魔法少女と昼休み
昼休み。学生食堂に逃げ出した俺の肩にダブルオーが引っ付いてきた。
「ねえアイザワくん。どうやって知り合ったのか教えてちょうだいよ」
「ワタシも気になってるの。是非その方法を授けてください」
「なんで女口調なんだよ気色悪い。お前らもどっかの部活かサークルに入れよそうしたら上級生の知り合いができるんじゃねえの」
それとも魔物に襲われたらボランティア倶楽部に誘われるかもしれないぞ。それは思うだけにした。あんな目に合うのは自分だけで充分すぎる。
「えーヤダー。部活はきついし」
「サークルは学校からの援助がないから活動は苦しいな……わね」
「いちいち語尾変えるなって」
俺たちの後ろには同じく学食に向かう委員長と柏木さんの姿があった。もしかしたら朝のことが気になってついてきてるのでは、と勘繰るのは些か自意識過剰かもしれない。
学食は上級生のいる東棟の先にある。なので一年生の俺たちは中庭にある渡り廊下か昇降口の前を抜けて東棟の先へ行く必要があり、C組からだとどちらのルートを通ってもさして距離に差がつくことはない。俺は専ら昇降口の前を通って行くことにしている。
「お。ナイスタイミング」
それは昇降口に差し掛かったときだった。左右のダブルオーに気を取られていたところに現れたのは、音無先輩と四之宮先輩だった。
「先輩! こんなところでどうしたんです?」
いきなりの登場に驚いたが、俺以上に左右の二人が面食らっているのが伝わってきた。
「お昼にするんでしょう? 学食に行くの?」
「ええ、今から行くところです」
「へへー。じゃあ一緒に行こうか」
「この子がお弁当三人分作ってきたって君に伝えてなかったわよね」
「聞いてませんけど……」
お弁当、だと。それも先輩が作った弁当だと仰った。昨日お泊りしたみんなの分のお弁当を作っていただなんて、先輩の心遣いと優しさに感動で打ち震えてしまう。
困ったのは左右の二人だ。ダブルオーの動きが完全に止まってしまった。あまりに衝撃的な出来事に反応できずにいるに違いない。俺だって驚きだ。
「お友達も学食なら、よかったら一緒にどう?」
「お、俺たちも?」
「是非に……」
「いやいや。別にこいつらはただ引っ付いてるだけでどうでもいいんですけど」
「後から来たあたし達が相沢くんだけさらっていくのも申し訳ないし、ご一緒してもらった方が気兼ねないわ」
「それに三人より七人の方が賑やかじゃん?」
「ええまあ、先輩たちが良ければ俺がとやかく言うことも……七人?」
俺、岡田、大野。音無先輩に四之宮先輩。五人しかいないのに妙なことを言われたなと思っていると、ポンと肩を叩かれた。
「ニヒヒ」
「あああ、あの……」
笑顔の柏木さんとオドオドしてる委員長がすぐ後ろにいた。
「……柏木さんこの手は何?」
「んなことより私らも混ぜなって! なあ!」
「私は別に……。京子ちゃんが興味あるって言うから」
俺の肩をパンパン叩きながら、「そういうことだから」と告げてくる柏木さん。どういうことですかと問いかけたかったが、有無を言わせず付いていくって空気が醸し出されていた。先輩も七人と言ってしまっているし、ここにいる全員で行くことは決定しているようだ。
「ごめんね……迷惑じゃなかった?」
「いやいいよ。先輩の言った通り、今日は賑やかになりそうだね……」
委員長に言いつつもうるさいの間違いだったかなと思ったのは、女子と昼食を共にするという事実に狂喜するダブルオーに遠慮無く突っ込む柏木さんの姿を目の当たりにしたからだ。
「すっかり仲良くなってるね」
「いや、あれは仲が良いと言っていいのかな……」
何にせよ打ち解けているのは良いことだ。委員長と同じように、俺もそう思うことにした。
「それじゃ行きましょっか」
音無先輩が音頭を取り、俺たちは七人の集団で学生食堂へと向かった。
――――――
「みんなは同じクラスでいいんだよね?」
昼食を頂きだしてすぐ、向かいの椅子に座る音無先輩が俺たち下級生組にそう訊ねてきた。
長テーブルの端の方の椅子を確保した俺たち七名は、先輩たちを向かいにして残りの五名が横に並ぶように座った。俺が真ん中、右隣りが大野で左が柏木さんだ。
みんなの前には既に思い思いのランチが揃っている。俺と先輩たちはお弁当箱。委員長も弁当だ。大野と岡田は本日の日替わり定食。柏木さんはドカ盛りカツ丼であった。さすが運動部は食う量が段違いだと圧倒された。
「ええ。隣にいる男子が」
「大野です! これからもよろしくお願いします!」
これからもって何だよ何を二人にお願いするんだよ。
