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魔法少女の奉仕活動  作者: シイバ
魔法少女の奉仕活動一
3/260

魔法少女と出会い

 俺はなんでこんな目に合ってるんだ、と毒づきながら夜の公園内を必死で駆けていた。


「クソ、クソ、クソ! 訳分かんねえ!」


 突然空から女が落ちてきた。空から女の子が降ってきたなら喜んで両腕で受け止めていたのかもしれないけど、そんな生易しいボーイミーツガールじゃなかった。

 放課後の教室で勉強をしていて、暗くなったから帰っていただけだ。いつもより少し帰宅する時間が遅くなっただけだ。それだけで空から女の人が目の前に落ちてくるなんて珍事に出くわすとは想像もできなかった。

 女性が膝をついた際には衝撃音とか振動なんてものは感じられなかった。背中に生えた蝙蝠のような羽根が羽ばたいて着地の衝撃を吸収したんだろう。目の前に降って湧いた翼と尾の生えた女性はゆっくりと立ち上がり、小さく舌なめずりをした。

 むぐぐ、と赤面してしまったのは、その仕草のせいだけではなく、足ぐりの切れ込みが鋭く胸元も際どい格好だったからだ。青少年に対してこの色っぽさは劇物だ。顔立ちも切れ長の瞳に通った鼻筋、かなりの美人だ。

 でも、そんな人にいきなり襲い掛かられて、俺はこうして逃げているところだった。


「アハハハハ! もっと速く走らないと捕まえちゃうわよ」

「うわわ! グヘッ」


 背後から追ってきている声が急激に近づいてくるのに気付いて無様に転んでその場に伏せた。直後に頭上を風が切っていく。


「あら残念。意外としぶといのね」


 バサバサと背中のものを羽ばたかせながら、女の人は宙に腰掛けるように足を組んだ。

 人間じゃねえよあんなの。ガチガチと鳴る歯を食いしばって立ち上がると、踵を返して駆け出す。伏せた時に膝や腕を公園の地面に打ち付けたが、それでも走らなければ危険な目に遭うと頭ではなく体で理解し、とにかく動かし続けた。


「大分足が遅くなったわね。もう終わりかしら」


 右から声がした。確かに体が痛くて走るペースが落ちたが、こんなにあっさり追いつかれるなんて、この追跡者は今まで全然本気で追いかけちゃいなかったんだ。


「痛っ……!」


 メキメキと右腕が軋み、バチンと鈍い感触が響いた。蹴り飛ばされた空き缶のように勢い良く地面を跳ね、滑り、止まった。


「人間って脆いわよね。ちょっと足を出しただけでこの有り様」


 蹴り飛ばした相手を馬鹿にするようにせせら笑い、コツコツとヒールを鳴らしてこちらに近づいてくる。

 俺はといえば、しこたま体を地面にぶつけた衝撃で呼吸もままならない。右腕はこれまでの人生で経験したことのない痛みの信号を頭に送ってくる。その頭からも生暖かなものが流れだし、右目を塞いでいた。冷たいアスファルトと温い血液の感触が頬から伝わってくる。


「それでいて生命力に満ち溢れているから効率的だわ。家畜のように手間を掛けずに勝手に増える便利な餌」

「あ……うぐ」


 声も出せない喉から音が漏れたのは、自在に動く尾で首を締められ持ち上げられたからだ。自身の重みで首が抜けそうな苦しみだったが、それはすぐに開放される。背後から回された腕が俺の体を締め上げ自由を奪ったからだ。

 そんなことをされなくても体を動かすことなんてできないのだが、それは体を拘束するための抱擁ではなかった。痛みのせいで顔を苦悶に歪める俺の足が、不可思議なことに大地を離れる。何が起きているのかと微かに開ける左目に映ったのは、眼下に広がる公園の景色だった。

