魔法少女と蜘蛛退治
「イッツ・ショウタイム」
その言葉と共に火柱は火球と化し、四之宮先輩の体を包み込んだ。体を焼き尽くすかのような熱量を斬り裂いたのは、燃え盛る炎と同じ灼熱色のツインテールをした魔法少女が右手に持った身の丈ほどの大鎌であった。
ハートのエースの力を引き出した魔法少女、マジシャンズエース。今まで見たことがあるのはスペードとクラブなので、ハートは俺の見たことのないフォームだ。
ふくらはぎまで覆うブーツに太ももを露わにした赤いミニスカート、腰のカードホルダー。赤いベストに、ブレイブウルフを思わせるマフラーが一際目を引く。
そして同じくらい目が行ってしまうのは、左手に巻き付く鎖と包帯だ。
「……あれ?」
そこを見た時にふと違和感を抱いた。前見た時はワイシャツの上を肘の辺りまでぐるぐる巻きにしていたはずだ。けど今は、
「草太くん! 早く取ってってば!」
「うわぁ! すいません!」
音無先輩に急かされ、思考を中断して先輩の右手の自由を奪う拘束を解こうと試みた。それさえ取れれば、先輩もスマートフォンを使って変身できるはずだ。
先輩の救出に取りかかるこちらをよそに、魔法少女と化け蜘蛛の対峙は続いていた。
「何ボサッとしてるの? 観客はそっちなんだから盛り上げてくれないかしら」
「ほざけ!」
先に仕掛けたのは蜘蛛だった。口から幾つもの糸を連続で吐き出し、マジシャンズエースに浴びせかける。
それを一薙ぎだった。鎌は大気と共に飛来してきた糸を全て斬り捨てたのだ。
「盛り上がりに欠けるわね……。期待しすぎたかしら」
「先輩……お客さんを盛り上げるのは舞台に立つマジシャンの役目じゃないですかね?」
やれやれと肩を竦める先輩に向けた呟きはばっちり聞こえていたらしく、振り返った赤髪の少女は答えてきた。
「お客さんの反応あってこそでしょ。その点アヤメや君はいい客よね。見ていて楽しいわ」
そう言い残して魔法少女の姿が消えた。直後、その場に大量の蜘蛛の糸が着弾する。その瞬間からエントランスホールの床、壁をダンダンと打ち鳴らす音が響き渡る。姿は見えねど、それが四之宮先輩の奏でる音色であると直感した。
「見惚れてないでこっち、こっち!」
「ああはい、分かってますって!」
またも急かされて先輩の腕を開放しようとするけど、この蜘蛛の糸はまるで鋼糸のように頑丈で俺の指の方が悲鳴を上げる。
これを解くには四之宮先輩の鎌のように鋭い切れ味の得物がいるかもしれない。
四苦八苦する俺とは対照的に、四之宮先輩は建物内を蹴り動きながら蜘蛛の巣を少しずつ切り払っていく。捕食者がじわじわと獲物を甚振るように敵の陣地を削いでいく。
あれが四之宮先輩の、ハートフォームの戦い方なのか。
「でもあれじゃあ駄目です……」
それは先輩以外に壁に貼り付けられていた人物の言葉であった。それまですっかり存在を失念していた少年に、俺と音無先輩の視線が向いた。
「何が駄目なんだよ? 先輩があいつを圧倒してるだろ!」
贔屓目ありだとは思うが、それでも先輩が蜘蛛の巣を削いで相手の機動力を奪っているのだ。失った巣を補いつつ四之宮先輩への攻撃も行っている蜘蛛女であるが、どちらかに集中できていない以上、神速を誇るハートフォームの攻勢に対抗できるはずもない。
「違います! あれを見てください!」
四肢を拘束されている少年があごをしゃくって促したのは天井だった。自然、俺と先輩の視線もそちらへ誘導され、目に映したのは大きなシャンデリアだった。
「あれが何だって……」
光を灯しているのは、幻覚を見せられ時に確認していたが、改めてじっくり観察すると、次第にそのおかしさに気付いていく。
灯具の灯りの中で蠢く影。あれは何だと注視して、ようやくそれがシャンデリアではなく、無数の卵が寄り集まって形成された卵のうだということを悟った。
「せ、先輩あれ!?」
「子どもね……そっか、人を襲うのはあれの栄養を得るためだったのね」
先輩は確認するように呟き、少年もそれに頷いた。
「だったらあれも見過ごすわけにはいかないわね。草太くん!」
「分かってますって! んぎぎ……!」
俺だって先輩と同じ思いだ。あれを放置して蜘蛛の子を散らすように生まれた怪物が大きくなって人を襲うだなんてあってはならない。
