魔法少女と治癒行為
「んー……痛みはないか?」
ダブルオーは帰り、保健室で制服に着替えた俺はボランティア倶楽部の部室に向かいながら、額を軽く擦ってみる。触れると少しだけ痛むか。
そういえば先輩たちに部室へ行くのが遅れると連絡するのを忘れていた。今日は助っ人の予定もなかったはずだし、既に二人は帰っているかもしれないと案じながら部室の扉を開けた。
「あ……すいません、遅れました」
俺の不安は外れ、二人の先輩は部室の机に着いていた。
「こんにちは。大丈夫だった?」
椅子に座ったまま、四之宮先輩が言ってくる。その口ぶりは、まるで俺の身に起こった事を知っているかのようだった。
「聞いたよ! ボールぶつかって寝込んでたんだって?」
立ち上がった音無先輩が俺の方へと駆け寄ってくると、ボールをぶつけた額を間近でマジマジと観察してきた。
顔が近い。思わず視線を下に逸らせば、そこには先輩の豊かな胸。目のやり場がなく、自然と瞼を閉じていた。
「あの、聞いたって……誰に?」
「京子ちゃんだよー! ここに来て自分のせいで怪我したからって教えてくれたの」
そうか彼女が……。それなら二人が知っているのも納得である。そこまでしてくれるだなんて柏木さんは優しいな……単に憧れの音無先輩に会いたかっただけかもしれないけど。
すると、今度は白髪の先輩が訊ねてきた。
「それで怪我の具合はどうなの?」
「そこまで痛くは……。ただ、頭だから念のため病院に行った方が、って保険医の先生には言われましたけど」
四之宮先輩に答えると、音無先輩が「ちょっと見せて」と、額のガーゼをゆっくりと剥がしていった。
「いててっ」
「ウーム……腫れてるわね」
先輩がマジマジと傷を見てくる。俺は自分の傷の状態を見ていないが、眉根を寄せる先輩の表情を見ていると心配になってきた。
「活動に支障があるといけないし、早く彼にも慣れてもらわないといけないから……やっておく?」
「そうね、やっちゃおう」
やるって何を? 疑問に思う俺の前で、音無先輩が取り出したスマートフォンを自分の下腹部へと宛てがった。飛び出したベルトが、先輩の腰にスマートフォンを固定する。
「へ、変身するんですか!?」
カーテンも開けっ放しでやったりしたら、変身の余波で発生する光で注目を引いたり外から覗かれる危険がある。それはまずいはずなのだが、慌てていたのは俺一人だけだった。
「ううん、変身まではしないよ。ちょっと力を引き出すだけ」
力を引き出すこととは変身することじゃないのか。違いがイマイチ分からないが、
「それじゃあ目閉じててね」
と言われたので堅く目を瞑った。
「ちゃんと力を受け入れてよね」
両肩に置かれたのは先輩の手だろうか。そして間近に感じるその息吹。
目を閉じさせられ、先輩の顔が近づいている。これに似た状況に覚えがあった。以前、ブレイブウルフに変身した先輩が傷を負った俺を癒してくれた時に使った技、エナジーブレスを掛けてくれた時とそっくりだ。
受け入れろ、というのは先輩の癒しの力を弾くなってことだ。けどすいません。俺はまだ先輩の魔法式である紋章をちゃんと見ていないから受け入れられないかもしれません。
それでも頑張って受け入れろ、俺!
と、必死に念じながら先輩の口付けを待つ。あの柔らかな唇がまた俺のほっぺに……と、期待をしていたのだが、柔らかくそれでいて刺激的な感覚を享受したのは患部、つまり額だった。
「…………んっ。はい、おしまい」
予想とは違う場所ではあったが、今まで触れていた先輩の唇が発する甘美な声を聞きながら、そっと目を開け、額に触れてみた。
「あ……痛くない」
スリスリと擦ってもなんの刺激も感じない。ただちょっと湿っているだけだ。ここにさっきまで目の前にある唇が……。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
いえ、本当にごちそうさまでした。
「それにしても、傷口に直接触れるやり方もあるんですね。前とちょっと違ってたんで……」
「まあね。怪我したのが一箇所で触りやすいところなら、直接エナジーを与えた方がいいんだ」
この間の俺は全身あちこち怪我をしていたから、口移しに近い状態であの技を使ってくれたのか。
なるほどと想っているところに、先輩が怒ったような困ったような顔で詰め寄ってきた。
「それより、あたしの力の受け入れ、上手くいってなかったでしょ?」
「へ? そ、そうですか?」
「そうだよ! おでこの傷を治すだけで結構エナジー持っていかれたよ?」
「すいません……」
やはり魔法の許容は上手くいかなかったようだ。先輩の負担にならないようにしっかりとしなくては。
「頑張って早く先輩の負担にならないようにします」
「こういうのは無理にペースを上げずに自分のペースでやる方がいいわよ」
今度は四之宮先輩が立ち上がり、俺たちの方へ近付いてきた。
「この子のペースに合わせてたら相沢くんが過労死してしまうわ」
「ハッハッハ……ちょっとそれどういうこと?」
鼻高々に笑っていた音無先輩が隣の先輩に食って掛かるが、彼女は肩を竦めてはぐらかしていた。
「それより今日は倶楽部の活動予定なかったですよね? 俺を待っててくれたみたいですけど、何かあるんですか?」
そう訊ねると、二人は俺の方へ向き直った。
「うん、これまでは普通の倶楽部活動をしっかりとやってもらってたけど」
「今日は全員予定もなくて都合がいいから、もう一つの活動の方も経験してもらおうと思って待っていたの」
もう一つの活動と言われ、すぐに察した。
それはこの前俺を悪い奴から助けてくれた活動。魔法少女として、この街を守ろうとする先輩たちの活動だ。
「とうとう俺もそっちに参加っすか」
「不安かしら?」
と、四之宮先輩。
「初めてのことですから。多少は」
「そりゃ最初から危険なところには行かないよ。やることがやることだから、痛い目に会うかもしれないのだけは覚悟しておいて欲しいけど」
「それはまあ、分かってるつもりです」
それに痛い目に会うのは、先輩たちに会った時から何度も経験してる。その都度、音無先輩から口付けの治癒行為をしてもらっているから忘れられない。
ふと思ったが、先輩の魔法をちゃんと受け入れられるようになったら、治癒行為は口付けではなく右手からエナジーを分けてもらうだけで済んでしまうのだろう。それはそれで惜しくはある、という思いは俺の胸に仕舞っておくことにした。
「じゃあ荷物持って行こ。今日はもう学校に戻って来ないから」
「はい、分かりました」
「そう緊張せずに行きましょう。歩きながら今日行くところの話をするから」
鞄を手にして部室を出る先輩たちに続く。戸締まりをして、旧校舎を後にする。
いよいよだ。ボランティア倶楽部として……いや、スペシャライザーとして先輩たちと共に活動するんだ。
フン、と鼻を鳴らして気合充分に先輩たちの背中を追った。




