戦士は彼の地に召される・3
特に交わす言葉もなく、明と闘技場を後にして城内の玉座の間へ向かった。
時折、通路の影からこちらを見てくる兵士の姿が目についた。闘技場の観覧席から急いで監視に戻ったのか、息の乱れた様子もあったが、なによりも先程まで孕んでいた敵意は感じられず、代わりに畏怖の篭った眼差しが向けられている。
明の一方的な勝利を目の当たりにし、異界からの戦士扱いの僕らの力に怖気付いたのだろう。
その戦いで分かったことは、この世界には明が倒した怪物が存在しているということ。そして、いつの間にかこいつは一部位だけを変化させて戦う術を体得していたということだ。
「……いつできるようになった?」
「何を?」
「腕だけ変身させてみせたやつ」
「さっきやったらできた」
「まさかのぶっつけ!」
いきなりあれをやれるセンスに驚きだ。そして全力を出さずに戦う選択をした明の思慮深さにも。
僕だって今の状況で手の内を曝け出すつもりはないが、明のような発想に至ることはなかったからエストルガーへの変身はしていた、と思う。
そういう意味じゃあさっきの戦いはこいつに任せて正解だった……勝手に先に進んで出ていった時は、アステリオーが全力でぶちのめして僕が頭を抱えて呆れるつもりでいたというのは胸の内に秘めておこう。
明にできたのなら、僕にもできるだろうか。
機会を見て試してみようと考えたタイミングで、元いた玉座の前に辿り着いた。
兵士も次第に左右の列を成し、引率人と側近も姿を見せ、最後に若干待たされたところで王がやって来て腰を下ろした。
上に羽織る衣装が変わったのは、明に付けられた獣の血を気にしたからか。
「……流石、私が喚んだ二人の戦士の一人。目を見張る力量だ」
そういう王の目は言葉に反して暗く濁って見える。勅令を受けなかったこと、血で穢されたことへの腹立たしさや苛立ちを抱いているのではないかと感じた。
「今一度問うがこの国のため」
「くどい」
言葉の途中で明が切り捨てた。言い方はアレだが、僕も概ね同意見なので今回は発言を諌める真似はしなかった。
一瞬、初老の男が苦虫を噛み潰した忌々しげな表情を浮かべるのが見えたがすぐに平静を取り繕った。
「……よく分かった。これ以上の言葉は無意味なようだ」
「理解してくれたのなら、さっさと僕らを送り返す準備をしてもらおうか」
帰りの切符を確保するのは優先事項だ。利用価値がないと分かれば、僕らのような危険な戦力を抱えるメリットはないし、元より異分子のような存在だ。帰すことに抵抗はないと睨んでいた。
「その前に一つ、お二人の耳に入れておいた方がいい話がある」
今度は引率人が口を出してきた。説得の引き伸ばしか何かかと訝しんだが、彼の言葉に僕らは気を引かれざるを得なかった。
「逆賊どもが占有する地と我が国の境界付近に、お二人の連れではないかと思われる人物の目撃談が先程届きまして」
つい……二人とも食い入るようにそいつの顔を見ていた。
「残念ながらその人物の身柄を確保することはできていません。抵抗軍の蔓延る領域に近い場所にいたそうで……いやはや心配ですな」
この話が本当かどうか、僕は判断しかねた。
彼が、相沢くんが一緒にこの世界に落ちてきたとしたら、何故僕らと同じ場所にいなかったのか。
「……信じると思うか。そんな都合のいい話を」
「目撃者と直接話されてはどうか?」
男が取り出したのは両手に収まるサイズの楕円のオブジェ。それを二枚貝のようにパカリと開くと、一人で話し始めた。
「もしもしー?」
『あハイ聞こえております大臣様』
「電話かよ……」
そういうものがあってもおかしくないけど。遠くとやり取りするならあって当然だけど。
見た目が全然違うから一言出さずにはいられなかった。
「話の相手は境界線上にある街道都市トヤラの領主である。今一度その耳に届いた異人らしき者の目撃談を伝えよ」
『は、はぁ……今朝方届いたばかりの噂ですが、昨晩旅の商人一行が街を訪れる直前、街外れに見慣れぬ格好をした人影を見たそうです』
「ほうそれで?」
『何をしているのか、魔物の罠かと警戒しているうちに遠くから恐ろしい咆哮が聞こえてきたので、急ぎその場を離れ街へ馬車を走らせてきたと』
夜の闇での目撃談、それが果たして彼なのか確証はない。
しかし彼の存在は口にしてないのにカマをかける可能性も考えにくい。ということは目撃談事態は真実ということか?
