魔法少女と別れ
「楽しかったよ」
「こちらこそ。スカーフのいいデータが取れましたわ」
「スカーフ?」
疑問符を浮かべた彩女の視線が玲奈の首元に向けられるが、そこに彼女が想像したものは巻かれていない。
「先程から貴女の頭をコツコツ突付いてる武器ですわ。自律型戦闘支援飛行兵器群、その頭文字を取ってSCAAFUと呼んでいます」
「ふうん」
彩女が指で触れると、スーッと離れ、自ら玲奈のフライトウィングへと戻っていった。
「これまでも幾度となく実戦投入しいましたが、今回ほど拮抗した実力で扱えたことはありませんでしたから」
「まあ……お役に立てたならいいけどさ。あたしも久々に全力出せて良かったよ」
「私は全力の三割程度でしたけれど。おほほほほ」
「……全力で遊べてよかったなあ! ああ、九条さんは本気の全力の三割も出しちゃったの? ごめんねえあたし本気なんて欠片も出してなくって!」
お互い鼻が触れ合う程の距離で本気じゃなかったアピールを繰り返していたのだが、何かに気付いた玲奈は懐からハンカチを取り出した。
「お顔、汚れてますよ」
「ん?」
手にしたハンカチが彩女の頬に伸び、ササッと顔に付いた土汚れを払い落としていく。
「ありがとう。わざわざ悪いね」
「お気になさらず。このままでは綺麗な肌が台無しですもの……うん」
汚れがしっかりと落ちたか見極めるように彩女の右頬を下から覗き込んでいた玲奈が至って自然な動きで踵を上げ、顔を寄せていった。
互いの顔が触れ合う。より正確に言えば彩女の頬と玲奈の唇である。
「うん。大丈夫ですわ」
顔が離れてから何をされたか理解した彩女は、慌てて自分の頬を抑えた。柔らかな感触が残る湿った頬が、微かに朱に染まってきた。
「ナンデ!」
驚きのあまり叫びがカタカナになるのも已む無しである。
「引き分けた時に何をするか決めていなかったでしょう? それだと思ってくださいな」
接吻した口元を手で隠すようにしながら、玲奈は地面を蹴った。音もなく舞い上がり、空から声を掛けてくる。
「ここの惨状は適当に報告して誤魔化しておきますので、アヤメさんはお気になさらないでください」
「……そうしてもらうと助かる」
「そういえばまだ言ってませんでしたわね。お誕生日、おめでとうございます」
「……ありがとう」
「次にお手合わせする時は是非本気でやりたいですわね」
頬に手を当てポーッとしていた彩女も、ここにきてようやく我に返った。
「それこそ冗談! 友達と本気で戦うなんてのは……あたしはもう御免だよ」
それが彼女の本心だった。如何に友を救う方法が友を倒すしかなくとも、そのために戦うという真似はしたくはない。かつて全力で戦ったことがある故の思いだった。
「そう、ですわね。けれどその……もしお暇があったら、またこうして私とお会いしてくれますか?」
「それくらいなら全然オッケー! あたしもさ、九条さんがよければまた色々お話して、仲良くして……」
そこまで言って、今しがたされた口付けのことを思い出し言葉に詰まった。
仲良くしたいけどこういう仲の良さはなんか、違うような恥ずかしいような……。
そんな彩女の心中を察することもなく、玲奈はパアッと表情を明るくしていた。
「同じお気持ちだったなんて嬉しいですわ! 絶対にまた会いに行きますから、それまでお元気で!」
手を振る彼女に、彩女も小さく手を振り返した。するとこれまでにないほどの超高速で玲奈は飛び去り、後には彩女一人だけが残された。
「あんなに嬉しそうならそれでいい……のかなあ」
彼女はまだ頬を擦っていた。
口を付けたりすることは治癒以外ではほとんどしない彼女である。慣れぬ行為に狼狽えてしまうのも仕方がない。
いや、つい最近されたことがあるのを思い出した。厳密に言えばあれも彼女の身体異常を取り除くために仕方なく後輩の少年がしてくれた行いだったのだが。
「……あ」
彼のことを思い浮かべてようやく今が何時なのかが気にかかった。
玲奈との戯れに夢中ですっかり時間のことを失念していた。てへぺろっと自分の頭を小突きながら、ベルトになっているスマートフォンを一時的に取り外して時間を確認する。
十時五十二分。
「っぴゃぁあああ!?」
全身総毛立つのを感じ、その場に立ち尽くす。
あれ? どうしたらいいんだろう。ここから西台高校までは自転車でどう急いでも三十分はかかる。間に合わないよね。遅刻するって連絡する? 折角あたしのために集まって準備までしてくれた人たちにそんなことが言える? えっとまずはカリンに連絡……したら後でお説教間違いなしだね、どうしようどうしようどうしよう。
グルグルと思考の迷宮に陥っていた彼女だが、それを打破する力技の解決策があることに気が付く。
思い立ったら即行動。滑るように山中を駆け下りると、山の麓の木々の間に立てかけていた己のロードバイクを担ごうとして、
「……ん?」
フレームとワイヤーの間に二つ折りにされたカードが挟んであるのが目に留まった。ここに隠した時にはありはしなかった物に、急いで学校まで戻らなければならないはずの彼女の足は少しの間止まってしまった。
摘んだカードを開き、書いてある言葉を読むと感極まって言葉が出てこなかった。
差出人は真神風里。内容は彼女の誕生日へのお祝いのメッセージである。
「……ありがとうございます!」
いつの間に誰がここへ置いていったのか、それを知ることはできないがある程度の予想はついていた。
近くにいるか遠くにいるか、それとも既に用を終え去っていったのか定かではないが、感謝の言葉を口にせずにはいられなかった。
お祝いの言葉の余韻に浸る間もなく、カードを懐に仕舞い自転車を肩に担ぐと、大きく跳躍して森から飛び出した。
なるべく高く、なるべく速く、人の目に留まらぬようにして。
建物の屋上から屋上へ飛び移り、目的地まで真っ直ぐ、最短距離で。それが彼女の導き出した解決策。普段なら私用のために力を振るうことはないが、今は玲奈とのバースデーファイトの延長戦ということで自分を納得させて、残り制限時間五分の帰路を超速で急ぐのだった。




