北方の領主ビスマス・エンシェント
大陸の北部に位置する積雪地帯に住むビスマス・エンシェントから招待状を送られていたこともあり、会いに行くことにした。
息子のジェイド、娘のテルルにも声を掛けて一緒に出掛けるように事前に話をして準備をさせた。
寒い土地なので厚着の出来る服装を心掛けるようにとも伝えた。
そして当日になり長い道を移動してビスマスの館に着いた。
雪景色が広がる場所にポツンと大きな屋敷がある。
その敷地に入るには門番がいる。
私はジェイドと一緒に門番の所まで歩いて行き挨拶をした。
すると、この館の主人であるビスマスも丁度来ており私たちを迎えてくれた。
「ごきげんよう、クロムさん」
「ええ、そうね、ビスマス」
「今日はよくおいでくださいましたね。どうぞこちらへ」
そう言って案内されたのは応接室だった。
テーブルを挟んで向かい合って座るソファがあったので私たちはそこに腰かけた。
「本日は遠いところからわざわざありがとうございます」
「いえ、こちらも楽しみにしていたのよ」
「それはよかった」
そんな他愛のない会話をして時間を過ごす。
紅茶を飲みながら雑談をするだけの簡単なお茶会だけど、たまにこういうのもいいかもしれないわね。
ビスマスは私を招待した理由は一緒に狩りがしたいからだと語った。
まあ、確かにこんな機会でもなければ会うことも無かったでしょうし、それも良いかもと思ったわ。
ただ、私が同行するのは構わないけれどジェイドとテルルが一緒なのは少し不安だった。
だって、二人ともまだ子供だから。
それでも二人はやる気満々みたいだし仕方がない。
それに私としても狩りができるというのは悪くはないと思っている。
「……ところでクロムさん」
「何かしら?」
「貴女の娘さんのテルルちゃんですけど」
「ああ……あの子?どうかした?」
「とても可愛いですね」
「あら…嬉しいわ」
当本人のテルルは名指しされて少し丸くなり小さくなったしまった。恥ずかしがっているのか緊張しているのかはわからないけど、どちらにせよ可愛らしい反応だと思えた。
そんなテルルを見て微笑むビスマス。
まるで我が子を褒められた母親ね。
私はそんなことを思いながらお茶を飲んでいた。
それからしばらくして、ジェイドとテルルが狩りの準備を終えて戻ってきたので早速出発することになった。
ジェイドはいつものようにテルルに付きっきり。
「テル姉は僕が守るから安心して」なんて言っているのを聞いて微笑ましく思う反面、「過保護すぎるんじゃないか?」と思ってしまう。
でもジェイドにとっては大事なことなんだろう。
「……んぅ~」
「テル姉?どうしたの?どこか痛いところでもある?」
「……うぅん……なんでもない」
「……そう?無理しないで言ってよね?」
「……うん」
「えへへ、テル姉は可愛いね」
「かわいくなんかないもん……」
「テル姉は可愛いよ」
「ジェイはしつこい……あっ、そこを曲がるの?」
「ん?……そうだね、もう少し奥に行くことになるかな」
「……ねぇ、本当に行くの?」
「今更何を言うんだい?ここまで来て帰るわけにはいかないじゃないか」
「それは、そうだけど」
「ほら、テルルも覚悟を決めなきゃダメだよ」
おそらくだが、ジェイドもジェイドでテルルに良いところを見せようとしているのだろうか。
私はビスマスと一緒に二人の後をついていく。
「全く、あの子たちは……大丈夫かしら?」
「あはは、まぁ何とかなるんじゃない?ジェイドくんは強いみたいだし」
「ビスマスは心配じゃないの?」
「そりゃもちろん心配さ」
「ふぅん…嘘ばっかり」
「バレたか」
「わかるわよ、それくらい」
私とビスマスはそんな会話をしながら森の中へと入っていく。
この森は鹿、猪、兎が出るとビスマスが事前に話していた場所だ。
他に危険な動物がいないかビスマスに問う。
「今のところはいないようだな……ただ、熊の足跡がある……それも新しいものだ……熊の縄張りに入った可能性があるな……少し急ごう」
「わかったわ」
私たちは足早に先に進む。
すると、ジェイドとテルルの後ろ姿が見えてきた。
二人は何かを話している
「……だから……テル姉は可愛いって言ってるんだよ」
「もぅ……ジェイ、うるさい」
ビスマスが小声で話しかけてくる。
私はそれに答えるように耳打ちした。
(…なに?…あの二人がどうかした?)
