七日目 お見舞いは一人だけ
七日目 お見舞いは一人だけ
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私は、ずっとこの病室にいる。
白い部屋、飾り気はなくて、ムダにだだっ広い。
どのぐらい入院しているのだろう、もう覚えていない。
窓からは海が見える。
ざざざと響く遠い波の音。
それを聞いてると眠たくなってきて、いつの間にか眠って、また目覚める。
そんな日々。
何の病気なのかも知らない。
誰と話すこともなく日々が過ぎていく。
――おみまい。
そんな言葉をふと思い出す。そういえば、誰もお見舞いに来ない。
誰かと話がしたかった。
じっとしていると、言葉まで忘れそうだった。
病室、白、ベッド、お見舞い、窓、海、私。
そんな言葉を、胸の中で何度も繰り返す。
繰り返すうちに眠くなり、目蓋が重くなって。
「やあ」
と、何かがベッドの脇から飛び出してきて、私は飛び上がりそうなほど驚いた。
それは白い布をかぶったお化けのような姿、目と口の穴が空いていて、その奥に手の平が見える。
「びっくりした、あなたは誰?」
「ミイだよ、お見舞いに来たんだ、よろしくね」
そうか、と私は思う。
誰かが指人形をしてくれている、そう、お医者様とかが。
「ミイ、お見舞いに来てくれたの? ありがとう」
「どういたしまして、具合はどう?」
「特にどうとも、元気だよ」
私たちは、そのままいろいろな話をした。
眠気などきれいさっぱり無くなっていた。
天気のこと、ベッドが固いこと。海が綺麗なこと。壁が白すぎてまぶしく思えること。眠れないときに足を擦り合わせると暖かいこと――。
「ねえ、外はどうなってるの?」
私はそう聞いてみた。
「……」
すると、ミイは黙ってしまう。
「わたし、外に出たいの」
自分の言葉に驚いた。外に出たいだなんて思ったことはなかった。
でも言葉に出してみて、初めて気がついた。
そうだ、外に出たい。
海ではない景色が見たい。
「ねえ、何か言ってよ」
「……外には出ないほうがいいよ」
指人形はそう言って、手をすぼめて悲しそうに言う。
「どうして? 外で何が起きたの?」
「何も起きてないよ」
それは嘘だ。何かが起きたはずだ。
なぜ嘘をつくのか。
「ねえ嘘はやめて、何があったの」
「怖い怪物が出て、みんなを食べちゃったんだよ」
「何よそれ、あなたは外から来たんでしょう?」
「外のことなんか気にしなくていいよ、ぼくとお話しようよ」
「ねえ、あなたは誰なの? 人形じゃなくて、なんで姿を見せてくれないの?」
私は肘をついて半身を起こす。人形は少し怯えて縮こまるように見えた。
「お医者さん? 看護師さん? それとも」
それとも、何だろう。
あまり言葉が思いつかない、たくさんの言葉を忘れてしまった。
お医者さんという言葉もなんだか遠く思える。
そもそも、それはどういう人だったっけ。
ミイは心配そうな声を出す
「忘れたほうがいいよ、もう眠って」
「いやよ、眠りたくない」
何かがおかしい。
頭ががんがんと鳴っている。
そもそも、私はなぜここにいるのか。
病気だとすれば、何の病気か。
わからない。
思い出せない。
自分の病名を知らないなんて、ありえるだろうか。
私はなぜ、ここでずっと眠っていて誰にも合わないのか。
そうだ、なぜ何も食べずにいられるのか。
私は何年ここにいるのか。
なぜこの部屋の扉は開閉しなかったのに、ミイはここに。
「誰!」
私は身を乗り出してベッドの下を見る。そんなに大きく動いたのはひどく久しぶりだった。
何もない。床があるだけ。
私は布団をはぎ、床に降りる。素足が冷たい床に触れる。
「誰もいない、どうして」
そして私は気付く。
左腕が妙に重い。
腕はだらりと垂れ下がって、ベッドの上に。
その先に肘がなく、どこまでも腕が。
私の左腕は、
大蛇のようにだらだらと。
長い。
その先に。
布地をかぶった私の手が。
「だから言ったのに」
泥を吐くような声で、そいつは言った。
「怖い怪物が出て、みんなを食べちゃったんだよ」
ああ、そうだ。
そうだった、私の体は何にでもなれる。
町を飲み込む怪物にもなれる。
左腕に、私とは別の脳と口と声帯を持たせることも。
ベッドの下を這わせて、反対側から出すことも。
「話し相手なんか、欲しがらなければ良かったのに」
ミイは言う。
「この場所で、どれだけ会話が続くと思うの。どうしたって、外の世界への興味に話が向くでしょう」
それもそうだ。
外のことを思い出してしまった。何百年もかけて忘れようとしてたのに、また振り出しに戻った。
私は長い長い左腕を動かし、己の首に巻き付ける。
そしてきゅっと力を込めて、頸動脈の血流を止める。
すぐに効果は現れる。顔から血の気が引いて紫になり、意識が混濁していく。
この脳はやがて死ぬだろう。もっとも。私の身体は死のうとしても死んでくれない。脳すらもすぐに作り上げる。
次はこのミイが、眼球を作り、耳を作り、私の体の中心になるだろう。
お見舞い、か。
たとえそれを思いついたのが私でも、左腕ごときが勝手な真似をしたものだ。
余計なことを思いついた、私の左腕に罰を与えよう。
次はあなたが私になって、この部屋でずっと過ごすといい――。
七つのお見舞いは、これにてお仕舞い。
しかしこの世のあちこちに、奇妙な話の、数限りなく――