魔法少女と準備完了
「こんなところか」
俺たちクラスメイト五人は黒板の前に佇んでいた。鈴白さんのデザインしたメッセージとイラストをそっくりに描き上げ、その左右に折り紙で作った花が六つ、中心に俺たちそれぞれがお祝いの言葉を書いているものが貼り付けられている。
天井には紙で作った輪っかのチェーンがイメージ通りに四方に伸びて飾られている。
机と椅子も空き教室に押し込められていたものを引っ張り出してきた。新たに六席、合計九席の机を部室の中央に引っ付けて並べた。三×三で並べたので参加者八人が囲んで座るには充分だ。真ん中の机にはケーキを置くようにしよう。
「結構様になったじゃん。これなら音無先輩もよろこんでくれるよなあ、きっと」
「うん、そうだね」
「俺たちも手伝いに来て良かったぜ」
「ああ……彼女がああなのは残念だが」
岡田がそう言うのには理由があった。
パーティの準備を終えた俺たちの視線が、机を囲む椅子の一つに腰掛けてすぅすぅと寝息を立てている鈴白さんに注がれた。
「朝早くからケーキ作ってきて疲れてたんだよ。大目に見てくれ」
「さっき聞いたからそれは構わない。俺が本当に悔しいのはお前があの子と二人で共同作業してきたことだ」
「仕方ないだろ朝は他に人呼ぶ予定はなかったんだから」
ネチネチとした暗いオーラが岡田の方から飛んでくる。なんて居心地が悪いんだ。
「今日はみんなありがとう。これ、今日のお礼」
そう言って俺が四人に差し出したのは、マジカルシェイク製のシュークリームが入った菓子箱だ。箱の蓋を開け、全員に一個ずつ取ってもらう。
「ありがとう」
「気が利いてるじゃん」
「飲み物もあれば完璧だった」
「彼女とイチャイチャして忘れたんだろう」
四人が口を揃えてからシュークリームを一口。
「超ウメェ!」
「うん。美味しいね」
女子には好評だ。男子も美味そうに食べているがこっちはどうでもいいだろう。
「商店街にあるマジカルシェイクって店のお菓子だよ。気に入ってくれたら買いに行ってくれよな」
宣伝もばっちりしておいた。これで真神店長や巻菱さんにもお礼ができたはずだ。
「それじゃあ明日は十一時から先輩をもてなそうと思うから、十分前には確実に来てくれよな」
四人が頷いたのを確認し、俺は女子二人に向けて続けた。
「あと、もし変更があったりするといけないから、念のため二人のアドレス教えてもらっていいかな?」
ピクリ、と放っておかれた男二人の気配が変わるのが分かったが気にしない。
「別に構わないぜ」
「あああ、ちょっと待ってす、すぐ出すから……」
スッと携帯電話を取り出す柏木さんとアドレスを交換し、次いでバタバタと鞄を探ってから携帯を出した委員長とも交換する。
「これで何かあっても安心だ」
「なあなあ。良かったら音無先輩の連絡先も教えてくれよ。知ってんだろ?」
「そういうのは本人に直接聞いてくれよ。勝手に教えるわけにいかないだろ」
柏木さんが先輩のことを好きなのはしっているが、流石にそれを教えてあげるわけにはいかない。
「じゃあ明日訊いてみっかなあ」
「それがいいだろ。何かあったらまとめて連絡するから」
「うん。連絡、待ってるね」
携帯を大事そうに抱える委員長と柏木さん、二人に向かって大野と岡田が駆け寄ってきた。
「ねえねえ! 良かったら俺らともアドレス交換しようぜ!」
「丁度携帯を取り出したところだし、是非」
「悪い、私はもう携帯仕舞っちまった」
「あ……私も」
素早く隠すように携帯電話を仕舞う委員長を目にし、二人は慟哭した。
「ひどい! 相沢だけに教えるなんてずるい!」
「俺たち友達じゃないか……」
「相沢にだけ教えてれば充分だろ」
「私もそう思う……」
四人が騒ぎ出したのを見かね、俺は抑えた声で呼びかけた。
「あんまり騒ぐと鈴白さんが起きちゃうだろ。仲良く喧嘩するなら外で、外で」
