3章*恋の、お熱大作戦!(1)首都ヨシュア
純日本人である飛鳥が異世界ペトラ・タトラに来て10日あまり。
たまに両親や弟や友人たちを思い出すも悲観に暮れることはなく、笑顔で生活している。
彼女はすっかりこの国や人々を気に入り、本人の明るい性格も手伝ってか相手からも気に入られ、出身国であるが如く馴染んでいた。
日本から共に迷い込んできた愛犬ちびもいてくれる。個室を与えられ食事も美味しい。環境としては最高だった。
ただし慣れないのは服装。
この国の女性たちは現在地が貴族居住区ということもあり、常にドレスかワンピースのヒラヒラしたスカートだ。
タイトスカート愛用者の飛鳥にはそれが窮屈でならない。
よって女性が滅多に履かないとされるパンツ姿で辺りをウロウロし、好奇の視線を浴びることもしばしばであった。
◆
首都ヨシュアの中心部に通称『王都』と呼ばれる貴族たちばかりが暮らす区域がある。飛鳥は現在そこの宮殿で生活中だ。
「凄いカミーユ!」
と、宮殿裏手に広がる芝生から飛鳥の感嘆の声が響く。そして賑やかな音楽も。
彼女の前でその音楽にあわせダンスを披露したのは友人となった第二王子カミーユだった。
飛鳥がスマホに録画していた日本の友人たちとのダンス動画を流し、ヒップホップダンスを教えたのだ。
彼は覚えが早く、初めての波のような動きやジャンプの振りにもすぐに対応した。
飲み込みが良く上出来な踊りに飛鳥は感激したのである。
「うわぁっ、こんなダンス初めてだよ。激しいな。汗かいた!」
メヌエットやワルツの舞踏ダンスしか知らないカミーユだ。頬に流れる汗を拭いつつ驚きをこめて青空に叫んだ。
ここ数日の天候同様、本日も晴天だ。午後の陽射しは強く、風も微風で王子がよけいに暑がるのも無理はない。
それでもこのダンスが気に入ったのか、彼は音楽が消えた後も汗を眩しく飛散させて振りを繰り返していた。
長身、金髪、秀麗な顔立ちと容姿の良い青年なので、それだけの仕草も実に様になる。
よって知らず周囲には侍女や貴族令嬢や後宮の姫君たちが集まり熱い視線を送っていた。
普段の生活に過剰な派手さはないが、華やかな場がよく似合い女好きとして有名な王子である。
けれど彼は身分を武器に女を口説いたことはなく、相手が勝手に寄ってくるので拒む理由もないしと遠慮せず一夜を共に過ごしているのだ。
孔雀のように華やかな気品の容貌と気さくで明るい人柄が、周囲を自然と引き付けるのであった。
踊り疲れたのか芝生の上に寝転ぶカミーユにすかさず女たちが駆け寄り群がる。
ハンカチを差し出したり、話しかけたりと顔と名を売るための自己アピールに忙しい。
女たちに囲まれて嬉しそうな王子の満面の笑顔を遠巻きに眺め、飛鳥は何だか急に寂しい思いがした。
ペトラ・タトラに来て以来会っていない家族にすらこんな気持ちを抱いたことはないのに……。
少しイライラする。大切な物を取られた気分だった。
でも取り返す方法もわからない。どうしてこんな気持ちなのかも判断がつかない。
ふと見上げた宮殿にアレクの姿を認めた。2階にある自室のバルコニーで読書を楽しんでいる。
気付かなかった。音楽がうるさくなかっただろうか。
暇になったし寂しいしと、飛鳥は誠実で真面目で健全な第一王子の元へ向かった。温厚な彼の側で苛立ちを落ち着かせたかった。
◆
飛鳥の愛犬ちびはまだ生後5ヶ月のオスの仔犬だが、どうやら男好きのようで入室するなり脇目も振らずバルコニーに駆け寄った。
わずかに遅れて飛鳥がその場のアレクと対面したとき、ちびの姿はすでに王子の膝の上にあった。ちびは特に彼がお気に入りなのだ。
飼い主より好きなのでは、と立場を危うく思う飛鳥である。
予想した通りアレクは来客を温かく歓迎した。読んでいた本をそっと閉じてまずはちびを足元に下ろすと自ら客の紅茶を注ぐ。
同じ王子でもカミーユには全く遠慮しないが、アレク相手ではさすがに飛鳥も恐縮を覚える。
でもこのような作業は侍女リディアの役目なのに姿が見当たらない。紅茶の謝礼がてら聞いてみる。
「ありがとう。ね、今日リディアはいないの?」
すると王子は頷き、飛鳥のために丁寧に補足をした。
