魔法少女と反逆
マガツ機関中央センター管制室には五人の姿があった。
四人はオペレート専門の職員であり、男女二人ずつの計四人がぴりっとした表情でデスクに着いている。
雰囲気に緊張感があるのはマガツ機関所長である神木夜代が最上段の司令席にいたからである。機関で最も高い地位にいる人物がいれば、自然と彼らの気も引き締まるというものだ。
司令席という場所に座ってはいるが、実際に彼が指示を飛ばすようなことはない。異常がないか見ているだけのお目付け役であり、お飾りのようなものである。
彼の本業はあくまで研究者。マガツ機関の所長である。
「異常はなさそうだねぇ」
彼がそう言う時は、もうすぐこの場を離れるの合図だ。今日も何事も無く一日が過ぎていく。
「あ、所長。この間北欧の学術機関に提出した超光速による通信理論を可能とする演算処理の新方程式で、計算式の途中でこんな処理をするとは何事だってあちこちから言われてますけど……」
夜代の右手側にいる二人の女性の内、二層に分かれたオペレータールームの最下層にいるメガネを掛けた女性が報告していた。
彼女の目の前の何もない空間に各所からの連絡が溜まったメールボックスを映したディスプレイが現れると、その画面の端を指でピンと弾いた。
弾かれた勢いで空中ディスプレイは管制室内を飛び、所長の手元に収まったが、彼は数々のメールに目を通すことなく大きく息を吐いた。
「やはり魔術式を数学的化学式に変換しても普通の人には受け入れられないか。そもそも超高速通信を可能にするためには光子を自在に操るスペシャライザーが必要になるから端から実現不可能なこととは言え机上の空論くらいは童心に返って素直な心で見てくれないものかね。文句を言っても仕方ない、返信はしなくていいよ、代わりに君たちちょっとこの論文じっくり読んでみてくれすごく面白いんだよ」
彼が言うと仕事中の四人の前に夜代の記した超光速理論についての文書を映したディスプレイがパッと開いた。
「所長……」
「仕事の邪魔しないでもらえますか?」
左手側にいた男二人が口を揃えると、夜代は不服そうに口を尖らせて立ち上がった。
唯一画面を読んで笑っていたのは、メガネの女性の上の席にいる長髪の女性だった。
「美香さん、仕事中ですよ」
「お堅いこと言いっこなしよ、みこちゃん」
美香の場合は論文に興味が有るわけではなく、それを読んでいるだけで退屈な仕事の時間を潰せるなら幸いと考えてのことだ。論文を読みたい気持ちなら、みこと愛称を付けられている美弥子にもあった。
「所長はお出かけですか?」
メールの映ったディスプレイを丸めてホログラムのゴミ箱に投げ捨てた夜代がどこかに行く気配を感じ取り、二層目にいた武が声を掛けた。
「ああ。そろそろ連絡をしないと怒られる」
「彼女ですか?」
武の下に席を持つ誠の冷やかすかのような台詞に小さく笑った夜代は、
「だといいんだけどね」
とだけ返した。
「……あれ?」
話を終えたところで自席のモニターに向かった武はふと疑問を感じて声を上げた。
「どうかしたか?」
下にいる誠が訊ねると、武はキーボードを弾く。すると管制室の正面にあるモニターの一つに武が見ていた画面が映り、二人はそれに注視した。
何かあったのかと思い、夜代も外へ向かう足を止め、その画面へと目を向けた。
「いや、魔道研の地階へのドアがロックされてるみたいで……センターの入口もだ」
「誤動作か? 情報回線の乱れか?」
武は尚もキーボードを叩き、状況の確認を急ぐ。
マガツ機関にある施設状態の監視を武が担当している。誠は施設外の情報収集や解析を担当しているが、様子がおかしいことを感じ武と共に施設監視の作業を担うことにした。
「あら? 所長ちょっといいですか」
論文を読みながら片手間に仕事をしていた美香までもが声を上げる。
「全職員に向けて所属センターの地下施設に行くよう指示が飛んでたみたいですけど……出した覚えありませんよね」
「そんな指示を出していないのは君が一番知っているだろ?」
夜代が言い、ですよね、と美香が頷いた。
彼女は全施設の情報伝達を円滑に行うための中継役だ。全ての情報のやりとりは一旦ここに集積され、ここから発信されていく。
緊急の連絡事項がある場合は中継せずに直接部門間でのやりとりも行われるが、その時でも情報のやりとりがあったというデータは必ず彼女の元へ送られる。
隣の監視班が騒がしくなったために自分の元でも魔道研に少し探りを入れたところ、その痕跡を見つけることができた。
「情報の取得をされないよう隠蔽工作をされて送られてますね。何でそんなことを」
外部の組織の情報集積や発信を主として担当している美弥子も不審に思い、内部の情報解析を急いだ。