 俺を抱いたまま、女は空に羽ばたいだのだ。空から公園を見下ろすなんて、こんな状況じゃなきゃ感動的で壮観な眺めである。


「空での食事なんて乙なものでしょ。人間の建てた物が目に付くのが癪だけど」


 遠くに見えるビル等の明かりのことを言っているのか。首筋にヌラリとした感触が這ったかと思うと、鋭く刺す痛み。また喉から空気が漏れる。

 ちゅうちゅうと啜るような音。音がするたびに体の熱が奪われるような錯覚。声を漏らす力さえ失ってしまい、女の人の腕の中で完全に脱力してしまう。


「これでもうお前の命は私のモノ。生力の一滴まで吸い尽くされなさい」


 捕食者が獲物を逃さないように、腕だけでなく足も絡みついてくる。


「安心をし。お前の命は私の糧となり生き続けるの。だから遠慮無く」


 また、首筋にヌメっとしたものが這う。舌が首に刻まれた傷をじっとりと舐めていく。次に襲い掛かってくるのはあの悍ましい痛みか。鋭い歯が首に突き立てられてしまうのだ


「死になさい」


 死にたくない。言葉を受けて脳裏に浮かんだ思いはそれだけだった。訳の分からない状況に追いやられたまま短い人生が終わりを迎えるだなんて。そんなの嫌だ。

 死にたくない。どれだけ頭の中でそう願っても、誰かに届くはずもない。無慈悲な痛みが、また首筋に走るんだと諦めの感情が全身を支配した。


「っちい!」


 耳に届いたのは吸引音ではなく舌打ちだった。同時に拘束を解かれた体は重力に引かれて落下を始めた。落ち行く最中に目に捉えた空には、こちらを突き放し上昇する女の姿。そして俺たちを引き裂いた眩い閃光。


 なん……だ……。


 光の中に人影が見えた気がした。しかし僅かに開いた左目は次第に霞んでいく。誰かがいても見えそうにない。


「貴様は誰だ!」


 女の怒声が響く。その顔は光の行く先を見ているようだった。女の顔がこちらを向いた時、俺の体は温かな光に包まれていた。

 誰だろう。しかし思考は巡らない。肩と膝の下を支えられながら、優しい温もりが全身を満たしていく。なんて優しさ溢れる抱き方だろう、とお姫様抱っこされた格好のまま考えたのが最後だった。凛々しく、強さを湛えた表情を見上げながら、意識は遠のき、微睡んでいくのだった。


――――――


 昨夜の出来事を現実のものとして受け止めていた俺は、部室内の空いていた机に座らせてもらっていた。


「昨日のことは全部現実で、俺はそこにいる音無先輩に助けられた。……そういうことなんですね」


 もう一つの席に着く四之宮先輩は首を縦に振った。音無先輩は、変身した姿のまま俺たちの横に立っている。

 改めてその格好を上から下までマジマジと見つめる。

 艶やかな黒髪からぴょこんと生える犬耳。首に巻き付く赤い首輪と留め具から靡く真紅のマフラー。胸の真ん中のピンクのリボンはハートのクリスタルで留められ、お腹は丸出し。おへそが見える。腹筋が薄っすら田の字。俺より逞しくって健康的だ……いい。


「ちょっと見過ぎじゃないかな?」

「す、すいません」


 視線が不躾すぎたか、気にした音無先輩がパッとお腹を手で隠した。謝りながらも、視線は肘から手の甲までを守るアームカバーに向けていた。手の甲には、胸のハートと同じ赤色のクリスタルが嵌ってる。あれで叩かれたら痛そうだ。


「あの……質問です」

「はいどうぞ」


 挙手すると、四之宮先輩が促した。


「音無先輩が、その……魔法少女? それは分かりました。俺が襲われてたのも夢じゃなかったって、信じます」


 その言葉に満足したのか、隣に立つ先輩がへへ、と鼻を擦って笑った。身動ぐたびに、ピンク色のスカートとそれを覆う黒い腰布がふわりと揺れる。目立つのは、スパッツに包まれた太ももの間から見える後ろの腰布だ。床に着きそうに長い。犬の尻尾みたいだと思ったのは、先輩の頭についた耳のせいでもある。レッグカバーにブーツ、全身を加味して抱いた感想は、女性に対して適切ではないがヒロイックだなというものだった。

 マフラーにベルト、そして黒をベースにした衣装。男の子の心を擽ってくるデザインだ。そういうの、俺は結構好きだ。


「どうしてそれを俺に信じさせたんですか? 助けてくれて、怪我も治してもらったみたいだし、俺なんてそのまま公園に寝かせてれば良かったんじゃないですか? そうすれば、俺は昨日のことは夢だって思ったままだったはずだし、先輩がこんな……特別な人だなんて教える必要もなかったはずです」


