サマーバケーションの始まり?
「いいかぁ。夏休みだからってハメを外しすぎるんじゃないぞ。どうせ来週から補講で学校来るんだから一学期となにも変わったことはないんだから」
担任のメロン先生が教壇で語る言葉をじっと聞きながら、しかしみんなどことなくそわそわした雰囲気を漂わせている。
「……それじゃまあ気をつけて帰りなさい。終わり」
「起立」
委員長の号令とともにみんなが椅子を飛ばす勢いで立ち上がる。
「礼」
とともに途端にざわつく教室。幾人かは即座にこの場から飛び出していく。用事でもあるのだろう。
俺は席に座り直し、すると二人近寄ってくる。
「相沢ぁ! 帰ろうぜえ!」
「帰りましょう帰りましょう」
大野と岡田、二人が声をかけてくれるのだが生憎それに応じるわけにはいかない。
「悪いな。これからサークル活動だ」
「オイオイオイ今日から学校という檻から解放されるってのに殊勝なこった」
「メロンちゃんに釘刺されたばっかじゃねえか。どうせ来週嫌でも顔合わせんだ」
「来週俺は学校に来ないかもしれない。お前と会えるのもこれが最後かもしれない」
誘いに乗らなかったことを嘆く大野と真顔でわけのわからんことを口走る岡田に早く帰れと手を振った。
「またな」
「おう」
別れの言葉を交わしてから教室内をさっと見回してみると既に人影はまばらであった。見れば聖の席には何人か女子が集っていて離れられそうになく、前の席の明は一人なので声をかければすぐ部室に行けるだろう。
しかし彷徨わせた視線が意中の相手を見つけることはなかった。もう帰ったのなら残念だが話す機会は来週もあるし、連絡を取る必要があればいつだってできる。
文明の利器ってすげえぜ。
「相沢くん」
などとスマホのありがたみを感じていると隣から委員長が話しかけてくる。
クラスの長に恭しく頭を下げ、
「〆の挨拶お疲れ様でした」
と彼女を労う。
「毎日やってることだよぉ……」
困ったようにはにかむ彼女に話しかけてきた理由を問う。
「何か用事?」
「ううん。そうじゃないけれど」
歯切れが悪いのは何か言いたいことがあるからかと思い、黙って委員長の言葉を待った。
「……あの、あのね」
少し思い詰めたように聞こえる声に耳を傾けていたら言葉が途切れた。俺も聞き入るのを中断した。
「…………」
だってすぐ傍でこっちガン見してくる人がいたんですもの。
「明サン」
「なんだ?」
「そんなに視線向けられて委員長も困ってるじゃねえか!」
「構わん続けろ」
「えっと……うん……」
委員長、完全に沈黙してしまった。
「どうした」
「どうもこうもねえよ。人にはね、他人に聞かれたくない話っていうのがあるんですよ」
「だがお前は聞こうとしていた」
「この場合の他人ってのはお前のことですから!」
ですよね委員長!