(あぁ、やっぱり姉弟なんだなと思って)
(どういう意味よ)
(そのままの意味だよ……それより、二人を見てみろよ……仲がいいだろう?……羨ましいよ)
(……そうね……確かに……仲がいいわ……でも、それはそれでいいでしょ?家族なら喧嘩だってするでしょうし、仲良くしている方が自然よ)
ビスマスはテルルとジェイドのやり取りを微笑ましく見てから、一息ついてからここは熊の縄張りであることを話した。
しかし、ジェイドだけが反応が違った。
「……え?熊の縄張り?」
「あぁ、そうだ……熊が近くにいるかもしれないんだ……用心して進もう」
「はい……わかりました……」
「大丈夫、ジェイ……熊なんて出ない…」
テルルは不安げなジェイドの手を握った。
ジェイドは嬉しそうに笑う。
そして、テルルの手を握り返した。
私も二人の手を握る。
ジェイドの指先は冷たかったけれど、その奥にある温もりを感じたような気がした。
この子たちは、きっと大丈夫。
そう思った瞬間、ジェイドが驚いた様子で振り返った。
彼の視線の先には……巨大な熊がいた。
熊……!?
ビスマスがテルルとジェイドの前に立ち、自前のマスケット銃を手に取る。
私もそれに倣ってマスケット銃を構えた。
すると、熊はこちらにゆっくりと向かってくる。
私たちは身構える。
ビスマスが一歩前に出て、引き金に指を当てる。
その瞬間、森全体にひびきわたるような甲高い鹿の鳴き声が轟いた。
熊の注意はそちらに逸れて鹿の元に駆け出すように走り出した。
「……今の、なんだろ?」
「わからないな……だが、助かったようだ」
ジェイドの言葉にビスマスさんは答えると、私に向かって言う。
「すみません……ちょっと、様子を見てきます。すぐに戻ってきますので。」
私は言った。
何があるかわからない。
単独行動は避けたいべきだと。
でも、この状況では仕方が無い。
私はビスマスの言った通りに戻るのを待つことにし、怯えるテルルを慰めた。
「ほら、そんなに震えたら……また転ぶわよ?」
「……うん……」
「まぁ……無理もないわね……」
「……お母さん……怖い……熊とか……嫌いだから……私、もう帰りたい……」
「ダメよ。もう少し我慢して……ビスマスもそのうち戻ってくるわ」
今にも泣き出しそうなテルルに優しく語りかける。
しかし、彼女は首を横に振って私の腕にしがみついた。
本当に困ったものだわ……
程なくしてから、駆け足でビスマスが戻ってくる。息切れしているところを見ると随分急いで来たのだろう。
「どうしたの?」
私が聞くと、彼は少し躊躇いがちに話し始めた。
「それが……妙なんです」
「妙…?なにが?」
「鹿の群れが、一頭残らず消えてしまったみたいなんですよ……それに、熊の姿もなく」
ジェイドが言う。
熊がいない? 一体どういうことだろうか?
