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マフィアのボスとして思い浮かべるイメージに反し、ティーナの祖父であるらしいガエターノ・テオコリは枯れ枝のような老人に見えた。ティーナが飛びかかれば容易にくびり殺せそうなほどに、その老爺の体躯は貧相そのものだったのだ。
だが見た目だけでは実力や中身までは推し量れない。それを痛いほど知っているティーナは、ひとまずその失礼な先入観を捨て去ることにした。
「おお、おお、目元などテーアにそっくりだ……懐かしい」
背中を曲げてよたよたと近づいてきたガエターノに、ティーナはどんな表情をすべきか悩んだ。一九年放置されて、今さら祖父を名乗る老爺が出てきても感慨深さなどはまったく湧くはずもなく。
むしろなぜ今さら、というようなセリフが口を突いて出てきそうになる。
しかし賢明にもティーナは口をつぐんだ。仇敵レオンツィオの手前、取り乱すような真似をしたくなかったというのも理由のひとつだ。だが最大の理由は、ガエターノがこの土地一帯を支配するファミリーのボスであるからだった。
もしティーナがガエターノの不興を買えば、なにをされるかわかったものではない。この枯れ木のような老爺そのものに、若々しいティーナは殺せはしないだろう。けれども彼の権力は、ティーナや彼女の大切な者を殺すことができる。
そうでなければ未だこの老爺がファミリーの頂点に君臨していられるはずもない。
「もっとよく顔を見せておくれ」
腰の曲がったガエターノの手がティーナの頬に触れる。瑞々しさとは対極にある指だ。その感触にティーナは不快感を催すが、もちろん顔には出さない。
「テーア……愚かにもあの男と駆け落ちしおって……放っておけば泣きが入ると思ったら――」
無心のティーナとは対照的に、感慨深げにティーナを見るガエターノは、まるで己の娘が今目の前にでもいるかのように語り始める。
どうやら、ティーナの今世の母親は、ファミリーの下っ端構成員の男と駆け落ちをした末にティーナを産み落としたらしかった。そしてそのときに母親は死んでしまったらしい。ガエターノはかろうじて娘の遺体だけは回収できたが、ティーナの行方はわからずじまいだった。
ガエターノの独り言からは、ティーナの父親に当たる下っ端構成員の行く末まではわからなかった。しかしもう生きてはいないだろう。ボスの娘と駆け落ちして孕ませて、死なせる原因を作ったその男を、ガエターノが許すとは少しも思えなかった。
一方的に感動の出会いだとでも思っているらしい、涙を浮かべるガエターノを見ていれば、わかる。この老爺はひどく傲慢なのだと。ゆえに恐れられ、このような老体を引きずるありさまであっても、ファミリーのトップにいられるのだ。
そんな人間はいくらも見てきた。そして前世のティーナは、無慈悲にその命を奪い去って行った。それで世の中がよくなるなどと思ったことは一度たりともなかったが、しかし、心が痛まないぶん、ラクなコロシであった。
今ここでティーナがガエターノに飛びかかってくびり殺したら、レオンツィオはどんな顔をするだろうか? ティーナはそんなことを夢想する。
きっとレオンツィオはそれでもティーナを叱らないだろう。あの虫唾が走るほどに優しい目でティーナを見て、「危ないことはしないでね」とかなんとかのたまうに違いなかった。
「儂ももう歳だ。この歳になって不思議と血の繋がりのある家族の顔が見たくなった」
ガエターノの脳内ではどのような感動のストーリーが展開しているのか、ティーナは知りたくもなかった。
ティーナからすればこれは感動の出会いなどではない。厄介事と額を突き合わせているような気持ちだった。そしてそれは実際にそうだった。
「レオンティーナ、儂の子飼いたちから婿を選べ。ちゃちな喫茶店でアルバイトなど、そう長く続けられるものではない。信頼に足る男と結婚すればよい。おお、子が出来れば未来のボスに選んでやってもいい」
ガエターノはティーナが想像した通りの人間だった。あまりにも身勝手な物言いにはめまいを覚え、吐き気すら催す。
ティーナのためと言いつつ、それはガエターノの欲望に忠実な「提案」だった。無論、その「提案」は提案ではなく、ガエターノからすれば決定事項であることは、だれにだってわかるだろう。
己の未来を勝手に決めようとするガエターノを前に、ティーナは怒りを抑えるのに必死だった。
ここでガエターノを殺すのは簡単だ。しかしもしそうすれば苛烈な報復が待っていることもまた、容易に想像がつく。その標的がティーナひとりに収まるはずもない。
よってティーナはただ口をつぐみ、虚ろな目でガエターノを見下ろすしかなかった。
「おお、レオン、儂は決めたぞ。レオンティーナの婿に次のボスの座を渡そうじゃないか。儂もそろそろ穏やかに暮らしたい……おお、いい案じゃ。レオン、このことをみなに伝えよ。レオンティーナの夫となる男に、ボスの座を明け渡す――とな」
「承知しました」
「それからレオン、レオンティーナを新しい家に連れて行ってやれ」
結局、ティーナはガエターノとは一度も口を利かなかった。しかしガエターノはそのことに気づいていないのか、あるいは気づいていてもどうでもいいと思っているのか、最後までティーナが口を開かないことには言及しなかった。
「……それではお嬢様、新居にご案内いたします」
レオンツィオが「レオナ」と呼ばないだけで、ティーナは不安になった。そばにいる男が、ティーナの知る人間ではないような気になった。
しかし己はレオンツィオについて本当のことをいくら知っているのだろう。ティーナはそう思い、心の中で自嘲する。