たまごクエスト~ガブリエルを抱えて~
こけこっこー、という間の抜けた、しかし大音量の鳴き声を目覚ましに俺は寝台から起き上がった。
窓から外を見れば、もうすっかり日も上がっている。
「ふああああっふ……」
大あくびをして床に足を付けると、素足にその冷たさが染み通ってきて思わず身震いした。
何しろもう拾の月も半ばを過ぎているのだ、世界でも北の方に位置するこのフロタ村では、あと一週間もすれば雪まで降り出すような季節だ。
「マサトー! マサト! 起きてるのー!? 早く起きてらっしゃーい!!」
突然、階下から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
母親の威勢のいい声は俺の半覚醒状態の頭の芯に響き、眠気を吹き飛ばす。
「今行く!」
俺は下に向かって答えると、そのまま立ち上がって部屋の隅にある箪笥に向かう。
引き出しから漁った服を身に付ければ、本格的な一日の始まりだ。
ドタバタと階段を降りると、まず見えるのは木製のテーブルと、その上に並ぶパン籠、そしてその奥には石のかまどの前で忙しそうに動く母の姿があった。
「おはよう、マサト」
母がせわしなく動きながらも振り返って俺を見る。
俺はそれに対して目をこすりながら答えた。
「おはよ」
「うん。早速だけど、今日も卵よろしくね」
「ああ。」
短く返事をして、ドアから外に出る。
どういうことかというと、俺の家では雌鶏を飼っているので毎日取れ立ての卵が食べられるのだが、その飼い小屋が家の裏手にあり、卵を毎朝取りに行くのは俺の役目なのである。
突き刺すような冷たさを纏った空気を掻き分けながらスタスタと歩いて家の裏手に向かう。
今日はガブリエル(鶏の名前)も元気いっぱいの声を出していたし、このぶんなら卵の味も期待できそうだ。
何しろうちのガブリエルの産む卵ときたら、もう絶品としか言いようのない味なのだ。
その黄身の濃厚さはまさに極限まで凝縮したうまみの結晶であるし、ハリも艶も申し分ない。あろうことか、白身までもがフルーティーで蠱惑的な香りを持ち、ある種官能的ですらある。
しかも、雌鶏というのは通常一日に一個の卵しか産まないのであるが、ガブリエルは何と前日の夜にとさかを引っ張った分だけ卵を産めるという異能を備えているのだ。三十回引っ張ったらちゃんと三十回卵を産んだ。それ以上は怖くなったのでやっていない。
ともかく、この雌鶏を飼っているということが我が家の最大のステータスであると言っても過言ではない。王国の兵士登用試験に落ちて不貞腐れながら浪人生活を送っている俺とは、比べるのがおこがましいほどの有能な娘なのである。
そんなガブリエルから今日も卵を接収するべく、家の角を回り、裏手に差し掛かる。
俺はへらへらしながら手を挙げて、そして、信じられない光景を見た。
「おーっす、ガブリエル。今日の調子はどうぇえええええええええええええええ!!??」
絶叫した。
なぜかって、そりゃ、鶏小屋以外何にも無いはずの裏手に……
「………………グシュルルルル………………」
……いきなりドラゴンがいたら、そりゃ驚くに決まってる。
「ど、ど、な、な!?」
動揺してパクパクと口を動かす俺と、ドラゴンの金色の目が交錯する。その、残忍な輝き。
ドラゴンという生き物は、神話の時代からこの世界に存在する、圧倒的な力を持った強力な種族だ。
その爪はミスリルすら引き裂き、その牙はアダマントをも砕き、そして口から放たれるブレスは一千度もの高温に達する。
普段は深い山の中に生息して滅多に人里には姿を見せないが、一度現れれば半径5キロ以内の村々を殲滅するまで暴れ回るという、形を持った厄災。
まさしくこの世全ての生き物の支配種族なのである。
(なんでこんなところにドラゴンがいるんだよ!!)
俺は心の中で叫んだ。
たしかに滅多に無いとはいえ人里に下りてくることはあるのだが……。
しかしその滅多が俺の家、しかも俺の目の前でなくてもいいじゃないかバカヤロウ。
死ぬだろこんなの。バカヤロウ。
「…………」
動揺で頭が混乱した俺を、ドラゴンはじっと見つめている。
危険生物であるということはともかく、近くで見れば、その形状はとても美しい。
艶やかな翡翠色の肌が朝日を浴びて輝いており、牙も爪も水晶のような透明感のある質感を備えている。
金色の目にはこの世のどんな宝石でも敵うまいと思えるような煌めきが秘められていた。
全く、安全圏から眺めるのであれば感嘆のため息くらい漏らしてしまっていたかもしれない。
(やばいやばいやばいやばい!!)