その言葉に、ビスマスは続ける。
考えられる可能性としては……熊が獲物を追って移動したということだそうだ。
確かに、それならば説明がつく。
しかし、まだ確証はないらしい。
仮にそうだったとしても、ここから先に進むのは危険すぎるとのこと。
一旦引き返したほうがいいかもしれないわね……。
しかし、テルルはその場から動けないでいた。
腰を抜かしたらしく、その場に座り込んでいる。
このまま置いていくわけにはいかない。
ビスマスはテルルに歩み寄り目の前で屈むとテルルを背負った。
「大丈夫かい?」
「……はい……」
テルルの声からは怯えが感じ取れた。
それも当然のことだろう。あんな恐ろしいものを見てしまったのだから。
早く森を抜けてしまおう。
そうすれば、きっと安心できるはずだ。
だがテルルを背負うビスマスに対してジェイドが不満を溢す。
「どうしてお前なんだ?」
と言うと、ビスマスは言った。
「では、ジェイド君にはマスケット銃を渡すからこれで君のお姉さんを守ってくれるかな」
と言い、肩からおろしていた銃をジェイドに渡した。
ジェイドは重そうに銃を手に持っている様子だった。
そして、ビスマスはジェイドに使い方を教えるとその気になったみたいに銃を担いだ。
「ビスマス…あなたは人の扱いに慣れてそうね?」
「そんなことはないよ。ただ、こういうのは得意分野ってだけだ」
私は、彼の背中にいるテルルに視線を向けた。
すると、彼女は私のほうを見ていて目が合った。
テルルは私に向かって微笑みかけてきたので私もテルルに笑いかけた。
この子は、やっぱり笑うととても可愛くなるわね。
そっと、テルルの顔に触れるとホッと安心したかのように私の手にもたれ掛かる。
こんなに小さいのに、頑張っているのよね……偉いわ。
ジェイドのこともそうだけれど、本当に凄い子たちだと思う。
そして、森を抜けたところでジェイドは何かを見つけたらしく屈んで様子を見ていた。
「おい、こっちに来い」
「…ジェイド…なにか見つけた?」
ジェイドに呼ばれて私達はそちらに向かうことにした。
「あれを見ろ」
「ん?……」
そこには、白銀の景色しか映っていなかったのだが、すかさずビスマスは反応した。
「雪うさぎじゃないか、よく見つけたね」
ジェイドは銃で獲物を仕留めたいのをビスマスは察し、すかさず駆け寄ってみせた。
「あっ、あそこにもいるぞ?」
ジェイドは嬉しそうに指差してビスマスに伝えた。
「ああ、本当だ」
ビスマスもそれに気づき、二人で楽しそうにしている。
私は二人のやり取りを見て
「……どうしたの?」
私が見ていることに気がついたビスマスは私の声に耳を傾けた。
「…発砲なんかして大丈夫?」
「ああ、問題無い。ここまで来たのならば……ね。それに、せっかくここまで足を運んで来てくれたんだ。手土産の一つはないと私としてもちょっと不満というところさ。」
ビスマスはそうはいったものの、私はまだ不安だった。
それをよそに、ビスマスはジェイドに狙い方と風の流れを教えたあと離れた。
「…ジェイ、頑張ってね」
とテルルも応援すると、
それを聞いたジェイドは、意気揚々としていた。
そんな様子にビスマスは微笑んでいた。
まぁ、いいわ。
大事な息子の経験の糧となるならそれも良しとしよう。
ジェイドの構えた銃はじっと動かないウサギを狙いを定めていた。
そして、ジェイドは引き金を引いた。
弾は見事に命中した。
ウサギは倒れたまま動かなかった。
その光景を見たビスマスは、拍手をしながら近づいていた。
どうやら、うまく仕留めることができたようだ。
「すごいじゃないか、ジェイ」
「えへへ、ありがとうございます、ビスマスさん」
褒められたジェイドは照れ臭そうに頭を掻いていた。
「ジェイ…かっこよかったよ」
テルルは目を輝かせて言った。
それに対してジェイドは少し顔を赤らめていた。
その後、ビスマスは仕留めた獲物の血抜きをジェイドとしていた。
