魔法少女とマガツ機関
ひんやりとした感触が頬を伝い、その刺激が微睡みに落ちていた四之宮花梨の意識を覚醒させた。
「……」
頭が重い。
両手をひんやりとした床に付いて上体を起こした花梨は、そのままの姿勢でしばらく静止していた。
寝起きは良くない。寧ろ悪い。友人である音無彩女とは正反対である。
いつもなら目が覚めて五分以上は動かずに頭と体が起きるのを待つのだが、目覚めてから頭の片隅にある混濁した記憶のしこりが彼女に起きろと命じていた。
昨日はボランティア倶楽部の面々と別れ、家路についた。
夕飯は何を食べたかしら……コーヒーしか飲んでいないわね。
そう、家に着いていなかった。着く前に呼び止められ、そこで意識はぷっつりと途切れていた。
「……」
頭が重いのは寝起きのせいだけではない。全身を激しい衝撃が貫いて気を失った覚えがある。その記憶は頭だけでなく、体にも刻まれている。だから体の調子がよろしくないのだ。
「……」
大体の自分の状態が理解できてきたところで、ようやく顔を上げて周囲を見回した。
そこは白一色に染められた空間。
彼女が横たわっていた床も、円形に広がる壁も、扉も、ドーム状の天井も、距離感が掴めなくなりそうになる白だけの世界。
唯一、壁やドームにあるいくつかの窓らしき丸い穴が、その空間で染みのように存在していた。
「よっこいせと」
ゆっくりと立ち上がってから、その空間を探るように壁に近付き、壁に添って歩き始めた。
歩きながら、自分のカバンがないことに気付いた。
盗まれちゃったかしら? 貴重品は薄いお財布しか入れてなかったけれど
他の貴重品は、全て制服に忍ばせてある。
制服の左ポケットに携帯電話。折りたたみ式の携帯を開いてみるが、電波状況を示すアンテナは一本も立っていない。圏外である。
そこは予想していたのか、特に慌てもせずに携帯電話をポケットに仕舞う。
そしてもう一つの貴重品、トランプの束は胸ポケットにあった。盗まれてはいない。
あたしの正体を知って監禁しているのなら、これを取り上げないはずはないけれど。
「あるいは取り上げる必要がなかった……」
壁際を歩いていた花梨は扉の前に辿り着いた。その形状から、左右にスライドして開くのだろうが、扉の前に立ってもうんともすんとも反応しない。
やはり閉じ込めることが目的だったのだろうか。だとしたら、戦闘力になるトランプをそのままにしておくのは腑に落ちない。
最後に窓を確認したが、何も見えなかった。向こう側が窺えないようにマジックミラーになっているのかもしれない。
何もできないと観念した花梨は元いた場所、白いドームの中央へと歩み戻った。
胸のトランプを使えば脱出できるだろうかとも考えたが、その思いに反してカードの束は未だに沈黙していた。
ここまで反応がないと、四枚のエースの特性を引き出してその身に宿すちょっとした強化術も使えない。
以前廃工場で後輩の身を守った堅牢の力や、公園に駆けつけた神速の動きも使うことができない。
使えたとしても、この空間から脱するには力不足の感は否めずにいたが。
「やれやれ。あたしなんかを閉じ込めて何がしたいんでしょうね……マガツ機関は」
花梨はこの監禁の当事者が誰なのか、昨日声を掛けてきたのが誰なのかはっきりと思い出していた。
そしてその人物が現在所属している機関ならば、これ程大きな牢屋をこしらえることも可能だろうと考えた。
彼女の問いに答えるかのように、出入り口である扉が左右に開いた。
カツンカツンと足を鳴らして現れたのは、昨夜花梨に声を掛けた少女であった。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おかげさまで。最悪の目覚めよ」
皮肉を込めた花梨の言葉をくすくすと嗤って受け止めたのは、マガツ機関に所属する魔法少女の一人、九条玲奈……今は飛甲翔女レヴァテイン・カスタムであった。
