2章*恋の、襲撃大作戦!(3)ルナの森事件
宮殿内に併設された食堂の南側に面した窓からは、晴天による陽射しが天然の照明となって効果的に室内へと降り注ぐ。
明るく温かく、穏やかな昼下がりの空間を作りあげていた。
雰囲気そのままに、居座るふたりの男女の気持ちも安らいでおり、紅茶を手に会話も進む。
本日は予定していた王子アレクと侍女リディアを結びつけるための、本人たちは全く知らない襲撃作戦の当日だ。
急遽主役はカミーユからアレクへと変更となったが、まもなく本番の開始時刻であった。
それを目前にひとつの疑惑を飛鳥は投げ掛ける。
「ね、アレク様って剣は使えるの?」
第一王子に対してあまりにも無礼な質問だ。それを弟のカミーユに正面から問うのだから飛鳥は大した女と言えよう。
それを踏まえてカミーユはプッと吹き出した。飛鳥がわざわざそう聞いてきた理由を的確に察したからだ。
兄王子アレクは性格はもちろん外見もおっとりした青年。剣はおろか素手での暴力など、運動には不向きと見なされたのだろう。弟として弁護の必要を認めた。
「兄上は国内でも五指に入る剣士だ。心配はいらないよ」
あっさりと言ってのけたカミーユに飛鳥は瞼をパチパチと瞬かせてポカンと眼前の綺麗な青い瞳を見返した。
あのアレクが勇猛な剣士だとは。人は見掛けによらぬとはこのことである。
しかしそれなら町から来る悪漢役のカミーユの友人たちは無事だろうか。作戦を知らないアレクが手加減なしに動いては大変だ。
『悪漢に襲われるリディアを救出させる』。そんなストーリーの芝居でしかないのに……。
と、表情を読んだのか王子は気遣いを見せる。
「大丈夫だ。兄上は相手の実力を見極められる人だから簡単に剣は抜かないよ。鞘で叩いて軽傷ですますさ」
「諦めろ」と言わんばかりに、すでに友人たちは犠牲者扱いだ。けれど何となく想像できた。
王族と平民。身分を越えて彼らは本当に仲が良く強い信頼で結ばれた関係にあるのだと。
カミーユの人望の高さがうかがえ飛鳥は自分ごとのように嬉しくなった。軽傷であれ怪我は気の毒だが。
「さてアスカ、作戦開始だ。君は名女優になって最高の演技を披露してきてくれよ!」
「任せて!」
元気のいい返事をして飛鳥は紅茶で喉を潤し立ち上がった。
半歩足を後退させて「よーい」の姿勢を取る。カミーユに笑顔を向けて一言。
「行ってきまーす!」
それがスタートの合図であった。周囲の侍女たちが驚く勢いで食堂を飛び出し2階のアレクの部屋を目指した。
◆
『兄上の部屋に行ってリディアが襲われてると慌てたフリして駆け込んでくれ』
カミーユが命じたその作戦を達成すべく、飛鳥は食堂を抜けて長い廊下を走り階段をやはり走って上がる。
演技でなくても本気で息切れは激しく呼吸は乱れる。
目的地の唐草模様の扉が見えた頃には速度は半減していたが、休む間もなく大きな音を立てて扉を開けた。
「王子様っ!リディアが……って、あれ?あれれ、いない?」
呆然と立ち尽くす。室内は静まりかえりバルコニーにも人影は見当たらない。
いつも穏和な笑顔で迎えてくれる部屋の主は、と言うより作戦の中心人物が留守なのだ。
ウソでしょ!絶対いるってカミーユは言ってたのに!カミーユのバカっ!
第二王子の方に内心で罵声を浴びせつつ、彼女は次の瞬間思わず叫んだ。
「戻るよ、ちび!」
だが予想した愛犬の返事はなく静寂の室内。もとから着いてきていないのだから当然だ。
飛鳥はようやくちびの不在に気づいた。いつから?