 俺は四之宮先輩に疑問をぶつけた。俺みたいな一般人に、非現実的な物事を教えるメリットなんておそらく皆無だ。無駄に他人に知られるより、ひた隠しにしていた方が良かったはずだ。非現実的な現実が存在するなんて世間に知れたら、大なり小なり混乱が起こりそうなものだ。


「確かに相沢くんの言う通り。助けた人に正体を明かすなんて馬鹿な真似は普通はアヤメだってしないわ」

「むぐぐ……言い返せない」

「正体が明るみに出て襲われる危険も増えるし、それに何よりこういうのって、人には秘密にして活動するのがセオリーってものよね」


 ふふ、と上品な笑みを浮かべる。やっぱりそういう考え方は共通らしい。ならばこそ、何故自分にだけ正体を明かしたのかがやはり謎である。が、それはすぐに解決された。


「正体を明かしたのは、あたしが君を助けられなかったからなんだ」

「…………え?」


 助けられなかったとは、つまり俺は先輩に救ってもらえなかったという意味なのか。


「待ってください……俺、こうしてちゃんと助けてもらってるじゃないですか。あれ? もしかしてこれって夢の続き? 本当は死んじゃってたりして」


 ハハハと笑えてきた。受け止めたはずの現実が悪夢と化して頭の中を掻き乱す。助けられなかったという言葉が、あの時の痛み、恐怖、畏怖、絶望を思い返させた。女の子が二人もいるのに、情けなく全身震わせて怯えてしまう。


「もうバカ。折角落ち着いた彼が思い出して怯えてるじゃない!」

「ゴメン! そういう意味じゃないんだ! 生きてるから!」


 平静さを失っていたところに二人の声が響き、次いで柔らかな感触が顔を覆った。


「ほむむっ」

「草太くんはちゃんと生きてるから心配しないで」


 頭上から音無先輩の声がする。そしてドクンドクンと彼女の心音も伝わってくる。これは、この柔らかなものはまさか!


「……もっはい」


 俺の言葉を肯定と捉えたのか、二人が安堵の息を吐いた。


「まったくもう……。彼が平静だから気を抜いたんでしょうけど、命を危険に晒した出来事に遭遇してたのよ。ホンットにデリカシーのない子なんだから」

「面目ない……。ごめんね、不安にさせて」

「……いえ、俺こそ取り乱しちゃってすいません。情けないですね、ははは」

「それでいいのよ。それが普通なんだから。……アヤメ? 貴女ちゃんと家では彼のフォロー出来てたんでしょうね?」

「それはしっかり出来てた……と思うけど。あんたが口うるさく言うから超気を付けてさ」

「当たり前でしょう。今の様子見てたらその言葉も怪しいもんだわ」

「あの! 先輩方! そろそろ話の続きを……」


 口論が始まり脱線しそうだったので、自分で舵を切り話を戻そうとした。二人も気付いたのか、言い争うのを止め、途中となっていた話の本題を再開した。


「昨日は助けられたけど、それは君を守ることが出来たって意味じゃなくて……気を失った後のことを話すから、このまま聞いててね」


 音無先輩の手が優しく頭を撫でながら、子どもをあやすような口調でゆっくりと、俺の知らない昨夜の話を語り始めた。


――――――


 傷つき気を失った少年を腕に抱く一人の魔法少女が夜の公園に降り立った。闇に紛れる漆黒の衣装には、闇を裂く真紅の意匠が施されている。


「アハ」


 宙に浮く女性の姿をした魔物に鋭い視線を向けた時、空から辺りに響く大きな高笑いが木霊した。腹の底から愉快そうに笑い声を上げてから、少女の視線を受け止めた。 


「まさかこうもすぐに特殊な存在に出会えるとは。話に聞く通り、此処は特異な地のようね」


 犬を模した魔法少女は言葉もなく睨み上げ、蝙蝠の如く浮かぶ魔物は薄ら笑い見下ろしている。と、羽をひとつ羽ばたかせると、高度を上げた。


「クク。近いうちにまた会いましょう」

「待て! 逃げる気か!」

「そっちこそそんなものを抱えたまま追う気?」


 言われた側はグッと言葉を詰まらせる。今すぐ傷だらけの少年を放り出し戦うことはできないし、そんな真似はできないと相手はほぼ確信している。


「そうよねそうよね。あなた達のように特に甘ったれた魔法少女はお荷物を抱えてしまうと途端に何も出来なくなる。本当に笑わせてくれるわ」


 繰り返される不快な哄笑。沸々と怒りが湧くのは、腕の中で気を失う少年を傷つけた張本人が、彼のことを物のように扱う台詞を吐くからである。事実、魔物からすれば少年のような一般人は取るに足らない存在でしかなく、ならばこそ魔法少女たちは、人々を護るために戦うことを善しとしている者も多い。彼女自身も、そういう立場に近しい位置に立っている。


