飛甲翔女の回想・2
次の日、九条玲奈は珍しくご機嫌な様子で朝食の準備をしていた。ポニーテールを軽快に揺らし、キッチンに立っている。
「フフン、これほど気合を込めて食卓の用意をしたのはいつ以来でしょう」
テーブルには花を生け、二人分の食事を次々と運んでいく。あの子のために用意しすぎたかと思ったが、昨晩の疲労具合を見ればたらふく食べてもらわないとならないのではと思ったために多めに準備していた。
「こうまでしてもらう義理もないのだがな」
そこに聞こえた声は、小さな子どものものに思えたが、彼女のいるダイニングに人は一人しかいない。あとはベランダ近くの窓辺にある鳥カゴにいる白い鳩と、ダイニングテーブルの傍でお座りしている黒い仔犬がいるだけである。そして普段と違うのはその仔犬の存在であった。
「あら? ですが貴方のご主人にたくさん食べて元気になってもらわなくてはなりませんでしょ?」
「パートナーだ」
そう言う仔犬の前に、膝を曲げた玲奈が小皿を差し出した。
人の言葉を話していたのは黒い仔犬だった。彼こそ、今玲奈の部屋で休ませている少女に憑いている妖精だった。
彼の赤い双眸が見下ろす皿には、ご飯とお味噌をぬるま湯で溶かしたおよそ仔犬に出す代物ではないものが盛られていた。
「……」
テーブルの上に並べられた料理との格差に腑に落ちないものを感じ、口を付けずにいたが、
「遠慮なさらずに」
作った人物にニコニコされながら餌を食べることを強要されていた。
「そんなことより、そろそろ来るぞ」
言葉の通り、ダイニングと廊下を繋ぐ扉がゆっくりと開かれた。
「おはようございます」
立ち上がった少女の挨拶に、ダイニングへやって来た短髪の少女はビクリと反応し、警戒心を抱いた視線を送っていた。
「朝食の準備が整ったので起こしに行こうと思ってましたの」
テーブルに並んだ料理を一瞥し、視線は再度少女に向けられる。
「早く食べたらどうだ。腹も減っているだろう」
「あんたはナニ寛いでんのさ!」
そこで初めて少女の表情は変わった。床で餌か残飯か分からない不気味な皿を前にお座りしている仔犬に対して声を荒らげた。
「あらあら。お元気そうですわね」
言い合いをしているところを微笑ましく見られていたことに、気恥ずかしそうな気まずいような表情を浮かべた黒髪の少女に、
「さあ、お座りになって」
更にそう促したところ、
「いいから食べておけ」
と、仔犬の後押しも加わって、渋々といった様子でようやくその子は椅子に座った。
朝食を摂り始めてからようやくお互いの素性や昨晩のこと、そして現在の状況についての確認が行われた。
「じゃあ力尽きて気を失ったあたしを九条さんが介抱してくれたんだ」
トーストにオニオンスープ、グリーンサラダはともかく、朝食には重いTボーンステーキを自分の血肉に変えるかのようにペロリと平らげながら、音無彩女は九条玲奈とテーブルを挟んで話していた。
「ええ。上から見させてもらいましたが随分とお強いんですね」
「フン、荒れて加減を間違える未熟者だ」
「うっさいわね!」
二人が話を進め、横から妖精が小言を言い、彩女が言い返す。先程からこんな具合である。
「荒れるようなことがあったのですか?」
その質問に少女と仔犬のコンビは口篭ってしまった。話しづらい事情があるのでしょうと察し、その話題はすぐに打ち切られた。
「お二人の立場も大体分かりましたわ。アギトさんの世界を襲った闇の一団が地球を手に掛けるのを防ぎつつ、アギトさんの世界を救う……なるほど大変な使命を負ってしまったものですね」
アギト、というのは彩女の足元で餌の入った皿に一口も付けずにいる仔犬の名である。
「音無さん、提案があるのですけれど」
食事の手を止め、玲奈はテーブルに両肘を付いて少し身を乗り出した。
「貴女に戦うべき相手がいるように、私にも戦うべき相手がいます」
