魔法少女と真理
「イテッ!」
尻を強打した衝撃が脳天まで突き抜ける。涙目になりながら右手でお尻を撫で、地面についた左手は固い手触りを感じていた。
「お? おお! クゥちゃんじゃないか!」
そこは昨日俺たちが降り立った巨大な飛行生物の背中。巨大すぎて全体像は見えないが、この色この手触りそして今噴き上げる勢いたっぷりの潮吹き。間違えるはずもない。
間違いなく、俺は再び境回世界に来ることができたのだ。
「やったぜ!」
嬉しさのあまりクゥちゃんの背中を何度もペンペンと叩いていた。俺の喜びが通じているのか、叩くリズムに合わせて潮吹きも何度も噴き上がる。
そういえば鈴白さんはどこに? その答えはすぐに見つかった。視線の先に彼女の後ろ姿があったのだ。
手を握っていたのに、転移の際に放してしまったのか。運良くクゥちゃんの背中に着地していなければ、前回のように落下していたかもしれない。
そう思うと肝が冷えたが、こうして無事だったのだし今は良しとしよう。
「やったよ鈴白さん! ちゃんとまたこっちの世界に」
高所を飛ぶ鯨の背中で鈴白さんのように真っ直ぐ立つのはやはり恐怖心が勝り、やや情けなさを感じながらも四つん這いで彼女の元に近づこうとして、ふと違和感を覚えた。
このところ鈴白さんと長く一緒にいたおかげか、少しだけ彼女のことが分かってきた気がする。だから、今目の前にある彼女の背から発せられる雰囲気に、いつもと違うものを感じていた。
「存外早かったな」
振り返る彼女の表情は、それまでと変わらぬ少女のはずなのにとても美しく見えた。その声は、それまでと変わらぬ少女のはずなのになんとも妖艶に聞こえた。
違う、と思った時には、意識の外に押しやられていた自身の能力“鋼鉄の意志”の視る力を発動すべく強く念じた。
先程まで能力を使っていたおかげか、幸いにも柔らかなものに触れたりせずとも思いの外簡単に瞳は輝いた。
そして悟った。彼女に抱いた違和感や、違うと感じたものの正体を。
鈴白さんの頭上にある魔法式が書き換わっている。六芒星の紋章は影を潜め、強烈に光り輝く龍の紋章が浮かんでいた。
「ク……なんだお前!?」
直視するのは辛く、目を細めて睨みつける。
「理解しているのなら説明の手間が省ける」
「してないよ!? ていうか何! 何が起きたの!」
少女はふむ、と唸り腕を組む。膨大な光量は徐々に収まり、やがて目を開いてその顔を見ても平気な程になっていた。
少女の頭上に輝く龍の紋章。それを見た時から、ある予想を立てていた。この世界で強力な龍と聞いてまず思い浮かぶのは、あれしかいない。
「この体を借りている。私が誰かはもう分かっているだろう」
「幻龍王……」
少女は満足気に口の端を釣り上げた。
「やっぱり」
「魔力は大分抑えてやったぞ。そんな顔をするな」
俺が訝しむ視線を送り続けていたのが気にかかったようだが、表情はそのままで訊ねる。
「そうは言う……言いますけどね、なんでそんな彼女の体を乗っ取るような真似を」
鈴白さんの意思がないのは明らかだ。身振り手振りを見ても、彼女のものとは思えない。幻龍王がその身に乗り移ってると考えるのが自然。
俺の問いかけに愉快そうに喉を鳴らす様は、少女の外見とは酷くミスマッチだった。
「あの時言ったではないか。また語らおう、と」
昨日の別れ際の言葉のことか、とすぐに思い出した。
「つい気がはやりこの体を借り受けたのだ」
「ついって……俺なんかで?」
幻龍王の中で俺はどんな評価をされているのか皆目見当がつかない。俺みたいな普通の男子は、龍にはどのような対象として映っているのだろうか。
見上げている俺の前に、鈴白さんの体を借る幻龍王が立ちはだかる。腕を組んで見下ろしてくるその様は、なんとも不遜な態度に見えた。
「長らく世界の中央にその身を預けていると刺激がなくてな。お前のように時折来る者と関わるぐらいしか愉しみがないのだ」
「……鈴白さんがいるじゃないですか」
「此奴は好かん」
「なんで!?」
「用がなければこの世界に来んのだ。おかげで私がどれだけ退屈……」
