戦士は彼の地に召される・2
――あいつは、いないのか。
こいつの姿しかなかった。確認はしたがやはりいなかった。暗闇に呑まれる前に手を伸ばすあいつの最後の姿が目に浮かぶ。何処へ行った。
こいつしかいないと知っていたら奴らをぶちのめすのを止めたりしなかった。
――あ、暴れるな! お前の連れがどうなってもいいのかぁ!?
軟弱な男の言葉につい拳を止めた。見知らぬ部屋で目が覚め、知らん男がやってきて何か言っていたから倒して部屋を出ようとした。
その時にその言葉を言われ、頭にあいつの顔が浮かんだ。だから殴るのを止めた。あいつは弱いから手を出されたら死ぬ。
大人しくしたらこのザマだ。次々に弱そうな兵隊がやってきて腕と足と口まで拘束していった。
歩かされて聖に会って、冒頭の質問をぶつけたのがついさっきのことだ。
それから隣の聖が勝手に話を進め、勝手に話が決まりそうになった。
こんな奴らに協力しろと言われて誰が首を縦に振ると思う。
「断る」
そう口にすると徐々に無駄に明るい玉座の部屋が静かになっていった。
――王の頼みを断るなんて。
聖と話をしていた男がそんな風なことを言って顔を赤くしている。
部屋の真ん中で偉そうにふんぞり返っている爺さんも不機嫌そうだ。俺ほどじゃないが。不機嫌を出そうとすると隣のこいつがすぐ止めてくるのが分かっているから、今は静かにしておいてやる。騒がしいのは好きじゃない。
――そっちの世界のことはそっちでやれ。
聖がそんな風な事を言う。意見が合った、俺をそっちの都合で巻き込むな。
その後も聖、男、爺さんが口論しているようだが、その間に周りにいる兵隊たちが俺たちに憎しみのような視線を向けてくる。なんだこいつら。
男が爺さんに耳打ちをしたら爺さんが立ち上がった。息でも吹き込まれたのか。
――お前ら言うこと聞かないなら力を見せろ。そしたら好きなようにしろ。
そんな風なことを叫んだ。
「出て行っていいのか」
聖に訊く。溜め息が聞こえた
「……ちゃんと話訊いてたのか?」
答えない。分かってるだろ。
「自由になりたいのなら……闘技場で力を示して城の者を黙らせろとさ」
「出て行っていいんだな」
「……一つ事を経てからそうなるっていうの」
まどろっこしい話だ。さっさと済ませる。
城の東側に闘技場があり、俺は戦場へ続く入場口付近にいた。鉄の扉が閉まってる。
「明」
「なんだ」
「一人でいいのか?」
一人でやるのか。初耳だ。
「問題ない」
一人の方がやりやすいだろう。聖を置き去りにして入場口の前に立つ。
そこで、んっ、と思った。横を向いたら最初俺に殴られた男がいたので訊いた。
「おい」
「なんだ無礼者」
「これは外さないのか」
腕を拘束する皮とバンド。足に絡みつくうざい鎖。闘うのなら邪魔でしかない。
下品な嗤いが見えた。
「そのくらいなんともないだろう……なんせ異界から召喚された、戦士様だ!」
外す手間がかかるのか。面倒くさい。
ガコン。
扉が開いたから入っていった。
――バーカバーカ死ね!
