魔法少女と再会
ベルの神使い。いつしか少女はそう呼ばれていた。
山間にある小さな村は外部との交流も希薄であり、住人の多くはこの村でその生涯を終えていた。
平凡な家庭に生を受けた少女は両親から愛情を注がれすくすくと育った。
平凡でないと気付いたのは生まれて五年目のことだった。小鳥の言葉を解し、男の子の怪我の痛みを和らげることができた。
本人には特別なことではないと思っていたし、一緒に野山を駆け遊んでいた子ども達もそれを知っても便利だと思うだけで、特別視することはなかった。
大人に知られた時、その力は特別なものだと諭された。この村に神が使わした巫女ではないかと噂する者も現れた。
周囲の盛り上がりに反し、困惑する少女は自分の力が普通ではないのだと自ずと理解した。村長からも、その力を無闇矢鱈と使わぬようにと念を押された。
特に外の者には絶対に見せてはならぬと言われていたが、少女が十の時にその言いつけを破ることとなった。
山の中に怪我人がいると小鳥が教えてくれた。その声に導かれて進んだ先に、村では見たこともない格好をした人間が木の根元にもたれかかっていた。
布の代わりに鋼の衣で全身を覆った血だらけの人間を、少女は見捨てることができなかった。
その男の痛みを和らげたところ、まだ傷は癒えていないにもかかわらず強靭な胆力で立ち上がった。
この事は秘密にしてくださいと願うと、男は約束すると口にし、己の足でその場を去っていった。少女も安堵し、その出来事は村の誰にも語ることはなかった。ベルの村がこの世界から消えたのは数日後のことであった。
――――――
「……チッ」
赤黒い衣を纏った魔女は目を覚ました。昨日の戦いに続き夢でも不快な思いをさせられたことに忌々しげな表情を浮かべていた。
何故今になって数百年昔の出来事を夢に見たのかと考えてみたが、木の根元で傷を抱えて横になっていたせいだと気付くのに時間はかからなかった。あの時と違うのは、傷付いた魔女を救う心優しい少女はもういないという点だ。
右腕の傷が特に痛む。召喚獣に過剰な魔力を注ぎ自爆させた隙に戦場を離脱したが、その際に女の放った十字の刃物が狙い撃たれ、咄嗟に腕で防いでいた。
あの女さえいなければ深手を負うこともなかったのは確かだ。だがそれでも勝ち戦にはならなかったことは認めざるをえない。
あの魔法少女、幻獣奏者と名乗った少女との力量差を認められない程狭量ではない。勝負自体は少女との戦いで決していた。傷を負ったのはその後だ、負けて逃げたことには変わりない。
相対している時に真っ直ぐ見つめてきたあの瞳。穢れず、強い意志を宿した眼。世界は善だと疑わない清い心。
昔の自分を思い出させるようで気に入らなかった。
思えば風に聞こえた噂に釣られてこの街へ来たことが失敗だったと強く後悔していた。噂の出処、あの組織にいた男。なんという名だったか。気味の悪い薄ら笑いを浮かべた掴みどころのない人間だった。
アレの狙いが何だったのかは判然と分からない。だがあのままアレの手中に留まるのは危険だと察知し、逃げた。
追っ手をかわして海辺に隠れていたがそれも見つけられた。そして今は海と反対、山中へと身を潜めていた。
満身創痍であった。使い魔の一つを失い体も無事ではない。あの街の追っ手から逃れられたとはいえ、これからどうすべきか途方に暮れていた。
「このまま果てるか……」
それも悪くはないと思い始めていた。
生まれ育った村を消された復讐はすぐに果たしていた。村を襲った領主の軍勢に唯一人捕えられ、心身ともに家畜以下の扱いを受け力だけ望まれた。魔法に関する知識だけは存分に学ぶことができたし、領主のために力を使っていれば命を危険に晒す目には遭わなかった。
