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序章*異世界へ(*)異世界ペトラ・タトラ



間宮飛鳥(マミヤアスカ)(19歳)の新しい家族はマメシバのオスの仔犬。



薄茶色の毛がふわふわで、コロコロとした動作がとても愛らしいと彼女のお気に入りだ。



名前は『ちび』。



「単純だ」


「成長してもちび?」



弟をはじめ家族の反対を散々に受けながらも「この子はちびなの!」と譲らず付けた名前だった。



大学受験の合格祝いに両親から買ってもらった念願のペットだ。


先日ようやく散歩デビューを果たし、転がるように歩く姿にいまだ胸をキュンキュンさせて見つめる飛鳥であった。




現在大学は夏休み中。彼氏いない歴=年齢の彼女だが、愛犬ちびとの毎朝の散歩に忙しい。8月初日のこの日も同様だった。




朝8時。しかし晴天の真夏の朝はすでに太陽も本領発揮。


全身を照りつける陽射しがギラギラと容赦なく襲いかかり、額には汗も浮かぶ。



「暑いね、ちび。お水飲もうか」



ついつい話しかけて、まだ模索中の散歩コース内にある森林公園に立ち寄った。



面積はさほどでもないが、樹木に左右を挟まれた、アスファルトの長い遊歩道。頭上にも枝葉が繁り緑のトンネルを作り上げている。



生き生きとした葉の緑。鳥や蝉の鳴き声、吹き抜ける涼風……。


それらがいかにも夏らしく、暑いなかにも気持ちのいい空間だ。



今度は早朝に来てみようかな、と頭上を見上げながら思ってみる。


そうして歩道脇に設置された水飲み場、隣接するベンチに近寄った。



まずはベンチに座り、ちびは膝の上。ポーチから取り出した専用のボトル内の水を飲ませる。


よほど喉が乾いていたのか短い舌で、だが音を立てて器用に飲んでいた。



「次は私。待っててね」



愛犬の頭を撫でて立ち上がり自分は水道台で喉を潤した。


こちらも喉が乾いていたのか、噴水タイプの蛇口に唇が付きそうな勢い。飲みっぷりがいい。



知らず時間をかけてしまった。ようやくベンチに視線を移し、瞬間彼女は我が目を疑った。


そこに残していたはずのちびがいない。


普段お行儀のいい子なので大丈夫だろうと油断したのだ。



「ちびちゃん!」



声高に名を呼び、辺りを見回しながらもう一度繰り返した。



「ちびちゃん!」



返答は期待した甲高い声ではなく、ポキポキッと枝を踏み鳴らす物音だった。



その方向にはリードを引きずらせ森の中へと駆け去る愛犬の姿が。



「あ、待って!ちび!」



語尾と同時に体を動かした。愛犬追跡の開始だ。飛鳥も森の内部へと身を投じた。




近くには国道も通っており車の走行音がわずかながら響く。そんな森の中を、葉を、枝を踏み鳴らし飛鳥は走った。



高校時代は美術部だった。走り込みなど年に片手の指程度。


体育の授業もダンスは好きだが運動そのものは苦手だった。


まして現在大学生で運動とは無縁の生活。久しぶりのダッシュで息切れに胸が苦しい。



それでも彼女は懸命にちびを追った。努力家で性格も明るいのが長所だ。


なのにどうして彼氏ができないのかなと日頃から首を傾げる。だが、今はそれどころではない。



ポプラなのか杉なのか銀杏なのか。種類などには目もくれず、ミディアムロングの髪を乱して彼女は樹木の間をひたすら走り続けた。



努力は実ったようだ。森を抜けた先でちびがかわいいお尻を向けて座っている。チャンスだ。


速度を落としてそっと近寄り、その小さな体に腕を伸ばした。



「捕まえたっ‼」



と、腕をすり抜けちびはまたも苦労も知らず無邪気に駆け始める。


バランスを崩した飛鳥はよろめく体を立て直して前を見つめた。そして……。




呆然自失




ただ言葉を失った。



突然脳裏に『トンネルを抜けるとそこは……』という有名小説の一節を思い浮かべた。


小説の舞台は雪国だった。しかし緑のトンネルを抜けた飛鳥の眼前に広がったのは、予想していた国道でも高層ビルでもなく、広大な芝の敷地と宮殿だった。



「何なの……?どうして?ここどこ?」



口から出たのは疑問府だらけの言葉であった。



テレビや雑誌などで知るヨーロッパの王宮を思わせる建築物が視界内だけで3棟点在している。奥にはギリシア神殿風の建物も。



日本の、まして自宅の近所にヨーロッパ村がオープンしたなど聞いたこともない。


飛鳥はゴクリと唾を飲み込んでおもむろにウエストポーチからスマホを取り出した。



母親のスマホに電話してみたが繋がらない。画面には『電波が届いておりません』のアナウンス。他の番号もLINEも同様だ。


唇を噛みしめてその虚しい文字画面を睨んだ。




何にも遮られることのない風が鮮やかな緑の芝をそよがせ、立ち尽くす女の髪をもなびかせる。


陽光眩しい穏やかなはずの場所。けれど彼女の胸中は対極を示していた。




瞬間移動?