夕日を受けて気持ち良さそうにこっくりこっくりしている少女にみんなの視線が集まる。静かになったクラスメイト達は各々の荷物を手に、俺に促されるまま廊下に出てくれた。
「今日は本当にありがとうな。また明日ここで……余裕があったら先輩にプレゼントでも買ってきてくれよ」
「おう、明日な。智花、暇なら買い物行こうぜ。先輩に渡すプレゼント選びに行こう」
「うん。いいよ。それじゃあ相沢くん、また明日。バイバイ」
委員長と柏木さんに手を振り返し、二人の後ろ姿を見送る。
「ちょっと待て」
俺の視界を遮って現れたのはダブルオーの片割れ、岡田だ。
「まだ一人部室に残っている少女をどうするつもりだ」
「起こして送り届けるに決まってるだろ」
「俺もその役をやりたい」
「お前にだけは任せたくない」
「ずるい、役得だ、断固抗議」
「はいはい分かったからお前は俺と一緒に帰ろうな?」
岡田の背後から腕を回して俺を助けてくれたのは大野だった。今、お前がすごく頼もしく見えるよ。
「じゃあな。……オーイ委員長! 俺たちも買い物に付き合わせてくれ! いやください、お願いします!」
「京子ちゃん……どうしよう?」
「勝手についてこさせりゃいいんじゃね?」
「たはは……つれない返事をありがとう」
「断固抗議、断固抗議」
手を振る大野と手足を振り回す岡田が委員長たちに追いつき旧校舎から出て行くのを見届けてから、俺は部室へと戻った。
扉を閉め、鍵をかけ、廊下側のカーテンを閉めていく。
「ふう……」
鈴白さん以外いなくなったことで、ようやく俺は彼女にお願いができる。みんなに聞かれているとできない、少し特別なお願いだ。
ただ、それをするには彼女は疲れすぎているかもしれない。眠りにつく少女を見ているとそう思わざるをえない。
鈴白さんの余力によっては断られることも充分に有り得る。だから無理に頼んだりはしない。
だから今は彼女がたっぷり休めるように、気持ちいい夕日が差し込む窓際のカーテンは開けたまま、彼女の横の椅子に静かに腰を下ろして自然に目を覚ますのを待つ。
流石に外が暗くなるまでには強引に起こして学校から連れ出さなくてはならないが、今だけは彼女の眠りを妨げないように静かに見守る。
「魔法少女も大変だよな」
労いの言葉の一つでもかけてあげたいが、残念ながら今は眠っていてその耳に届くことはない。
すぅすぅという小さな寝息だけが聞こえる。規則正しい呼吸音が子守唄のように思えてくる。しかし俺まで目を閉じるわけにはいかなかった。
太陽は更に傾き、オレンジ色の日差しが更に色濃くなりかかる。
「っくしゅん」
かわいいくしゃみが弾けた。
「冷えてきたかな」
目をくしくしと擦る鈴白さんに声をかける。太陽が陰ってきたせいで少し肌寒くなってきている。
「……あれ、すみません寝ちゃってました?」
首を振ってすっかり明日の準備を整えた部室を見回す少女の瞳が、次第に光を帯びて見開かれる。
「あれ! あの、みなさんは……」
「先に帰ったよ」
それを聞いてあからさまにショックを受けている。
「わたしってばなんてことを……本当にすみませんん……」
頭を抱えて涙ぐむ彼女に、まあまあまあと言って落ち着かせようと試みた。
「ここに来る前に色々あったんだ。疲れて眠くなっても仕方ないよ。みんなにもちゃんと言っておいたから誰も怒ったりしてないし」
「でもみなさんと一緒にちゃんと準備したかったです……」
共同作業できなかったことを悔いているのか、心底残念そうだ。
「黒板見てみなよ」
明日は先輩の誕生日パーティだというのに、こんな落ち込んだ表情をさせたまま準備をおしまいになんてできない。どうにか元気になってほしいと思い、前を見るよう促した。
「鈴白さんが考えてデザインしてくれたお祝いのメッセージとイラスト。書いたのは俺たちだけど、原案を出してくれたのは君じゃないか」
あやめさん 16回目の お誕生日 おめでとう !