しかし残念ながら、ここには俺と、ガブリエルと、このドラゴンしかいない。
こいつの狙いが俺たちであることは確実だ。
それに、家の中には母親がいるのだ。
何とかしてこのドラゴンを遠ざけなければならない。
「くっ……」
俺は意を決してドラゴンから目を逸らし、自分でも信じられないような素早い動きで小屋の扉を開けると、ガブリエルを抱えて持ち上げた。
こけーっなどと叫んで腕の中で暴れるが、今だけは我慢してほしい。
「うおおおおおおお!!」
そして、俺はドラゴンの注目を集めるためにわざと大声を上げてその巨体の周りを全速力で走り、そのまま裏手の林の中に駆け込んだ。
とにかく、今はドラゴンを家から離すことが先決だ。
林の中なら巨体が邪魔して移動速度は落ちるはず。
すぐに追って来るだろうが、その時はその時だ。
最悪、ガブリエルだけでも逃がす。
こいつの命は、俺みたいな穀潰しの何倍も人の役に立つものなのだから。
焦っていたのでガブリエルをきつく抱いてしまっていたことに気付き、そっと力を緩める。
すると、ガブリエルはくるりと首を回して俺を見た。
そのつぶらな黒目の中に、現状への不安を見たような気がした俺は、ガブリエルのとさかを優しくなでる。
「……大丈夫だ。お前は俺が守ってやる」
かっこいい台詞言えたな、と思ったところで、後ろで木々の折れる嫌な音が響いた。
見れば、なぎ倒された木の隙間から件のドラゴンが追ってくるところだった。
腹の底から一気に恐怖感がこみ上げる。
「ぎゃああああああああ」
悲鳴を上げて、限界まで走る速度を速める。
火事場の馬鹿力というやつがきちんと適用されているようでありがたい。
しかし、所詮は人間の限界である。
ドラゴンにとってはお遊びのようなものだろう……。
「ああああ……………ぐぎゃっ!!」
そんなことを考えていたからだろうか、俺はうっかり枝に躓いて盛大に転んだ。
ガブリエルだけは守るために、空中で身を翻して背面から地面に倒れる。
後頭部と背中に激痛が襲い、俺は声にならない声を上げて悶えた。
前から転ぶよりは良かっただろう。
しかし、仰向けになった俺はもう動くことができない。
しかも、その状態で見上げたすぐ先には……
「…………ギシュウウウウウウ…………」
などと牙の隙間から不穏な声を漏らすドラゴンの顔があったのである。予想以上のスピードだ。
(あ、ダメだこれもう絶対無理)
即座に諦めた俺はガブリエルを抱いた腕を開き、彼女を自由にすることにした。
俺が食われている間に頑張って逃げてほしい。
母親は俺とガブリエルを失って悲しむだろうが、お前はまたどこかの家に拾われて幸せに卵を産み続けるがいいさ。
俺は諦めて目を閉じた。
こういう時に人によっては走馬燈を見るらしいが、走馬燈にするほどの思い出も無い俺の目の前は真っ暗である。
感じるのは胸に乗るガブリエルの重さだけ。
うーむ。早く逃げてほしい。
お前が逃げてくれないと俺の犠牲は100パーセント無駄だ。
早く行け。
……ほら早くしろって。
…………早く。
おいこら鳥頭こら!!
俺は我慢できずに目を開けた。
すると、そこには信じられない光景セカンドが広がっていた。
まず、さっきまで目の前にいたはずのドラゴンがいない。
代わりに、何やら桃色の髪を長く垂らした少女が立っている。
少女の目は先ほどのドラゴンと同じ金色で、その目がただひたすらに俺を見つめていた。
ここで「さっきまでのドラゴンはどこに?」などとすっとぼけたことを考える俺ではないので、この少女がドラゴンからの転化体だということはすぐに分かった。
ドラゴンほどの魔力を持った種族となれば容易いことであると聞く。
疑問はなぜ一思いに俺を殺さずに、わざわざ人の姿をとったのか、ということだ。
と、そんなことを考えていた俺の目の前で、少女が口を開いた。
「私、ミアル。ミアル・ミレア・ドラガリオン。
ドラゴン族、ドラガリオン王家の公女よ」
どうやら俺に分かる言葉だったことに安堵しつつ、なぜそんなことをわざわざ言うのだろう、と考えて俺は固まった。
しばらくガブリエルを挟んだ二人の間に無言が流れた後、少女はたまりかねたかのように再び口を開く。
「あの、あなたの名前は?」
「……えっ」
「だから、名前」
「名前? えー、名前は……え。何でそんなこと聞くの?」
「だって、これから交渉しようって相手の名前が分からないとやりづらいじゃない」
「交渉?」
どうやら少し落ち着いた俺は、ガブリエルを抱きながら上体を起こした。
目の前の少女はやきもきした表情を俺に見せている。
こういう場合に出会うのは超がつく美少女だと相場が決まっているのだが、この少女もその例に漏れず超美しさを備えていた。
まあ、だからと言って俺は動揺したりすることはない。
「交渉って?」
言いながら立ち上がる。すると、少女よりも高いところから彼女を見下ろす形になった。
うーむ、ドラゴンの時とはえらい違いだ。