俺の胸に芽生えた熱い思いはなんのその、一向にビクともしないこの拘束。壁に足を突っ張って、両手を引っ掛けて全力で糸を剥ぎ取ろうとしているのだが、糸ではなく俺の指が切れそうだ。
「右手さえ自由になれば変身できるのに……!」
「はぁ……せんぱぁい……もう卵も四之宮先輩に任せた方が」
「駄目!」
即座に却下された。
「あの子にだけ負担を強いるなんて、嫌よ!」
先輩がそう言うなら勿論俺も従う。確か四之宮先輩は変身していると内に宿る異物に蝕まれてしまうらしい。音無先輩としては、なるべく彼女が戦っている時間は短い方がいいはずだ。だからどんな時でも、自分が率先して戦おうとするんだ。
「分かりました。行きますよ……」
俺が気合を入れ直し、糸に指を掛けた時だった。
「あの……」
黙って俺たちのやり取りを見ていた少年が再び口を開いた。
「「何!?」」
お互い心に余裕がなくなってきた俺と先輩が焦り気味に答えたが、どうにも怒って言ったように聞こえたようで少年がビクリと体を竦めた。
「ご、ごめんなさい! えっと、その……変身アイテムですか? それはどうやって使われるんですか?」
「あぁ? これはこうだよ、こうして先輩が腰に当ててだな」
本当は説明する時間も惜しいのだが、邪険にしてしまうのも悪いと思いちゃんと説明してやった。
まず先輩の手からスマートフォンを取ると、貼り付けられたせいで体が不自由な彼女の腰に横向きにして宛てがった。すると先輩の腰にベルトが巻き付く。これで変身準備は完了だ。
「……」
「……」
「ええと……そうやってお兄さんが手伝えば変身できるんじゃないんですか?」
俺と先輩は顔を見合わせた。
「「それだ!!」」
「草太くん! なんで気付かなかったの!?」
「えぇ! ていうか、俺がやってスマホが巻き付くなんて思ってませんでしたし!? 手伝ってできるんなら先輩がそう教えて下さいよ!」
二人でガヤガヤと言い合いをしていたが、
「ってそれどころじゃないし! 早く助けに行かないと」
そうだった。今は四之宮先輩が一人で蜘蛛女と対峙しているのだ。
マジシャンズエースの姿は見えない。蜘蛛の巣は既に消失し、地に落ちた蜘蛛女は姿を捉えさせぬ魔法少女の襲撃を凌いでいるが、足の何本かは体から離れたところに転がっている。少しだけ痛々しく見えたが、人を襲った相手に同情はできない。未だに倒せないのは、先輩が攻めきれないだけのしぶとさがあるのかもしれない。
「ねえ、最後にスマホの画面タッチしてくれる?」
「ああはい。ポチッとな」
画面に映っていたハートマークをクリックすると、画面全体が光り輝いた。
「離れててよぉ……!」
先輩の語気に力が篭もる。俺はテケテケと駆け、隣で磔になっている少年の影に隠れた。
「えっと……」
「眩しかったりするかもしんないから気をつけとけよ」
「あ、はい」
そういえばこの子は一体何者なんだろう。今更疑問に思ってきたが、この場は黙って先輩を見守っておこう。
俺と少年が見守る先で、音無先輩は歯を食いしばる。
「んぎぃ!」
顔を真っ赤にした先輩が呻くと、体は壁から剥がれて床に膝をついた。その両手首は糸と一緒に壁面の一部ももぎ取っていた。
「うわ……」
少年が軽く引いている。俺も糸を千切ると思っていたから、まさか壁を引っこ抜くとは思ってなかった。
「ふんぎ!」
先輩は膝立ちのまま、床に手首を振り下ろした。手首にくっついていた瓦礫は粉々に砕け、固定を失った糸も一緒に先輩から離れ落ちた。
「っし、これで自由だ」
手首をコキコキと鳴らす先輩の姿に、それまでこちらのことなど意に介していなかった者どもの視線が注がれる。
「くそ……一対二」
「……遅かったわね」
先程よりも尚足の数を減らした蜘蛛女は、半分に欠けた顔で憎らしげに睨みつけ、縦横無尽の高速機動の足を止めたマジシャンズエースはちらりと一瞥するのみだった。
「そっちの邪魔をする気はないよ」
そう言い、自分の手でスマートフォンの画面に触れた先輩の体は光りに包まれる。
俺が言った通り眩しくなったが、事前に忠告していたおかげか少年も目を逸らし、光に目を潰されることもなかった。