「あはは……もういいの気にしないで」
気になる……気になりますよ委員長。
「倶楽部活動あるんでしょう? 遅れたら申し訳ないし」
「ほら見ろ……お前が邪魔したせいで委員長が遠慮しちゃったじゃないか」
「なら俺のいないところで話をすればよかったんだ」
正論に聞こえてしまったのがちょっと悔しい。
「じゃあ委員長と別の場所行くから……って委員長!」
彼女は困った笑みを浮かべながら帰り支度を済ませようとしていた。
「話聞くからさ」
「ううん、今日はいいの本当に。また来週……機会があったらでいいから」
話の腰を折られてその気が萎えてしまったか、委員長は逃げるように教室を出ていってしまった。
「あーあ……」
申し訳ない気持ちで委員長の背中を見送ってから目の前にいる空気を読まなかった人に非難の視線を向けた。
「なんだ?」
「お前のせいだぞー」
と言っても明の胸に響いた様子はないので責めるのを諦めるのだった。
「行かないのかい?」
俺たちのところへ来たのは女子から解放された聖である。
「お前を待ってたんだよ」
「そうだったのか?」
ちょっとした軽口に対しこのように反応されても困るのだよ明くん。
「はいはいお待たせしました。じゃあ行こうか」
おう。
俺たち三人連れ立って教室を後にした。さらばB組、また来週だ。
「今日は何をするんだろうね」
「俺も分からない。助っ人活動の予定があるのは来週からだから……単なるミーティングだけかな?」
夏休みの間の活動方針とかその他諸々……。最近ご無沙汰な裏の活動の話もあるかもしれない。けど四之宮先輩の件が片付いた今、その活動を行う気が部長にあるかどうか。
音無先輩が倶楽部を発足した理由も悪夢の魔女をどうにかしたいがためだったらしいし(あくまで四之宮先輩の予想だったけれども)。
一学期の最終日、先輩方から何を言われるのかと思いながら旧校舎の部室を訪れると、
「ひぃぃ……!」
と悲壮な声が中から聞こえた。音無先輩のものだ。
「先輩!?」
大変な事態が中で起こっているのでは。勢いよく扉を開け放った俺たちが目撃したのは、席について泣きじゃくる音無先輩の姿だった。
「お疲れ様。早く入ったら?」
彼女の横に立ち腕組みする四之宮先輩が入り口で立ち尽くす一年組に呼びかけてくるけれど、それに応じて入る気にはどうしてもなれなかった。
「……何をしてるんです?」
俺の後ろで中の様子を伺っていた聖が四之宮先輩に訊ねる。俺も今の状況を説明してほしかった。
音無先輩の机には冊子が山積みされている。俺たちも似たようなものを今日渡されている……あれは夏期講習の参考書や宿題に相違ない。
「助けてみんなぁ……」
あんなにえぐえぐ泣いてる部長は見たことがないが、四之宮先輩が泣かせているのは確かだ。
「後輩に甘えない。……ほらこの子家に独りでしょう?」
その事は周知である。ご両親は仕事で遠くへ、お兄さんも大学に通うために外へ出ているとのこと。
「そのせいで学校の課題に手を付けなくても誰も咎めないから、あたしがご家族の代わりに仕方なく夏のお目付け役をしてるのよ」
「だから学校で宿題を?」
「ええ」
確かに部室ならば夏休みの期間中でも補講の後に訪れることができるし、わざわざ先輩の家を訪問して勉強を見る必要がないので合理的だ。
「目標は七月中に全部終わらせることよ」
「マジっすか」
「うええぇん、鬼だよぉ悪魔だよぉ」
この量を短期間で済ませることは困難だと俺は驚嘆し、音無先輩は更に嘆く。
「黙らっしゃい! 去年あたしがどれだけ迷惑を被ったか忘れたとは言わせないわよ……?」
四之宮先輩の冷徹な眼差しにうら若き一年組は背筋に冷気を感じ、音無先輩は嘆きが止まり小刻みに震えていた。
去年何をしでかしたのか、怖くてとても訊けませんでした。
「お帰りお兄ちゃん」
最近聞き慣れてきた声のした方を見ると、部屋の隅で本を読んでいたはじめがとたとたと近づいてきていた。
「ただいまっつうのも変だけどな、家じゃねえし。……端っこで何してたんだ」
「げに恐ろしき空気を読んで片隅に避難していた」
こいつもとうとう空気を読むということを学んだらしい。驚きだぜ。
とりあえず座ろうということで音無先輩は机の上を開放感に満ちた表情で片付け、俺たちはそれぞれの席へ、はじめは俺の膝の上に。
