどうするんデス?」
「そうだな……。例えば、強い衝撃を与えるかあれと同じ質量のものをぶつけるというのはどうだろうか」
「オーウ、ナイスアイデアデス!!さすがはビスマスデス!!」
「ありがとう。だが、問題はその後だ。果たして、それだけの質量を持つ物体が都合よくあるかどうか……」
「ンゥーン……。ダメデスネ。見つかりまセン!」
ルテシアは悩んだ顔をして、首を横に振った。
彼女の言う通り、私達にはそんなものを調達できる当てなどなかった。
そもそも、この辺り一帯にはほとんど何も存在しないのだ。
あるものと言えば、せいぜいが岩くらいなもので、それもとてもではないが、あのゴーレムを壊せるほどの強度があるとは思えない。
「アッ、待ってくだサイ!確かあのゴーレムのボディに亀裂が入ってましたヨ!」
ルテシアが何かを思い出したように声を上げた。
「本当か?どこら辺だ?」
私は思わず身を乗り出して彼女に訊いた。
「エット……ここデスッ!!!」
彼女は私の目の前に手を差し出し、指さした。
その先には、先程見た時よりも明らかに広がっているヒビがあった。
「これはすごいぞ。よくやったルテシア。これでなんとかなりそうな気がしてきた」
「ハイ!頑張りマショウ!」
私達は互いに顔を見合わせて笑った。
確実に倒すまでの決定打ではないがそれでも十分な希望だ。
「よしっ。それじゃあ早速戻ろう。早くしないと日が昇ってしまうぞ」
「OKデス!行きましょうカ!」
私とルテシアは足早にその場を後にし、帰路についた。
「……ふぅ。やっと戻ってこれたか」
「イエース!もうすぐ朝デスネ!」
「あぁ、そうだな。」
館の前まで来ると、メイドのアリアンナが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、ビスマス様ルテシア様。お風呂の準備が整っておりますよ。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう、助かるよ。お言葉に甘えて入らせて頂こう」
「ハーイ!!では、お背中流しマース!!」
「ふふっ、それはいい考えだ。是非頼もうかな」
「任せてくだサーイ!バッチグーデース!」
私とルテシアは意気揚々と浴場へと向かった。
脱衣所で服を脱ぎ、浴室へと入る。
するとそこには湯気が立ち込めており、視界が少し悪くなっていた。
だがそれも一瞬のことだった。
すぐに目が慣れてきて、鮮明に見えるようになった。
浴槽には既にお湯が張られており、いつでも入れるようになっているようだ。
私達が身体を洗うために椅子に座って蛇口を捻ると、勢い良くお湯が流れ出てきた。
「わっ!?」
私は思わず声を上げてしまったが、隣にいるルテシアは平然とした様子でお湯を浴びる準備をしている。
「どうかしましたカー?もしかしてお水の方が良かったデスカ?」
「い、いいや、なんでもない。大丈夫だ」
……まさかこの年になって自分の声の大きさに驚くとは思いもしなかったが、まぁ、些細な問題だろう。
それよりも今はこの状況をどうにかしなければならない。
私は気を取り直してお湯を浴びた。
そして、タオルを手に取り、石鹸を使って泡立てると、
「さぁ、始めようか」と呟き、彼女の後ろに立った。
まずは肩から腕にかけて丁寧に撫でるように洗い始める。
彼女はくすぐったそうに身を捩らせるが、嫌がるような素振りはない。
次に首筋や耳の裏などの細かいところまでしっかりと洗っていく。
「痒いところは無いか?」と聞くと、「大丈夫デスー」という返事が返ってきたため、そのまま続けることにした。「さて、次は前の方だな。こっちを向いてくれ」と言うと、彼女はこちらを振り向いた。
その瞬間、私の心臓は大きく跳ねた。
なぜならば、目の前には一糸纏わない姿の彼女がいたからだ。
普段は露出の少ない服を着ているため、あまり意識はしていなかったのだが、いざ裸になると、どうしても視線がいってしまう。……これはいけないことだ。
理性を保つためには目を逸らさなければならない。
だが、ここで私が背を向けたりすれば彼女に失礼になってしまう。
ここは我慢するしかないのだ……。
「さぁ、始めようか」と声を掛け、スポンジを持つ手に力を込めた。
最初は優しく撫でるようにゆっくりと手を動かしていく。
その後、徐々に力を込めるようにして擦っていった。
「どうだろうか?」と尋ねると、彼女からは「とても気持ち良いデスヨ~」との声が聞こえてきた。
それを聞いて安心し、さらに手を動かす速度を上げた。それからしばらく続けていると「そろそろいいんじゃないでしょうかネー」という言葉と共に、背中に柔らかい感触が伝わってくる。
それはルテシアの手であろう。
「フムフムー、こんな感じでどうでしょうカー?」
「あ、ああ、丁度いいと思うよ。ありがとう」
「いえいえ、これくらいお安い御用デース!」
