プロローグ『プロの社畜、悩む』
『社畜』
それは現代社会において企業に飼い慣らされた尊厳のない奴隷。残業を強いられかつその分の給料がもらえないという過酷な人生を余儀なくされた社会人の総称である。
俺は斉藤勇一。現代では当たり前のようにいる転職したいしたいと嘆きながら上司に辞表を叩きつけられない二十五歳残念サラリーマンだ。好きなものは弊社。彼女はエナジードリンク。一週間会社に住むのもよくあることから同僚たちに『プロの社畜』という称号をもらっている。以後、よろしく。
「また今日も残業か……まぁでも昨日みたく浅木さんに書類を投げつけられなかっただけマシっちゃマシか」
『浅木さん』というのは上司だ。よく聞くブラック企業あるあるな上司のイメージ像を具現化した人間。そうまさに嫌なヤツ!これに尽きる。気に入らないことがあればすぐ八つ当たり、とばっちり。昨日なんて浅木さんの指示に従って直したのに違うだの直せだので書類を投げつけられた。もうウンザリだった。でもあの人、昔野球やってたっていってたよな。なるほど、それで書類を投げるフォームがキレイすぎたわけだ。
――ああ、そろそろ有給が欲しいな。
しかし、モノは慣れとはよく言ったものでこの身体はすっかり家畜も同然になってしまった。要するに慣れた。この毎日に。その毎日にウンザリしているのは本当であり、それと同等に――いやそれ以上にと言っていいほどウンザリしている事がある。実はこのウンザリはブラック企業うんぬん以前の問題なのだ。
最大にして最悪な問題。俺の悩みにして回避できないイベント。
「今日も昨日と同じようにトイレでクソして寝るか」
明日も今日と同じ、明後日も明日と同じ。そんな代り映えのしない毎日が続くのだからすぐ寝てしまっても構いやしないだろう。特に趣味があるわけでもなければ見たいものがあるというわけでもない。隣の席の同期にいい加減趣味の一つや二つ作れとすすめられ早数年経とうとしているわけだが。
「やめだやめだ。こんなこと考えるのはやめてしまおう」
用を済ませた後備え付けの手洗い場で手を洗いタオルで手を拭く。さっきスマートフォンで確認した時はもう二十六時、つまり深夜の二時だ。シャワーは朝に回して寝よう。明日の朝飯もいつもの牛丼屋で朝の定食セット。少しだけ豪華にして味噌汁を豚汁に変更しよう。そして、そして。
なぜか、ドアを開けたら日差しが入ってきた。
――いや、なんでだよ。
考えてゼロコンマゴビョウ。頭が真っ白になるより先に本能がドアを勢いよく閉めた。勢いよく閉められたドアからものスゴい音がしたがぶっちゃけ今は関係ない。と、いうより終電逃した残業帰りのサラリーマンは何も考えたくはないです。
簡潔に説明すると『トイレから出ようとドアを開けたら街と噴水が出迎えていた』。何を言ってるかわかってもらえないかもしれないが、俺もちょっとばかしわからない。残業のせいだ。とりあえず、便器に座り直し頭を抱えだす。このまま寝落ちして朝になり夢オチという流れなら大変素晴らしい花丸満点もらえるはずだがこの『強制イベント』からは逃れられないのは自分が一番よく分かっていた。
「『また』この強制イベントかよ……ほんとマジ勘弁してください……西洋の街並みとかなんだよジャンヌダルクでも来るのかよ……切実に願うわ。寝させて」
心当たりが大ありなせいで観念してもしきれない斉藤勇一は再びドアを開け閉めする。だが景色に何の変化もなく眩しい日差しが差し込むだけだ。あるとすれば……目の前の噴水が最初にドアを開けた時より高く噴き上がっているということくらいだった。
そう、これが彼の最大の悩みである社畜の毎日以上に『ウンザリしている事』であった。