帰還とそれから
――結果を先に述べてしまえば、限界を超えた力によってようやく二人は幻龍王の遣わせた獣たちと互角の戦いを演じた。
「よしよし」
トゥインクルバトンを振り二つの陣に召喚獣を送り返したネオの体を借る王が満たされたように頷く。
そんな少女の目の前では、両手を地につき激しく肩で息をする聖と明の姿があった。
「概ね満足したぞ」
上から目線の物言い。反骨心から睨めつけるように見上げる二人は、疲労から立ち上がるには至らなかった。
「くそったれ……」
明の悪態に聖も心中同意していた。死力を尽くした決闘の末に召喚獣を退けたものの、発端となった龍王だけが事も無げに傷一つないことに腹が立った。
「次は、貴方が相手をするのか?」
闘志だけは萎えぬままの聖がキッと睨めつけるが、意に介さぬ涼しげな顔で少女は手を振る。
「弱者を甚振る趣味はない。遊戯程度なら付き合わんでもないが……今の小娘どもにはそれすら耐えられまい」
鼻で笑われることが更に癪に障ったが、実際のところこのまま戦いを続けるわけにもいかなかった。体を貸しているとはいえ、鈴白音央に手を出すことを二人は望んでいない。
「本性を現したらどうだ」
それなら気兼ねも遠慮もなくやれる。明もまた眼に力を宿していた。
「この身を衆目に晒せるだけの余力はもうない。年寄りは労らんか」
「チッ」
余裕綽々の笑みが鼻につく。本当に言葉の通りか真意を計りかね、明は舌を鳴らした。
「暇があればまた来い。気が付けば色々と戯れさせてやろう」
「いつか貴様を引っ張り出すぞ」
明の言葉に少女は嗤う。
「言っておくが先の獣たちに手こずるようでは貴様らの前を征く者に追いつくことも叶わんぞ」
言われるまでもないことであるが、その言葉に反応を返すには疲労が過ぎていた。呼吸を整え体力の回復に努める二人を見下ろしながら、最後になる声をかけた。
「約束だ。世界へ還そう」
パチンと指が鳴らされた途端、二人は身の周りがぐらりと歪む錯覚を覚えた。
「何を……!」
自分の声さえ遠くに感じると同時に体が浮き上がるような不可思議な感覚に抱かれながら、聖は明と共にこちらの世界から弾き出されるのだということを直感で理解した。
「ツッ! いつか貴様を――」
疲弊した二人では抗うことのできぬ一方的な退場を突きつけられるのだが、世界から消える最後の瞬間に明は捨て台詞を残した。
それが彼奴の元に届いたかは定かではなく、消え行く世界で最後に目にした不敵な笑みに見送られ、二人の感覚は暗黒へと落ちていった。
悔しさに苛まれながらの退場は一瞬であった。浮遊感が消えたかと思えば地面にぶつかりゴロゴロと転がった。
すぐさま体勢を整えて周囲を窺うと、そこは境回世界へ向かう以前にいた公園の景色が広がっていた。
元の世界へ送り返されたという認識が浸透するにつれ、二人の体を駆け巡っていた力と緊張が徐々に解けるにつれて天を仰ぎ呼吸を整え始めた。
「……最後まで見下しやがって」
「結局、終始弄ばれていただけか……」
至らなかったところを洗い出す必要もないほどにあらゆる面で不足しているものを認識させられた。
と同時に、新たな可能性を二人は見出していた。それさえ意のままにできれば、一つも二つも段階を進めることを確信していた。
「……帰るぞ。向こうでのことを忘れたくない」
「珍しく意見があうじゃないか」
聖の賛同に対してフンと顔を背ける明に、
「後で鈴白さんと……相沢くんにも一言伝えないと」
「お前に任せる」
「明も自分でやるんだよ」
そう話しながら帰路につき、この後五感の冴えが覚めないうちに手を合わせて体に今の感覚を馴染ませるのであった。
そして、二人が手にする新たな力は、二人が思いもよらぬほど早々に彼のために奮うことになる。
――――――
「へっくしょん」
寒い。
風が強いから。
足が震える。
高いところにいるから。
「下で待ってればいいと言ったのに。なんでついてきちゃったの」
青いマントを風に靡かせるマジシャンズエースにそう言われ、俺は苦笑いで誤魔化した。
一人仲間外れにされた気がして寂しくなるからと本音を言うには、ちょっと恐怖心が勝っていた。
学校にほど近い山中にある古びた廃棄済の鉄塔の上方に、ボランティア倶楽部の面々が集っていた。全員が四之宮先輩と同じく、戦闘装束を纏った臨戦態勢を整えていた。
「見苦しいおにいちゃん」
訂正。一人だけ倶楽部メンバーじゃない部外者がいた。かわいいかわいい生意気な口の利き方をしてくれる俺の妹だ。座って足を投げ出しながらキャンディーを口に頬張っている。リラックスしすぎだろう。
とはいえ俺を抱えて三十メートル程を上ってくれたはじめに文句を言えるわけもない。下りる時も手助けしてもらわないといけないし。
「何か変化はありましたか?」
話すエストルガーの後ろには、無言で腕を組むアステリオーの姿がある。