従順に言いつけを守り、己の力を高め、害意がないと目された頃に復讐を果たした。
三日三晩に渡り燃え盛る領地。女子どもの悲鳴を聞かせ続けた。自分が味わったものと同じ奪われる絶望を与えたかったが、領主は最後まで自身の命乞いしかしてこなかった。
それ以来彼女の心を常に虚無感が蝕むことになる。満たされぬ人生、満たされぬ心。人の世との交流は極力断った生き方を続けてきた。だから此度このような目に遭ったのは現代の人の世界に踏み込んだせいだと彼女は結論付けた。
すべきこともなく、また戦力の大部分を削がれたために立ち上がる気力さえ失っていた。
「…………っ」
だからか、強大な力の波動がすぐそこまで迫っていることに気付くのに大きく遅れた。
自棄になり生きることすらどうでもいいと思いかけていたはずだが、逃げるべく立ち上がっていた。
心の奥底では生に執着しているのか、ふと自嘲に似た笑いが込み上げてくるのを感じながら踵を返した。
「貴女に訊きたいことがある」
声の主は魔女の目と鼻の先にいた。
魔女より尚暗い漆黒の衣を纏う猛獣。
その少女が体に宿す暴力は、瞬時に魔女の戦意を呑み込んだ。
「魔女の呪いを解く方法を知っていますか」
丁寧な口調とは裏腹の獲物を威嚇するような闘気。鋭い眼光に怖気付いてしまう。
「知っていますか」
「……呪いの、掛け方によって変わる。誰が掛けたかによっても」
魔女の領域を展開していなかったことを悔やみつつも、力量差や体調を鑑みても逃れることは難しいと判断を下し、驚くほど素直に相手の問いに答えていた。
「ウィッチオブナイトメア……悪夢の魔女。聞いたことはありますか」
魔女は息を呑んだ。その名を知っていたからだ。そしてその名を冠す魔女が如何に強い力を持っているかは、世界との交流を最低限にしていた彼女の耳にも届いていた。
「ナイトメアの呪い、か。あれを解くなど不可能」
魔法少女の右腕が魔女の喉を貫いた。
「痛っ!」
それは魔女が抱かされたイメージ。実際にはその右手は魔女が傷を負っている腕を掴んでいた。ギリギリと力を込めてくるのは情報を引き出すためか。
「本当だ……どのような方法で掛けたか分からぬ以上、術者を叩くしかないだろう。だが同じ魔女として言う。あれを倒すなど無理だ」
「貴女には、でしょう」
少女が腕を開放すると魔女はよろめいた。
「結局やっぱり最終的にはそれしかない、か」
言葉と共に息を吐き出す少女。と同時に斬りつける程に張り詰めていた緊張の空気も霧散した。
「他に方法がないかって探してるんだけどなあ……」
「あ……悪夢の魔女を力で捻じ伏せるのか」
背を向ける少女につい訊ねてしまったのは、威嚇してくる重圧が消えてしまったせいである。
「一応まだ他の方法を探すつもりはあるし、あんまり戦いたくはないんだけど……仕方ないなら、やるしかない」
そう告げ、魔法少女はその場を離れようとした。
「私を始末しに来たんじゃないのか」
質問だけして去ろうとする魔法少女にまた声をかけていた。あの男の元から逃れ、追われ、昨日も傷を負った。
今日もこうして追っ手に狙われたと思っていたが、質問だけして去ろうとすることに違和感を覚えてしまい訊いてしまった。
「別に。魔女っぽい反応があったからちょっと質問しようかなと思って探してただけ」
その表情は柔和なものだった。禍々しい闘気と少女らしい雰囲気の落差に、魔女は意表を突かれた思いだった。
「始末されるような悪いことでもしたの?」
「……いいや」
ならいいじゃん、と少女は言う。この街に来てから何もしていないのは事実であった。逃げる時に何人か傷を負わせはしたが命に別状はないだろう。
「なら面倒事が起こる前に早く離れた方がいいね」
