戦士は彼の地に召される・1
つい先日も似た状況に陥ったばかりだった。
世界の外においやられるような排除されるような不思議な感覚……微睡む中でそれを思い出しながら意識をはっきりさせていった。
「…………」
どこかへと堕ちて意識を断たれたはず。でも今はその時感じた浮遊感もなく、仰向けに横たわっていた。
背に触れる柔和な感触が目覚めを妨げていることに気付いた僕は、微睡む意識を判然とさせたくて手を動かそうとした。
けれど腕が思うように動かない。思いに反して体はまだ休んでいたいのか、という考えは即座に霧散した。
もう一度腕を動かそうとした時に、両の手首が拘束されていることがはっきりと分かったからだ。
「……――」
柔らかなベッドの上で上半身を跳ね起こした時には意識は完全に覚醒していた。
そう、僕は身の丈の倍はある広さの寝具の上に横たわっていた。両手首を金属の拘束具でがっしりと固定された状態で、だ。
「ここは……」
薄暗い部屋の中、独り言ちたところで返事をしてくれる者はいない。気を失うまで隣にいた明も、僕の手を掴もうとしてくれた相沢くんも。
一度深呼吸をして落ち着こう。
まずは現状の確認である。
僕の名前は一野聖。相沢くんや明と同じ西台高校に通う一年生で、さっきまで二人と一緒にバス停へ向かっていた。
制服は着用している。鞄は……ベッド脇のテーブルの上にある。落下する感覚を抱いた割には体に痛みはなく、自分の身に起きている異変といえば手首に纏わりつく拘束具だけである。
ひとまず我が身の状況を整理したところで、続いて今いる場所について確認と勘案をしてみる。
天蓋付きのベッドは座り心地がとてもいい。お尻がふわりと包み込まれるようで、なるほど気持ちよく寝ていたのも頷ける。それに支柱や頭上に拡がるレースは非常に凝った意匠を施されている。芸術に対して目が肥えているわけではないが、安物でないのは確かだろう。
鞄が置かれてある一本足のテーブルもしっかりとした造りの黒光りする木製である。
そしてぐるりと首を巡らせないと見渡すことのできない室内。寝室と呼ぶには無駄に広く、およそ自身の生活において馴染みのある空間ではない。
幸い足は拘束されていないので立ち上がることに不自由はない。
ベッドから降り立った僕は再び室内を見渡してから、灯りのない一室を照らす唯一の光源に向け足を踏み出した。
壁半分を占める大きな窓から外から明かりが差し込んでくる。それがなければ、この広い部屋は足元も見えないような暗さだったろう。
とはいえ外からの光も弱々しいものであった。閉ざされた窓の向こうにあるバルコニーの先に広がる空は一面の暗い雲に覆われていた。
どんよりとした曇り空を目にしたせいか、僕の心も釣られて沈みそうだった。
「……」
バルコニーの下には緑の絨毯が敷かれている。芝生……庭なのだろうか、敷地はかなり広く思え、その向こうには石を積み上げた壁面が連なり、遥か遠くには黒い煙がいくつか散らばって空に立ち上っているのが見えた。
ふと抱いた印象は、ここは洋風の屋敷か城か……というものだった。実際に訪れたことなどないが、もしもそのような建物の一室から見える景色があるならばこういうものだろうという心象があったに違いない。
「一体ここは……?」
しかしそれはあくまでイメージの問題。現実的に考えて、こんな場所が僕の生活圏内にあるとは思えない。
どれくらい気を失っていたかは分からないが、その間にどこへ連れてこられたのか皆目見当がつかない。
それに明や相沢くんのことも気になる。拘束を解いて部屋の外に出るべきかと今後について模索していたところで気配を感じ、扉の方へと顔を向けた。
同時にやたら大きな音を鳴らす観音開きの扉を押し開けて、青年が姿を現した。
窓辺に立つ僕と目が合った瞬間、酷く驚いたように碧い眼が見開かれたと思ったが、すぐに平静を取り繕って落ち着いた声音で語りかけてきた。
「……お目覚めでしたか。体の具合は如何です?」
にこりとした表情でこちらの身を案じる素振りをしてくるが、お生憎様今は警戒心しか先立たない。
そしてそれは相手も同じに違いない。声をかけつつも一向に歩み寄ろうとはしないし、次第に彼の背後に人影が増えていっていた。男性ばかりが一人や二人どころではない数で、全員気を張った表情でこちらを見てくるし……腰に提げた得物にその手をかけている。