まさか拗ねてるのか。この世界を統べる王にしては随分俗っぽい人柄が垣間見えた気がする。
「それにだな」
ペロリ、と少女が舌舐めずりする。
「雄の人間と言葉を交わしたのは本当にいつぶりであるかな」
ククククク、と笑われる。壮絶な気配を感じ思わず怖気づいてしまう。堪らず二、三歩後退ったが、その気配は急速に収束していった。
「つまらん」
「えぇ!?」
「魅了が効かん」
「魅了してたの!?」
威嚇してるようにしか感じられなかった。例え魅了の術をかけられたとしても、先に恐怖が来てビビってしまうんじゃないだろうか。
でも効かなかったということは、俺の力が幻龍王の力を拒んだということだ。
確かに意識を集中して見ると、幻龍王の紋章から溢れる光が帯のようになって俺の体に触れようとしているが、薄皮一枚の厚さのところで弾かれている。
これが魔法式の解の拒絶。許容しない限り、幻龍王の魅了の術は効くことはない。
少し集中しただけでもう疲れる。一旦自分の視る力を抑え、目を休ませることにした。
「自分の置かれた世界の姿が次第に視えてきたようだな」
「おかげさまで」
幻龍王は頷いている。どうにも機嫌が良いらしい。
「けどいくら気がはやったからって。俺はちゃんと報告には行くつもりだったし、わざわざそこまでしなくっても」
こっちに来て早々体を乗っ取られたんじゃ、鈴白さんが少し不憫に思えた。胡座をかいて話す俺に、彼女は一つ唸った。
「あの場から思念を送って二人に語りかけても良かったのだがな」
「そんなことも出来たんだ……ですか」
うむ、と少女は頷く。
「だがその声をお前に届かせるには、その厄介な力を打ち破るほどの声を送らねばならん。加減を間違えるとどうなるか」
「……ボガーン?」
頭の横で手を開く仕草をしたところ、人差し指で指された。
「ネオより理解が早くて助かる」
つまり強力な魔力を流し込まれたら俺の頭が耐え切れずに壊れるかもしれない、と。それが例えなのか本当に破壊されてしまうのかは定かではないが。頭が弾け飛んでも不思議じゃない世界にいるのだ、悪い方を想像しておいて間違いはないだろう。
「だからその身を案じてネオの体を介して声を届けているのだ。感謝するがいい」
「へえ……でも今なら魔法式も視えてるし、上手くやれば許容できるんですよね? だったら」
「受け入れる。自信があるか?」
ニヤリ。少女の顔の造形で壮絶な笑みを浮かべられると本当にギャップが大きい。ここまで迫力のある少女は見たことがない。
「いや、ないかな……」
「賢いな」
魔法式の許容は今のところなんとかできている、と思う。ただそれがいつでも何の問題もなくできると言うには試行回数が全然足りていない。自信をつけるにはまだまだたくさんの経験を積まなければ、胸を張ることはできない。
「その力をしっかりと自分のものにするがいい。さすればお前は何者にも屈せぬ唯一無二の存在になる」
「そ、そんなにすごいのになれるんですか?」
「ことが限りなく負に近い零の可能性であるかもしれんな」
「無理臭い!」
マイナスの可能性で存在する強さになれるかもなんて喜びかけた俺が馬鹿だった。
「可能性はあると言っているだろう」
「期待できないですよそれ……」
「私は期待しているのだがな」
一瞬慰めの言葉かと思ったが、世界の王がただの人間に気を遣うわけもない。なら本当に期待しているのか。
踵を返した少女が空を見上げ、背後にいる俺に問うてきた。
「お前に人之世はどう視えている?」
「ひとのよ?」
「お前たちの棲む世界のことと思えばいい」
視えているというのは、俺の力で視た世界について訊いているのだろうけど、残念ながら世界をじっくり見れるほどの時間も実力もなかった。
「まだ分かりません」
だからカッコ悪いけど素直に答えた。
「上出来な解答だ」
「え……?」
「これから視ていくのだろう」
「そのつもりですけど……」
「何より先入観がないという点がお前の目で見ていくことに相応しい」