「スペシャライザーが活動していることも分かったし、ひとまず引いて態勢を整えるとするか。必ずまたそれの前に現れるわ。食べかけですもの」

「この子はあんたの餌なんかじゃない!」

「餌なのよ。そのための印もちゃんと刻んであるわ」


 唇を舐める魔物の口からは、人間の犬歯よりも長く鋭く尖った牙が覗いている。


「ひとくち食べた時にしっかりと烙印を刻んだわ。それはもう私の所有物。命も意思も、全て私だけのために使われるものよ」


 少女は急いで少年の首を確認した。首筋には噛まれた後が深々と刻まれており、痛々しい傷跡となっている。だが、


「…………?」


 眉根を寄せる少女の様子に、空に浮く女性は烙印を刻み、我がものとしたはずの餌に意識を集中しようとしたが、それとの繋がりが絶たれていることにその時気が付いた。


「お前……烙印を消したのか?」

「何を言っているの?」


 噛み付き、リンクを残した相手の首には、その繋がりを示す文様が浮かび上がるはずだった。だが少年の首にはそんな印は付いていなかった。

 いつ印が消えたのか疑問に思う女の視線と、そんな印など見た時からなかったことを確かめた少女の視線が僅かな間交差したが、


「まあいい。食いかけなのは気に入らないし、また見つけ出して今度は完食させてもらうわ」

「餌なんかじゃないって言ってるでしょ! あんたの好きには絶対にさせない」

「そうやってしっかり見張っていなさい。次に会う時が貴様の最後になるのだから」


 三度、女の高笑いがしばらく続き、その姿が闇に掻き消えるのと同時に笑い声もぷつりと途絶えた。

 黒衣の魔法少女とボロボロになった制服を着た少年の二人だけが公園に残された。

 この場は凌いだが、彼はまだ悪魔に狙われている。この場で倒せなかったことを後悔するが、長々反省なんてする時間はない。すぐに彼の傷を癒やす必要があった。


「制服……うちの高校の生徒か」


 ほんの少し親近感が湧いたが、今はまず傷の治療が先決である。

 近くのベンチに少年を寝かせると、自分もそこへ腰を下ろし、傷を刺激しないようゆっくりと頭を持ち上げて太ももに乗せた。

 俗に言う膝枕をしてから血に染まる彼の頭を右手で撫で、彼の今後について思いを馳せる。


「また狙われる……またこんな目に合わせてしまう……か」


 手の平に血が付着するのも構わずにそっと撫で続け、治癒の能力を彼に掛けていくのだった。


――――――


 そして今、同じように頭を撫でられながら、自分が気を失った後の昨夜の顛末を知ることとなった。


「そんなことになってたんですね」


 ドキドキしつつ話を聞き終えた俺は、客観的に捉えることの出来た話の中で疑問に感じた点があり、そのことを口にした。


「あの……話を聞いた限りじゃ、俺が襲われたのは理由もなくたまたま……ってことですかね」

「襲われた本人を前にして言うのは酷だけど、おそらくそうね」


 答えてくれた四之宮先輩はじっとこちらの表情を窺ってくる。大丈夫です、もう取り乱したりしませんから。


「……あたしもアヤメからの伝聞を元にしか想像できないけれど、寧ろ襲っているところを助けに来る者がいるかどうかを確かめていたようにも思えるわ。その上でこちらを倒す手はずを整えて再度襲ってくるって予告までしてね」

「つまり俺は、たまたま悪い奴の餌にされただけじゃなくて、先輩たちをおびき出すための餌にもされてたってことっすか」


 今度の問いかけに返事はなかった。沈黙は、イコール肯定だと理解した。


「なんか大変なことに巻き込まれちゃったみたいですね、俺」

「あたしが決着をつけられなかったばっかりに迷惑かけてしまって……ごめん」


 ああ、先輩の腕に力が込められる。顔がどんどん埋もれていく。ちくしょう! 昨日が最低なら今日は最高の日だ!