「彼女は明後日まで休暇で帰郷中だ。南都ガブリエルの出身なんだ。気候も温かく遺跡も多い綺麗な都だよ」
ふーん、と相槌を返しつつアレクの内心を思う。数日とはいえ愛する女性がいなくなって寂しいことだろう。
自分に経験がないくせに他人の恋愛には首を突っ込みたがる飛鳥である。ムクムクと興味が湧き起こり話題を強引に運ばせた。
「王子様には好きな人いないの?」
いきなりの誘導尋問。アレクが抱えるリディアへの恋心をカミーユから聞いてはいたが、本人の口から確かな思いを聞き出したかった。
アレクは顔色も変えず意外なほどあっさりとその存在を認めた。
「いるよ」
「えっ本当!どこかのお姫様?美人?告白してるの?」
相手を承知で白々しく聞き返すが飛鳥のテンションは高い。心臓は興奮でドキドキだ。
アレクは名前まで明かしてくれるだろうか。先が気になって仕方がない。
そんな彼女の心理とは別に王子はマイペースを保ち、次期国王の風格なのか単におっとりしているだけなのか、落ち着いて会話を進める。
「とても綺麗な人だよ。世話好きで優しくてね。告白はしてないよ。彼女をきっと困らせる。お前もよく知ってる人だよ」
王子の濃紺の瞳が理解を求めて飛鳥を見つめる。
視線を受けて彼女は怯んだ。わかっていたはずなのに期待が大きすぎて、もし別人だったらとその名前を確認するのが怖かった。
アレクを信じ、飛鳥は呟く。
「……リディア?」
優しく微笑むアレク。肯定の証である。彼はリディアへの愛を隠さなかった。
続いた言葉がそれを確かな物にした。
「いずれ妃に迎えたい」
望みは薄いと感じているのだろうか。どこか哀愁漂う口調であった。
飛鳥はといえばもうアレクに同情だ。切なくて切なくて応援したくて、いますぐ結婚させたくてたまらない。まさかここまで真剣だったとは。
どうにかしてやりたい。お節介焼きの血が騒ぐ。先日のような作戦の必要性を認めた。
ただしあの時は最後に詰めの甘さが出て失敗し悔いの残る結果となった。
今回こそはとびきりの作戦を練りたい。そして。
「アレク様っ私応援します!リディアと結婚しましょう!」
あまり物事に動じないアレクもこの勢いと内容に気圧されしてしまった。
戸惑いながらも好意には違いないので謝礼と現状を伝える。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけれど彼女は私とは、貴族とは結婚しないよ」
「愛があれば身分の差なんて!リディアは元々アレク様を大切に思ってる。それを愛情に発展させるの」
「具体的には?」
「病気のフリをして看病させてアレク様がどれだけ大切な存在なのか気づかせるの。すぐは効果がなくても徐々に思いは膨らんでくるはずよ。そんなときダメ押しの告白をしたらいくらリディアても愛を受け入れてくれるわ!」
飛鳥ならではのご都合主義な綺麗事だらけの案であった。
そこまでの悪意は抱かぬも、少し稚拙だなと内心アレクは思った。温厚な性格ゆえ表情や動作には出さないが。
よって中々反応を見せない王子に飛鳥の反応は遅れた。頬を青冷めさせてようやく気づく。
また先日と同じ過ちをおかしてしまった。興奮すると見境がなくなる悪い癖だ。
それに今度の話相手はカミーユでなくアレクなのだ。呆れていることだろう。反省だ。
落ち込みかけたその矢先、うつ向く飛鳥の耳にポツリと一言が届いた。
「やってみようかな」
ガバッと頭部をあげて王子を見つめる。声もだったが表情も何だか楽しそう。ちびを腕に抱いて撫でている。
彼は本気で発案に乗る気のようだ。飛鳥の脳裏に先日のカミーユの姿が重なった。
アレクとカミーユは一夫多妻制により母親の違う兄弟である。
だが好奇心旺盛と名高い父王の血を継ぐ息子たちだ。親子・兄弟ともにノリの良さはそっくりであった。
6人の姉と妹もいるらしいが恐らくは似たような性格。すべて嫁いだと聞くが会ってみたかったと飛鳥は残念に思った。
とにもかくにも、こうしてまたリディアにとって端迷惑な作戦が始動したのである。
飛鳥は張り切り、アレクは少しの罪悪感と期待を胸に。ちびはそんなアレクの頬にキスをした。
幸運をもたらすキスになるかは、まだ誰にもわからない。