2章*恋の、襲撃大作戦!(1)宮廷画家アスカ
異世界ペトラ・タトラに来て4日。
周囲の環境や人々に恵まれ、飛鳥は愛犬ちびと悲観なくのびのびと生活している。
もしも日本の親友たちが側にいたなら「馴染みすぎて不要では?」と一斉に突っ込むだろうが、現在の飛鳥には達成させたい目標があった。
親しくなった第二王子カミーユが思いを寄せる美女リディアと彼を結びつけることだ。
そのための作戦が実行されようとしており、飛鳥が提案したマニュアルは以下の通りである。
『悪漢に襲われるリディアを偶然見かけたカミーユが怪我をしながらも剣を手に勇敢に立ち向かい救出する……』
もちろん怪我はわざとだし、悪漢役はリディアの知らない、お忍び好きなカミーユが町で作った友人たちだ。
古典的で単純なシナリオだが飛鳥も王子も張り切っている。
実行日を3日後に控え、最終調整の最中であった。
本日の天候は雨。
カミーユとの作戦会議は夕食後だし、暇潰しにと飛鳥は自室で宮廷画家の肩書きにふさわしく絵描きの時間を過ごしていた。
第一王子アレクが揃えてくれた画材用具は水彩やら油絵やらと多様で、飛鳥は水彩を選び高校の美術部以来半年ぶりに筆を握った。
おそらく蘭であろうが花瓶に生けられた花を描き、久しぶりにしては上出来だと完成後は自画自讃。
そうして突然ぱっと閃いた。アレク専属の画家である以上一度は描いた絵を見せたいと、キャンパスを持ち彼の部屋に向かう。愛犬ちびも小さな体で後を追った。
◆
アレクは濃紺の髪と瞳の読書と天体観測を好む青年だ。
穏やかで優しく、その性格のままの笑顔で飛鳥たちを歓迎した。
室内には彼の侍女リディアもいて、主君のために紅茶をいれたり花がらを摘むいだり、ベッドメーキングをしたりとテキパキと所用をこなしていた。
リディアとの会話も望んでいた飛鳥。一度で事が済むと喜ぶも仕事が終わるのを待つことにし、まずはアレクに自信作の絵画をお披露目した。
「宮廷画家飛鳥の記念すべき一作目ですっ!王子様の評価は?」
「上手に描けてるね。色も暖かくて私は好きだよ。私にくれるのかな?飾ってもいい?」
すっきりした顔立ちにもの柔らかな微笑みを浮かべて、王子はジッと飛鳥を見つめる。
相手の瞳をしっかり見て会話する男なので、見られてる側は必ず対応に困ってしまう。
それは飛鳥も例外でなく、ドギマギしてしまいうっすらと頬をピンク色に染めた。
けれど彼女がより戸惑ったのは発言内容の方である。
誉められて嬉しいがとんでもないと首を左右にブンブン振った。
有名画家の横に自分の作品が飾られるなど比較されて恥をかくだけ。気持ちのみ受け取り丁寧に断った。
本気で残念がるアレクの傍らで仕事を終えたリディアが一礼をして無言で立ち去ろうとする。慌てる飛鳥より早く王子が口を開いた。
「ご苦労様。お前も座ってお茶にしよう」
「ですが……」
「急用でないならいてほしい。これも仕事の一部だよ。アスカもお前に話があるようだしね」
おっとりした外見とは裏腹、鈍いようで実は鋭い観察眼の王子である。
見透かされた飛鳥も肯定を込めて頷き、代わって同席を促した。
「一緒に座ろうよ。あのね、渡したい物があるんだ」
嘆願口調がリディアの心を揺らした。
身分をわきまえた責任感の強い女だが、ふたりにせがまれて渋々ソファに腰を下ろす。
綺麗な長い髪をふわりと浮かせて飛鳥の隣に座った。
笑顔を向けて一緒のお茶会を喜ぶ飛鳥。しかし見れば見るほどリディアは美しい女だ。
