プロローグ3
「あれ? あれってなんだ……………は?」
そこにあったものは何とも形容しがたい物体だった。
大きさは小さめのスーツケースほど。様々な明暗の赤が入り乱れた、てらてらと光を反射する塊にところどころから覗く白。そして部分的に散りばめられた黄ばんだ白色の何か。
(な、何だこれ……?)
そのあまりの異様さと不可解さにアンジェリンの思考と体が硬直する。そして、間もなく嗅覚がこの物体の正体を導き出した。
(生臭い、この独特な匂い……これってまさか……?)
ぬるり、とその物体を中心に広がる液体が彼女の足を撫でる感触で疑念が確信へと変わる。
「うわ、わ、うわわわがっ!?」
反射的に足を交互に跳ね上げながら後ろへと下がったアンジェリンは個室の仕切りを支える細い柱に背中から突っ込んだ。肺の中の空気が抜けて咽せ、苦しい思いをする破目になったがそのおかげで冷静さを取り戻した。
「何してるんだよオレは!」
アンジェリンは腰の引けた己を叱咤し、踵を返して駆け出す。かすかな記憶を頼りに目当てのものを必死に探す。
(確かこのあたりに……あった!)
それはシャワールームの角に備え付けられた警報装置。その存在が忘れ去られて久しいとばかりに錆に覆われ、所在を知らせるためのランプも消えてしまっている。唯一、申し訳程度に巻き付けられた黄色と黒色の縞模様のテープがその装置の役目を代弁している。
そんな装置に動いてくれと祈りつつ、アンジェリンは身体能力を強化したままで警報装置のボタンに掌底を見舞う。
文字通り叩き起こされることとなった警報装置は一拍の沈黙の後、自らの役目を思い出したかのようにけたたましいサイレン音と緊急信号を撒き散らした。
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「クソッたれ、どうなってやがんだよ……」
「マジでつっかれた~」
二人は精根尽き果てたとばかりにベッドに倒れこんだ。この部屋は四人部屋だが他のルームメイトは留守にしているため、今は実質二人部屋となっている。そのため遅いこの時間でも普通に話すことができる。
「捜査だから仕方ねーとはいえ、五時間もぶっ通しでやらせるか?」
あのあとは二人にとって責め苦もいいところだった。あっという間に駆けつけた警察官にその場で事情聴取を受け、徹底的な現場検証に二人は応じた。その後は警察署に連行され、再び事情聴取となり同じ内容を何度も何度も何度も聞きまくられたのだった。
「アタシ途中で何回か気絶したわ」
「マジかよ」と時計に目をやったアンジェリンはすでに日付が変わっていることに気が付いて顔を顰めた。
「もう寝ようぜ……。明日の訓練は軽めにして、明後日から本格的にやるってのはどうよ?」
「ちょーさんせー」
春期休暇はまだ残っているため、この残りを有効活用して休暇明けから始まる正規の訓練メニューに備えておくのは必須事項である。さもなければ初日から二人とも地獄を味わうことになってしまう。
「というわけで照明消してくれよエリー」
「えー、無理。アンジーと違ってアタシは胸が重いから起き上がれないわー」
「ぶっ殺すぞ。なら、負けた方が消すってことで」
「はいはーい」
お決まりの掛け声とともに二人が同時にハンドサインを掲げる。
チッと舌打ちして片方の靴を脱いだアンジェリンが照明のスイッチ目掛けて靴を手加減して投げつけた。
「おやすみー」
「ああ、おやすみ」
二人ともすぐに寝息を立て始める。
今日のこの出来事が彼女たちとって大いなる転機となるとは、今はまだ知る由もなかった。