「そんなことないです! 先輩がいたから俺はこうして無事におっぱ……先輩に埋もれてるんです。感謝の気持しかないですって。…………ええと、だからもうそろそろ俺も大丈夫ですんで、開放してもらってもいいかなあなんて」

「本当?」


 頭を抱いていた腕から開放され、非常に名残惜しい思いをしつつも桃源郷から顔をどけた。ずっと埋もれていたいと邪な気持ちが芽生え始め、先輩の好意に甘えてあのままでいたら男として下劣で恥ずべき存在になってしまう。未練を断ち切り断腸の思いで胸を遠ざけた。顔を赤くしてさっきまでいたパラダイスをガン見しながら、俺は大人の漢になれた気がした。


「……」


 四之宮先輩が眼鏡越しにジト目で見据えてくる。下心を見透かされているようで落ち着かない。仕方ないでしょう、四之宮先輩にはないあんなに大きなものが顔に当たってたら誰だって理性的じゃいられなくなりますよ。理性を取り戻した自分を褒めてもらいたいくらいです。


「とりあえず、これで草太くんの身に起きた昨日の話は終わりだよ」


 ただ一人、なーんにも気にしてない様子の音無先輩が話に一つの区切りをつけた。


「それを知ってくれた上で、あたし達から提案があるんだけど聞いてもらえるかな?」

「あっはい。なんですか?」


 そして話は新たに進展していく。


「草太くんのことをあたし達に守らせて欲しいんだ」

「守る……それは、俺を襲った奴からってことですか」

「ええ。昨日取り逃したことをよっぽど悔やんでるようでね。彼女の意を汲んでもらいたいし、君もその方が安心と思うんだけれど」

「そりゃあ勿論! あんなのから守ってもらえるならそれに越したことはないですし」

「それじゃあ……」

「よろしくお願いします、てことで」


 ぺこりと頭を下げる俺を見て、先輩二人が顔を見合わせた。音無先輩は安心したように笑みを浮かべ、四之宮先輩は安堵したように息を吐く。


「ひとまずはこれで草太くんを守る取っ掛かりができたよ。断られなくて良かったあ」

「あの、もし断ってたらどうするつもりだったんですか?」

「その時は少し面倒だけど、勝手に君の周りを遠目から見守る算段だったわ。いつ狙われるか分からない以上、なるべく近くにいる方が良かったし、受け入れてもらって助かるわ」


 既にそういう状況も想定済みだったわけか。自分に話を聞かせる前に色々と考えていてもらったに違いない。


「早速で悪いけれど、これを記入してくれるかしら」


 四之宮先輩が机から取り出した紙を差し出してくる。


「仮入部届、ですか?」


 括弧でサークル用と付け加えられている。シャーペンを受け取り、更に説明がされる。


「ええ。こうすれば学校内外で一緒に行動しているところを見られても不自然じゃないし、何か聞かれたときの言い訳に使えるでしょ」

「それに部員が増えるの、ちょっと楽しみだったりして」

「そういうお気楽な状況じゃないでしょう」

「仰る通りで」

「ええと楽しみにしてもらってるところ悪いんですけど、俺はここが何をする部なのかいまいちピンときてませんし、お役には立てないかなあって……」

「ああいいのいいの。入部してもらうったってあくまで仮だし、守らせてもらう間の一時、籍を置いてもらうだけだから。あれこれさせようだなんて……手伝ってもらったら嬉しいのは確かなんだけどね」

「守ってもらう間だけ、ですか」

「それが明日になるか明後日になるか、それとも連休が終わるまでになるかは、あたし達にもわからない。いずれにせよ、なるべく相沢くんに負担を掛けないようにはさせてもらうわ」


 先輩たちから交互に説明してもらうが、実のところはサークル活動をやりたくないというわけではない。これまでずっと帰宅部で通してきた俺が成り行きで仮入部することになったとはいえ、タイプの違う女性の先輩二人と一緒の部になるだなんて、胸が高鳴るに決まってる。


「いえいえ! 折角ですしどういう活動をしているのか聞いてみて、お手伝いできそうならやってみようかなと!」


 確か朝の教室で、ソフトボール部の助っ人をしていたと聞いたし、旧校舎へ来る途中も運動部の人から声を掛けられていた。文化部の人もいたし、色々な部の助っ人をしていることがボランティア倶楽部に関係あるのかもしれない。