同性ながら惚れ惚れしてしまい、嫉妬を通り越してただただ羨望の眼差しを送るのみ。
カミーユも呼びたいなと脳裏をよぎったが現在彼は後宮の女とデート中だと思い出す。
リディアに対してどこまで本気なのか、首を傾げたくなる飛鳥だ。
けれど今からそんなダメ王子のための下準備に取り掛かる時間なのであった。
◆
「これあげる」
少し上体を隣の美女に向けて、飛鳥は首に下がる防犯ブザーを外し差し出した。
3日後の作戦に必要なアイテムであるが、ここでは純粋に正規の使用方法を教えた。
「危険を感じた時に使ってね?この取っ手を抜くと……」
ピルルルルピルルルル…
瞬時に耳を塞ぎたくなる高音が響く。
初見聞なだけにリディアは「わっ!」と驚き、アレクも目をパチパチさせて何事かと同様の反応を静かに見せた。
「ここにまた差し込むと音が止まるから。美人で危険も多そうだからあげる。使ってね?」
とびきりの笑顔で隣人の手中にブザーを押し込む強引な行為。
そんな飛鳥から悪意は感じられず、リディアはアレクのためにも役立つと、それをひとつ返事で受け取った。
飛鳥は内心ホッとする。襲撃作戦で彼女が使用した際カミーユ登場の合図となる重要アイテムだったからだ。
まあ受け取らなかったり未使用の場合は、どうせ覗き見している事だし機を見計らって登場という段取りなのだが。
そしてさり気なくここ数日の予定を尋ねた。今のところ大きな予定はないと疑惑なくリディアは答える。
ふと疑問が浮かんだのは飛鳥の方だ。『皆に好かれてるいい人』とは言っていたが、りディア自身カミーユをどう思っているのだろうか。
「カミーユがあなたに会いたい会いたいって嘆いてたよ?」
と、ようやくリディア本人の感情に注目し誘導尋問を試みた。王子を呼び捨てにしながら。
「おや、そんなに会ってないのかい?」
真顔で更に問い質したのはアレクである。弟王子への飛鳥の無礼は咎めない。
質問攻めの侍女は長い黒髪を揺らしてまず正面に座る主と視線を交わした。
「そんなことありませんわ。3日前にお会いしましたもの」
「弟は毎日会わないと寂しいらしい」
「あらアレク様、あの方は私などおらずとも平気ですわ。後宮の姫君や友人に囲まれて日々楽しそうですもの」
「お前の毒舌が聞けなくて寂しがってると思うよ?」
王子の濃紺の瞳に悪戯めいた光彩が煌めく。
からかわれたと察した侍女は少しスネた表情をさせて反論した。
「王子様こそ意地悪なご発言を。カミーユ様なら大丈夫ですわ。私などより兄王子の悪態ぶりを聞きたいと心待ちにしておられることでしょう」
忠実だが口の悪さは天下一品の『リディア姐さん』である。
サラリと言ってのけるだけにタチが悪く、泣かせた人物は数知れず。慣れたとはいえアレクも苦笑を溢す。
王子と侍女、共に21歳。ふたつ年上の男女のやりとりを眺めながら飛鳥は結局自分の質問はどうなったのだろうか、と胸中でひっそり思い悩んだ。
でも会話を聞く限りリディアのカミーユへの思いは好意的。きっかけさえあればかなりの進展が見込めそう。
行動あるのみ!
作戦の実行に迷いがないことを確認し、成功と最終的にはハッピーエンドを目指す。
仲間の愛犬ちびがアレクの膝の上で気持ち良く眠るなか、新人宮廷画家は心のなかでガッツポーズをし、ひとりメラメラ燃えるのだった。
こうして翌日には雨もあがり、中一日を経て実行日当日がやって来た。
小さな白い雲が可愛らしく青空に点在する、幸運を招きそうな穏やかな日であった。