(18)
迎えのミルコに連れられて足を踏み入れたのは、明らかに拷問だとか、そういった後ろ暗いことをするための部屋だった。場所はガエターノの屋敷の離れのさらに地下。もちろんティーナが足を踏み入れるのは初めての場所だった。
地下特有のひんやりとした、少々カビくさい空気を感じながらミルコに先導されて進む。扉の前には何度か見たことのあるレオンツィオの部下が控えていた。ミルコと同じような、温度を感じさせない目をしている。
ミルコは扉の前に立つ男と話をして、ティーナを招き入れるように扉を開いた。
予感はあったので、おどろきはしなかった。それでも目をそむけたくなった。ティーナは特段血なまぐさい行いを好んではいなかったから。
まるで電気椅子にかけられる囚人のような体勢で、イスに手足を縛られたジルド。つぶれていない右のハシバミ色をした瞳を見て、かろうじてジルドなのだとわかるていどにしか、顔面は原形をとどめていない。
か細いパイプを抜けるような空気の音。それがジルドの折れた歯が露出した血まみれの口元から発せられているのがわかる。
ひじ掛けに固定された手の先は、明らかに寸詰まりだ。つまり、あるべきものがなく、足りない。目線をそらせばジルドの足元には剥がれた――剥がされた爪が散らばっている。
レオンツィオは少し離れた場所で優雅にイスへと腰掛けて、それを眺めていた。
ティーナの姿を認めたジルドの瞳が揺れ動く。口元が動いて、うめき声が漏れ出る。しかし、なにを言わんとしているのか、今のティーナにはわからなかった。
「……なんのつもりですか?」
ティーナは努めて冷静に言葉を発した。冷たく乾いた、固い女の声だ。すっとぼけているつもりはなかったが、この場にティーナを呼び出したレオンツィオの意図が読めず、不気味な思いをする。
「レオナにも見てもらおうと思って」
レオンツィオは道端で見つけた小鳥について話すかのような口調で言う。
「悪趣味……」
ティーナは吐き捨てるように言った。
ティーナは前世では殺し屋みたいなものであったが、それは生きるために仕方なくやっていたことであって、ティーナ自身は快楽殺人者とかではなかった。レオンツィオはどうだか知らないが。
少なくとも、ティーナのように「できればコロシはしたくない」などという殊勝な考えは持っていないようだ。
「同情した?」
「…………」
「可哀想だと思った? ――まあ、オツムは可哀想だけれどね」
「……どこまで、知っているんですか?」
「それってどういう意味? レオナとこのどうしようもない男の関係のこと? それともこいつの過去のこと?」
「両方です」
ティーナがそう言うと、レオンツィオは笑い出した。
「あはは。両方か」
「…………」
「――知ってるよ、全部。レオナのことは些細なことでも知りたいからね」
ティーナは己の言動がレオンツィオに筒抜けになっていることは、今さらどうこう言うつもりはなかった。気分は悪いが、別段困るようなことをしていないのもたしかだったからだ。
「それで、わたしをここに呼んだのはあてつけですか」
「違うよ。私はそんな意地悪なことはしないよ」
「それじゃあ、どうして」
「まあ、たしかにファミリーに仇なそうとしている輩を放置していたのはよくないよ。でもレオナはファミリーの構成員ではないからね。そこは責められるべきことじゃない」
「……説教するために呼んだわけじゃないんでしょう」
「まあそうだけれど。でもいいのかい? わたしと長く話せばそれだけ彼の寿命は延びるわけだけれど……」
「……どうせ、彼が来た時点で生かして帰すつもりなんてないんでしょう?」
「いや、こいつは攫ってきたんだよ」
レオンツィオの言葉にティーナは思わず息を詰めた。
「――え?」
「ホテルにいたところを、ね。まあちょっと強引だったけれど、大人しくついて来てくれなかったんだから仕方ないよね」
悪戯がバレた子供のような目をしてレオンツィオは言う。
ティーナはてっきりジルドが自らの脚でこのガエターノの屋敷まできたのだと思っていた。実際、ジルドはそうするつもりだったのだろう。レオンツィオはガエターノの屋敷にいることも多い。ジルドがそういう情報を掴んでいたのならば、そうするはずだ。
「なにか問題でもあったかい? 悪い芽は早めに摘んでおいたほうがいい」
「……ファミリーをよく思っていない人間なんて、いくらでもいるでしょう」
「そうだね」
「なら」
「それだよ」
「え?」
「それが気に入らない。――くだらない理由で死んだ女の話でレオナの気を惹くだなんて、浅ましい男だと思わないかい?」
ティーナはどっと背中に冷や汗が浮かぶのがわかった。
レオンツィオは相変わらず悠然とした態度でイスに腰掛け、優美に脚を組んでいる。しかしその金の瞳は見た目の優雅さとはかけ離れた、激しく揺らめく炎のような感情に駆られている。
「レオナはこういう男が好きだよね。どうしようもない、みじめったらしく地を這って生きる男がさ」
「……なんの話ですか?」
「君を使っていた男がそうだったじゃないか。ほら、私が殺した――」
ティーナの脳裏に、走馬灯のようにゆっくりと前世の光景が駆け抜けて行く。
ティーナたちを拾い上げ、取りまとめていたリーダー役の男は、最期には頭を撃ち抜かれて事切れた。死しても安寧は許されず、ティーナが見つけたときに原型をとどめていたのは、目玉ひとつだけだった。
彼に恋していたわけではない。けれども性別に関係なく、彼は大切な仲間であり、命の恩人であった。だからティーナは嫌々ながらも殺し屋めいたことをしていたのだ。彼の役に立ちたかったから。
そしてどうやらレオンツィオはそれがひどくお気に召さないらしい。
そういうことをティーナは冷静に察することができたが、心臓は痛いほどに鼓動を速めている。湧き上がるのは憎悪と――切なさ。わかっていたのならばなぜティーナから彼を奪ったのか。答えなどわかりきっているのに、そう問い詰めたくなる。
ティーナにとっては彼も、レオンツィオも両方大切だった。優劣をつけられるものではなかった。けれども最終的にティーナは彼を選び、レオンツィオのもとへはついぞ行かなかった。
レオンツィオにとって、それはひどくプライドを傷つけられるものだったのかもしれない――とティーナは考える。
「……それとこれとは、関係ないと思います」
「そうだね。でも私はこいつが気に入らない。それは――こいつを殺すのには十分な理由だろう?」
レオンツィオはおもむろに立ち上がると、ひどく自然な所作で懐から出した拳銃をジルドの脳天に向ける。
地下室に一瞬だけ白くまばゆい光が走り、銃声が響き渡る。
「これでこの話はおしまい。あいつのこと思い出したら気分悪くなっちゃった」
レオンツィオから持ちかけたというのに、その唐突な幕引きもレオンツィオがする。その理不尽さにティーナは声が出せなかった。いつもの憎まれ口も、強張って動きはしない。
――ああ、こうやって彼も殺されたんだ。
そう思うとティーナはその場から動けなくなった。