「岡田と言います。相沢とは良き友人として親しくさせていただいております」
右端の岡田の馬鹿が付くほど丁寧な物言いが不信すぎて何を考えてるか全然読めない。
「……とまあこんな二人です。それでこちらの端にいる子から順に、クラス委員長の委員長とその友達の柏木さんです」
「は、はじめまして。一年C組の委員長をしてます、中園智花です」
「柏木京子っす。この間ソフトボール部の試合出てたの覚えてます?」
「あの時三塁打を打った子だよね。一年なのにすっごいなって思ってたんだ」
柏木さんが嬉しそうに笑ってる。どうやらちゃんと覚えられてたみたいだ。
「やっぱ部活入ってると上の人にも覚えられるもんなんだよ。やっぱお前らも入れば?」
「くっ……勝ち誇った顔で言いやがって」
「気に入りませんね」
大野は苦虫を噛み潰した顔をしているが岡田はまだ平静を装っている。なかなか手強いぜ。
「お二人に訊きたいことがあるのですが」
その岡田が眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせると、箸を動かす先輩たちも手を止めた。
「どういった経緯で相沢をサークルに誘われたのですか」
「おま……俺が言わないからって二人に訊くのはずるいだろ」
「うるせえ! お前が隠すから悪いんだろ」
「私もいい加減知りたいしな」
「む、むむ……」
大野と柏木さんが左右から圧力をかけてくる。委員長までもが若干身を乗り出して眼鏡を光らせている。
自分の口から下手な説明をしては余計な迷惑をサークルにかけてしまうと思い口を閉ざしていたのだが、まさか眼前でそうなってしまうとは。
困った俺は申し訳ない気持ちになりながらも正面の先輩たちに目で訴えた。先輩たちの都合のいいように説明してください、と。寧ろこういった状況を打破する案の一つや二つ既に持ち合わせているに違いない。
「……」
ああダメだ音無先輩の目は泳いでる。絶対に何も考えてない。俺たち全員に話しかけて昼食に誘ったのも絶対あの場での思いつきと成り行きと行き当たりばったりだ。
「あれは一昨日のことだったわ」
そうだ、こんなどん詰まりな場面で頼りになりそうなもう一人の先輩がいた。
唐突に口を開いた四之宮先輩に全員の視線が集まり、それを確認すると眼鏡を光らせて話を始めた。今更だが七人中三人が眼鏡をかけているというなかなかの眼鏡率だ。しかもその全員が今眼鏡を光らせている。眩しい。
「ソフトボール部の助っ人を終えたアヤメが帰り支度を済ませたのであたし達はいつものように二人で下校しているところだった。丁度公園に差し掛かった時」
ダブルオーと委員長と柏木さんは固唾を呑んで聞き入っているが、俺と音無先輩は顔を見合わせる。一体何を言うつもりなのだろうか、と。
「公園の中で争う音が聞こえてきたの。何事かとあたし達が駆けつけると、そこには大勢の不良に絡まれる少年がいた。義憤に駆られたアヤメは不良たちを千切っては投げ千切っては投げの大立ち回り。全員をブチのめしたところで傷ついた少年を病院に連れて行ったの」
聞き入っていた俺たちが見守る中、四之宮先輩はお茶を一口啜り、
「それがあたし達と相沢くんの出会いよ。その縁もあって彼をあたし達のサークルに入ってもらったの。仮入部だけどね」
話を聞き終えた時、俺と音無先輩だけは顔を蒼くしていた。そんな作り話を信じてもらえるわけないじゃないですかって。
「スッゲー! さすが音無先輩だ!」
「俺も暴漢に襲われたらサークルに入れてたのか……!」
「相沢くん、怪我はしてないの?」
「災難だったな……不運と踊ってしまったか」
お前たちは信じたのか! それでいいのかと思ったが、真実を伏せて納得してもらえたならそれはそれでありがたいことだが。
これでいいんですかね、俺と先輩は顔を見合わせてそう通じ合った。
「女性に助けられて言いづらかったのもあるでしょうけど、校外で暴力行為に及んだ先輩がいることも余計に説明するのが憚られたのよね」
四之宮先輩が俺の顔を見てきた。頷け、とその目が語っている。
「え、ええ……。お前らに言って、もしそれが先生の耳にでも入ることがあったら大変だからな!」
「そういうこと。君たちは彼の学友だし、信頼できるから事情を説明してもていいと思ったの」
信頼できるって言い切った。出会って早々そこまで言われると、期待は裏切りにくいだろう。
「それにもし他人の耳に入ったら、この子が君たちを千切って投げに行くから用心してね」
「あたしぃ!?」
