ある事件記者の小倉日記 図書館の怪盗
北九州市、小倉の○○図書館から、松本清張の全集が忽然と消えた。 松本清張は「点と線」「砂の器」といった作品で知られる国民的作家で、社会派推理小説の創始者。小倉の出身である。
開館前、カウンター近くの本棚の全集がごっそり抜けていた。66冊のうち3冊は貸し出し中、そのときなくなったのは57冊である。この日、9月8日は日曜日で、開館前には列が。図書館員が目を離しているすきに、さらに5冊が消え、1冊だけ残った。62冊の重さは約40キロ。どうやって気づかれず運び出したのか。
エムさん(87)が自分で持っていた全集を寄付し、12月から貸し出しが再開することになった。元新聞記者のエムさんは、事件記者として小倉で過ごした。10年前、図書館のそばで心筋梗塞を起こし、病院に運ばれた。5年前に奥さんを亡くし、今年の夏から自宅の整理を始めていた。「なにかの因縁かな。郷土の先輩の作品がこれまで以上に愛読されることを願う」 エムさんはしみじみ話した。
日経新聞 2018/9/16 東京新聞 2018/9/17 朝日新聞 2018/12/30
1.夏休みあけの放課後
小倉第四小学校、ほとんどの生徒は下校したが、四年生四人はまだ体育館のかげ、先生から見えないところでぐずぐずしている。よほど学校が好きなのだろう。いや、、なにやら相談しているようだ。
「つぎのターゲットはれいの場所の松本清張全集、全巻ごっそりいただく」
この子の名はカイト。他の三人はホンキにしていない。
「それ無理じゃね?何十冊あるんだよ?」この子はダイスケ。
小倉の小学生ならだれでも、小倉出身の大作家、松本清張を知っている。黄土色のカバーの、四年生の背の高さより高くそびえる、巨大な全集もおなじみなのだ。カイトは答える。
「66冊、図書バッグには5冊 入る。四人でやれば、今度の土日で余裕だろ」
三人目、ゴエモンがはんぶん目を閉じてつぶやく。
「あれはべつだ。カウンター婆のとなりなんだぞ」
日本のどの市町村でも、図書館には清張全集がある。ふつうは暗い片隅に、ひっそりと。だがここ小倉では、この作家はとくべつな敬意を持って扱われているのだ。カイトはしかつめらしく言う。
「一人は見張り役だな、一人は婆たちの目をそらすおとり役。それぞれの役を四人で順番こでやれば、怪しまれない」
フジコがバカにしたようすで鼻を鳴らす。
「盗んだ本はどうするのよ、huh? あんたが読むの?」
むかつくやつだ。だが本質的な指摘であることは間違いない。カイトは一息おいて考える。
「…そうだな、とりあえず図書館前広場の薮の中にぶちまけておくか。あとでまとめて川に放りこめばいいっちゃ」
四人は互いに目で問いかける。(やる?)
「投票するのが団のおきてだ」ダイスケが口を開いた。「こんどの土曜日と日曜日に、○○図書館の松本清張全集ちょうだいする案が提案された。賛成するのは?」
・・・
カイトが言った。「決まりだな」
*注1
カイトたちは松本清張が、去年、家族とKBCで見た「黒革の手帳」(武井咲主演)の原作者だということも知っている。米倉涼子のとき、四年生たちはまだ生まれていなかった。
*注2
しかつめらしく=まじめくさって
2.9月6日(金)
「海燈は明日の朝から、友だちと図書館に勉強しに行くっちゃ。キッズホン忘れんようにな」
末の孫、海燈 が生まれたのは、10年前。ちょうど心筋梗塞のあとのきついリハビリをしていたころに生まれた孫なので、なおさらかわいく思える。自分の命をつなぐような。暗い海を照らす燈のような。
「学校に行ったら、先生に間違って読まれないかねぇ、かいとう、とか」
まだ元気だったとし子はいらぬ心配をしたものだが、海燈はべつにキラキラネームではない。海燈と書いて海燈と読ませる親もいるけど、小倉ゆかりの文人である森鴎外が、自らの子女に 於菟、茉莉、杏奴、不律、類と名前をつけたことを思えば、ぜんぜん普通だ。
だが小倉の郷土の先輩と言えば、やはり清張さんをおいてない。本棚の全集から一冊取る。その一冊は函入りハードカバーで、一キロほど、厚さは四センチもある。ずっしりとしたその重みは、ベッドの上でのリハビリ(小さな海燈を抱くための練習)にぴったりだった。美しい装丁を眺め、タイトルを読む。
「…或る『小倉日記』伝 短編一。松本清張全集 三十五」
この小説の主人公は小倉の町を歩き、森鴎外の消えた日記を、生涯をかけて探しまわる。人の書いたものは、それだけの価値があるのだ。中を読むには函から出さなければならないが、大儀だ。本のほこりをそっと払い、また本棚に戻す。
*注3
森鴎外は 明治時代で夏目漱石の次に有名な小説家。舞姫、山椒大夫などを書いた。
3.少年怪盗団
カイト :じっちゃんの孫。神出鬼没。
ダイスケ:義理堅く、頼りになる相棒。
ゴエモン:怒らせると怖い。
フジコ :謎の女。
四人とも四年生だから、スマホはまだ買ってもらっていない。(カイトとフジコはキッズケータイを持たされているが、うちの人にしかかけられないから、作戦にはまったく無意味だ。)
4.決行 第一日
朝九時、図書バッグをさげた四人の小学生(男の子三人、女の子一人)が、図書館前広場に集合した。
5.決行 二日目
カイト「チョーヤバいっ! 秘密基地が、イマドコサーチでつつぬけだっ!!」
フジコ「huhぁ? huhっ? バッカじゃないのっ!?」
・・・
じっちゃん「お〜い、海燈や、いるっちゃ?」
・・・
じっちゃん「電波の範囲外に消えたっちゃ、海燈は神出鬼没じゃけん・・・お? 本が一冊落ちとるけん。ある『小倉日記』伝 短編一 松本清張全集三十五 、○○図書館のはんこが押しとるな。うちにもあるのぉ。人の書いたものはだいじにせんと。図書館によって返してあげんといかんやろ」
・・・
・・・
・・・plop・・・・・
plop plop plop plop plop plop plop plop plop plop plop plop ・・・・・・・huh・・・
*注4
イマドコサーチ: キッズケータイのGPS機能を使っていつでも子どものい場所を探せて、見守ることができるサービス。お子さまの迷子や、寄り道が心配な学校の通学、塾や習い事の行き帰りに位置を確認するのに便利。
6.終章
ここに述べた事情で、松本清張全集66冊のうち消えた62冊は図書館のすぐそばを流れる紫川の底に散らばっている。或いは図書館は河口に近いから、もう海かもしれない。海は玄界灘につづく響灘だ。
終わり
*注5
響灘は、九州と本州を隔てる関門海峡の北西に広がる海。北東は日本海に続き、西側が玄界灘。玄界灘は大陸棚が広がり、対馬海流が流れて、世界有数の漁場として知られる。(ウィキペディア)
あとがき
松本清張は朝日新聞北九州版の小さな記事を見て、芥川賞受賞作「或る小倉日記伝」の着想を得た由。ニュースは未完の小説。完成させようとしたが、筆者(わたし)の想像力が切れた。
初掲 ヤフーニュースコメント欄(第1章のみ) 2018.12.30