確かにスペシャライザーとして目覚めたばかりの初心者。まだ知らないことばかりだから先入観を抱くような余計な知見を持ち合わせていない。つまり無知なのだ。
無知だから世界を視るのに相応しい、と言っているのだろうか。
「魔なる世界に足を踏み入れて日の浅いひよっこには分からぬだろうが」
やっぱり俺ってまだまだそういう扱いなんだね。分かっていたけどはっきり言われると余計自覚してしまう。
「お前のいる人之世は極めて歪なのだ」
「いびつ?」
俺から言わせてもらえばこれまで普通の世界だったところに魔法の世界が視えるようになった時点で歪なものだと思ってしまうけど、そういうことじゃないんだろう。
「お前の傍にはいくつの異能者がいる?」
「それってスペシャ……魔法少女とかですか?」
「うむ。我らの幻獣奏者がいるであろう。魔狼の力を宿す者、魔女に呪われた者、火を自在に操る者、異世界からの来訪者、挙げれば枚挙に暇がないのだがな。我が巫女と友が屠りし者どもについても聞きたいか?」
「いやもう充分です!」
あまり一気に聞かされてもまとめきれない。知っておいて損のない情報だと思うが、知るなら少しずつでいい。
「私でさえ驚くほど多くの者が異能者としてその才を奮っている。それぞれがそれぞれ全く異なる出自の魔法式を以って、な」
肩越しにこちらを見やるその瞳は色濃く憂いを帯びていた。大人びた視線に思わずドキリとしてしまう。
「分かるか?」
照れを払うかのようにブンブンと首を振って答える。
「独自の法則を用いる者が多い。多すぎるのだ。あれほど独自の出自を持つ魔法が氾濫すれば人之世が破綻を来しても不思議ではない。崩れることが寧ろ自然」
「世界が……崩れる?」
「魔力の重みに世界が耐えられぬ、というところか。異能は異常。人之世には劇薬のような存在だ」
「じゃあ、俺たちの世界はいつか壊れてしまうのか……」
今は健康な世界に見えても、いつか薬に体を犯され命が尽きてしまう。幻龍王はそう言いたかったのか。
「だがその人之世には崩壊の兆しなど微塵もない」
「言ってることがおかしいじゃないですか!」
つい前の台詞で世界は耐えられずに崩れゆくと言っていたのに、それを否定する言葉。一体何を言っているのか分からなくなってきた。
「そう、おかしいのだ。世界の在り方が溢れる異能に倣うように異質な状態へと変容している気がしてならん」
「……」
「異常なのだよ、お前たちの人之世は」
異世界と言えども世界を統べる龍の王。そんな存在にそこまで言わせしめるとはよほど異常な状況で正常な状態として俺達の世界は存在してるようだ。
「お前たちの住まう地で数年前に起きた戦を起こした者の中にはその謎の答えを求めんとするがために加わった者もいたがな。未だに誰も解答を見つけてはおらんはずだ」
俺たちの世界にそんな謎があったなんて驚きだ。先輩たちはそのことを知っているのだろうか、それとも……。
「私が期待していると言ったのは、お前の目ならば何故人之世が歪でありながら何事も無く存在し続けているのか、それを見極めることができる可能性を見出したからだ」
「俺の目が……」
「あらゆる魔法式を目に映し、解を払い、何者にも惑わず、惑わされず真実を見抜くことを可能とするその力。唯の人が人之世の真理を暴くことなどあってみろ、中々に刺激のある出来事ではないか?」
こちらを向いて話をする少女の瞳は相も変わらず俺を見下ろし、人と龍の圧倒的なまでの力量差をまざまざと意識させられるが、その瞳の中に無邪気に愉しむ色がチラリと垣間見えた気がした。
「無論人之世の真理を視ることなく生涯を終える可能性の方が遥かに高い。お前が死を知らぬ存在となったとしても、永劫の人生を費やしたとしても視れぬかもしれんな。それが当然と言える可能性だ」
「やっぱ無理臭い!」
「だからお前はお前に出来ることをやっていけ。私の期待に応える前に生き急ぎすぎて死なれても面白くない」
「は、はぁ……」
それでも異世界の王は俺に期待をしてくれているのか、しかも無理せず成長しろというなんとも優しい言葉付きだ。もしかしてこの龍、滅茶苦茶いい人……なんじゃないか。