「どうやら迷っておいでのようだが、どうです一つこちらの提案に乗ってみては?」
「提案?」
「我々は貴方がたの意志を尊重し正しく元の世界に帰しましょう。ただし儀式の準備に最低四日ほど時間をいただくことになります」
「随分と時間がかかるんだね」
「二人を喚ぶのに莫大な力を使う秘術を使ったばかりで。魔力や触媒を掻き集めるのに充分な時間が必要なのですよ」
異世界から人を召喚するにはそれなりの準備が必要らしい。世界を繋ぐのだから当然か。
「じゃあそちらの準備が完了するまで、その……トヤラという街で人探しでもしてこいと?」
「ええ。あわよくばそのまま北の古城を攻め落としていただいても構わないのですが」
隣の明が不愉快そうに表情を歪めるのを見て、大臣の男は肩を竦めた。
「そこまでは望めませんか……いえいえ分かっていたことです。貴方がたは好きなだけお仲間をお探しください」
「そうさせてもらう」
「ああ確認しますがお探しになる人物は一名だけ……でよろしかったですかな?」
「ああ、彼だけだ。時間が惜しいから僕らはもう行くよ」
「結構。旅の無事をお祈りしておりますよ」
僕ら二人は顔を見合わせ踵を返す。兵士の一人が先を行き正面の大扉を開け誘導してくれる。
もう少し説得を粘られるかと思ったが、あっさり解放してくれるのならありがたい。
もしも本当に彼が一人で離れた地にいるのなら、いち早く迎えに行ってあげたいから。
「……異常召喚の異端者どもが。忌々しい」
二人の女が尻を揺らして去っていくのを見送った後で、ダンタリク王は顔の皺を一際歪めて履き捨てた。そもそも光輝降臨の儀で召喚される戦士は一人のはず。それが二人も三人も来ていたとあっては、冒頭から歯車が狂ってしまったようなものである。
「仰る通りでございます」
「心中お察しいたします」
左右に控える側近は王の怒りを鎮めるようにその言葉に同意して頭を垂れた。
「さて。忙しくなりますな」
異端者どもとの交渉を引き受けていた大臣は自身の成果に満足しつつも、次の行動を起さんとしていた。
「うまく丸め込んだじゃあないか!」
彼に早足で駆け寄ってきたのは、もう一人の大臣……闘技場で力を示した者を引率していた男だった。
「交渉事には自信のある立場である故」
言われた男は何故か得意げにそうかそうかと彼の肩を叩いてきた。憐れんだ微笑を浮かべて応じる彼に対し質問が飛んでくる。
「他に連れがいることまで訊き出していたなんて」
「あの女とは会話が成り立ったからな。色々教えてやったんだ、こちらにも情報を提供してもらわないと」
会話の中でそのことに勘付いたのはたまたまであった。
もう一人の連れが暴れているという話を出会った直後にした時、女がうっかり「彼ら」と口走ったのを聞き逃さなかった。
確信は得られなかったものの、最後にカマをかけてあちらが隠そうとしたことを暴けたのは僥倖であった。
おかげで狙い通り意に沿わぬ厄介者を北に追いやることができたのだから。
おまけに探しているのが一人であるという言質も取れた。
大臣は通話機を取り出すと、再度トヤラの領主に話を繋いだ。
「私だ」
『聞こえております』
「女が二人訊ねてきたら反逆者の居城に行くよう誘導するのだ」
『な、なんと言って……』
「それを考えるのが貴様の仕事だ」
『ハヒ……!』
「上手くいけば悪いようにはせん……王の耳にお前の功績を存分にお入れしておく」
ありがたきお言葉!