「人手が増えたら助かるけど……」

「いいんじゃない? まずは話だけでもしてみたら」

「俺も聞いてみたいです。昨日の話ばっかりで、他のことは何にも知らないですし」


 それもそうだね、と音無先輩が言ったところで、チャイムが本校舎の方から届いてきた。部室に掛かる時計の短針は五時を指していた。もうそんな時間になっていたのか。


「とりあえず一旦話は終わりにしましょう。相沢くんはそれを書いて職員室に持っていって。アヤメはさっさと変身解いて」

「分かりました」

「へーい」


 カリカリとペンを走らせる横で、パァッと明かりがした。見ると、スマホを手に取った音無先輩の格好が元の制服姿へと戻っていた。変身って簡単にできちゃうんだなあと思いながら、仮入部届に名前やクラスといった必要事項を記入し終える。


「これ職員室に持っていけばいいんですね?」

「担任の先生に渡せば大丈夫だから、先に行って渡してきてくれる? あたし達もここを片付けて行くから……そうね、昇降口で待ち合わせて、今後のことはそれから話しましょう」

「分かりました。それじゃ、また後で」


 椅子に座る四之宮先輩、教室のカーテンを開けていく音無先輩の二人が手を振って見送ってくれた。部室を出ると、改めて扉に掛かる『ボランティア具楽部』と書かれた札を見上げた。


「これ書いたの……音無先輩だったのかな」


 四之宮先輩に聞いてみれば良かったと考えつつ、木製の床を踏み鳴らして本校舎の職員室へ向かうのだった。



 部室のカーテンを全て開け終え、音無アヤメは先ほどまで下級生の男子が座していた席に座り、四之宮花梨と対面した。


「ひとまずはこれで安心だね。色々考えてくれてサンキュ」

「はいはいどういたしまして。あんたの不手際のフォローなんて慣れたもんよ」


 二人だけになったことで気を張る必要がなくなり、声のトーンも若干下がっていた。


「それよりも全部話しておかなくてよかったの?」

「今後のことはまた話すってあんたがさっき言ったじゃん」

「バカね。これからのことじゃなくって、昨日のことよ」


 バカって何さ、と唇を尖らせながら頬杖をつくと、右手で頭を掻いた。


「仕方ないっしょ。あたし等にも理由がわからないことを話して余計な心配を増やすよりは」

「あんたのデリカシーの無さの前じゃあ何を話しても一緒だったと思うけど」

「だからそれはあ……配慮が足りなかったって反省してるよ」


 頭を掻いていた手を止めると、その掌を下ろして見つめた。先ほど不安を抱かせてしまった男子を落ち着かせた手。そして昨日彼の傷を癒やすはずだった手。


「……彼を襲った相手も何かの印を刻んだようだったけど、その痕跡はなかった。あたしの手も彼を癒やすことは出来なかった」

「あんたの力を全く受け付けなかったわけじゃないんでしょ。現に、半死半生の傷を負っていた相沢くんはああして無事なんだし」

「とっておきを使ったからね。それで治せなかったら本当に手詰まりだった。だけど普通の方法じゃあ手も足も出なかった……」

「魔法が効かないスペシャライザー、なのかしら」


 アヤメは小さく頭を振った。何しろ普通の人間相手に治癒の力を使い効かなかったことが初めての経験であり、判断を下すことができなかったからだ。


「草太くんは普通の男の子だよ」

「今のところは、じゃないかしら。将来的に何かしらの特異な力が宿る可能性もゼロじゃない、寧ろ魔法が効かないのはその力が発露する前段階かも」

「止めよう。可能性の話をしてたらキリがなくなっちゃう」

「それもそうね。今は相沢くんの身辺を守ることを第一に考えなきゃ」

「怪我をされたら大変だしね」


 二人は席を立ち、部室の戸締まりをして旧校舎を後にした。考えを巡らせねばならぬことはを抱えてはいたが、それにかまけて本題を見失うわけにもいかない。

 要はあたしが守りきればいいのだ。

 改めて目的をはっきりと見据え、アヤメは昇降口へと向かう。頭脳労働は、隣を歩く四之宮花梨に任せるつもりで。

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