輝きが収まった時にそこにいたのは、黒い装束を身に着けた犬耳を生やした魔法少女、ブレイブウルフ。
「悪いけど、あんたの分身は見逃せない」
腰を落とし、脚に力を込める。その目指す先を悟ったのか、半分しかない蜘蛛女の表情が変わった。
「ヤメロ!!」
憤怒、焦燥、悲壮、懇願。どれともつかぬ声を張り上げ、残り少ない足で跳躍した蜘蛛を床に縫い付けたのは、巨大な大鎌だった。
「ガッ!?」
下腹部を貫かれ、まるで生きた標本のようにカサカサとバタつく巨大な虫という図は、少し嫌悪感が過ぎる。
「いいから見てなさい。面白そうなショーじゃない」
マジシャンズエースが何事かを呟き、鎌の柄に足を掛けるとそれをぐいと床に踏み込んだ。
激痛に体液を撒き散らして痙攣する様子は直視するには耐え難く、そちらから目を背けていた。
今の四之宮先輩に少なからず恐怖を抱いてしまったことは、彼女に対して悪いと思った。
「エナジーファング」
一方、ブレイブウルフは己の右腕に自身のエネルギーで形成した刃を装着していた。
そして跳躍。一瞬で天井に貼り付く狼の進路にあったシャンデリアのような卵のうは、一拍の間を置いて一つ残らず切り裂かれた。
蜘蛛女の慟哭が木霊する。子を失った親の悲しみなのだろうか。良心に訴えられて胸が苦しくなりそうだ。
「見届けなさい」
俺に向けられた言葉かと思いドキリとしたが、それはマジシャンズエースから蜘蛛女へ向けられたものだった。
右手で押さえつけられた蜘蛛女の眼前には、今しがたブレイブウルフが処理した卵から零れた液体や幼虫にも満たない虫らしき残骸がボトボトと降り落ちていた。
「折角育てていたのに残念ね」
相手の神経を逆撫でするような台詞は、蜘蛛女には届いていないようだった。それだけショックなのだろうが、それにしても四之宮先輩らしいようなそうでないような、不気味な笑みはやはり怖さを孕んでいる。
「もう生きていても辛いでしょう。私がすぐに愛しい我が子の元へ送ってやるわ」
ズルリと引き抜いた鎌を携えたまま、マジシャンズエースはブレイブウルフと同じように天上に着地する。その顔は近くにいる狼には一瞥もくれることなく、ただ眼下の獲物を口を三日月のようにして捉え続けていた。
「フィニッシュ・ドロー。ストレート」
奇術師のカードホルダーから飛び出したのはクラブの四から六、ハートの七と八の連番。五枚のカードは鎌から槍へと形状を変化させたマジシャンズエースの武器に吸い込まれていく。
「グランド・フィナーレ」
天上から地上に向けて左手で投擲された魔法少女の武器の切っ先は、寸分の狂いもなく蜘蛛女の体の中央を貫き、縦真っ二つに引き裂いた。
最早断末魔の悲鳴を上げることもなく、二つに分かれた苦悶の表情を浮かべる顔を最後に俺に見せつけながら、蜘蛛女の体は光の粒へと代わり空気に溶けるように消えていった。
槍の元へ赤髪の魔法少女が現れ、床に刺さった槍を引っこ抜いて一振りすれば、その武器は影も形もなく消え去っていた。
「……終わったのか?」
俺が呟く傍らで、少年の体を縛り付けていた蜘蛛の糸は力を失ったかのようにあっさりと床に落ち、やがて消えた。
天上からはブレイブウルフが舞い降り、戦闘状況の終了を確認するようにエースと顔を見合わせた。
「良かった……これでもう誰も傷付かないんだ」
少年が安堵の溜め息を吐くと同時に、辺りの光景が一変した。正確には元に戻ったと言うべきだ。
荒廃したエントランスホールは俺たちが豪華なエントランスホールへ行く前と全く同じ状態だった。
俺は視線を壁に向けた。そこはさっき、音無先輩が腕ごと壁面の一部をもぎ取った辺りだが、元から朽ちた様子の壁には先輩が創った二つの抉れた痕跡は見当たらなかった。二人の魔法少女が立つ床にも注目してみたが、瓦礫や埃の散乱した床には四宮先輩が突き立てた鎌の裂創もないようだ。
幻覚を見せられたのだと思っていたけど、現実の館内に戦いの痕跡がないってことはよく似た別の洋館に俺たちは飛ばされたのか。それとも、館内のダメージは幻覚の館が引き受けたのか。
どちらにせよただ単に幻を見せられていただけじゃないかもしれない。そしてそれをやったのはあどけないこの少年なのは間違いないだろう。