そんな会話をしながら、私たちは互いに背中を流し合った。
その後は二人で湯船に浸かり、今日の出来事について語り合う。
「それでね、その時にアリアンナったら……」「へぇ、そうなんですネ!あの人はとても優しいですヨネー」などと話していると、時間はあっという間に過ぎていった。
「ふぅ、温まったところで上がろうかな」「ハイ、分かりましタ」と言って立ち上がると、ルテシアは私の後ろに回り込み、
「行きまショウ!!!」と、背中を押してきた。
「えっ!?ちょっ、待っ……きゃっ!!」
突然のことに驚いた私はバランスを崩してしまい、倒れそうになったところを彼女に抱き留められた。
「危なかったですねー。大丈夫ですか?怪我はありませんカー?」
心配そうに覗き込む彼女
「あ、ああ、すまない、助かった」
「気にしないでくださいヨー」
私は体勢を立て直すと、改めてお礼を言うために向き直った。
するとそこにはいつもの服ではなく、薄い寝間着を着た彼女の姿が映る。
その姿を見た途端、先程の出来事を思い出してしまい、顔が熱くなるのを感じた。
「どうかしましたカ?」
「い、いや、何でもないんだ」慌てて誤魔化すと、彼女は不思議そうに首を傾げた後、「変な人デスネー」と言いながら笑みを浮かべた。
その後、彼女とともにダイニングルームまで来た。
「軽い食事をしていくといい、私はまだやることがあるんだ」
そう言って部屋を出て行こうとすると、後ろから袖を引っ張られる。振り返ると、彼女が何か言いたげにしているのに気付いた。
「……一緒に食べたいのか?」
コクリと小さく首肯した彼女は、期待するような眼差しでこちらを見つめている。
「ふぅ、困った子だ。仕方がないな。少しだけだぞ?」
「ワーイ!!やったデスー!!!」
喜びのあまり飛び跳ねる彼女を横目に席に着くと、早速食事を始めた。
目の前には様々な料理が並んでいる。どれも美味しそうだ。
まずはスープを一口飲むことにするか……。……うん。これは絶品だな。思わず頬が落ちそうになる。この味ならいくらでも食べられそうだ。次にサラダに手を伸ばすとしよう。……うむ。これもまた素晴らしい。新鮮な野菜を使っているようだ。ドレッシングも良く合っている。
そしてメインディッシュは肉と魚、どちらにするべきか迷ったが、ここは無難に魚の方にしておこう。
…………さて、残すはデザートのみとなってしまったが、まだ半分以上残っている。しかし、これ以上食べると満腹で動けなくなりかねない。
そこで、残りは全てルテシアに譲ることにした。
「もう十分食べただろう?後は全部君に任せても構わないかい?」
私の問いかけに対して、彼女は笑顔で応えてくれた。
「いいんですカ!任せてくだサイ!」
嬉しそうな表情を見せると、すぐにナイフとフォークを手に取り、勢いよく食べ始めた。
「おいしいかい?ルテシア」
「ハイッ!とってもおいひいれすヨ!」
「フム、それは良かったよ。ゆっくり味わいなさい」
「ハーイ!」
そう言うと、今度はゆっくりと噛み締めるように咀しゃくし始めた。
どうやら気に入ったようで何よりだよ。
「さて、私はいくとしよう」
すると、アリアンナは「もうよろしいのですか」と尋ねてきた。
「ああ、十分に堪能させて貰ったからね」
「左様でございますか」
「そうだ、この後でいいから紅茶を部屋に持ってきてくれないか?」
「畏まりました。では失礼致します」
そう告げると、彼女は静かに退室していった。
私もそろそろ戻ろうか。
「それじゃあ私はこれで……」
ルテシアは頬いっぱいに詰め込んだ顔をして私に手を振る。
「おやすミ~」
扉が閉まると、辺りは静寂に包まれた。
私は自室に戻り、椅子に座って一息つくとペンを手にした。
さぁ始めようか……。
まずは北限雪原の出来事についてまとめておこう。
あの時現れた巨大な影の正体は恐らく、いや間違いなくゴーレムであり。
それも、かなり高度な技術を用いて造られたものだと考えられる。
それを同じくして、クロムへの手紙にも今回の事を綴る。
そうしていると、扉をノックする音が聞こえた。
アリアンナが紅茶を持ってきてくれたのだろう。
「入れ」と言うと、「失礼いたします」と声が返ってきた。
「お待たせしました。」
机の上には湯気が立ち上るカップが置かれていた。
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
彼女は言われた通り、部屋の隅にある小さなテーブルの上に置くと、こちらに向かって歩いてきた。
「何かご用命はありますでしょうか?」
「ああ、この手紙を出しておいて貰えるかな?」
「はい、かしこまりました」
「では、下がって貰って構わないよ」
「はい、失礼致します」
……さて、1杯だけいただいて休むとしようか… ふぅ。
私はそのまま目を閉じてしまった。
次に私が目を覚ます頃には毛布が掛けられていた。