さらなる冷や汗を浮かべて彼女は食堂へひたすら逆戻りだ。最悪の事態に泣きたい気分だった。
◆
食堂のカミーユは長い足を組んでイスに腰かけ、優雅に紅茶を飲んでいた。
容姿によく似合う情景であるが、苦労も知らずの呑気な態度に飛鳥はぶん殴りたくなった。
度々の疾走にハァハァと息を切らし、ゴクリと唾を飲み込んで彼女は男の正面に疲労する体を現した。
「どうしようカミーユ!アレク様いないのっ!作戦失敗だよー!それにちびちゃんもいないの!私探してくる!」
「アスカ!」
振り向きかけた人物の名を王子は呼びつけ動きを制した。
ピタリと足を止めはしたが、飛鳥の動揺は収まらない。
そんな彼女の視界で華が咲いた。王子がその綺麗な、色気のある美貌にふっと笑みを浮かべたのだ。
疲れも吹き飛ぶ見惚れる笑顔にもちろん飛鳥も時間を忘れて釘付けだ。
いつの間にか彼女の手には差し出された紅茶カップが握られていた。
「飲みながらゆっくり聞いてなよ。オレは友人たちとリディアのところに行って都合よく話をつけてくる。作戦は延期だ。で、君はあの子ダヌキみたいな犬を探してくる。わかったか?」
アレク不在による作戦の変更に、空虚な気持ちを得つつ飛鳥も納得を示し頷く。
はっきりと残念がる彼女に「用が済んだら犬探しを手伝うから」とカミーユは付け加え、できる範囲で慰めた。
落ち着いてきたのか飛鳥は大きく頷き、紅茶をゴクゴク飲み始めた。
気持ちのいい飲みっぷりにカミーユは笑い、その後ふたりはそれぞれ目的を果たしに散らばった。
ふたりはいまだ知らない。宮殿を不在中のアレクとちびが共にいること。そしてリディアが窮地に追い込まれていることを。
◆
そして場面は王子アレクとマメシバちびに移る。場所は宮殿を離れた屋外だ。
15分前まで自室での職務に励んでいたアレク。
だが扉をカリカリする音に誘われ開けてみるとちびの姿が。
散歩に行きたいのだろうと判断し、一息ついでに彼も散歩だ。このような経緯で今に至っている。
従者も付けず、第一王子との身分など構わず、すっかり懐いて可愛いちびと風の心地よさを身に感じながら昼下がりの王都を散歩するアレク。
穏やかで涼しい目元が変化したのはまもなくのことだ。
視界の隅に白い衣服が見えた。侍女たち揃いのワンピースに思えた。
普段彼女たちが赴くような場所ではない。胸騒ぎを覚えた王子はちびとアイコンタクト。
同時に駆け出すと、薄暗いルナの森方向へ足を早めた。
アレクが堂々と近寄り濃紺の瞳で認めたものは、4人の見知らぬ男と美しい己の侍女であった。
彼女は後ろ手にされて男のひとりに捕まっていた。明らかに平和的とは真逆の状態。王子は状況を会話なく理解した。
5人の前に現れた恐れ知らずの青年を女以外は歓迎しなかった。これから美女を相手に楽しもうとしていただけに苛立っていた。
美女リディアも気が気でない。身分が知れるかもと名を呼ぶ行為は避けたが、自分など見捨てて帰ってほしかった。大切な主君が怪我でもしたら……。
3人の男がアレクの前後に広がる。手にはナイフや短剣。
やはり平和的にはいかないらしい、とこの期に及んで王子は悲しみ、その表情のまま相手の要求を耳にした。
「兄さん、おとなしく俺たちを見逃しな」
「その女性を返してくれるのなら」
「無理だ。女はもらう」
「ならば私も要求は受け入れられない」
「バカな男だ。望むなら相手になってやるぞ」
「私は手強いよ?」
はったりでなくアレクは善意を込めて忠告した。顔色にも声色にも動揺は全く見られなかった。
宮殿内の者なら彼の剣の腕は誰もが認めている。好んで挑む真似はしないだろう。
だが侵入者はそれを知らず、立派な剣を腰に帯びているとはいえ、犬を散歩させてる優男が勇猛果敢な剣士とは思えなかった。一笑し詰め寄る。
アレクは争いを好まない。けれど必要な時も場合により存在する。
彼は愛用の剣を鞘から抜いた。それは午後の陽射しに反射し、神々の聖剣のように眩しく光り輝いた。