上手くこき使われているのを理解しているのかいないのか、張り切る領主は元気に応えて通話は終わった。
「では王よ。我らはこれから儀式の準備にとりかかります」
「うむ。国力を削ぐのは苦しいが仕方あるまい……よもやあれほど愚かな者どもを喚んでしまうとは」
「耳が痛うございます」
「善い。後悔と屈辱を魂の最奥まで刻みつけてやれ」
ダンタリク王はこれから無礼極まりなかった二人に起こる事態を思い浮かべ、口の端を吊り上げた。
「仰せのままに」
二人の大臣は口を揃えて仕事に取りかかった。
「まずは儀のための生贄を集めよ! 全ては二日後だ!」
玉座の間に控えていた兵たちはオオと声を上げてその場から散っていく。
この国の者たちの胸中に渦巻く思惑が引き金となり、今まさに旅立たんとする二人の戦士の進む道の先で大きな災いが降りかかろうとしているのであった。
「――これが貴様らの荷物。これがマント。そしてこれが王からの餞別」
ありがたく受け取れ。
そう言ってきたのは、城門の外まで見送り……監視してきた近衛兵だった。
僕ら二人は鞄を背負い、与えられたマントを羽織り、餞別として渡された銀製の小さな楯を留め具代わりに胸元に着けた。
楯には王家の紋章が刻まれており、それが異世界からの来訪者である僕らの身分を証明してくれるそうだ。
「街について門番がいたらそれを見せれば問題はないはずだ。領主を訪ねる時も場所が分からなければそれを誰かに見せろ。きっと案内してくれる」
「承知した」
兵士はある一方を指差し、説明をしてくれた。
「北を目指し道沿いに行けば迷うことなくトヤラに着くだろう。馬を使い二日も走れば着くはずだ」
「……肝心の馬は?」
力を貸さずに出ていく僕らなんかに与えるわけもないかと訊ねてから思ったのだが、返ってきたのは予想とは違う答えだった。
「……西方にある海運都市に我が国の主力は赴いている。いつ開戦しても……いや言うべきことではないな。そういう状況だ、悪いがあんたらに割けるだけの余裕はないんだ」
「たかが馬二頭も無理か」
僕の代わりに明が愚痴った。それほどまでに切迫して困窮した事態だというなら、内乱にかまける余裕はないのかもしれない。
寧ろ今反乱軍に攻め入られでもしたら簡単に墜ちやしないかと訝しんでしまう。
……それをさせないための異世界からの戦力招集か。
「歩いていけば、まあ早くて四日もあれば着くんじゃないか? 途中で商人の馬車でも拾えれば」
女の二人旅を案じているのか、兵士は丁寧に日数を教えてくれる。でもその必要はないと手を差し向けて言葉を遮った。
「ご心配どうもありがとう」
さっきまで敵意ばかり向けられていると思っていた。けれど話してみれば意外とそうでもない人もいるのだということが分かった。こういう人が多ければ、僕もあまり態度を硬化させなかったのだが。
「……気を付けな。最近じゃ治安が悪くて道沿いも絶対安全とは限らん」
彼の忠告に頭を下げ、僕らは派手に見送られることもなく旅を始めた。
「本気で歩くのか?」
明が訊いてくる。
「まさか。そんな悠長に行くつもりはない」
馬で二日かかるなら、頑張れば一日で着くかもしれない。
僕ら二人は足の具合を確認する。しばらく立ちっぱなしだったけど、曲げ伸ばししてほぐしてやって準備は万端。
一気に大地を蹴りつけて、二人競うようにして北の街へと走り始めた。
「……おいおい、あの疾さじゃすぐバテちまうぞ」
唯一、二人の戦士の出立を見送っていた兵士の青年は、女たちが全速力で走っていくのを呆れた眼差しで追っていた。そして二人の姿が地平の彼方へ消えていくまでの数分間、走るペースが全く落ちないのを見届けてしまう。
「……速すぎる」
結果、たった一人でドン引きするのだった。