「何者だ? 僕を捕らえて何のつもりだ?」
彼らの方へ向き直ると毅然とした口調で簡潔に問うた。部屋の外に控える者たちが少しざわついたが、先頭に立つ青年が手をかざすとスッと静まり返った。
栗色の同じ服を着た背後の集団は、深碧のローブを纏う青年の部下だろうか。
「失礼。貴女を捕らえたというのは誤解です。我々は……我が国は貴女を迎え入れたと思っていただきたい」
自由を奪われる両手を胸の前にかざして見せた。
「突然の事態に混乱し騒動を起こされないよう次善の策を講じさせていただきました。どうかご理解を」
深く頭を下げ詫びてくる。
すぐにでも拘束を破りここを出ていくという選択もあったわけだが、情報が不足している現状においてそれは愚策。相手も危害を加えるつもりがないというのなら、話をする余地はあるのだろう。
「騒ぐつもりはない。ただ混乱しているのは事実だ。説明してもらいたい」
言葉をかけられた青年は安堵した表情で顔を上げ、ようやくこちらへ歩を進めてきた。
「話を聞いていただけて助かります。もう一人は大層騒いだと耳にし」
「彼らがいるのか!」
僕の脳裏に明と相沢くんの姿が浮かんだ。
思わず声を上げてしまったが、そんな僕に対し青年は不思議そうな表情を向け……すぐに彼の前へ武装した集団が身を挺すように割って入ってきた。何人かは既に剣を鞘から抜き放とうとしている。
「いい! 構わん! 刺激するな!」
慌てて青年が叫び、場を包もうとしていた殺気立った空気が次第に散っていった。
あまりにも過剰に反応されている。僕も警戒しているが、相手はそれ以上に強い警戒心を抱いているように感じた。
「気を悪くしないでくれ。最近の情勢で城の兵たちも随分気が立っていてね」
「……いえ」
情勢、城、兵士。何の話をしているのか。
「案内しながら話そう。君が大変知りたそうなこともおいおいと……ね」
にやりと笑う青年に見下ろされながら、会話のアドバンテージを取られた自分の浅慮を少し悔やんだ。
見知らぬ場所で後手に回り、友の所在も判然としないもどかしさ。
僕は一体、どこにいるんだ?
「さて。まずはどこから話したものか」
僕の前を往く青年の口調は、初対面の時にみせた丁寧な言葉遣いから若干崩れていた。危機感が薄れてきたのか、気安さが生まれてきたのか。
「この場所について訊きたい」
「いいでしょう」
手は拘束されたまま歩かされる。青年の左右に一人ずつ、僕の左右にも。そして後ろに大勢の兵士。まだ不自由な時間は続きそうだ。
「ここはノルテア大陸の西部に位置するダンタリク国の王都シュビノア、その王城です」
「聞いたことのない国だ」
「当然でしょう。ここは貴女のいた世界とは違う、全く別の世界なのですから」
話を聞いて少しだけ心拍が早まったが、面には出さずに努めて平静に言葉の意味を呑み込んだ。
「今度は取り乱さないのですね。結構、優秀な方だ」
「世辞はいい」
さっきは冷静さを欠いたせいで状況がこじれそうになった。騒ぐのは得策ではない。
それに異相空間や境回世界……自分がいる場所以外に様々な世界が存在していることは知っているから、違うところへ来たからといって焦ることはない……そう言い聞かせる。
不安の種があるとすれば、自分の意志で来たわけではなく、引きずり込まれるような感覚と共にここへ来ただろうということだ。
「迎え入れたと言っていたが何をした? 何のために、僕を迎え入れた?」
「光輝降臨の儀」
「……?」
「異界からこの国に光をもたらす勇者を呼び出す召喚の儀式ですよ。貴方はそれによってこの国に舞い降りたまさに天使」
「なるほど。そのせいで拉致されたというわけか」
そう言葉を吐き出すと背後に付き従う兵士の一名が何か言いかけ、剣を抜かんとする音が聞こえた。
「よせ」
別の兵士が制止することで事なきを得た。
不用意な発言は反感をもらいやすいようだが、どこか違和感があった。
「この国のためにと言っておきながら、あまり歓迎されてはいないようで」
「……多くの者は貴女のような異界からの来客に慣れていないのだ」
物珍しいからだと言うつもりか。にしては敵意が強すぎるきらいがある。
「それで、わざわざ人を外の世界から呼びつけて……何が目的だ?」
薄暗い城内の階段を下っていく。窓はところどころあるのに外の晴れぬ天候のせいで足元もおぼつかない。