先程音無先輩から連絡を受けて集まった時に久しぶりと聖に言われた時、ちゃんと鈴白さんに会えて色々とやってきたんだなと悟った。口数の少ない明も同様だ。ここに上る前に誰にも聞こえないような小声で「礼を言う」と背後から言われた……ような気がする。どうせなら俺にくらいはきちんと聞こえる声量で言ってくれないだろうか、礼を言われたのも勘違いかと思えてしまう。
そしてエストルガーが声をかけたブレイブウルフは、まさに垂直に反り立つ鉄塔の柱を足場にして身を乗り出し、周囲の異変を探って耳を澄まし鼻を鳴らしている。
夜になってから音無先輩から連絡がきたので、両親にはちょっと買い物にと断ってからはじめを連れて学校の近くの指定されば場所へ向かうことになった。
着くとすでに二人の先輩が待っており、遅れて聖と明がやってきた。
全員集合してから音無先輩が呼び出しの理由を説明してくれた。
少し前に起きた異空間での膨大な力の衝突――多分ボランティア倶楽部が起こした魔女関連の騒動だろう――で多少の魔力の揺れに反応し、あまり好ましくない存在が少し活発に蠢いているらしい、とマガツ機関の神木さんから通信が入ったそうだ。
西台高校の近くも今夜辺り警戒してほしいと頼まれ、こうして集合した次第である。
「カ……マガツの方で全部やってくれればいいのにですね」
「そう言わないの。もとを正せばあたしのせいでもあるんだし……それに自分たちの居場所は自分たちで守りなさいというあちらの気遣いでもあるんだし」
四之宮先輩がそう言うのなら、反論する意味もない。けど先輩のせいっていうのだけは違うと思いますよと言いたかったけれど、それより早く部長が知らせてくる。
「匂う。三つ」
シュタッと降り立つ部長の言葉に俺は息を呑んだ。
「三体もですか……」
「だいじょぶだいじょぶ。あんまり強い匂いじゃないし楽勝っしょ」
そう言って破顔する先輩は、なんだかいつもより浮かれてるように見える。良いことでもあったのだろうか……そういえば今日は自転車のレースがあったことを思い出し、その成績が良かったのかもしれない。
「油断は禁物」
「ぐえっ」
青いポニーテールの魔女が、黒いポニーテールの狼の髪先をグイと引っ張って首を折った。
「油断なんてしてないわよ……なんだったらあたし一人で全部やってくるから」
「それは慢心と言うのではなくて?」
部長がむぐっと口を噤んだ。
「僕らを呼び出しておいてそれはないでしょう」
聖も異を唱え、いよいよ部長の立つ瀬がなくなってきた。
「早い者勝ちでいいだろう。さっさと済ませる」
「う、うんうんそうしよう!」
明の言葉にすかさず同意して言葉の矢から逃げ出した部長が遠くを指差す。
「さあ! 行くわよ!」
意気揚々と飛び出さんとするブレイブウルフであったが、今度はアステリオーが機先を制して声をかける。
「先輩」
「あ……な、なに?」
折角逃げ出そうとしていたのに……。
というバツの悪い表情を浮かべる先輩が振り返って声をかけた。
「事が済んだら一度手合わせを頼む……ます」
「え? いいけど……」
突然の申し出に困惑した様子のままの先輩が同意してしまった。
お前は今日鈴白さんとこに行ってきたってのに元気だなと感心せずにはいられなかった。
「面倒見のいいことで」
肩を竦める四之宮先輩であったが、ふと俺が気付いた聖の視線を彼女もすぐに悟った。
「何かしら?」
「良ければ僕の相手をしてくれませんか?」
「そうくると思ったわ」
予想していた先輩は軽い足取りで鉄骨の上を進み、部長の傍へ並び立った。
「後輩の指導は」
「先輩の務め……ってね」
こちらに背を向けるマジシャンズエースとブレイブウルフが腕を上げて互いの掌を軽い音を立てて合わせた。
それが合図かのように、二人は夜の空へと身を投げ出し、振り向いて告げた。
「先に行って待ってるわ」
「じゃね。草太くんははじめちゃんといっし――」
「…………え、えぇ?」
部長の残したなんとも中途半端な伝言に戸惑っている俺を置き去りにして、聖と明も駆け出して鉄塔の外へと飛び立った。
「みんな元気」
「……そうだな」
頼れる相手が幼い妹だけになり、そそくさと距離を縮めて擦り寄ることにした。ちょうどキャンディーを舐め終え、
「美味でした」
と言ったので、
「まだ食うか? たくさんお食べ」
ご機嫌をとることにした。今は本当にお前だけが頼りなんだよマジで。何で俺ここに上がってきたんだろうと今になって後悔してきた。やっぱ高いところは怖いわ。
「お兄ちゃん」
「なんだい」
「早く下りたい?」
うん!
思いっきり気持ちいいくらい頷こうとしたけれど、地面の方からドンドンと激しい音が鳴り渡っているのが聞こえてきた。
「……安全になってからでお願いします」
俺の返答にはじめは首を縦に振ってくれたのだが、結局その音が完全に止むまで三十分近くの時間が必要になってしまい、短くも長く感じられる時の中でずっと妹の肩にしがみついて過ごす羽目になってしまったのだった。