四人が神妙な面持ちで生唾を飲み込みながら頷いた。きっと架空の不良たちのように千切り投げて吹き飛ばされる光景が脳内で再生されてるに違いない。先輩はそんなこと多分しないよとフォローしてあげたかったけど今はできません、すいません。
「しっかし先輩って腕っぷしも強かったんすね! マジリスペクトもんです!」
「いや……ははは。はぁ……ありがと」
先輩の架空戦記に心を打たれ、柏木さんが尊敬の眼差しを向けていた。二人ともスポーツが得意な体育会系っぽいし、何かしら感じるものがあるのかもしれない。
「どうすればそんなに強くて逞しくてスタイルいい体になるんすか!」
「そりゃあよく食べてよく運動してよく寝る生活が一番大切だよ」
至極当たり前のことしか言ってない気がするのだが、柏木さんはすごく納得したようだった。
「けどお弁当のボリュームは普通っすね……もしかして私は食い過ぎ……でしょうか?」
しかし昼食の内容を見比べたところでしおらしくなってしまった。そこを指摘されたと思ったのかもしれない。
「お腹いっぱい食べていいんじゃない? 我慢することもないよ」
「そうっすかね……」
「あたしと違って毎日部活で運動してることだし。こっちはもう体も出来上がってるし、必要な時以外はカロリー摂る必要ないから」
意外と体調の管理についてしっかりと考えているようだ。ご飯を食べるペースが早く、体育会系だからてっきり大食らいかと思ってしまった。
「寧ろたくさん食べて体作らなきゃならないのはこの子よ、この子」
言いながらポンポンと隣りの四之宮先輩の肩を叩いている。お弁当が空に近い音無先輩と対照的に、四之宮先輩の箱の中身はまだまだ半分近くある。
「なによそれどういう意味かしら」
「どうもこうもないでしょ。ちゃんといっぱい食べて体に肉をつけないと、栄養が足りずに育つところも育たないんだから」
ピクッ。
その言葉に反応したのは四之宮先輩だけでなくここに居並ぶ男子三名もだった。言葉に刺激された俺たちはすかさずその場に居合わせる女子たちの姿形を目に焼き付ける。
「音無先輩」
「次は柏木さんだよな」
ああ、俺は頷き大野と固く握手を交わした。
「四之宮先輩」
「その根拠は?」
「委員長さえ上回るあのフラットボディ。俺はその可能性を追求したい」
「なるほど見解の相違だな」
「それもまた男の性よ」
俺たち三人は手を重ねた。こうして意見を交わすことで俺たちは分かり合っていくことができる。世界はこんなにも簡単なんだ。
「あたしはこれから育っていくんだから今慌てなくてもいいの」
「のんびりしてると中園さんに置いていかれちゃうわよ?」
「もぐっ……!」
いつの間にかお弁当をかき込んでいた委員長の頬がリスのように膨らんでいた。別に急いで食べることが大切だと言ってはいなかったと思うが、気が逸ってしまったのか。そんなに気にしなくても委員長は平均的なんだし特に問題は……そうかそういうことなんだな。
「柏木さんへの下克上か」
「これは二位が荒れるな……」
「そのままの委員長でいて」
俺たちが温かく見守る先で、委員長は慌てふためいていた。
「ち、違います私は別にそんなつもりじゃあ」
柏木さんと音無先輩がニヤニヤしてみている。その様子に溜め息を吐く四之宮先輩だった。
「あたしは母親似だから、これから育つところはしっかり育っていく予定なんです。だから余計な心配はしないでいただけるかしら?」
その台詞に男三人は衝撃を隠せなかった。
「とうとう家族を持ちだしましたよ、岡田さん!」
「自己研鑚による発育の促進を諦めてしまった……だと」
「ショックです……先輩なら自分の力で乗りきれるって信じてたのに」
俺は泣いた。
「やっぱ大勢で食事って楽しいよねえ」
「お喋りばかりで箸は進まないけど」
「いいじゃないっすか、昼休み長いんですし」
「先輩とお喋りって、新鮮ですし」
初めて昼食を一緒にする面子なのに、すっかり打ち解けているようだ。仲良くなってるところを見るのは、俺も嬉しい。
「草太くん」
「はい?」
「こういう日常ってさ、やっぱり大切?」
「え? 勿論ですけど」
唐突な質問に、素の回答がそのまま口から零れた。それを聞いた音無先輩は笑って「そっか」と呟き、四之宮先輩は頷いていた。クラスメイトたちはきょとんとした様子だ。俺もそうだ。
「ところで」
「はい?」
次はなんですか? そうお気楽に構えていた俺の心は、笑っているのに笑っていない肝が冷えるような先輩の笑みの前に霧散していった。
「さっきごちゃごちゃくっちゃべってたランキングは何のことかしら?」