彼女が白の空間に入室すると、その背後にある扉は再び閉ざされた。
「何か御用かしら? 乱暴な招待でもあたしは広い心で応じてあげるわよ」
「ふふ。随分と余裕がおありなんですね。これから何をするか分かっていらして?」
「昔話に花を咲かせるなら喜んで。随分と久しぶりですもの」
「私も語らいたいと思ってましたの。貴女と二人っきりで」
「監視されながらじゃあ内緒話はできないわね」
「んふふ……何も言葉だけが語らいの手段ではありませんことよ」
「あら。まるでアヤメみたいなことを言うのね」
「ええ。アヤメさんのお誕生日の日の朝に拳で語り合いましたから」
「はあ……あのバカ、そんなこと一言も聞いてないわよ」
誕生日パーティに遅刻してきたのはそういうことか、と納得すると同時に、何をしでかせば九条さんと殴り合いに発展するのか、と理解できずに頭を抱える仕草をしてみせた。
その様子を見ながら、九条玲奈はくすくすと面白そうに笑みを零した。
「バカバカ言うとアヤメさんが怒りますわよ?」
「いいのよ。本当のことですもの」
それを聞いて、玲奈は感嘆の溜め息をはぁと漏らした。
「仲が……よろしいんですのね」
「腐れ縁よ。あの時からの」
花梨は二年前の十二月、大戦の日のことを思い出してそう言った。彼女の中で、音無彩女との切っても切れない関係が芽生えたのはあの日だと思っていた。
だが玲奈は違う。彼女が思い浮かべたのは二年前の一月元日、初めて玲奈と彩女と花梨が顔を合わせた日のことだった。
「そうですわね……あの時から全てが狂いましたものね」
表情を翳らせた玲奈の右手に出現したのは蒼槍レーヴァ。凶器を携え、玲奈は歩み寄ってくる。
「貴女のおかげで何もかも壊れた。私の想いもあの方との関係も貴女がぜーんぶ私から掠め取っていった」
「……正気なの?」
「ええ。私は私の意志で貴女を殺そうと決めたのですわ」
「とてもそうは見えないけどね」
鼻で笑った花梨は自らの胸を指でとんとんと示した。
「仮にその気持ちが本物だとして、ここで何をしようっていうのかしら」
「白いキャンバスを朱で彩ろうかと」
自身の飛翔能力にウィングラックのブーストを掛け合わせた音速を容易く超える速度で斬りつけていた。
「……やはり抵抗なさいますか」
レーヴァによる斬撃を受け止めていたのは、花梨が指に挟んだ一枚のトランプだった。
堅牢を表すスペードのエースが、ぎりぎりと迫る刃を顔の横で防いでいた。
「残念ね。いいお友達でいられると思ったのに」
「貴女のことは友人として好きですわよ。ですから死んでください……」
力任せにレーヴァを振り抜いたことにより、二人の体は弾かれて間合いが開いた。
「……私とアヤメさんのために」
九条玲奈の声で言い放つ魔法少女の顔は嬉しそうに嗤っていた。そこに花梨は、やはり彼女の意志を感じられないでいた。
「いいわ。貴女に何があったのか、あたしが暴いてあげましょう」
「何を仰っているのかしら?」
「タネを隠すだけがマジシャンの得意分野じゃないってことよ」
花梨の左手には袖に仕込んでいたトランプの束が収まっていた。使い手の身の危険を察知したトランプには既に力が満ちていた。
「ドロー」
スペードを戻した束から再び一枚のトランプを抜き出した。それは、ハートのエース。
「イッツ……ショウタイム」
火炎を纏った花梨が火柱を斬り裂いて姿を現す。
灼熱色のツインテール、赤いマフラーを身に着けたミニスカートのディーラー服。そしてレヴァテインの持つ槍よりもリーチのある大鎌を右手に携えて。
包帯と鎖の巻きついた左腕だけが、その衣装の中で異質な存在感を醸し出していた。
「そう……そのフォーム」
マジシャンズエースのハートフォームを目にしたレヴァテインは一層口の端を釣り上げた。
「疾さとマフラーがアヤメさんを思わせて思わせて……」
自分の肩を抱き体を震わせるレヴァテインの様子に、マジシャンズエースは微かに寒いものを覚えた。