赤、白、青、黄。使える色のチョークを全部使って書き上げたお祝いの言葉の右下には、先輩の力の象徴である狼のような犬のような愛らしい絵柄の動物の顔も描き添えている。
これは全部鈴白さんがノートにしたためていたものをほとんどそのまま黒板に写したものだ。左右に飾りつけた折り紙の花のメッセージは俺たちクラスメイトで付け加えたもの。そんな少しのアレンジも、六人で協力して作り上げたという証だ。
「だからそう落ち込まないでさ。明日に向けて笑って終わろうぜ?」
彼女は黒板をじっと見つめていた。その澄んだ眼には、完成したそれがどのように映っているのか少し心配だったが、やがて目尻に溜めた涙を指で拭い、晴れやかな笑顔を見せてくれた。
「はい。笑顔になれました」
ほっと安堵の息をつく。この笑顔が出たならば、明日の誕生日パーティの懸念材料なんてもうないだろう。
「大分時間が経っちゃったみたいですね」
外の様子を見た彼女がそう言いながら席を立つ。
「こんな時間まで寝ていてすみませんでした。すぐに出たほうがいいですよね?」
「いやちょっと待った」
パーティの準備も終わっているしもう学校を出るつもりだったのだろう、俺が呼び止めたことに対して彼女は首を捻った。
「疲れてるだろうし、早く帰りたい気持ちで山々だと思うけど」
こうして鈴白さんを待っていたのは、彼女を送り届けるのはもちろんのことだが、もう一つ別の理由があったのだ。
用件を待つ彼女に一呼吸置いて、頼み事を伝える。
「もしよかったら、今から俺を境回世界に連れて行ってくれないかな」
「いいですけど……」
改まった口調でお願いしたのが拍子抜けするくらい簡単にオッケーを出され、肩の力が抜けてしまった。
「疲れてるなら無理しなくっていいんだけど」
「平気です。ぐっすり眠っちゃってたみたいで、元気は戻ってますし」
「そ、そう? ならお願いします」
「はい!」
「念のため、人目に触れないように窓のカーテンは閉めておくね」
シャーっと全てのカーテンを閉め終えると、部室内は非常に暗くなってしまう。蛍光灯の明かりを点けるためにスイッチを押すと、パチパチと蛍光灯が光った後に室内に明かりが満ちた。
「あ、でも……」
パチンと手を合わせた鈴白さんが動きを止めた。
「ちゃんと境回世界に来れるん……ですか?」
彼女が案ずるのも当然だ。俺は前回、彼女と一緒にいたところを突然あっちの世界から弾き出されたのだから。
「お兄さんが目の前で消えた後に幻龍王さまと話したんです。どうしていなくなったんですかって聞いたら、『魔法式を意識して無意識が……』えっと、確かそんな風なことを教えてくれて。難しくってよく分からなかったですけど……」
「ああ。それをちゃんと克服出来たかしりたいから、連れて行ってもらう魔法を使ってもらいたいんだ」
「ふみ?」
「君と一緒に通ってきた転移魔法、それをあの時幻龍王様に言われて意識したせいで拒んじゃったんだよ。だから無理矢理こっちに送り返されて……。つまりさ、今から鈴白さんが出してくれる魔法陣を俺が頑張って受け入れたら、もう一回あっちに行けるはず、だと思うんだ」
「むむ、難しいですけど……わたしは昨日と同じようにすればいいんですね?」
うんと頷く。彼女に変わったことをしてもらうわけではない、変わらなきゃいけないのは俺の方なのだ。
「分かりました」
合掌を解いた彼女の手からトゥインクルバトンが現れる。
「光芒よ、我に力を与え給え」
タンタンと足を踏み鳴らす鈴白さんの足元から光が立ち上る。白い光が体を包み、弾けた後には純白の衣装を身に纏う魔法少女がいた。
「幻獣奏者ネオ……今日も頑張ります!」
ピシっとバトンを構えてポーズを決める彼女にパチパチパチ……と拍手を送った。
「……」
シュン、と肩を竦ませたのは照れてしまったからだろうか。
「コホン。それでは転送の陣を描きます」