「私、欲しい物があるの」
少女は言いながら俺を指差した。
「……え、俺? いや俺はそんな価値ある人間じゃないよ。生憎だけど、他を当たってくんな」
「勘違いしないでよ。私が欲しいのはその子」
そう言って改めて示された指の先には、俺が大切に腕に抱くガブリエルの姿があった。
「却下!」
俺は叫んだ後、少女の隣を通って帰ろうとした。
すると、後ろから伸びてきた手に襟首を掴まれる。
「ぐにゅう」
我ながら気持ち悪い声が出たな、と思いながら咳き込んで振り返ると、少女は悪びれた様子もなくそこに立っていた。
「何すんだこら」
「話、聞いてくれないから」
「ガブリエルを人にあげる気は無い。こいつは俺たちの家族だ!」
「そこを何とか」
「じゃあお前、自分が代わりに家族を差し出せって言われたらどう思うんだよ」
「その鶏のためならあげてもいいよ」
「いらんわ! なんでそんなにガブリエルに拘るんだ。たしかにこいつの産む卵は最高に美味い、天上の至福とも言える味だが、だからと言ってドラゴンがわざわざ人里に下りてくるほどのものかよ」
「ものなのよ。
実はわたし、今料理の修行で世界を旅してるの」
「??? でもお前、ドラゴン族の公女……ってつまり姫様なんだろ?」
「ええ、そう」
「何で姫様が料理修行で世界を巡るの?」
「それが私の生きる道だからよ」
そう言うと、少女は着ていたマントをバサァ、と翻し、顔を横に傾けてきりりと俺を見た。
「味覚の追求こそが私の全て。そのためならば、どんな障害であろうと乗り越えて見せる」
「テンション上がって来たな」
「究極の味を求めて世界を旅している時、ある国でまさにそれと言えるレシピを見つけたわ。
これが完成すれば、世界中どんな生き物であっても私に傅くことになるであろう、魅惑のレシピ」
「いやそんなことしなくても元々ドラゴンは最強なんだからちょっとその爪振れば皆従うのでは」
「そんな、持って生まれた特質だけに頼るのは私の主義に反する。栄光は自分で掴み取ってこそ価値あるものになるのよ」
「くそ、いいこと言う」
「とにかく、私はそのレシピを完成させるために材料を揃えることにした。黄金コショウの実に、水晶オリーブから搾り取った油、極楽トマトと地獄ピーマン、そしてヒカリニシキ小町米にドラゴンの肉」
「最後いいの? 忌避すべきところじゃないの?」
「そしてとうとう、それらの材料は全て揃った。……残るのは、あと一つ」
そこまで言うと、少女は頰を上気させて興奮の隠せない様子で俺の腕の中のガブリエルをびしぃと指さした。
「そう! そこにいるフェニックスの卵を除いてはね!」
…………え?
「フェニックス?」
「ええ」
「何が?」
「え?」
「だから何がフェニックス?」
「その子」
少女の指は、ずっとガブリエルを示している。
「いやいや、こいつはただの雌鶏だよ。
そりゃ、ちょっと変わったところはあるけど」
「とさかは水色、体色は赤色、尾羽は虹色、生まれる卵は黄金色なのに、
『ただの』って言い張るのは逆にすごいと思うよ」
「……え、マジでフェニックスなの? こいつ」
馬鹿な。
フェニックスと言えば、この世で最も美しく、また非常に個体数が少ないために出会うだけでもその人生は幸福だったと決定できてしまうようなまさに伝説上の生き物だというのに、それがずっと家の裏手にいただなんて。
「……いや、おかしい! 聞くところによると、フェニックスの卵は食べたものを不老にする効能があるそうだが、俺は生まれた時から食べているのに元気にすくすくと育ったぞ!」
「それはそうでしょ。不老になるのは成長期が終わってからの話だもん。
あなたの家、親御さんはどう?
妙に若かったりするんじゃないの?」
少女の言葉に、俺ははっとなって母親の姿を思い浮かべた。
たしかに、今年で50だというのに見た目はいつまでも20代の若々しさのままだ。
何ということだ、いつの間にか人間を半歩ほど飛び出してしまっていたとは。
「ちなみに、フェニックスの卵には不老だけじゃなく不死になる効果もあるのよ。
あなたも成長が止まった後はそのまま死なないんじゃないかしら」
「!?」
何ということだ、いつの間にか人間をやめてしまっていたとは。
「でも私にはどうでもいい話だから」
ドラゴンの少女はそう言ってガブリエルに視線を戻す
「とにかく、そのフェニックスの卵があれば究極のレシピ……『不老不死風オムライス』が完成するの! お願い! 譲って!」
「…………はあ…………分かったよ、もう……。てか卵しか要らないならもう家で作って行けよ……」
「本当!? ありがとう!」
こうしてドラゴンガールと一緒に家に帰った俺は彼女の振舞ってくれたオムライスを食べたが、レシピに抜けがあったようで盛大にまずかった。
そして何の因果か、納得がいかない彼女の料理修行に一緒に付き合わされることになったのだった。
もちろん、ガブリエルを抱えて。
おわり