「言っただろう。この国に光をもたらしてほしいと」
要領を得ない。流石に天気の話じゃないだろう、こちらは具体的な話が訊きたいのだと無言で催促した。
「……平和さ。国に弓引く悪賊どもを大義を以って討ってもらいたいのだ」
「そんなものは自分たちの手で果たせばいい。いちいち人を巻き込むな」
こちらの言葉を遮るように青年が手を横にかざす。その歩は止まり、僕らの前には立派な扉がはだかっていた。
「お喋りはここまでだ。まずは我らが王と謁見してもらおう」
国のトップ直々に話をしてくれるとは畏れ入った。
「おめかしはこれだけでいいのか?」
胸の前に金属音を奏でる両手を掲げながら訊いた。
「まだ必要なら幾らでも」
「遠慮する」
手を下ろして息をつく。後は国王から話を訊こう。きちんと話のできる相手であれば、ね。
「くれぐれも無礼のないよう」
断りもなく人を呼びつけた相手に礼を説かれたくもないが、ここは堪えておく。
物々しい音を立てて開く扉に思わず目を細めた。辺りを照らす灯りが扉の向こうから浴びせられてきたからだ。
ほんの少しの間をおいて慣れた目に飛び込んできたのは、言ってしまえば収容所のような空気だった城内とは打って変わって綺羅びやかで眩しい空間だった。
目の前には僕が入ってきたのと対になるように扉があり、二つの扉を分かつように赤い絨毯が横切っている。それを追って視線を左に向ければ兵士の並び立つ先に立派な玉座に座す男性がいる。
顔に深い皺を刻み精巧な細工を施す冠衣を纏う初老の男は見るからに偉そうな態度で背もたれに体を預け、髭を撫でながらこちらを見やってくる。
「早く行け」
後ろから兵士の一人がせっついてくる。僕の前にいた青年は先に行き、赤いカーペットの途中で僕を待っていた。
バランスを崩すように一歩二歩と進み、カーペットの上に辿り着いた。後はこれに沿って王に近付くだけといったところで、僕がいたのとは反対側の扉が先程聞いたのと同じ重苦しい音を立てて開かれた。
そちらには、これまた僕が来た時と同じように一人の男と兵士たちに連れられて、何者かが連れてこられていた。
「……」
少し観察して気が付いた。黒い髪に鋭い眼光、小麦色の肌は見覚えがあった。
「明か?」
自信を持って口にできなかったのは、そいつの格好と顔半分が見えなかったからだ。
口を封じるためか大きなマスクで目元から下を覆われ、両手は……両腕は体の前でなめし革のようなもので巻かれて厳重にベルトで拘束されていたから、西台高校の制服姿が見えにくかった。加えて足首にも鉄輪が嵌められ、両足は鎖で繋がれていた。
……ドン引きである。
「クッ……もう暴れるんじゃないぞ」
明の先に立つ男が忌々しげに吐き捨てた。見ればその顔、腫れていた。
「お前……何してるんだ」
なんとなく想像はつく……というかそれしかないだろう。明の周りにいる兵士たちにもいくらかの傷と疲弊した様子が窺える。
と、呆れて声をかけた僕とその周囲を観察した後、明は隣の男に顎をシャクってみせた。
「……二度と噛み付くなよ。オイ!」
男の指示に兵士の一人が明の背後に回り、口元を拘束していた装具を取り外した。
……カッ。
最後に一度、男に向けて歯を鳴らしてから明が悠々とこちらへと向かってきた。チャラチャラと鎖を鳴らし、その格好はどう見ても囚人のそれである。
こいつも僕と同じようにこの世界に来ていた。
再会の姿に頭を抱えたくなったのも事実だが、幾ばくか安堵している自分もいた。この世界に来てから初めて、少しだけ心が和らいだ。
「あいつはいないのか」
開口一番明は小声でそう訊いてきた。お互いに再会を喜び抱き合うなんてガラじゃないし、こいつはこういう奴だから今更気にしない。
「僕の方には。お前の方にいるかもと思っていた」
「お互い一人か」
足を止めてやりとりをしていたところ、玉座の間に咳払いが一つ響く。見れば僕を引率していた青年が焦れた様子でこちらを急かす。
仕方なく、二人揃ってカーペットを進みながら、
「なんだここは」
「何も訊いてないのか」
「……訊き出そうとはした」
どういう手段でかは聞くまでもない。それで無様にも拘束されまくったに違いない。
「お前は知ってるのか」
「しばらく黙っていろ。多分、明が口出すとややこしくなる」
明はムッとしてこっちを睨んできたけど、絶対間違いなくそうなるからもう一度念を押した。渋々といった感じだが、了承してくれたとみていいだろう。
