魔法少女のいないカフェ
ここは街のとあるカフェ。
今日も初老のバリスタと壁にかかる古時計だけが訪れる客を見守っている。
昼前の客はテーブル席に向い合って座る一組の男女。恋人ではない、間に流れる空気が微妙な関係を物語っている。
「こんな時間に呼んだってことはちゃんと進展してるんでしょうね?」
左目に泣き黒子のある女性が二人がけの椅子に深く腰掛け、右手を背もたれに乗せた姿勢で疑わしげな視線を投げつけながら訊ねた。
それを気にする様子もなく、メガネを掛けた青年は平然とコーヒーカップに口を付けている。
「ここのコーヒーが美味しくてね。君の商売の参考になるかと思って」
「いいから本題」
やれやれ。青年は仕方なくカップを置くと、今度は懐からスマートフォンに似た黒い機械を取り出し、それを女性のコーヒーカップの傍に置いた。
「調べてみて分かったことは、これは僕たちが使っている情報共有端末とよく似た外見と内容をしているということだけだよ」
コーヒーカップの縁に指を滑らせていた女性の手がピタリと止まる。それから小さく嘆息。
「あのさ……それこの間話した時に言ったことだよ」
「そうだね」
「……まさか分かったことがそれだけなんて言わないよね」
「それだけとしか言えないんだよね。ハハハ」
頭を掻いて朗らかに笑うメガネの青年に釣られ、黒子の女性も笑いを漏らし始めた。
「フフフ」
「ハハハハ」
「フフフハハ」
「アハハハハハ」
「何笑ってんのよ!」
テーブルをバンと叩き詰め寄ると、青年は苦笑しながら身を引いた。
「まあまあまあ」
落ち着いて、と両手を向けて彼女が詰め寄るのを抑えようとした。
「何も分からなかったっていうのはそれだけでも凄い成果なんだけど。もう少し評価してくれてもバチは当たらないんじゃないかな」
「ちょっとそれどういう意味さ?」
身を引いた彼女がドカッと腰を下ろし肘をつく。落ち着いたのを見計らってコーヒーを一口啜り、青年が口を開いた。
「情報端末を扱えるのは機関の中でも部門長クラス。厳重な管理の下で外部に情報が漏れるようなことがないようにしている」
「けど漏れた」
「つまりそういうことさ」
「……」
「そう。僕も情報を売った容疑者になってしまうね。残念ながら」
懐疑の視線を受け止めながら青年は薄く笑っている。彼はそういう男だと、彼女は理解していた。
「外に情報を持ち出すような裏切り者がいる、と?」
「ばれないように端末と情報は模倣したものを使ってね」
次第に女性の表情が険しくなっていくことに、青年もいつまでも笑ってはいられないと感じたのか、口角が若干下がった。
「その情報に添ってスペシャライザーが襲われた……」
「そういうことになるかな」
「襲われたのがあの子たちで良かった」
「それはまたどうして?」
「被害が広まらなくて済んだ」
更に端末を拾い、これ以上情報が拡散する前に彼に渡せたのは幸運と言える。
「皮肉ね。あんたの機関の勧誘を断った少女たちが、あんたの機関の不手際で被害を受けた上にそれを退けるなんて」
「耳が痛いね」
目を閉じ、誹りを受け入れる彼を見て彼女は歯噛みした。これでは少女たちをダシに彼を責めているだけではないか。これ以上は自分が惨めに感じられるし、何より彼女たちを貶めるように思えた。
「とにかくこれ以上端末の件で叩いても埃は出そうにないってことね」
「ああ。けどさっきも言った通り、そいつの元となった情報機器を自由に扱えるのは僕も含めて一握りの人間しかいない。探りを入れれば何か」
「ちょい待ち」
話を遮ったのは、彼女の携帯電話に着信があったためだ。断りを入れて席を立つと、いくつか言葉を交わしてから青年の前に戻ってきた。
「うちの優秀な影からの報告よ。あんたの言ってた魔女、取り逃がしたって」
「おや、そうかい」
「そうかいじゃないよ!」
叫び、詰め寄る。両手を叩きつけられたテーブルにコーヒーが散り汚れた。
声を上げても音を立てても、幸いな事に気にする客などいなかった。
彼女の剣幕にとうとう青年の顔からは一片の笑みすら消え去った。
「魔女の力を手に入れて何をしようと企んでいたの?」
詰問され、一拍間を置きふむ、と考えこむ仕草。
「僕もね、ある部門長から危険度の高い魔女がこの街に潜んでいるから対処を手伝ってくれないかと言われただけなんだ。この間のバーで話した情報に嘘偽りは何もない。なんなら彼から提出してもらった資料を今度見てみるかい」
「是非見せてもらいたいもんね。それであんた達は魔女を討伐したかったの?」
「少なくとも僕はそのつもりでいた。最悪逃げられても、この街からいなくなってもらえればそれでいい、と。もしもだ、魔女の言っていたことが真実だとして、僕にはその力を手に入れるとか利用するとか、そういう意図は毛頭なかったさ」
「じゃあその依頼を出した奴が犯人ってことじゃない」
顔をズイッと近付ける女性に動じることなく、青年の糸目が彼女を見据えていた。
「誰?」
また一拍。答えが返ってくるのをじっと待っていた彼女に、彼が口を開く。
「この件の調査は僕に任せてもらえないかな?」
「ッハァー?」
不服な返答に彼女の表情は歪んでいた。だが青年は臆する様子もなく、またもあの薄ら笑みを浮かべていた。
「もしかしたらさっき君の言っていた埃も叩き出せるかもしれないよ」
その言葉で彼女も気付いた。
「情報漏洩者と魔女を欲する人物は、同じ?」
「可能性の話さ。そしてそれを調べるなら僕以上に適任な立場にいる者はいない」
「でもあんたの立場じゃ調査し始めたら逆に目立つんじゃない?」
彼女の懸念を他所に、彼は微笑んだままだった。
「優秀な影がいるのは君だけじゃないってことさ」
「……ふぅん」
詰め寄っていた女性がようやく席に着いた。開放感から、青年の方は一つ溜め息を吐いていた。
「じゃあ中の方はあんたに全部任せるわ。その代わり、外部に被害が出そうな時や調査が完了した時はキチッと連絡してよね」
「それは勿論」
そう言って彼は含み笑いを漏らした。当然女性はそれが気にかかり、コーヒーカップを弄びながら目の前の男に話しかける。
「何よ?」
「いや。君からすれば僕も情報漏洩の容疑者のままだろうに、そうまで信じてもらえるなんて」
「疑ってほしいの?」
「まさか。信頼されて嬉しいんだよ」
「……言っとくけど、あんたが漏洩者だった時は情けなんて絶対掛けないからね」
「ハハ、肝に銘じておくよ」
相も変わらぬ飄々とした態度。笑顔の奥の真意は掴ませない。そういうところが嫌いであった。
睨めつけながら、熱が下がってきたコーヒーを初めて口にした。
「! 何これすごい深味……」
「だろう? 淹れたてのものならもっと味の違いが分かるよ。もう一杯頼んでみるかい?」
「あんたの奢りでね。スイマセーン!」
「いやはや。参ったね」
店のオーナーに注文を取ろうとする彼女を見ながら、青年は苦笑した。その笑顔はこれまでと変わらぬニヤケ面であったが、どことなく愉しそうでもあった。
ここは街のとあるカフェ。
今日も初老のバリスタと壁にかかる古時計だけが訪れた客を見守っていた。




