魔女は魔女を探る
「――まったく……そういう偶然があるものかしら」
電球色の電灯が照らす洋風の応接室。ソファに深く腰をかけたあたしは愚痴らずにいられなかった。
「行方不明の後輩同士が繋がっちゃうなんて」
それが悪いことだと言うわけではない。寧ろ歓迎していいかもしれない。
別々の事象としてあった点と点が線で結ばれたことで問題の単純化になっている。初瀬さんの後輩を見つければあたし達の後輩も見つかるし、あたし達の後輩を見つけさえすれば初瀬さんの後輩も必然的に見つけることができるのだから。
とはいえ、二つの事件が偶々繋がったことについてはやはり驚きと困惑があった。
「偶然……か」
テーブルを挟み安楽椅子に掛けているのは、この応接室を備えた館の主の女性である。
ここは西台高校からほど近い住宅街に建つ洋館。少し前は廃屋のような佇まいであった館を、弟子の少女と共に越してきた目の前の魔女が住めるように手入れを施したのだ。
燃えるような赤髪にラテン系の美しい顔立ち。左目の周りのタトゥーが特徴的な妙齢の女性だが、実年齢は数百歳をくだらないだろう。
かつて炎獄の魔女として名を轟かせた魔女ルシダは一線を退き、今は唯一の弟子の育成にのんびり邁進している。今日はそのお弟子さんはお出かけ中なので、あたしと彼女はサシで話ができるの。
そんな彼女がフッと軽い笑みを漏らしながら言葉を紡いでくる。
「私は力在る者同士の出会いは必然だと考える。今日でなくともいつか必ず出会い、縁を繋ぐ」
「あたしが疑問なのは何故今日なのかっていうところですよ」
点と点は縁のように繋がった。けれどそれは平面の繋がり。
原因となる点がそこには存在していない。まったく違う別の次元にそれは在り、その点を後輩たちのいる平面にまで繋ぐための知識を求め、あたしは彼女に会いにきたのだ。
「その疑問の答えを持っているが辿り着けぬ、か」
平行世界への干渉という点においては、自身と関わりのある存在からコンタクトを受けた事があるが、残念ながら今のあたしにはそういった知識や技術は持ち合わせていないのよね。
「ご明察。だから貴女の知を借りたい」
答えの記されているスマホを目の前のテーブルに置くと、ルシダは指を鳴らした。
てっきり魔法を使ってスマホを浮かせて手に取るのかと思ったら、応接室の扉が開いて人が入ってきた。
黒いスーツを着こなすスラリとした金髪翠玉の眼をした男性。凛々しく表情を引き締めた様子は有無を言わせぬデキる従者といった雰囲気を醸していた。
「どうかしましたか?」
のに、にへっと屈託なく笑う様は前述の空気を見事に払拭し、まるで年端もいかない少年のように思えてしまう。
「あ、どうも。お久しぶりです」
あたしの顔を見た長身の彼が腰を九十度曲げてペコリと頭を下げてくる。
「ああどうも」
と返したものの、顔合わせしたことがあったかしらと首を捻った。
「どうやらお前の顔が分からぬようだ」
「そうなんですか?」
ルシダの言う通りだった。残念ながらあたしの記憶のデータベースには彼のように表情豊かな異国の男性の顔写真は記録されていない。
「そうなんですね……。やっぱり僕に大きい身体は早すぎたんですよぉ」
両手の人差し指をつんつん突き合わせて背中を丸める姿は、大の男にしてはあまりに幼い。まるで本当に子どものよう……。
子ども、子どもかぁ。そういえばこの洋館がリフォームする前、建物そのものに宿った意思が子どもの姿をして現れたことがあったわねぇ。
「…………貴方、そうなの?」
あたしが指さして彼に問うと、その顔に再び笑顔が戻った。
「そうです僕です! お久しぶりです!」
またもお辞儀をしてくる彼を前に、あたしは頭を抱えるようにソファに背を預けながら魔女に問うた。
「魔女様の仕業かしら?」
「ああ。以前お前たちが訪れた時に此奴の処遇を気にしていたろう?」
だから肉体を与えたと言うのだが、少年だった彼もニコニコしているのだが、何故青年の身体にしたのかという疑問もあるのだが。
すごいことをしたのだろうが、とんでもないことをしでかしたとも言える。
「生命の創造……禁忌の領域に踏み込んだ外法は少しばかり見過ごしにくいのだけれど」
「誤解だ。私は肉の器を用立てただけ。生命となったのはそこにあった魂が宿り心の臓が意志と共に動いたからさ」
「外道に堕ちてはいないと?」
「道理にそぐわぬ生き方をしてきた。過去の所業を弁明する気もないが、弟子の面倒を見ているうちは其方らのいる光の標ある道を向いておくつもりだ」
「殊勝なことで……。勘繰られるような真似は控えていただこうかしら」
「善処しよう」
本音を言っているにもかかわらず、隠し事をされているかのように聞こえる。虚実入り乱れたような希薄さを感じさせる言葉。同じ魔女同士、感じるところがあるのだろうか?