そうこうしてるうちに僕らは玉座の正面に辿り着いた。
王と左右に控える側近らしき男たちの三名だけが、数段高い場所から僕らと、カーペットの脇に並び立つ兵たち、そして僕をここまで導いた男を見下ろしている。明を率いてきた男は猛獣に近寄りたくないからか、最初の扉の位置から動いていないようだった。
「……ふむ」
王と呼ばれるおじさんはその立場に見合う尊大な空気を纏って見えた。事実、こちらに向ける双眸はまるで値踏みしてくるような色を孕んでいた。
「よくぞ来た。異界からの救世主たちよ」
立ち上がり、両手を広げて感謝に溢れた言葉を述べてくる。同調するように周りにいる兵士たちが感嘆に打ち震える声を漏らす。
どいつもこいつも芝居っぽい仕草が胡散臭く見える。明なんてさっきから辺りに睨みを利かせまくりだ。頼むから騒がないでくれよ。
「既に従者から聞いているであろうが」
明は訊いていないけど。
「其方らは我が国の秘術、光輝降臨の儀によりこの国を救う偉大なる戦士として招かれたのだ」
「頼んじゃいない」
黙れえい、と明の脇腹を小突く。
ああもう。こういうとき相沢くんがいてくれたら全部彼が明の世話を引き受けてくれるっていうのに。
「今、我が国ダンタリクは深刻な危機に直面している。一部の王族や民が国に叛旗を翻し多大な混乱をもたらしたことで……数多の民が犠牲となりその魂は神の身許へ旅立ってしまった」
悲しみに暮れる王は天を仰ぎ、そして力強く拳を握り締めた。
「お主たちには国を離れることのできぬ我らに代わり、彼奴らが居を構える北の古城に攻め入り逆賊を討伐してもらう」
なるほど理由は分かった。だから明はもう少し黙っていてくれ、口を開こうとするなと肩を当てて制した。
「腑に落ちないな」
「何か……疑問でも?」
王に向けて話したつもりだが、応えたのは手前に立つ僕の引率者だった。
「賊を討ちたいのならここにいる自国の兵を使えば済むだろう。わざわざ他の世界から誰かを喚ぶまでもなく」
くつくつと押し殺して喉を鳴らすのが聞こえた。王の左右に控える側近が口に手を当て肩を揺らす。
「無知な小娘……」
こちらを勝手に喚び出しておいて……声を揃えて嗤われるのは腹立たしい。
「ダンタリクが大陸の西方に位置しているのは理解しているだろう。加えて大海に面す我が国は近年活発になりつつある異国との交易の玄関口としての役割を、他国から期待されていたのだよ」
航路による国交が盛んになりつつあるというなら、この世界の文明の進捗度は僕らの世界で例えるなら中世頃だろうか。異界から人を召喚する術式が確立されているなら、その分野の発展も似たようなものか。大衆の生活にまで浸透しているなら僕らのそれを越えていると言えるだろう。
「友好的に交流を結べる国もありそうでないところも。そのような粗暴で短慮な国々に、内紛が起きているなど悟られるようなことは避けたい」
「表面上は異国に国力を誇示し、相手がちょっかいをかけにくいように兵を並べて威圧してみせ、その間に喚び出した全く無関係の僕らに国内の驚異を排除させようという魂胆だろう」
「全く以てその通り。頭の回転が早い者は話が楽で助かる」
世辞にしても、ほくそ笑んで言われてしまっては嫌味に思えて仕方がない。
「無論逆賊を討てば悪いようにはせん。それなりの褒美と地位を与えよう」
王の提示する報奨に全く興味は惹かれない。
「元の世界に帰ることが僕の望みだ」
「欲のない……お前はどうなのだ?」
隣の明を示して問いかけるが、こいつがそんな質問に答えるわけがなかった。
「どうなんだ? 帰せるのか帰せないのか」
「容易いことだ。貴様らを喚んだ光輝降臨の儀と対になる術を用いれば……それなりの支度は必要だが」
貴様らときたか。
こっちだって友好的に馴れ合うつもりはないのだが、頼む側がそういう態度でいいのかと忠告したくなる。
とりあえず帰れる手段、可能性があることは確認できた――嘘でないとすれば、だが。
「望みはそれだけでよいのだな?」
僕の引率者が確認の問いかけをしてくる。
「では異界よりの戦士よ。其方らに憎き逆賊の討伐を命ずる!」
声高に宣言する男。呼応して吠える兵士。口の端を吊り上げ深い皺を更に深くする国王。
僕と明は声を揃えてこう告げた。
「断る」




