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【箱】短編

知られざる最悪に最高な英雄

作者: FRIDAY

 時刻は深夜を回っている。


 バーカウンターに男が一人で座っていた。他にはマスターがグラスを拭いているだけで、店内に客は男だけだ。

 男は前に置かれたグラスに手を付けるでもなく、頬杖をついて中空ちゅうくうを眺めていた。

 入店してからずっとそうしている。


 と、緩やかに店内に流れていたジャズに、他の音が混ざった。

 戸の押し開けられる音と、誰かの入ってくる足音だ。


 マスターは入店者に静かに会釈し、男は特に反応を返さない。

 足音は、立ち止まらずまっすぐに続き、淀みない流れのままに男の隣の椅子が引かれた。

「――久し振りね」


 男の隣に座ったのは、女だった。女はマスターに片手を上げて見せ、マスターは一つ頷くと用意にかかる。

 男は一切の反応を返さなかったが、女は構わず、

「いつ以来かしらね。最後に会ったのは、確か終戦の少し前だった?」

「……そうだな」


 視線も顔も動かさないまま、しかし男は言葉を返した。対して女は妖艶に微笑み、

「ん、元気そうで何よりだわ。仕事の調子はどう?」

「そう見えるなら俺もまだまだだな。仕事? 悪くはない」


 答えて、視線だけ女に向ける。そっちは? と問う視線だ。女は軽く肩を竦め、

「私は引退するわ。最後に最高に面白い仕事ができたわけだし。――金にはならなかったけどね」

 そうか、と男は短く答えた。マスターが女のグラスを運んでくる。受け取った女が軽くグラスを持ち上げてきたので、仕方なく、といった風に男もグラスを上げ、カチン、と小さく打ち合わせる。


「それで、隠居するのか?」

「まあね。後始末がやっと終わったところでさ。これからはまあ、庭でもいじりながら余生を生きるよ」

 そうか、とまた男は素っ気なく返す。それ以上訊いたところで女は答えないと知っているからだ。


「それじゃあ、もう会うこともないわけだな」

「そうよ。残念?」


 悪戯っぽく笑みながら言う女に、男はそこで初めて明確な情感を込めて、

「まさか」


 あは、と女は楽しげに笑った。

 そして、グラスの中身を一息に呷ると一万円札を置いて立ち上がる。


「もう行くのか?」

「ええ。ここには近くまで来たからちょっと寄っただけでね。待ち合わせしてるのよ」

「へえ。男か?」

「まさか。トモダチよ」

 ト・モ・ダ・チ、とウインクまで添えた女に、男は嘘くさいと苦笑する。


「それじゃ、縁があったらまた会いましょう、Mon Meilleur Ami 」

「縁がないことを祈るよ、Femme Fatale」

 満面に笑い、軽く手を振って、女は堂々と店を出ていった。

 店内には、再び静寂が戻る。


「――Femme Fatale」

 男が、ふと呟いた。


「先の大戦が終わった理由、知ってるか?」

 いかにもどうでもよさそうに言う男に、マスターはグラスを拭きつつ肩をすくめて答えた。


 大戦。大国二国が争い世界を二分した戦争。長期化し泥沼化し、妥協点すら見えず惰性で続き、甚大な被害をただ拡大することしかできなかった大戦が終結したのが、つい半年前のこと。

 表向き、終結の理由は筆頭二国による講和条約の締結とされているが、実際はそんな平和なものではなかった。それを男は知っていた。


「戦後、戦犯として両国の政治家はほぼ全員が世代交代したんだけどな。あれは、実は終戦より前だったんだよ」

 前後が逆。つまり首謀陣が総失脚したがために、終戦せざるを得なくなった。彼らの失脚により非戦派が台頭し、講和に至る。


「でも、タイミングが良すぎるだろう? 両国のトップ陣が同時に落ちていったんだから」

 それは意図的な、仕組まれたものだ。しかし、

「それが無所属の、それもたった一人の女に仕組まれただなんて、誰が思うって」


 一人の女がいた。女はスパイだった。両国間のみならず世界中を暗躍していた女は、あるとき不意に言う。


 飽きたわ戦争、と。


 あらゆる全てを裏切り、騙し、利用し、落とし、持ち上げ、回し。

 十年以上続いた人類最悪の戦争は、たった一人の女の掌の上で幕を閉じた。


「世界中が疲弊ひへいしきった。巻き込まれない国はなかったからな。少なくとも向こう十年は戦争も起きないだろう……しかし」

 グラスの中身を揺らし、男は小さく笑う。

「とんでもない女だよ。気分で戦争終わらせやがった。それもたった半年で……五体満足に」


 飄々ひょうひょうと、いかにも余裕な顔をしていたが、一体何をどうすれば、どれだけの修羅場を抜ければそんな芸当ができるというのか。

 男にはとても想像できるものではない。

 マスターは静かにグラスを拭き続ける。


「それぞれの国じゃあ、講和条約結んだ非戦派の若手政治家を英雄として祭り上げちゃいるけどな」

 なんのことはない、と男は、女がそうしたようにグラスの中身を一息にあおり、言った。

「あの女が、本当の――最悪に最高な、英雄さ」


時空モノガタリと重複投稿。

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