魔法少女と三幹部
野臼町には電波塔がある。
最上階にある展望室の高さは地上百メートルを越えており、そこまでは高層ビルのような外見をしているが、そこから更に数十メートルに及ぶアンテナが天を衝くように伸びている。その形状からペンシルタワーと親しみを込めて呼ばれ、観光資源の多くない野臼町においては貴重な観光名所と化している。
展望台のフロアの外、アンテナの根本に胡座をかいて座していたのはボランティア倶楽部の部長、音無彩女が正体の魔法少女ブレイブウルフである。
かわいい後輩から電話を受け、この街に危機が迫っていると教えられた彼女は必要以上の詮索をすることなくこの場に待機していた。詳しく聞く前に話を打ち切られたのが本当のところだが、それ程切羽詰まった状況だったのだろうと思うことにした。
ここしばらく忙しくしていたし、今回襲ってくると聞かされた相手もその事情に関係のある組織だと慌ただしく説明された。
「黒十字……って言ったっけ」
相沢草太が勧誘しようとしていたクラスメイトの一野聖。彼が変身するエス……エスなんとかという戦士が戦っている相手、その幹部が三人。
ワイルドエナジーを再び手にして約半年、これまでにない大変な戦いになりそうな予感を彼女は感じていた。
「……ふぇっくしょぃん! あー……まだ現れないのかしら」
鼻の下をぐしぐしと指で擦り、あとどれくらいの時間こうしていればいいのか、日が暮れるまでには済ませたいなと考えていた彼女の犬耳がピクリと動いた。
「っ突然現れたわね」
ひょいと立ち上がると、人目に顔を晒さぬための真紅のマフラーで口元を隠す。
不穏な気配を感じた方角へ向け、タンと跳躍していく。
ビルの屋上から屋上へ移り渡る黒衣の少女が気配を感じた上空へ飛び出すと、眼下に広がっていたのは噴水のある広場だった。
憩いの場であり人々が和やかに過ごすための空間にはけたたましい悲鳴が木霊していた。
上空から伺える人々の影が逃げてくる先には、成人男性を軽く凌駕する巨体を誇る影が鈍重な足取りで進んでいた。
その進路にはへたり込んだ幼い女の子の姿。
愚鈍な巨体が迫るより遥かに早い速度で降り立つブレイブウルフが少女を守るように立ちはだかる。
その姿を目の前の三つ首の怪人は捉えているはず、だがまるで意に介さぬようにその豪腕を振り上げる。
「はぁッ!」
魔狼の俊速と無敵の右腕を掛け合わせた一撃が怪物の機械仕掛けの腹部に放たれ、敵の体を大きく後方に弾き飛ばした。
「立てる?」
くるりと踵を返したウルフが腰を落とし、少女と視線の高さを合わせて優しく問いかけた。
涙を浮かべぐすぐすと鼻を鳴らす少女はすぐには返事ができそうもない。
左膝を擦りむいた少女をひょいと抱きかかえた時、少女の母親らしき人物が泣きそうな表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「すぐに離れてください」
そう言って少女を渡すと、母親はお礼を言うこともなく慌てて走り去っていった。渡した時に撫でた少女の左膝は血が滲んでいたが、既に傷は塞がっているはずだ。
それでいい。異常な世界に普通の人は関わっちゃいけない。そして関わらせてはいけない。人を襲うなんてもっての外だ。
視線を吹き飛ばした怪人に向け、その異様な様相をじっくりと観察した。
「幹部が三人って聞いてたけど、一人……いや、三人で一人みたいね」
三つあるのは首だけではない、体もだ。縦に三等分にされた体を、歪につなぎ合わせたような不気味で醜悪な姿だった。
中央には一つ目の機械の頭と体。彼女が殴り飛ばしたのはその部分だ。
右には獅子をモチーフにしてたてがみを携えた獣の首と体。彼女と少女に振り下ろされた豪腕はその右腕だ。
左には屍のように生気を失った長髪の女性の首。機械と獣の体に合成された女性の体は、細身で不釣合いすぎる。
「幹部っていうから少しはお話できるかと思ったけど」
「……」
「そんなことできる様子じゃなさそうね」
唯一表情らしいものを読み取れる女性の顔は、知性や感情を全く感じさせない。
まるで死体をくっつけて戦わされているような気持ち悪さがある。
ドスンカツンドスンカツン、獣人と女性の足音が不協和音を伴って駆けてくる。重心が取れていないのか、中央の機械部がグラグラと左右にぶれていた。
何故このような体で街に現れたのか、ブレイブウルフには知る由もない。そして今は知る必要などない。必要があればきっと後輩が教えてくれるだろう。
「これ以上暴れさせはしないわよ。覚悟しなよ」
右手の指をバキバキと鳴らし、魔狼ブレイブウルフは三身一体と化した名も知らぬ幹部を迎え撃つ。
ほんの僅かな手合わせと敵の挙動を目にし、攻撃の速度においては自分の方が遥かに勝っていると彼女は確信していた。
そしてその確信通り、繰り出す彼女の拳と蹴りは尽く三幹部の体にめり込んでいた。
「……」
言葉も気合もなく放たれる獣人の拳は気配がなく予測しづらい。しかし彼女の疾さをもってすれば、見てから左手ですっと捌くのは容易であった。
「てぃはっ!」
捌いたことでがら空きとなった敵の右脇に魔狼の左の鉄拳が深々と突き刺さった。常にワイルドエナジーに覆われ、攻防において無類の強さを誇る右腕には及ばないが、それでも近接戦闘に長けた魔狼の左拳は敵に致命傷を与えてもおかしくはない破壊力を誇っている。