その頃にはテルルは自力で立てるようになっていて私と手を繋いでそれが終わるのを待った。
「……ねぇ、お母さん」
テルルは私の服の裾を引っ張って話しかけてきた。
私はテルルの方を向いて話を聞いた。
テルルは何か言いたいことがあるらしい。
私が首を傾げていると、テルルは頬っぺたを膨らませて拗ねたような表情をしていた。
一体何が言いたいのだろう? すると、テルルは私に抱きついてきて耳元で囁くように呟いた。
…………………………
なるほど……
つまり、テルルは甘えたかったのね。
それに気づいたとき、私は思わず笑みを浮かべてしまった。
それを見ていたビスマスも微笑ましそうにこちらを見つめていたのだった。
それからしばらくして血抜きが終わり帰路に就く。
ビスマスの館につく頃には空は焼けていた。
今日もまた夜が訪れる。
ビスマスは先頭に立ち部屋まで案内してくれた。
「ここがお前たちの寝室だ。自由に使って構わない」
ビスマスに言われて部屋の中に入ると、そこにはベッドがあった。
しかも、ダブルサイズくらいの大きさがある。
「……随分と広いわね」
「それくらいないと、客人に失礼だと思うだろう?」
「えぇ……まぁそうね…」
「あと、こっちの部屋にも扉がついているんだ」
ビスマスに言われるままについていくと、そこには大きなクローゼットがあり、中には様々な衣装が入っていた。
「……これ、全部着ろっていうの?」
「いや、別に強制ではないよ。好きなものを選んでくれればいい」
「……なら、遠慮なく選ばせてもらうわ」
私はその中からいくつかドレスを選ぶことにした。
「……どう?似合うかしら?」
ビスマスの前でくるりと回ってみせる。
ビスマスはその姿を見て、笑顔を見せた。
「あぁ、よく似合っていると思うよ」
「……そう、よかったわ」
ビスマスに褒められて悪い気はしない。
少し、嬉しいと思った。
そして、そんな私の後ろでは……
「ねぇねぇ、テル姉ぇ~♪見てみて!この服、こんな服を着て欲しいんだけどぉ~☆」
「…………やだ……」
「えー!?なんでぇ?」
「……恥ずかしいし……嫌だから……無理……」
「大丈夫だってばぁ~!絶対可愛くなるからさ!お願い!」
「……絶対に着たくないもん」
……というやり取りが行われていたのであった……。
私達は食事を終えて、一息つく頃にはテルルとジェイドは並んで眠ってしまっていた。
ビスマスも疲れていたのか、椅子に座ってうたた寝をしているようだ。
私はその様子を眺めながら紅茶を口に含むのだった。
すると、そこにビスマスの部下である屋敷妖精がやってきた。
屋敷妖精はビスマスを起こすと、何事かを耳打ちしたのだ。
その瞬間、ビスマスの顔色が変わり、慌てて立ち上がる。
ビスマスは慌てた様子のまま部屋を出て行ってしまった。
残された部下の屋敷妖精に事情を聞くべく、声をかける。
しかし、何も言わずに立ち去ってしまうのだった。
(……何かあったみたいね)
気になったものの、今はテルルとジェイドのことが先決だと判断する。
二人を起こさないようにそっと抱きかかえてベッドへと運ぶのだった。
それからしばらくして、ビスマスが戻ってきたのだが……
ビスマスはどこか浮かない顔をしていた。
気になって話を聞こうとするが、何でもないと誤魔化されてしまう。
だが、表情は明らかにおかしい。
どう見ても、なんでもないという感じではなかった。
そこで、詳しい話を聞き出すことにしたのだったが……
はぐらかされてしまった。
おそらくは客人である私達を巻き込みたくないのでしょうけど、こうあからさまな態度では気にならないものも気になってしまう。
「ビスマス、また後日でいいから連絡を寄越しなさい…いい?」
「……はい」
ビスマスの返事を聞いて、私は寝室に戻るのだった
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翌朝にはジェイドが仕留めたであろうウサギの肉を受け取り、ビスマスのお見送りを経て自宅に帰宅したのだった。