奇妙な客
店に入ってきた時から、その客の様子は異様だった。
真っ黒なコートに、同じく黒のシルクハット。黒のペストマスクを付けているせいで、顔は全く見えない。何かのコスプレだろうか。そうだとしても、深夜のコンビニにこの格好で現れると、最早不審者の域だ。
ペストマスクの男は商品を物色する訳でもなく、ただ入口の前に突っ立っている。それがまた不審人物感を煽っていた。
このままでは、他の客の迷惑になるかもしれない。そう思って、僕は恐る恐る彼に声を掛けた。
「あの、お客様。何かお探しでしょうか?」
在り来りな言葉を発しただけなのに、声が少し震えた。背中にはじっとりと冷や汗が滲んでいる。幸か不幸か、僕は常に無表情らしいので、表情自体は変わっていないだろうが。
男は、ゆらりと長身をひねった。マスクのくちばしが顔に当たりそうになり、慌てて一歩後ろに下がる。
彼は何も言わなかった。正面に来ると、改めてその異様さをひしひしと感じる。男はコートのポケットに手を突っ込み、黒革の手袋をはめた手で、器用に小さな紙を広げた。その紙には、丁寧な文字が並んでいる。
『お前がそうか』
文字の意味が全く理解出来ず、僕は全身を強張らせた。男はその紙をポケットにしまい、そこからまた別の紙を取り出した。
『というより、この場所にいる全員か』
彼は店内を見回すこともせず、僕の方をじっと見つめている。マスクの奥の瞳は、見えなくても僕を威圧しているようだった。
「あの、お客様……? 一体何のことを……」
しかし、僕は最後まで言い切ることが出来なかった。眼前の男が、懐から何の躊躇いもなく拳銃を取り出したからだ。
思わず、ひっ! と情けない声が漏れる。凶器を持つ男を見た客やら店員やらが一斉に悲鳴を上げ、深夜のコンビニは一瞬にして蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
パンッ、と一発の銃声。店内は水を打ったように静まり返った。その中でドサリ、という鈍い音が響き、僕は恐る恐る振り返った。そこには、レジに突っ伏すようにして倒れている同僚の姿があった。白いはずのレジがみるみるうちに赤い液体に染まっていく。僕の頭は麻痺したように動かなかった。
「け、けけけ警察っ! いや、救急し……」
パン、と再度乾いた銃声。壊れたように叫んでいた女性客の声が途切れ、その額に赤い風穴が空く。
彼女は後ろに脳漿をぶちまけ、仰向けに床に転がった。店内は再びパニックに包まれ、悲鳴と嗚咽がこだまする。
――どうしてこんなことになっている?
答えは出ない。とりあえず警察に通報を、とレジに駆け込む間にも、銃声は途切れることなくリズミカルに響いている。店内がどんな状況か、今は想像もしたくない。
震える指で一一〇番を押し、携帯を耳に押し当てる。その冷たい感触で少し冷静になれた。
電話はなかなか通じない。早く、早くしてくれ――――!
その念が通じたのか、電話はようやく繋がった。
「あの、もしもし!? 今店内に……」
『お掛けになった電話番号は、現在使われておりません』
無情な宣告と共に、ブツリと電話が切れる。目の前が真っ白になる感覚に襲われた。
――使われていない? そんな訳ないだろ!
叫びたい衝動にかられた時、背後でピチャッ、という音がした。
背筋に悪寒が走る。僕は機械じみた動きで振り返った。
目の前で光る死の穴。避ける暇などあるはずがない。
パン、という例によって乾いた音。不思議と痛みはなかった。
後頭部から何かが噴き出すような、通常感じることはないはずの感覚。視界が端から暗黒に塗り潰されていき、僕は――
***
静寂を取り戻した店内は薄暗く、やけに鉄臭かった。闇色のコートを纏ったペストマスクの男は、汚れていない左手をコートのポケットに突っ込んだ。
がさごそと何かを探し回るようにあさり、お目当てのものを見つけたのか手を引き抜く。代わりに右手の拳銃を懐にしまい、彼はようやく辺りを見回した。
店内は赤黒い液体で染まっている。清潔そうな床の面影は何処にもない。そして彼以外、動く人影もなかった。
「はははっ、また派手にやったモンだねえ。その仕事ぶりには感心するよ」
ガラス張りのドアを押し開け、若い男が店内に入ってくる。逆立てた髪を赤く染め、金色の瞳で物珍しそうに店内を見回していた。
ペストマスクの男は、先程しまったばかりの拳銃を取り出し、何の躊躇もなく若い男に向けて発砲した。
「わあお、危ないだろ。その誰でも撃つ癖は治したほうがいいと思うなあ」
彼の額にも風穴が空くかと思われたが、赤毛の男はひょいと首をひねって銃弾をかわした。常人には考えられない動きだ。
「え、なになに? 『何か言われる前に始末するから問題ない』? ちょっと待って、いくら俺でも銃弾は痛いからね!? え? 『それくらい避けろ』? なら銃弾の無駄遣いはやめなよ!!」
赤毛の男は堪らないとでも言いたげに商品を陳列している棚に飛び乗った。マスクの男は呆れたように拳銃を懐にしまいなおす。一見独り言のようだが、マスクの男はメモを差し出すことで赤毛の男と会話しているのだ。
「ああ良かった。撃たれるのは本当に痛いんだからね! 全く……どうして君はそんなに乱暴なのかなあ。こんなになるまでしなくていいだろうに」
店内の惨状を嘆くように、赤毛の男が盛大に溜息をつく。
『安心しろ、一発ずつしか使っていない』
「それでも問題だと思うなあ。わざわざ直々に手をくださなくてもいいのに」
『それが仕事だ。嫌ならついてくるな』
「冷たいねえ。俺は単純に心配してるんだよ。いつか君が狩られるんじゃないかって。まあそうなったら――俺が全部食べてやるけど」
金色の瞳がすっと冷気を帯びる。だが、それには構わずにマスクの男は店を出て行った。
「ええ!? 今のスルー!? 冷たすぎない!? おにいちゃん、泣いちゃうよ!!」
赤毛の男は慌てて商品棚から飛び降り、マスクの男のあとを追った。
真紅の海に溺れた店は、二度と賑わうことはなかった。