「さっき説明してくれた……昨日あたしが戦った角張った奴らよね」
「魔敵存在と呼んでいたな」
二人の合いの手に玲奈は頷き、言葉を続ける。
「貴女がよろしければ相互に協力……いたしませんか?」
「きょうりょく?」
「ええ。お互いの今後を考えれば更なる強敵が現れないとも限りません。それに音無さんの方は何やらあったご様子……無理に、とは言いませんが、ここで協力関係を結んでおくのは悪いことではないと思いませんか?」
その提案を受けた少女は口に含んでいた食べ物をゴクンと飲み込み、腕を組んで考えあぐねた。
彩女の中で踏ん切りがつかないのか、何か誘いに乗れない理由があるのか、少し勘繰ってしまうが強引に勧誘するような真似はしたくはなく、黙って彼女の判断を待っていた。
「断ることもないであろう」
その言葉は、小柄な体躯に似合わぬ軽快な動きでピョンピョンと彩女の体を駆け上がって頭の上に居座ったアギトのものだった。
「けど……」
視線を上に向けて渋る彩女に向け、尚も仔犬の言葉は続く。
「大体お前の未熟が原因でこうなっているのだ。ならばそれを補うためにも今はこの女、九条玲奈と手を組むのも悪くなかろう」
「組むっても、そんな簡単にさあ……九条さんってなんかの組織に所属してるんでしょ? そういうのに参加すんのってねぇ……アギトだって嫌なんじゃない?」
「別に組織に加入してほしいと頼んでいるわけではありません。現場での協力体制をお願いしたいだけです。お望みなら貴女の正体は誰にも言いません。勿論知り合いの他の魔法少女にも」
「……知り合いって何人いるの?」
「両手で数えられる程度ですわ。音無さんは?」
「片手で。共通の知り合いもいるかもしれないけれど……」
「無闇矢鱈に口にするつもりはないですわ」
「口は堅い、か」
「気にするのは自分の口の軽さの方ではないか」
「あんたは黙ってなって!」
頭上からの声に彼女が鼻息を荒くしたが、すぐにふうと落ち着き、椅子の背もたれに体を預けた。
「いいよ。その申し出受けるよ」
「本当ですか? うふ、助かります」
「助かるのはあたしの方だよ。行き詰まりを感じてたのは事実だし、何かの切っ掛けを掴めればと思ってる。それに同い年で戦い慣れてそうな子って知り合いにいなくってさあ。本当は少し心強いとも思ってる部分もあるんだよ」
「あら、そうでしたか。十四歳で戦い慣れしているお知り合いはいまでんしたかそうですか」
ということはあの子やあの子とは知り合いではないかもしれない。知り合いだったとしても、お互いの魔法少女の姿は知らない可能性がある。年上、若しくは年下の知り合いには場慣れした子がいるような口ぶり……ならばあの人か、まだ小学生のあの子の正体は知っているだろうか。
「……やれやれ、やはり口は軽いか」
「え? 何よ?」
呆れ口調の妖精に声を掛ける彩女に、自分が思考したことを感付かれる前に、
「コホン、それでは音無さん。今後、よろしくお願いしますね」
そう言って手を差し伸べた。玲奈の右手に気付いた彩女は直ぐ様その手を握り返していた。
「よろしく。今度はあたしの戦ってる相手と一戦交えてみてよ」
「機会がありましたら、ね」
こうして玲奈にとっては数人目の、そして彩女にとっては初めての明確な協力関係を結ぶ同志となった。
「片付け、手伝うよ」
「あらあら。よろしいですのに」
気が付いた彩女が申し出るのを玲奈が断るより早く、彼女は空になった食器をシンクへと運んでくれた。
「家事は得意だからさ。朝食のお礼だよ」
袖を捲る仕草をすると、スポンジと洗剤を手に取り……その時、ふとキッチンの隅にあるゴミ箱に目が留まった。そこには開封されて捨てられたたくさんの冷凍食品の袋が押し込められてあったが、彼女は何も言わずに朝食を振る舞ってくれた家主のために黙々と食器を洗うのだった。




