プロローグ
その日、その瞬間。俺は……いや、俺ではない俺は自らの意思で剣を振り下ろした。
ただの高校生でしかなかった俺は、自らを人殺しにしてしまったのだ。
彼女、アンジェリン・ダーウェンは苦悩していた。
かろうじてシャワールームの体を保っていると言えなくもない場所、そこにいくつも並んでいる個室の内の一室にて、彼女は壁に手をついて俯いたまま生温いシャワーを浴びていた。
そして数秒後、シャワー音の合間を縫うように聞こえた歯ぎしりの音を皮切りに、内に溜めていた感情を爆発させた。
「畜生がァッ! あンのクソビッチども覚えてろよ!?」
シャワールーム中に響いた自身の声で少し冷静さを取り戻したものの、すぐに怒りが再燃して彼女は目の前の壁に拳鎚を叩きつけた。
ベチッ、と所々タイルが剥がれて下地が剥き出しになっている壁が抗議の声を上げるが、彼女は気にしたふうもなく額に張り付く濡れた金の髪をかき上げた。
「おーおー荒れてんね。彼氏に振られでもしたの?」
隣から聞こえてきた軽い調子の声の主はエリエラ・マーカス。アンジェリンとはこの学園に入学した頃からの長い付き合いであり、寝食を共にしているルームメイトである。
「バカ言うなよエリー。今の階級だと恋愛禁止だし、そもそも彼氏なんていたことねぇっての」
シャワー音が響いていてもこの個室は声をよく通す。それもそのはず、個室を構成している両側の仕切りは廃材感丸出しのトタン板のやっつけ仕事であり、やろうと思えば両隣とも覗き放題である。そして、上部と入口兼出口にはカーテンも何もないため解放感に満ちている。
「はいはい。で、何があったの?」
「ああ、それがさ。今日の昼に知り合いに誘われてバーベキューに行ってたんだよ」
「へー、良かったじゃん」
気の抜けたエリエラの返事にアンジェリンが再び気炎を上げた。
「良くねぇよ! なぁーにがバーベキューだクソッ! あんなもん公開処刑じゃねーか!」
「いや知らないし……」というエリエラの呆れ声を無視し、アンジェリンは噴き上がる激情に任せて今日の出来事を捲し立てた。
彼女の言では、知り合いに騙されて自分よりも上の階級の者が主催しているパーティに参加させられたのだという。それだけならば問題はない。これを問題たらしめたのは皆が着飾っている中、ボロいジャージで参加させられたことだろう。つまるところ、着飾る余裕なんてないアンジェリンとその知り合いの服装は大いに他の参加者に笑いを提供することとなったのだ。
「うわー…、ないわー……」
「だろぉ!? マジふざけんなっての! あぁクソ、思い出したらまたムカついてきた……」
またも怒りの拳鎚を繰り出す。今度の標的は右側の仕切りであり、薄っぺらい素材と粗雑な作りが相まって景気のいい音を立てた。
「アンジー、それ壊して弁償することになってもアタシは一タルも出さないからね?」
ピタリと仕切りが沈黙する。
「んぎ……、んぎぎぎぎぎっ!」
なかなかに端整な顔立ちを悪魔の如く歪め、ベリーショートまで短く切った髪を掻き毟るようにワシャワシャと洗い……シャワーの音だけが残った。
「落ち着いたー?」
「……あー、少し落ち着いた……」
アンジェリンは蛇口を捻ってシャワーを止め、オンボロを通り過ぎて骨董品の域にある蛇口とシャワーヘッドを順に見た。
(はぁ~……もっと強くなって階級上げねーとな……)
仕切りの上の方に引っ掛けていた使い古しのタオルで簡単に体を拭い、肩にかけつつ個室を出る。その姿は素っ裸であり、肩にかけたタオルが申し訳程度に控えめな大きさの胸を隠している。かなり大胆な姿だが彼女は恥じらうこともなく、腰に手を当てて堂々としている。それもそのはず、ここを利用する者は全員もれなく全裸になるのであるからして、すぐにこの状況に順応して恥じらわなくなるのだ。
「そろそろ戻らねー?」
承諾の返事の後、隣の個室からアンジェリンと同じく素っ裸で肩口まで伸びた栗色の髪を大雑把に拭うエリエラが出てきた。