魔法少女と倶楽部活動
「おはよう」
「お、ああ。おはよう」
そういえば、教室で聖から挨拶をされたことはなかったかもしれない。わざわざ俺の席まで来て挨拶して、スタスタと聖は戻っていった。
昨日はあれからどうなったのか。ちゃんと用事を済ませられたのか、教室で訊ねるのは憚られた。他の人の目がある場所では女の子として接した方が自然だろう。
そのまま何事も無く放課後になった。
「相沢くん、行こうか」
「おう」
誘われるままに聖とともに旧校舎へ向かう。
道中会話もなく、昨日から何か変わったのかとチラチラ横を歩く聖を盗み見たが特段の変化も……。
いや、俺の目が極僅かな変化を捉えた。昨日よりも無駄に胸部が揺れ動いていないし、若干ではあるが膨らんでいる気がする。
そして旧校舎に近付く程に聖の足取りは軽くなり、やがて駆け足になって俺より先に部室へ向かっていた。
「早く来てくれ!」
「なんだよいきなり。テンション上がってるな」
走る様子は昨日とは打って変わって軽快なものだった。胸が動きを妨げていた昨日が嘘のような速さに俺の足は追いつきそうもなく、ゆっくりと駆けて部室へ向かった。
部室に一番乗りしたのは一年生コンビだ。二年生コンビはまだ来ていない。
「何でそんなに慌ててんだよ?」
俺は後ろ手に入り口を閉め、聖は落ち着かない様子でカバンを置いて上着を脱ぎ始めていた。
「見てくれ! これすごいんだ!」
と言った聖がシャツを脱ぎ捨てると、俺の視線の先には聖の胸を覆う下着が飛び込んできた。
「…………おう」
反応に困った俺は曖昧な返事をするしかできなかった。
「胸が揺れない! 動きやすい!」
まるで玩具を手に入れた子どものように楽しげに飛び跳ねる聖の胸は、確かに昨日ほど揺れてない。気がする。直視しづらく横目で窺う程度だから正確には見えないけれど。
「これは音無先輩が選んでくれたんだけど、スポーツブラって言うらしいんだ! これならあんまり華美じゃないし、男の僕にも抵抗が少ないだろうって……寝る時は就寝用のをするように言われたよ。けど、激しく運動するならこれがいいって、柏木さんも言って……ちゃんと聞いてるのかい!?」
俺が顔を背けていると、それが癇に障ったのか聖が肌を晒したままずかずかと歩み寄ってきた。
「あ……もしかして君はまだ僕を女として意識しているのかい!」
「いや、そうじゃないって」
待て待て、手をかざして反論しようとするが、聖は話を聞いてくれない。
「やっぱり……なんだかんだ言っても君も他の人と同じなんだね」
完全に誤解している。更に落ち込み始めている。
しっかりと聖に言っておかなくては更に二人の間で意識の差が生じると思い、その晒した肩を両手でがしっと押さえて真っ直ぐ目を見て話した。
「いいか! よく聞けよ!」
「う、うん」
「俺はお前のことを」
ガラガラ。
俺の告白を遮ったのは部室の扉を開く音。そして入室してきた二年生コンビ。
「あ」
「え?」
四之宮先輩と目が合った。音無先輩がこっちを見てくる。
次の瞬間、俺のほっぺは音無先輩の平手で弾かれ、首が捩じ切れそうな勢いで回転しながら膝から崩れていった。
「聖くんを襲おうとするなんて見損なったよ草太くん!」
違うんです、ちゃんと説明させてください。そう必死に願いながら俺の体は教室の床に突っ伏すのだった。
向かいには音無先輩と四之宮先輩。俺の隣には聖。四つの机をくっつけて全員座っていた。
「本ッ当にごめんなさい!!」
目の前で音無先輩が机に頭を擦りつけて必要以上に頭を下げて謝罪していた。
「いえいえ。いいんですよ気にしてませんから」
頬が腫れて喋りづらいけどそう言って先輩を諭した。
「アヤメの早とちりもあれだけど、聖くんにも問題があるわよ」
四之宮先輩に言われ、今度は隣の聖が背中を丸めて小さくなる番だった。
「貴方も体は女の子なんだから、無闇に肌を晒したり男の子に詰め寄ったりしたら駄目じゃない」
「は、はい……」
今はちゃんと制服を着て、先輩の言うことを素直に聞いて反省している。
「なあ聖」
「なにかな……」
さっき先輩の平手打ちに阻まれて伝えることのできなかった言葉をようやく伝えられそうだ。
「俺は別にお前が女だなんて意識はしてないぞ」
「けど……」
「ただ現実にお前の体は女の子になってるわけだから、そこは最低限分別を弁えて接しておかないと……まあ、俺がさっきみたいな目に遭ったりするんだよ」
「う、うん……」
「お前も男とか女とか気にしなくていいんだよ。特にここにいる時はさ。友達で仲間……それで良くないか?」
聖は何も言わずに俯いていた。俺の言うこと、ちゃんと伝わってくれただろうか。
「相沢くんの言う通りね。聖くんは多少過敏になっていると思うわ。そうなってしまうのも分かるけれど……相沢くんの言うことも少しは信じてあげたら?」
「……信じてます、彼……皆さんのことは」
「だったらもうそんなに気にすんなって」
ぽん、と聖の肩に手を置いた。そこには女の子の体に触れるとか、そういったやましい気持ちはなかった。ただちょっと細くて柔らかいなあと思ったけれど、それは多分普通に感じてしまう感想に違いない、うん。
「……分かった。僕もなるべく、意識しないよう努めてみるよ」
「頼んだぜ。もうブラ着けたくらいではしゃいで見せてきたりするんじゃねえぞ?」
「少しくらいは恥じらいを持たせた方がいいかもしれないわね?」