「不愉快で不愉快でまず這いつくばらせるならその姿からだと思ってましたの!」
歓喜と期待に打ち震えていた飛甲翔女が槍を構えて突貫してくる。
狂喜に歪んだ顔を冷静に見据えた奇術師の鎌が、槍の切っ先を受け止める。そのまま鎌を大きく振り回すと、下から掬い上げるように斬撃を放つ。
鎌は玲奈の髪の毛を僅かに刈り取ったのみだった。上空へと舞って攻撃を回避したレヴァテインは落下することなく滞空している。
大鎌をマジックに使うステッキのように高速で回転させて再び手にした時、鎌は槍へと形状を換えていた。
「――ふッ」
上半身を振り絞り投擲された槍は宙に浮くレヴァテイン目掛けて真っ直ぐに突き進んだ。
体の芯を完璧に捉えるが故に、レヴァテインが僅かに体を捻るだけで槍は外れ、ドームの天辺に突き刺さった。
「本気の一撃、素敵ですわね」
「手加減するほど見くびってはいないわ」
ぺろりと舌舐めずりするレヴァテインへ答えた。
彼女は正気ではないが、その気迫は正真正銘本物である。実力を知っているため、手を抜くなどできるはずがないのだ。
「スカーフ!」
レヴァテインがマジシャンズエースへ手をかざす。呼応して背部のウィングラックに格納されていた四基の自律兵器が展開され、奇術師へ飛びかかる。
「……機動兵器」
その動きを冷静に目で追った。上方に二基、左右に一基ずつ。彼女を向く機動兵器の先端がカッと光った瞬間、その場を飛び退いた。
直後に爆炎が巻き起こる床。彼女が立っていた場所へ四条の光線が降り注いだのだ。
砲撃を回避したが息つく間もなくスカーフがマジシャンを追い立てる。
機動兵器は小さく小回りが利く。しかも自由自在に動き回る。
動きは見えるし、見てからかわせる。
「っちィ!」
しかし連携して砲撃を放たれれば、かなり際どい身のこなしを要求される。
十字砲火に肌を微かに焼きながら、魔法少女は無傷の床を駆け回った。
「手足を撃ち抜いて動きを止めるだけにしますから、下手に動き回らないでいただけます? 誤って大事なところを撃ち抜いてしまうかもしれませんわよ」
「……心配どうも」
為す術もなく逃げる奇術師をいたく満足気に見下していた飛甲翔女だったが、違和感を覚え表情を変えた。
壁に添って高速で走り抜けていた赤髪の少女の足が少しずつ床から離れ、宙を浮いたのだ。
驚異的な速力を活かして重力に逆らい、壁を走りドームを駆け上がっている。
ドーム内に螺旋を刻み目指すは天井に突き立てた己の得物。
「フンッ」
槍を引き抜き、宙に踊り出る。
「空中では!」
レヴァテインはほくそ笑んだ。槍を振りかぶり天井から迫り来るマジシャンズエースはもう重力に逆らうことはできない。
四方から狙いを定めたスカーフが放つビームは、奇術師の両手両足を正確に捉え……弾かれた。
「っつう!」
高速で振るわれた腕に握られた槍は鎌へと姿を戻し、刃の面積を巧みに利用して全ての光を弾き飛ばしたのだ。
刃の勢いは止まることなくレヴァテインに振り下ろされ、鼻先まで迫った鎌の切っ先を蒼槍レーヴァが辛うじて受け留めていた。
「墜ちろ」
神速の力を得ている魔法少女の一撃がレヴァテインを地へ落とす。
刃を交錯させたまま床へ叩きつけられるのを、ウィングラックの浮力を大きく噴かせて拒絶する。
「くぅ……!」
「立場が入れ替わったな。次は私が上だ」
替わったのは表情もである。先程まで相手を見下していたレヴァテインが、蔑むように見下される番であった。
「随分と……魔女らしくなりましたわね」
その言葉にハッとした表情を浮かべたマジシャンズエースの力が緩み、すかさずその腹に脚が打ち込まれいた。
「ぐぅっ、うう……」
蹴り飛ばされた花梨は床を滑るのを踏ん張って堪えた。今までの攻防で一番痛い攻撃を受けたと、腹を押さえながら感じていた。
今の玲奈の言葉でようやく気付かされた。途中から自分の意識が魔女に呑まれていたことを。