後ろからガキの戯言と鉄扉の閉じる音が聞こえた。
戦いの舞台に足を踏み入れて最初に感じたのは耳を覆いたくなるような雑音。
砂を敷かれた円形の舞台を囲む観覧席は男で埋め尽くされている。俺を拘束した兵隊と同じ格好をした奴が多い。下っ端の兵隊ども。
段状になっている観覧席は上に視線を向けるほど、座っている奴の身なりがよくなっていく。
俺の正面、最上段の上等な観覧席にいるのは、ダサい冠を被るあの爺さんだ。
そして真正面には俺が入ってきたのと同じような鉄の扉。ただしサイズは三倍以上はある高さだ。
無駄にでかいと思ったが、無駄じゃないとすぐに分かった。
ゆっくりと開いた扉から出てきたのは、ゆうに身の丈五メートルはある無駄にでかい獣だった。
猿みたいな顔をして体は体毛で覆われているが非常に発達した筋肉が詰まっているのは見てとれた。
腹が減ってるのか気性が荒いのか、口からは涎を垂れ流しギラギラとした眼でこちらを捕捉してくる。
「……めんど」
聖にやらせれば良かったかなどと考えた一瞬で、獣は図体に似合わぬ敏捷性で間合いを詰め太い双腕を振り下ろしてくる。
俺のいた場所は大きな砂煙を上げ、衝撃が闘技場全体を震わせるようだった。
派手なショー染みていたせいか、野次馬共が馬鹿に声を張り上げて騒ぐ。俺が潰れたとでも思ったのかもしれないが、とっくに獣の背後に回り広く間合いを取っているところだ。
「案外速くて……案外邪魔だな」
やはり腕と足の拘束は煩わしい。幸い獣は俺を見失い隙だらけなので、今のうちに外すことにした。
「……」
息を止め力を腕に込める。突っ張った拘束具が男の頃と比べて華奢になった腕の皮膚に食い込むが、意に介すこともない。
バン、と思ったよりも鈍い音を響かせて腕を包んでいた革とベルトは弾け飛んだ。
闘技場を見下ろしている中の少数は俺の姿を追えていたのか、たまたま目にしていたのか、どっちでもいいが目を丸くしているのは共通していた。
右足を振り上げる。翻るスカートと共に鎖が引き千切れた。
「ふん」
腕と足首の状態を確認する。赤くなっているが戦闘に支障はない。
やっと自由になれた。さっさとここを出る。
拘束を解いた音が耳に届いたか、俺を見失っていた大猿がようやくこちらを向きやがった。
気兼ねなく暴れてやる――かと思ったが俺の背後、上の方にある上等で下品な席から見下ろしてくる爺さんや周りに控える野郎どもの物色する視線に晒されながら暴れるのも、思惑通りといった感じでいけ好かん。
右手を背に回してタウラスデバイスを呼び寄せる。ベルトのように装着したが、そこで一度考えた。
変身……力の全てを見せるでもない。
両拳をガンガンと叩き合わせる。
何度か繰り返し、その内に拳から前腕部までがアステリオーの装甲で覆われる。
「こんなもんだろう」
ガントレットを装着したような状態となり、腕に力が漲ってくる。
体の一部だけ力を解放する、限定武装といったところか。
俺の変容を目にした野次馬たちの耳障りだった騒音は、ざわめきに変わっている。
こっちの方が五月蝿くなくていい。騒いでいるのは、目の前で咆哮する猿だけだ。
地球にいる猿の鳴き声とは違う野太い叫び。
不快だな。
両腕で地面を掻き突っ込んでくる。歪な大口を開け杭のような牙を剥き出し噛み付いてきた。
ボゴンッ。
突き出した腕は猿の両目を横殴りに潰し、その首をもぎ取った。
頭を失った首から脈動する体液がぶしゅぶしゅと吹き出す。
血腥いものを久々にこの身に浴びて思うのは、気持ちの悪いシャワーだということだ。
残された猿の巨体が崩れ落ちる音しかせず、ざわめきもない静寂が続く。
ようやく俺好みの静かさになった。僅かだが気分が良くなったので、拳でもぎ取った猿の首を景気よく届けてやることにした。
振りかぶった腕から抜けた獣の頭部が最上段の観覧席にの壁に当たって弾けた。
「……!」
血や肉片の幾らかはその変にいた爺さんや金魚の糞に飛び散った。礼はいらんからとっておけ。
閉まっていた鉄の扉が開いたので出る。腕甲とデバイスは役目を終えたので仕舞う。
「余裕だな」
「物足りん」
端的に答えたところで情けない嗚咽が聞こえた。
――あうあう。
入場口の脇、壁際で俺を罵ってきた男が蹲って震えていた。
役に立たないのでそいつは放っておいて聖と並んで来た道を戻り玉座の間に戻った。
これで居心地の悪い城とはおさらば、だ。