寧ろあたしの考えすぎの勘繰りすぎかもしれない。今は独りだから、余計に警戒しているのかな。
「本題に戻ろうか」
ほんの少し沈黙が続いたところでルシダが青年に声をかけた。
「それをこちらに」
「あ、はぁい」
トテトテと駆け足でやってきた彼がテーブルに置いてあるあたしのスマホを手にとって魔女に手渡した。まるで小間使いね。
ルシダの視線がスマホの画面に注がれたところで、あたしはそこに映る画像について捕捉した。
「……それは今朝撮影された写真。闇に呑まれる手の主を助けようと手を伸ばす撮影者。おそらく二人とも闇に呑まれたと思う」
「ふむ」
画面を触って拡大したりするルシダの傍らで、青年がわぁっと驚いた表情の顔を手で覆う。外見と中身が不相応すぎるわやっぱり。
「それで見てもらいたいのは」
「円状に拡がる闇の淵を微かに囲う光子か」
「……そうね」
流石は上級魔女。一見しただけであたしの訊きたい点にあっさり言及してくれる。
「元はかなり粗い画像で分からなかったのだけれど、補正で鮮明化したところ微かな輝きが観測されたの。文字か文様かを形成しているようにも見えるから多分、だけれど」
「召喚陣……転移陣……何がしかの術式方陣だろう」
「あたしも同じ見解。彼らは誰かの術に巻き込まれてしまった可能性が高いと思う。けれどあたしにはこの陣を成す光の形に思い当たるものがなくって」
「私に白羽の矢を立てた……か」
イエス。だから早くこの魔方陣がどのような者によって描き出されたのか教えてくださいな。
「残念だがこれは管轄外だ」
「嘘でしょう?」
冗談きついわルシダさん。
そう思うあたしを他所に彼女はテーブルの上にスマホを置いてこちらへ返却してきた。
「……え、マジ?」
「マジだ」
マジなの?
正直彼女から答えをもらうつもりだったのでこうも早々に匙を投げられてしまい呆気に取られてしまった。
ちょっと待ってよ此処に来る前みんなに自信満々に闇の秘密を暴いてくるって言って別れて来たのにこれじゃ絶対彩女にぷすくす笑われちゃうじゃないイヤそれどころか後輩たちの安否がかかってるというのに役立たずねって蔑まれちゃうじゃないちょっとそれ勘弁してほしいんだけれど……と、一人思考が暴走しながらも客観的に見てこれじゃ後輩達の安否と保身を天秤に掛けてる性悪先輩じゃないとちょっぴり自己嫌悪したりしなかったり。
「書庫の奥、異界についてまとめた大判の書があるはずだ。それを此処へ」
「あはぁい」
思い詰めて冷や汗をタラリと流すあたしの耳に、ルシダが彼に何事か告げるのが聞こえた。顔を上げた時には既に応接室には魔女二人だけになっていた。
「しばし待て」
「え、ええ……」
何か用を申し付けていたようだけど、気が散っていたから聞き逃していた。何かの書と言っていたようだけれど。
「働き者だろう」
あたしに話しかけてきたのにも反応が遅れた。彩女のせいで気が散漫になっているに違いない。まったく足を引っ張ってくれるんだから。
「彼のこと?」
頷く炎獄の魔女はゆったりと腰掛けた安楽椅子を静かに揺らしながら続ける。
「まだ世間の常識を教えている最中だが、いずれは弟子の身の回りの世話を一手に引き受けてもらうつもりだ」
「過保護ね」
この間会った時は厳しく躾けていると言っていたのにお甘いこと。
けれど彼女の弟子であるティアナはこの国へ来たばかりで色々と知らないことも多いのだろう。そのフォローに彼を充てることが正しいかどうかは疑問があるけれど。
一人よりマシ……程度じゃないかしら?
