恋愛は選択だ
「疲れた……」
はじめが学校から姿を消したことでようやく俺は妹から開放された。昨日と同じく一緒に学校を出ずに、あいつだけ先に家に帰った状況だ。
「それじゃあまた明日」
「さよなら」
加えて四之宮先輩と音無先輩は先に部室を後にし、残ったのは机にしだれかかる俺とその様子を眺める聖と明の三名であった。
「お前らも先帰っていいよ……戸締まりして帰るから」
「君は?」
「しばらく動きたくなぁい」
今は一人になりたかった。意図を察してくれたか、聖が明を促して一緒に出ていってくれた。
「それじゃあお先に」
おう。
力なく手をあげて別れの挨拶とした。周りに誰もいなくなったところで遠慮なく盛大な溜め息をつくことができた。
「休みたい……」
切実な望みがこぼれた。はじめがやってきてから心が安らぐ暇がない。
別にあいつがやってきたのが嫌とかそういうんじゃないけど、環境の怒涛の変化に心と体のどちらもが対応しきれてないのだ。
と、休みと口走ってから思い出したこともある。今週で一学期も終わりようやく夏季休暇に突入するのであった。とはいっても補習があるので午前中だけ学校に出てくる日が何日もあるので完全な休みは実質半分くらいだけど。
「けどこれで休める…………?」
ちょっと待てよ。
休みってことは家にいるってことで、家には家族がいるわけで、つまりはじめもいるわけだ。
「……休まらねえ」
本末転倒じゃねえか。結局はじめとの触れ合いに慣れるしか道は残されてないのかと思うと気が滅入ってくる。
「頼むからもうちっと常識的な妹に育って……育てるっきゃないのか?」
教育を施すのは兄の務めだろうか。あいつが外に出てきた理由の一つは学ぶためだし、ここはもう考えを切り替えて俺好みに調きょ……じゃなくて教育してやろうか。
「クックック。覚悟しやがれ……俺が本気を出しゃ……」
どういう躾をしようかと机に突っ伏したまま妄想を繰り返してるうちに、段々と頭の中は夢見心地になっていき。
「…………」
しばらく目を閉じているとこのまま眠ってしまいそうなので目を開けた。意識が飛んでるので実際には少しは寝てたかもしれない。
「あ、起きた」
頭上から降ってくる女子の声。惚けた頭で誰だろうと考えながら顔を上げたら、声の主がこちらを覗き込んでいた。
「……」
部室にいるわけがない人物がいたことで、なるほど俺は夢を見てるんだなと悟ることができた。なので机に突っ伏して目が覚めるのを待つことにした。
すると頭に目覚めの一撃がペチンと響く。
「あいたっ」
「なんでまた寝んのさ」
再び見上げれば、そこには平手を振り抜いた格好の柏木京子がいるのだった。後頭部に残るかすかな痛みが今は現実だと教えてくる。
「……なんでここにいんのさ」
頭をさすりながらあちらの台詞になぞらえた問いを投げかけた。
「……音無先輩とか聖とか帰ってるの見えて、あんただけいなかった……から」
「……」
から、わざわざここまで確かめに来たのか?
それを口に出して訊く気にもなれなかった。否定されてへこむと思ったからだ。
「そっちも部活終わったんだろ?」
「ん」
「なら帰ろうぜ」
カバンを手に立ち上がると京子に声をかけてクールに部室を後にしようとした。
「もう行くん?」
「居残っててもすることないしなあ」
「……あっそ」
小さく吐きだす彼女の声に足が止まる。
後ろについてきて帰るはずだと思い込んでたものだから、その場でつまらなそうに呟かれて焦燥した。
と思ったら立ち止まる横を通りすぎて京子はスタスタと先に行く。
「帰るんしょ?」
「あ、うん」
半ば睨むような視線に促され、俺は素直に彼女に付き添うように歩きはじめる。
あれれ当初思い描いていたシーンと逆になってしまったぞ。
待てよ待てよよく考えろ。京子は何故不機嫌そうなのか……俺が帰ろうって言ったから?
つまり帰りたくなかったと……わざわざ部室まで来たのはあそこでもっと時間を過ごせば良かったのでは。
一緒に帰ることを優先してしまったのが裏目に出た!
帰ろうと誘う。
もう少し部室で過ごす。
下の選択肢が正解だったに違いない。選び間違えたんだやり直したい!
「んじゃ」
「へ?」
気がつけばもうバス停。あれ早くね!?
やべえ何話したか覚えてない。心ここに非ずで折角の下校が台無しだ。
京子がバスに乗りこむのを名残惜しく見送るしかできなかった。昨日はもっとマシだったのに今日は全然駄目じゃないか俺。
「ま、また」
と別れの言葉をかけるのを遮ってバスの扉が無情に閉まる。
バイバイと手を振りながら、バスに乗りこむ時に京子が覗かせた浮かぬ顔が思いだされる。
このままではいけないと慌ててスマホを取りだしてかわいい山猫のアイコンをタッチする。リンクスというSNSアプリで、無料でテキストチャットやインターネット電話ができるとっても便利なものでスマホを持つ多くの人が利用している。ちなみに今登録されているフレンドはボランティア倶楽部のメンバーとクラスメイトの大野岡田と委員長と京子だ。
その京子に向けて、俺はとにかく今思ってることを急いで打ちこんだ。送信した文章の内容は、
遊びに行くプラン考えてるから待ってて
だった。送ってから、もっと文章練ればよかったとすぐさま悔やんでいた。
いくらなんでも慌てすぎだろう。素っ気なさすぎて必死さが滲んでるようだ。
考えなしだったと自分の浅はかさに打ちひしがれていると、即座にスマホが震動した。
通知が収まった画面には、
うん
と短い言葉の後にニコニコマーク、そしてもう一つ揺れるハートのスタンプがついていた。
きゅうっ。
胸が締めつけられる感覚に悶そうになるのを堪えながら、あいつに楽しんでもらえるコースを死ぬ気で練ろうと気合を入れるのだった。