ぴくり。
目の前の魔法少女にばかり気を取られていた魔女も、そこまで言われれば気付いた。
しかしかつてベルの神使いと呼ばれた魔女には帰る場所もなく、行く宛なくここを離れるしかなかった。
「此処を去り、何処へ行くというのか」
「待ってる人とか、生まれ故郷とかあるんじゃない?」
「そんな者はいない。そんな物はない」
「ふぅん……」
天を仰ぎ、魔法少女は何を思っただろう。すぐに視線は魔女に戻された。
「ま、とにかくここから離れなきゃ危ないんでしょ? 折角五体満足なんだし、のんびり観光でもして行く宛を見つければいいんじゃない?」
少女の言葉通り、右腕に刻まれていた刺し傷は癒えていた。それどころか全身に少しずつあったかすり傷程度のものまで消えていた。
先程掴まれた時か、と考える魔女の脳裏には、自身が久しぶりに見た夢の記憶が浮かんでいた。
「いいだろう。お前の言う通り、この場を離れよう」
「そうして」
「最後に訊いておこう」
「うん?」
「私を追ってきた者と関係はないのか?」
何のことかと言いたげに、魔法少女は諸手を挙げた。
「そうか。悪夢と関係あるかは知らんが教えておいてやる」
魔女の方を見やった少女の目に映ったのは、空間に溶けるように消え行く女の姿である。自身の展開した魔女の領域へと逃れているところだった。
「私を狙っていた者どもは魔女の力を欲していたぞ」
「へえ……どいつら?」
問いかけに対して答えた時、魔女は初めて少女に笑みを見せた。
「自分で確かめろ」
答えを教えぬ意地の悪さを残し、とうとう魔女の気配はその場から消え去った。
探知に優れた魔法少女の耳や鼻でも探りだすのは困難である。これを探しだして領域を破れるとすれば、かなりの手練でないと無理だろうと少女には理解できた。
だが、別の気配は探り当てている。五つ、六つ……いややはり五つ。
森の中からこちらを囲むように陣取った四つの気配と、探りにくい気配が一つ。それが一番厄介な相手だろう。
「さてと……」
まずはどうしたものか。おそらくは今まで話していた魔女の言っていた追っ手だろう。魔女の力を狙っていると教えられた。ウィッチオブナイトメアと関係があるかは分からない。無視をするかちょっかいをかけてみるかの判断を前に、
「……こうして探られてるのも気になるしね」
魔女が消えてからも五つの気配が動く様子はなく、自分がそれらの目標に据えられたようで落ち着かなかった。
黒衣の魔法少女が地を蹴った。目にも留まらぬ速さの動きで四つの気配の一つに急接近を試みる。
獣の尾のように長い衣と首輪の留め具から伸びる真紅のマフラーを翻し走る彼女の動きを察したのか、気配は山中を縫うように移動し始めた。
「むっ」
常人離れした速さで木々の隙間を駆けていく魔法少女と同じ速さで逃げていく。同時に、彼女の背を追って三つの気配も動き出した。
追っているが追われている。速度を上げても同じスピードで逃げられ、速度を緩めると追っている気配と追ってくる気配のどちらも少女の速さに合わせる。
誘われていると察した直後、森は拓け原っぱに飛び出していた。
追っていたものと追ってきたものの姿を捉えた視線は空へと向いていた。
それは金属の飛翔体。朝日を浴びて煌めく蒼刃が帰着したのは、宙に留まる人影であった。
四枚の翼と青い機甲衣に身を包む少女。
「お久しぶりですわね、アヤメさん」
声をかけられた魔法少女はハッと息を呑んだ。かつての形容とはかなり様変わりしていたが、その声、その顔は彼女の知った人物であった。
「九条さん……」
九条玲奈。音無彩女と同じく魔法少女と称されるスペシャライザー。かつて共にいくつもの戦いで肩を並べ、大戦を終焉に導いた者の一人であった。