「ははは……いや、でもこれ本当に胸が楽になって助かりますね。四之宮先輩も」
「さあて! お話はこの辺にして倶楽部活動に励みましょうか!」
パァンと手を打って聖の言葉を遮った四之宮先輩が席を立った。
「相沢くん、今日のあたしの予定は?」
「へ? あ、ああえっと……パソコン部でソフトのアップデート作業と動作確認、それが終わったら新入部員にタイピング指導に基本ソフトの使い方の簡単なレクチャーですかね」
ボランティア倶楽部の活動を記すノートを取り出し、ペラペラめくって今日の四之宮先輩の予定を読み上げた。
「はいはいじゃあお先に行くわね。アヤメ、あんたもいい加減顔上げて行きなさいよ?」
先輩はパソコン部で使う参考書でパコンと音無先輩の後ろ頭を小突いて部室から出て行った。叩かれた先輩がゆっくりと面を上げた。
「今日のあたしは?」
「バレーボール部の練習補助、あと練習試合の人数合わせで参加してもらうかもしれないですね」
「ハーイ。じゃあ聖くん、一緒に行こうか」
「は、はい!」
少し緊張した様子で聖は答え、二人は体操着を持って部室を出て行った。
「上手くいくといいな」
他に誰もいなくなった教室で一人呟いた。
これで聖がしっかりと先輩の代わりを務められれば、先輩は自転車部のお手伝いに遠慮無く参加できる。
俺は今日も勉強しながら、部室で皆の帰りを待つのだった。
その後、早くに戻ってきた四之宮先輩と一緒に試験勉強に励んでいた。
どの教科でも、少しわからないところがあるとそれとなく四之宮先輩に訊ねてみると、彼女は顔も上げずに正解を的確に教えてくれた。
「先輩って試験の順位って何番くらいなんです?」
「クラスで?」
「学年で」
「さあねえ……」
「順位がババーンって掲示板に貼り出されたりしないんですか?」
「そんなことやってるのはフィクションの世界だけよ。今じゃ個人情報がどうのこうのってうるさいんじゃない?」
「そう言われればそうか」
「スパルタな学校じゃ貼り出したりするそうだけど。西台はそこまでやらないわ。精々九〇点以上が何人いるとか、教えてもらえるのはそのくらいじゃない?」
「なるほど」
「分かったら早く手を動かしなさい。そんなんじゃアヤメになっちゃうわよ」
「赤点にですか?」
「あら? 相沢くんはアヤメ先輩のことをそんな風に思っていたの?」
「ああ違います! 取り消します!」
先輩はふふっと漏らして勉強に戻った。俺も同じく勉強に戻ったが、結局四之宮先輩の成績は学年でどれくらいなのか教えてもらえなかった。上手くはぐらかされたようだ。
「たっだいまぁ!」
静かに落ち着いた勉強の場に大声で現れたのは部長だった。
「ただいま戻りました」
音無先輩に続いて聖も帰ってくる。二人とももう制服に着替えている。更衣室で着替えてきたのだろう。
「おかえりなさい」
「おかえりなさい。先輩、聖はどうでしたか?」
「うん、全然オッケー。これならもう一人で運動部の助っ人行けるんじゃないかってくらい」
「恐縮です」
二人が自分の席に荷物を置いて腰を下ろしながら教えてくれた。
「へぇ……やっぱ俺の目に狂いはなかったってことですね。なあ聖」
「ほんのちょっとの助っ人なら授業みたいに遠慮することもないし、ある程度のびのびやらせてもらったよ」
「体育じゃ力をセーブしてたのか」
「うん。普通にしてたら目立っちゃうからね」
そう言えばこいつってクラスの中で目立つのを避けるように静かだったもんな。変に目立って誰かに付きまとわれたらその身に危険が及ぶと知ってたのだろう。
俺は聖を気に掛けたから大怪我を負うことになったけど、そのおかげで彼がここにいるので結果オーライ万々歳だ。
「運動だけじゃなくて勉強の方はどうなの?」
聖の正面の席になる四之宮先輩が問いかけている。
「苦手ということはないですね」
「美術とか家庭科とか……そういう教科は?」
「不得手ではないと思いますけど……」
その答えを聞いて、先輩が少し満足気な表情を浮かべた。
「なら手が空いてる時は文化部の方も手伝ってもらおうかしら」
「えぇー、カリンも聖くんに頼っちゃうの?」
さっきまで聖を独り占めしていた先輩が不満そうにそう言っている。
「彼は貴女だけのモノじゃないのよ? 全員で仲良く分け合わなきゃ」
「あ、じゃあ俺の仕事も手伝って」
「「それはダメよ」」
あっさり二人から却下された。今みんなで分け合おうって言っていたのに、ひどい仕打ちである。
「あまり大変にならない程度なら……」
「その辺はそこにいる優秀なマネージャーが管理してくれるから問題ないわよ」
「んもう、しょうがないなあ」
これは女子三人から頼られてると受け取っていいのだろうか。それならば悪い気はしない。
「任せて下さい。皆のスケジュール管理は俺がしっかりやりますから」
パチパチパチ。
三人からのまばらな拍手を受け、俺は早速スケジュールノートを開いて明日の予定を確認した。
「それじゃあ明日はみんな何もないようですし……」
「……アレしましょうか」
「アレを確認するのね」
「アレですかぁ」
俺は先輩たちと頷き合って確認した。一人だけ話についてこれていない聖が、横から俺の服を引っ張ってきた。
「アレ……って、何だい?」
ノートを閉じ、質問してきた聖にふふんと笑って答えた。
「もう一つの活動、裏の活動についてさ」