バトンの先端が部室の床に触れ、迸る光があっという間に円陣を描き上げる。昨日は彼女に手を引かれ、導かれるままに俺もあちらの世界に行くことができた。だが今はそうならないはずだ。
「先に俺が乗ってみるから、手を握っててくれるかな」
「はい」
差し出した右手に鈴白さんの左手が重ねられる。万が一にも俺が転移陣に飛び込めてしまったら、彼女の小さくて温かな手だけが唯一の命綱であるが、
「よ……っと」
爪先でちょんちょんと陣を小突いて変化がないのを確認して飛び乗ってみるが、昨日と違って何も起こらなかった。
「やっぱりダメですね」
彼女の困り声を受けながら光の中から出る。
「大丈夫。ここまでは想定の範囲内です」
だから問題ない。そう彼女に告げ、俺は数時間前に経験した感覚を引き出そうと試みた。
まずは意識を集中し、心を落ち着けて。サモンコンダクターを名乗る少女の頭上に輝いていた六芒星の紋章を再び見るのだ。
「うーん……うーん……」
だけど一向にあの紋章は見えてこない。集中してるはずなんだけど何か足りていない気もする。
「お兄さん?」
頭の上の方を見られていることを怪訝に思った鈴白さんが不思議そうに見上げてくる。
「ちょっと待っててね! もう少ししたら俺の修業の成果が現れるはずなんだ」
そう修行。鈴白さんが魔女と戦っている最中に巻菱さん直々に指導してもらったのだ。あの時のことを思い返し……欠けているものに気が付いた。
「あの感触が足りない!」
「なんの感触ですか!?」
「俺の頭を包み込んでくれていた、豊かで柔らかなクッションのような心地良い……」
あれだ、あれが俺の集中力を高めたに違いない。あれがなければ、今の俺に魔法式の紋章を見ることはできないと直感した。
せめて代わりになる柔らかなものがあれば……と、頭を抱えた時、見つけた。目の前に。巻菱さんが味わわせてくれた柔らかさに負けず劣らず柔らかそうなものを持った女の子がそこにいた。
「お願いだ鈴白さん」
「へ?」
「触らせてくれ……」
俺はそっと手を伸ばす。何をされるのか察した鈴白さんは、目を硬く閉じ身を強張らせている。
手の平が少女に触れる。想像していたよりもはるかに心地よい手触り。桜色の頭をさわさわと弄ると、さらりとした毛が指の隙間からこぼれるようだ。
「うにゅぅ……」
照れる少女の髪の毛を撫で続けていたところ、チリチリと瞳が焦がれるような感覚を覚える。
「これ……この感じ!」
パァッと世界が拓ける錯覚に陥ると同時に、なでなでしていた鈴白さんの頭上に六芒星の紋章が浮かび上がっていた。
「やった!」
ガッツポーズしていた。柔らかなものに触れていると力が発現しやすいという俺の予感は的中したのだ。
「お兄さん! 目が光ってます!」
「え!?」
突然の報告に驚く俺に、彼女が自分のバッグから出したコンパクトミラーを差し向けてきた。
そこには、確かに両目が金色に輝く俺の顔が映っていた。
「自分じゃ気付かなかったな……おかしくないよね?」
「きゃっ」
目を逸らされた。眩しかったらしい。
ともあれこれで準備は整ったはずだ。
鈴白さんが描いた転移陣には、彼女の頭上にあるものとよく似た小さな六芒星の紋章が浮かんでいる。
鈴白さんが親だとすれば転移陣は子。魔法式と、そこから導き出される解。知覚できる世界が拡がったおかげか、理屈ではまだ分からないところが不思議と理解できていく。
鈴白さんと手を繋ぎ直し、陣の解に指を伸ばす。当然のように俺の能力は解を拒む。
違う、これは俺に敵意のある魔法じゃない。だから受け入れてもいいんだ。
自分に言い聞かせる。これまでは俺の身を守るためにありとあらゆる魔法を弾いていた力と初めて対話する。
彼女の魔法は受け入れてもいいんだ。
「あ」
解と一つになれた。そう感じた途端、あの奇妙な浮遊感をその身に感じていた。