「言うな。気恥ずかしいではないか」
「そうは見えないけれど」
クツクツと笑う様はあたしが彩女に対して悪巧みしてる時と似た表情に見えてしまった。
ははぁんさては二人揃ったらどんなドタバタを繰り広げるか期待しちゃってるのね。
「……私がいなくなった後に世話を焼いてくれる者が傍にいれば、と思ってな」
「後ろ向きな発想だこと」
「そう長くはないのだよ」
これは彼女自身のことに違いない。自分の余生が如何程なのか推算した上でティアナの指導に当たる過程で、彼に目をつけたのだろう。
「良ければ私がいなくなってからはお前が」
「無理! 御免だわ!」
「……まだ言ってないのだが」
「そう言いそうな雰囲気だった!」
あの子を指南してくれとでも伝えたかったのでしょうけど、お生憎様あたしはまだ人様に教えを施せるほど人生経験豊かじゃないの。
真っ向から拒否されたから押し黙る彼女は腕組みして少し考える素振りを見せたが、
「……全部面倒見ろとは言わん。困難に直面した時、手を差し伸べるくらいは良いだろう」
本当は全部引き継ぎたかったのでしょう。声にその色が滲んでますわよ。
「そんな約束したところで意味はなくてよ」
そう言うと眉根を寄せられたので誤解のないよう付け加えておく。
「本当に困っている時に助けを求められることがあれば確約せずとも手を差し伸べるわ」
「お前……」
「それがあたし達魔法少女ってもんよ」
照れを隠そうとした結果何故か渾身のキメ顔と共に踏ん反り返ってしまった。
「……言ってて恥ずかしくはないか?」
「ええもう今この瞬間貴女に言ったことを猛烈に後悔してるわ」
何よその言い草。そっぽを向いて抗議してあげた。そうよねこういうのは彩女がやってあたしがツッコミを入れるべきなのよね、この場に居ない彩女が悪いわ彩女が。
けれどもすぐにお互いフッと吹いて微かに笑んだ。
「ありが」
「ありましたぁ」
大事なことを言ってくれそうだったルシダを遮り応接室の扉が開いて彼が戻ってきた。あたしと彼女の間に流れていた空気は綺麗さっぱり霧散して、のほほんとした空気をまとった彼が取ってきたモノをテーブルにドンと置く。
「んんっ。すまんな、下がっていいぞ」
「はぁい」
咳払い一つして彼を退出させたルシダは卓上の本に手を伸ばす。
革装丁の洋書は、開くとテーブルの半分を覆うほどのサイズがあった。
「それは?」
何が書かれているのかと訊ねた。年季の入ったページは所々シミや変色、劣化が目立つ。埃っぽい臭いが鼻をつくようだわ。
そして書かれている内容については、正直なところ全く読めない。
本の上下が逆さまに見えるからではなく、ミミズの走る記号のような文字は目にしたことがない。手書きの英語筆記体に見えなくもないが、分からない。
円や方形が描かれているページもあるが、それにも同じく文字が刻まれているモノもありさっぱりだ。
けれど……それはまるで、幻獣奏者の鈴白音央が扱う召喚陣を連想させた。
「これは異界全書。この世ならざる世界の干渉を記した書物」
「この世ならざる?」
「異世界の存在の記録とでも言うか。ただし相互ではなく一方通行の無礼な行為の、な」
「つまりあたしが探っているのは」
「然り。見てみろ、ここに記されている方陣」
彼女に促され、あたしは卓上の大判本を覗き込んだ。
「……似てるわね」
手にしたスマホの画像を拡大して見比べる。細緻に書き込まれた本と少し粗い画像じゃ確実な照合は難しいけれど、一目見た印象は同じだった。
「この書によれば過去に数度、この方陣で人が姿を消すところを目撃されているようだ……」
「異世界からの魔方陣と言ったわね?」
ルシダは首を縦に振る。
「その目的は」
「九割九分間違いなかろう」
他世界への一方的な召致。あたしと初瀬さんの後輩たちはこれに巻き込まれたと見ていいだろう。
「任意に選ばれたのかしら?」
「それは術者に訊かねば分かるまい」
だとすれば彼らの中の誰が本来喚ばれるべきだったのか……それとも全員が対象?
事態の把握を進めたと思ったらすぐに分からないことが浮き彫りになる。頭を抱えたくなるあたしの元に、彩女から一件のメールが届くのだった。