「中央から魔道研へ。中央から魔道研へ! ……通じません」
「まったくもう! 回線が遮断されてるじゃないの!」
「エネ研と技研も入り口がロックされました!」
「どうなってるんだよったく!」
正面のモニターにはマガツ機関がある人工島を上空から見下ろした3Dマップが表示され、幾つもある建物が非常事態を示すように赤く染まっていく。
にわかに喧騒に包まれアラームが鳴り響く管制室の中で、夜代だけは静かに目を閉じていた。
「回線の復旧は?」
「やってるけど、有線は物理的に切断されてるみたい! 無線はジャミングされてる」
「ロック解除はできないのか!?」
「ダメだ、プログラムが根こそぎ書き換えられ……突破するにはかなり時間が必要だ」
「冗談じゃないぞ。誰がこんな、混乱を招くような真似を……!」
「落ち着き給え!!」
怒号。
普段は大きな声を上げることのない組織のトップが叫んだことで、浮足立ちかけていた四人の手は止まり、司令席を見上げていた。
「スペシャライザーへの個別回線は通じないのかい?」
「……やってみます」
「通じなくても復旧を試みてくれ」
「はい」
美香は己の席に向かい、高速で指を動かしモニターに流れる文字の羅列を目で追い続けた。
「外の様子は見れるかい?」
「あ、ああ……はい!」
武がキーボードを叩くと、正面モニターの3Dマップの上に新たに外の様子を映す監視カメラの映像が何十にも映し出された。
「人の姿は?」
「ありませんね」
「まだ外にいる人がいるかもしれない。全島放送で呼びかけて建物には近づかないこと、開けたところで身の安全を確保するよう伝えてくれ」
「はい!」
慌てることはない。いつかこういう日が来ることは想定していた。
取り乱さぬ所長の態度に、その場の四人も平静を取り戻し始めていた。
だがそれを打ち破るように、モニターに乱入してくる映像があった。
『外の心配はしなくて結構ですよ。もう全員施設内に隔離していますから。スペシャライザーも含めて、ね』
「部長!?」
モニターを見ていたオペレーター四人は全員驚きの声を上げた。この現場に外から介入することができ、状況を把握しているような口ぶりは、全てを語らずとも彼ら四人にも理解はできた。
「宇多川くん……やはり君か」
『フハハ、まるでこうなることを予見していたかのような言い方ですね、先輩』
「していたさ。君が良からぬことを企んでいることくらいは」
『なのに何もせずに僕を泳がせていたんですか? ただの強がりじゃないんですかぁ?』
そう言われても、夜代は不敵に笑っているだけであった。
『……いいですね、その顔。僕の憧れていた貴方はそうじゃないと』
宇多川健二もニヤリとする。その顔は、所長の彼とは似ても似つかない、暗い闇を瞳に湛えたものだった。
『さっき言ったように外にはもう職員はいません。外を自由に動けるのは僕を含め魔道研の腹心の一部と、彼女たちだけです』
彼の言葉が終わると同時に、正面モニターに映る映像が外の景色に切り替わった。
マガツ機関各所に設置された監視カメラに捉えられたのは、灰色の髪とワンピースを着た少女たちであった。
「あれは……」
『表情が変わりましたよ、先輩。貴方らしくもない』
再びモニターが切り替わり、健二の顔が現れた。その顔を、神木夜代は鋭い視線でメガネ越しに睨みつけていた。
「所長、あの子たちは……?」
「スペシャライザーじゃありませんよね?」
誠と美弥子が問いかける。その疑問に、夜代は重々しい口調で応えるのだった。
「あの子たちは……人造魔法少女。マガツ機関の前身たる組織が行っていた、人の命を弄ぶ禁忌の研究の一つだ」
「人造……」
「そんな研究が、されていたなんて」
武と美香、勿論他の二人のオペレーターも知らないことである。
「あの研究に関わる資料は僕がこの手で全て処分した。それを、君は……」
『ご想像の通り、あの研究は僕が引き継いで量産までこぎつけました。いやぁ、素晴らしい! こんな素晴らしい研究を途中で投げ出すだなんて、僕の憧れた先輩ならそんなことはしませんよ!』
「あれは研究などではない! 魔法少女、スペシャライザー……彼らの人格や人権を踏みにじる人体実験、人を人と思わぬただの残忍な、殺戮だった」
悔いるように歯を噛み締めて告げる、そんな所長の姿をオペレーターたちは初めて目にしていた。
『……やはり変わりましたね、貴方は。研究のためなら嬉々として実験や実践を繰り返したのに。多くの魔獣や魔法少女を一緒に切り刻んだというのに』
「恥ずべき行為だったよ。償おうと思っても償いきれるものではない。だから僕は二度と間違いを犯さぬようマガツ機関の所長となった」
「残念ですよ。本当に」
その声と共に夜代の背後に位置していた扉が開き、銃声が鳴り響いた。




