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 ティーナに用意された新居は、広いベランダつきのマンションの最上階。日当たりがちょうどいい窓向きの部屋のリビングには、ティーナが旧居に置いていたはずの服やらなんやらが集められていた。旧居の家具のほとんどは、もともと備えつけられていたものであるから持ってこなかったのだろう。


 それにしたってなにもかもが乱暴だと思った。突然ティーナの職場に押し掛けて、ほとんど連れ去るのと同然に祖父に引き合わせて、次には引っ越しを余儀なくされる。


 ティーナは怒るべきなのだろう。けれどもそれが無駄だとわかっていると、途端に怒りを表に出すのははばかられた。


 ここで今ティーナが正当な怒りを出したとしても、レオンツィオはあの困ったような笑みを浮かべて、しかしティーナの言い分なんてひとつも聞いてはくれないに違いなかった。


 レオンツィオは優しげで、実際にティーナには甘い。けれども強情で頑固な面があることもまた、ティーナは知っていた。


 そうなるとティーナは行き場のない怒りを抱えながらも、現状を受け入れる以外の選択肢はないわけである。


 前向きに、能天気に考えるのならば「ボロアパートから高級マンションに引っ越せてラッキー」といったところだろうが、やはりどうしてもそういう風に切り替えられない。


 さっさと心を切り替えられる人間であれば、ティーナはレオンツィオに対する複雑な感情をとうの昔に捨て去れていただろう。


「荷物は全部揃っていたかい?」

「……たぶん」

「足りないものがあればなんでも言って」


 リビングの中心に集められた荷物を(あらた)めているティーナに、レオンツィオはにこにこ顔で話しかける。かつて心を震わせたその人懐こい笑顔を見ると、今は反吐が出る。


 ティーナはダンボール箱のふたを閉じて立ち上がる。振り返ればすぐうしろにレオンツィオが立っていた。舎弟のミルコは部屋の外で待機しているはずだ。


 つまり、この部屋には今、ティーナとレオンツィオのふたりしかいない。


 今にも折れそうな、枯れ木のようだったガエターノと違って、レオンツィオの体躯は立派なものだ。前世では着痩せするタチだと言っていたから、スマートな見た目より筋肉はついているのかもしれない。


 すなわち、ティーナには勝ち目はない。ここで今レオンツィオに飛びかかっても、彼を殺すことはできない。


 喉仏が浮かぶレオンツィオの浅黒い首を見る。ティーナの両手を使って締めようとしても、締め上げられる気がしない。そういうヴィジョンが見えているときは、たいてい失敗する。


 今世ではティーナはただの喫茶店のアルバイト店員だと言うのに、気がつけばそんなことを考えている。単に職業病のようなものなのか、レオンツィオへの感情がそうさせるのかまでは、ティーナには判断がつかなかった。


 レオンツィオはティーナがそのようなことを考えていると、わかるのだろうか。いや、彼は超能力者ではないのだから、わかりっこない。


 そうわかっていても、レオンツィオの金の瞳で見つめられると、ティーナは丸裸にされたような気になってしまう。居心地が悪くて、ティーナはレオンツィオから視線を外した。


「このマンションの位置は覚えた? ほら、ベランダから外を見てごらん。レオナが働いていた店も見えるはずだよ」


 レオンツィオはそう言ってティーナの横を抜けると、ベランダへと続く窓を開く。途端に風が舞い込んで、レースカーテンの裾がふわりと翻った。潮のにおいがかすかにティーナの鼻を通り抜けた。


 レオンツィオがジェスチャーでティーナを呼び寄せるので、仕方なくベランダへと出る。レオンツィオはベランダの柵に手を置いて、そこからの眺望を楽しんでいるようだった。


 レオンツィオの無防備な背中を見ると、ティーナは落ち着かない気持ちになった。ティーナがここからレオンツィオを突き落とすのは簡単だ。今ティーナの目の前にある背を力を込めて押してしまえばいい。


 けれどもティーナは、どうしてもベランダの柵を越えて落ちて行くレオンツィオの姿を想像できなかった。


「あ、あそこじゃないかなあ?」


 レオンツィオの隣に並んで、彼が指さす方向を見る。見慣れた白い駅舎を見つけたから、きっとレオンツィオの言っていることは正しい。


 強い風が吹いて、レオンツィオとティーナのあいだを通り抜けて行く。ティーナのショートヘアが風にあおられて乱れた。それを見たレオンツィオがティーナの頭を撫でる。


「……やめてください」


 ティーナは己の髪を撫でつけてくるレオンツィオの手を振り払った。レオンツィオはおどろいた様子も、不愉快な顔をもせず、またいつもの困り顔で笑うだけだった。それが妙に憎たらしい――はずなのに、ティーナの心は複雑に震える。


「レオナ、話がある」


 そうやって微笑んでいたかと思えば、ゆるりと真剣な顔に変えてレオンツィオはティーナを見つめる。しかしティーナはレオンツィオの金の瞳が己を反射しているだろうことを理解しつつも、彼を見ることができず、微妙に視線を外した。


「ボスの気が変わらなければ、レオナ、君は夫を選ばなければならない」


 そう言えばそういう話になっていたのだったと思い出し、ティーナは不愉快さに顔を歪めそうになった。


 なにもかも、むちゃくちゃだ。ティーナは夫なんて求めていないし、そもそも祖父であるガエターノの存在を受け入れたわけでもなかった。けれどもガエターノにとっては、そんなことはどうでもいいのだろう。だからこそ、不愉快だった。


「これから君は色々とアプローチを受けるだろうね」

「……そうでしょうか」


 己が求愛――否、求婚されている姿など思い浮かべられないティーナは、つれない返事をするしかない。そんなティーナを見て、レオンツィオは困ったように眉を下げる。


「ボスの座が欲しい野心家は、掃いて捨てるほどいるからね。……そこで提案なんだけれど」


 ティーナは嫌な予感がした。


「レオナ、私と結婚しよう」

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