「耳障りな虫が三匹飛んでたわね……叩き潰そう」
「セクハラってやつっすよねあれ」
「最低……です」
凄まじい怒気を孕んだオーラに僕たち男子三人は蛇に睨まれた蛙よろしく、怯えて縮こまって涙して漏らしそうになるしかなかった。
今度からは小声だろうと絶対に口にはせず、意思の疎通だけで分かり合う必要があるねと、侮蔑の視線と言葉による非難を全身全霊でぶつけられボコボコにされる僕らは、目と目で確認し合ったのだった。
――――――
昼食を終え、昼休みの時間も少なくなってきた。
学食を出て先輩たちと別れ、トイレに行くわと言い残し級友たちともそこで別れた。
「調子に乗りすぎてしまった……」
トイレを終え一人廊下を歩きながら、失礼千万な自分の行為を悔やんでいた。でも男子三人寄れば何とやらと言いますし、ああいうことをしてしまうのも仕方ない事なんです。失礼だと自覚したからこそあれだけの口撃を俺たちは受け止めたのだ。受けすぎて心は潰れている。
「けど、楽しかったな」
ダブルオーとはよく昼食を一緒にしていたが、そこに先輩や委員長たちがいるだけであんなにも賑やかで華やかで楽しく新鮮なものになるなんて驚きだ。
そういえば学食で食事をしているとき、先輩たちの知り合いらしき人が何人か声をかけてきたが、「他の人と一緒だなんて珍しいね」といったことを口々にしていた。
いつもは二人っきりで昼食をとることが多いのかもしれないと考えながら、廊下の角を曲がるところで丁度誰かにぶつかってしまった。
「ああすいません」
しまった、と思うと同時に謝罪を口にするが、相手から返ってきたのは軽いお叱りの言葉。
「昼飯の後だからってボーっとするなよ相沢」
「メロン先生……あいてっ」
「だーれがメロンだ」
小突かれてしまった。
ぶつかったのはクラスの担任の夕張みどり先生だった。夕張でみどりだからメロンちゃん。誰が言い始めたのか、いつの間にかクラスではそのあだ名で通用するようになっていた。次第に学年中にも広がり始めているが、メロ……夕張先生は気付いているだろうか。
「えっへっへすいやせん」
気まずい思いがしたので愛想笑いを浮かべながら頭を下げて立ち去ろうとした時、背中から呼びかけられる。
「おい。これ相沢のじゃないか」
振り返ると、先生が手に持っていたのはスマートフォン。俺はポケットをまさぐったが、そこには何の手応えもなかった。
「どこで落としたかな……ああすいません、ありがとうございます」
受け取ろうと手を伸ばしたところでスッと腕をかかげられた。ヒールを履いているせいもあるが、先生の背は俺より高い。こうされると俺じゃ届かない。
「あのなあ、一応校則じゃ携帯やスマホの持ち込みは禁止だぞ」
「うぇ……今までそんなの注意したことないじゃないですか」
「だからたまには目の前の校則違反を取り締まらんとな。他の生徒への示しにもなるだろ」
「えぇ! 俺をダシにするんですか?」
「こういうのはお前みたいな模範的な生徒にやるから効果があるんだよ」
どこ調べの情報ですかそれは。突っ込みたかったがそれで機嫌を損ねでもしたらスマホを返してもらえないかもしれない。
「放課後になったらちゃんと返してやるから、それまでの辛抱だ」
「……分かりました。職員室に取り行けばいいですか?」
「そうしてくれ」
取り締まれたのがそんなに嬉しいのか、先生はニコッと笑いかけてきた。俺の表情は曇りっぱなしだ。こうしていると気が落ちるばかりなので早く教室に戻りたかったが、一つ訊ねられた。
「そうだ。中園は一緒じゃなかったか?」
「委員長ですか? さっきまで一緒でしたけど先に教室に帰ってると思いますよ」
「そうか」
「何か伝言ですか?」
「ああ。すぐ職員室に来るように呼んできてもらえないか?」
「別にいいですけど……そしたらスマホもう返してもらえますか」
「それとこれとは別だ」
ちぇ、と不満気に拗ねてみせる。端からそれで返してもらえると期待してたわけじゃないからポーズみたいなものだ。
「それじゃあ頼んだぞ」
先生は職員室の方へと戻っていった。スマホを取り上げられた仕返しにこのまま伝言しないでおこうかなんて意地悪な思考が浮かんだが、元々校則違反してるのは俺たち生徒の方である。
それにすぐ職員室に来るようにだなんて、急な出来事が起こったのかもしれない。
教室に戻った俺は一番に委員長に伝言を伝えた。心当りがないようで、委員長は首を捻りながらも伝言通り職員室へと向かっていった。
その日、学校が終わっても委員長は教室に戻っては来なかった。