「……?」
そのはずだが、痛みも何も現さない怪人を相手にはまるで効いていないかのような錯覚に陥る。
あろうことか緩慢であるが気配を感じさせない攻撃がブレイブウルフの顔を捉え、すかさず彼女は後方に飛び退き充分な間合いを取っていた。
「これは……」
右の頬に這わせた左手には微かな血が付いてきた。
敵を見れば、屍のような女の左手は指を束ね、まるで鋭い刃物のように彼女の頬を裂いたのだ。
「そっちにも気を付けろってことか」
次は右手で頬を拭えば、浅く裂かれた傷痕は消え去り、ぷりぷり綺麗な女子高生の肌へと治っている。
「ふっ」
今度はブレイブウルフから距離を詰める。高速で近付く彼女を迎撃すべく、連携を感じさせない左右の体がバラバラに腕を構える。
歪なスタイルにやりづらさを覚えるが、惑わされることはない。それぞれの動きを見て止めれば問題はないのだ。
女の指が先に動く。切っ先が再び狼の頬を串刺しにしようと彼女の肌に触れる。一瞬早く身を屈め指の刃をかわした眼前に巨大な拳が迫り来る。
かわす。頭上。受ける両方。
獣の直感と本能は瞬時に判断を下す。仰け反って拳をかわすには未だ上方で彼女の首を狙う刃が邪魔である。それを右手で受け、掴み、砕く。
見えぬ上方の脅威を取り除いたが眼下の脅威は取り除けず、己の体と敵の拳の間に左腕を滑り込ませた。
腕は砕け、内臓は押し潰される。その衝撃を跳ね返すように歯を食いしばり、咆哮を上げた。
「んぁああああ!!」
気迫とともに両腕を広げれば、潰した敵の左手と受け止めた右腕を弾き飛ばし、その懐に大きな隙を生じさせた。
足刀が機械の体を貫いた。貫通した右脚の周囲でバチバチと火花が散る。機械のことは詳しくない彩女であるが、これで機能が停止したら、中央の首の赤い目も光を失うはずだ。
しかし予想は外れ、正反対の結果が返ってくる。マシンヘッドのレッドアイは尚一層赤みを増し、輝く。
「何!?」
確かに体を貫き、致命傷を与えたはずだと思っていた。だが風穴を開けた体だったが、無事な箇所、胸の辺りからメカが組み立つような不穏な機械音が響き、それが姿を現す。
「――く」
それは砲口。白刃が煌めいた瞬間、彼女の体は貫かれたように吹き飛び、地に伏した。彼女の背後にあった人口の建造物、電柱、自然に彩られた木々、その全てが蒸発するように消え去り、噴水広場に刻まれた爪痕は遠方まで深々と刻まれていた。
邪魔者を打ち倒し、怪人はその場を離れる。思考することも疑問に思うこともできなくなった彼、彼女、それらに課せられたのはたった一つの行動目標。この街を火の海に染めること。
「いや焦った焦った。まさかんな隠し球があるなんて」
離れようとした三つ首の怪人の足を止めたのは、ヨッと立ち上がる魔法少女の声であった。
「流石幹部様。防いだ右手もちょっとだけ痛いや」
ブンブンとダメージを確かめるように右腕を振る。大事ないようでよし、と小さく呟く彼女の左腕も、確かに砕けたはずであるが、既に何事も無かったかのように動いている。
今の幹部は考えることをしない。目の前のそれが目的の障害になるなら排除するだけである。
また胸の主砲に光が集約していく。再度放たれれば、また先と同程度の被害を街が被ることになる。魔法少女がそれを許すはずがなかった。
「それはもう使わせない」
左手が丹田の下にあるスマートフォンの画面を操作する。ハートマークはイカヅチに。ブレイブウルフの周囲に大気を弾く雷音が鳴り響く。
機械の体に形成された胸の主砲は一瞬で潰された。
ソレにもう何が起きたか理解する頭はない。ソレはただ起きた現実を確認するだけだ。
砲口の先にいた魔狼が姿を消し、再び姿を現した時には、体の風穴が二つに増えていたのだ。
「これでもう使えない!」
言葉とともに新たな風穴を穿った右腕から迸る電撃が、機械の体を破壊すべく駆け抜ける。
顔色一つ変わることなく、壊れた機械人形のようにガクガクと痙攣する三幹部の体が彼女の腕から抜け、ブルブルと後退り膝を折った。
「……効いてるよね。手応えないから分かんないわ」
左手がスマートフォンの画面を叩く。イカヅチをハートに代え、右腕を天に掲げた。
「エナジーファング」
何者をも噛み砕く白刃の牙が手首から反り返る。ワイルドエナジーから形成された無敵の牙を携えて、魔狼は駆ける。
すれ違い様、一薙ぎであった。
「闇に還れ」
三つの首を失って、糸の切れた合成人形はどさりと地に伏し、躯は光の粒となって消え去った。
「……終わったよ、草太くん」
口元のマフラーを正し、徐々に人の気配が寄せてくるのを感じ取った魔法少女は来た時と同じく、跳躍してその場を後にした。
一番近いビルの屋上に逃れ、今しがた戦場と化していた場に目をやる。人は集まるが、戦った相手の亡骸は消えている。主砲の一撃で刻まれた破壊の痕跡だけは消せないが、あれだけ残されても事の真相に辿り着ける一般人はいないだろう。
「ふぅ」
戦いは終えたがすぐにこの街を離れはしない。万が一ではあるが、黒十字という組織が保険として二段構えの策を講じていないとも限らない。
だから一先ずの脅威を撃退したことをちゃんと報告しておこうと、彼女はスマートフォンを手に取った。