タイムスリップ?


ここは、どこっ!?




突然降り落ちた災難。突然訪れた超常現象。突然現れた建築物。



だが夢ではない。事実だ。現実だ。何かが起こり自分の身に働いたのだ。


それを感じ、飛鳥は役に立たないスマホをギュッと握りしめた。




どこか冷静で、不思議と焦りはなかった。彼女は現代人であった。



というのも、少なからず漫画やアニメを見てきたし、実写の洋画ファンタジーは好んで鑑賞していた。


それ故に非現実や非科学的な現象への理解力が優れていたのである。



とはいえ事実を受け入れ理解はしても、心細さや戸惑い、恐怖が完全に払拭されたわけではない。取り乱さないというだけだ。



知らない土地でひとり。言葉は通じるのか、帰れるのか、剣や魔法や怪獣の国ならひとたまりもないかも……と不安要素も多い。



そして何より気掛かりなのは……。



「ちびっ!ちびちゃんどこっ!」



寂しさを紛らわせるために、己を鼓舞するために顔と声をあげた。黙っていると涙が溢れそうだった。



ちびもこの不思議世界に来ているはずだ。


種族は違えど大切な家族の一員、それに恐らく唯一の同世界の仲間だ。


心の寄り処であり、守ってあげたかった。



よしっ!と気合いを込める。探索だ、と動きかけたその刹那……!



「動かないで!」



耳に届いた自分以外の声。背後からの不意打ちに飛鳥はピタリと動作を止めた。



命令通り確かに数秒の静止を示した。だが無意識に勢いよく振り返り相手と対峙した。


声から判断はしていたが女であった。



黒く長い髪、白いワンピース。年齢は飛鳥とそう変わらないだろうか。


しかし決定的に違うのは容姿。同性ですら見惚れる美貌であった。



美女の視線は明らかに警戒し悪人扱いだ。


怪しい者ではないと訴えたいが、不法侵入の身ではどうみても不利である。飛鳥は逃げも抵抗もせず立ち尽くした。



「あっ!」



場違いにも思わず声をあげた。美女の言葉が理解できたのだ。



言葉が通じる。これだけでも喜ばしい。


強がる心は急速に溶けて崩壊し、我慢できずにとうとう泣き出してしまった。



美女はどこまでも冷静で警戒を怠らない。だが飛鳥が泣き止むまで動くことはなかった。



グスグスと鼻を鳴らし涙目のまま、何もしてこない女にチラチラ視線を送る飛鳥。


やがて怖い人ではなさそうだと判断をし、乾いた口を静かに開いた。



「私は飛鳥。あなたは?ここは何て国?」



無抵抗を証明しようと先に名乗った。


発言内容に美女は秀麗な眉間にシワを寄せて問い返した。自らの名はまだ明かさない。



「異国人?おかしなこと聞くのね?それに見たことのない服だわ」



デニムのスカートとスニーカーを珍しげに眺める。



幸運にも話題は理想的な運びとなった。女の質問を受けて飛鳥は自分でも原因不明の超常現象により別世界から来たと告げた。



女はまともに信じなかった。常識人なら当然の反応だ。だが飛鳥は信じてほしかった。



握っていたスマホを差し出し録画していた友人たちとのダンス動画を鳴らした。


信用を得るために思いついた作戦である。



「私の世界の音楽よ。そしてこれは電話という機械。この世界にはないでしょ?私を信じて!」



思い込みとは恐ろしい。建築物を眺めて、中世時代相当の文明しかない国だと決めつける。


だが目の付けどころは正しかったようだ。



美女は女性歌手の歌が流れるスマホを凝視する。


形も材質も見たことがない。音楽が流れているがオルゴールでもなさそうだ。ロウソクもないのに明かりもついている。


驚くべきはこの小さな箱で眼前の女を含めた数人が踊っている……。



奇妙な物体を操るアスカと名乗った女。でも魔女ではなさそう。なら発言は真実?



……半信半疑に陥った美女は真実の解明を自分以外に求めた。



「ここはペトラ・タトラ王国の首都ヨシュアよ。ついて来て。アレク様に会わせるわ」



完全なる信用はまだ得てないだろう。けれど女の表情からは険しさがなくなっていた。


飛鳥も彼女を頼るのみ。頷くしかなかった。




ペトラ・タトラ。


異世界ペトラ・タトラ……。




地名を呟き飛鳥は女の後を追った。哀れちびの存在を現時点では綺麗に忘れている。



まずは一歩。柔らかな芝を踏みしめ、異世界での日々が始まろうとしていた。



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