「集まったのはいいけれど、実は特に話すこともないのよね」
「そうなんですか?」
うんと頷く四之宮先輩が言葉を続ける。
「活動内容はこれまでと変わらずだけど、この時期は文化系も運動系も大会や試合が多いからあたし達が参加に呼ばれる練習もそう多くないのよ」
「確かに正式な部員じゃない僕らが大会直前の練習に加わるのは逆効果でしょうね。運動部は連携を確認したいでしょうし」
「そういうこと。だから夏休み中は案外忙しくなさそうなの」
俺が管理してるスケジュールノートもそう示している。みんなが部活の助っ人に呼ばれてるのもせいぜい一週間かそこら、その後は未定となっている。音無先輩だけは自転車部に行くけれど、この人の場合は生活スタイルみたいなもんだから特例か。
「それじゃあ僕らは」
「ただし」
口を挟もうとした聖を遮り、四之宮先輩が懐から手帳を出して開いた。
「あたし達にしか解決できそうにない案件がいくつか舞い込んでるの」
ニコリと笑う先輩の言葉の意味はすぐに理解できた。含みのある言い方はきっとそういう案件なのだろう。
「なるほど。つまり夏の間はそんな一筋縄じゃいかない依頼をやってこうってわけッスね」
「分かりやすくていい」
隣に座る明にも好評のようだ。助っ人活動よりもそっちの方が性に合っているのは間違いないからな。
「私事に皆を付き合わせたせいでそっちの活動には手を回せていなかったけれど、夏を機にしっかりと励みましょう」
はいと頷く聖に倣って俺も小さく頷いた。私事の一言で片付けていたけれど、自身の問題を解決したからといってそれを理由にサークルの裏活動を辞める気は四之宮先輩にないらしい。
その事は俺たちにとっては好都合である。聖と明の体を元に戻すために自分の力を高め、更に先輩たちの助力を受けられる今の環境は変わってほしくない。
けどもし、もしも将来二人の体を元に戻せたら……俺たちの目的を達したその時にボランティア倶楽部はどうなるのか。
寂しい結末が脳裏に浮かびかけては振り払い、ふとさっきから全く無言でいる部長へと顔を向けた。
あまりにも静かなのでまさか寝てるんじゃないですかと声でもかけようかとしたけれど、普段は見せることのない思い悩んだように憂いに満ちた横顔に、思わず言葉を呑んでいた。
昨日四之宮先輩は彼女の調子が悪いと言っていた。悪いのは、体じゃなくて心の方……?
「部長さん?」
「ふぁ! な、なに!」
という四之宮先輩の呼びかけにビクリと反応する音無先輩。それを見て俺もビクッとしてしまった。膝の上ではじめが跳ねた。
「お兄?」
「気にするな」
ポンポンと頭を撫でて話をはぐらかす。
「あたし達は今から近くまで行ってくるから。あんたはお留守番よ」
「ああはいはいあたしはお留守番ね」
うまく誤魔化せたかなあと考えてるところに先輩たちの会話が聞こえてくる。音無先輩お留守番……?
「ナンデぇ!?」
椅子を飛ばす勢いで立ち上がった先輩が立ち上がった。俺もそれを聞いて何故かと疑問に思ったが、こちらが聞くまでもなく先輩自ら問い詰めている。
「なんでって貴女にはこれがあるでしょ?」
ちょいちょいと四之宮先輩が指で指し示したのは、部長の机の片隅に山積みされている課題の束である。
「こ、こ、こ、これやってろっての?」
「ええ」
納得いかない!
音無先輩が声を荒げて抗議するが、四之宮先輩は涼しい……を通り越した冷徹な顔をして静かに腰をあげて相手の鼻先に指を突きつけた。
「いいこと。目標を達するには貴女の地力は正直カスも同然なの」
これまたひどい言い草だ!
音無先輩もショックを受けてるが周りで聞いてる俺と聖も引いちゃいますよ。明とはじめは……そこまで関心なさそうだ。
「余計なことに頭を回してるゆとりはないの」
四之宮先輩が言葉を発する毎に音無先輩が気圧されていく。鼻先に突きつけた指がとうとう部長の大きなお尻を椅子へと追い返した。
「だからあんたはここであたし達が帰ってくるのを必死に勉強しながら待つの。分かった?」
「そんな殺生なぁ……」
「泣く暇あったら本開く!」
恫喝に屈した先輩はヒィヒィ泣きながら一度は山へと積んだ課題をまた拡げる羽目になった。
「恐ろしいな」
あの明がボソッと呟いてしまうくらい、今の四之宮先輩は鬼と化していたのだった。




