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魔法少女の奉仕活動  作者: シイバ
魔法少女の奉仕活動-サマーシーズン-
227/260

彩女の苦しみ

「まだ悔やんでるの?」


 並んで帰宅の途に着いているのは、四之宮花梨と音無彩女の両名である。

 夕刻を行き交う人々の中に彼女たちの姿もあった。


「後悔しても遅いわよ。それが貴女の実力なんだから」

「はぁ……でもねえ」


 ロードバイクを押す彩女は嘆息する。何故こうも落ち込んでいるのかといえば、


「あれだけ詰め込んだのに赤点ギリギリなんて心底辛いわぁ」


 期末テストの結果のせいであった。


「そも日頃からしっかり学んでいないせいでしょ。貴女、中学の頃からずっとそうじゃない」


 花梨の平手が彩女の尻をぺちんと叩く。しゃんとしなさいと伝えるのだが、彩女の背筋が伸びることはなかった。


「そんなに悔しいなら夏休みは一日中勉強したら? あたしは付き合わないけど」

「そんなご無体なぁ」


 泣いて縋る声を出す彩女を甘やかすつもりはないとばかりに花梨はつれない態度であった。

 いつもと変わらぬ日常の一幕。それでもどこかしら新鮮味を花梨が感じてしまうのは抱え込んでいた問題が解決したせいだろう。

 尽力してくれたサークルの仲間には感謝してもしきれないのだが、それと勉強は別問題であった。


「貴女も――」


 気安く話しかけた言葉が途中で止まってしまう。隣りを歩く彩女の横顔に、その鋭い眼光に戦慄を覚えたから……。


「ああゴメーン!」


 我知らず息を止めて身構えそうになっていた花梨に、いつもと変わらぬお気楽な調子で彩女が断りを入れてくる。


「ちょっと用事思い出した!」

「――あ、うん……どこか行くの?」

「ん。ちょっと探しもの。また明日ね」


 言うが早いか、彩女はロードバイクに跨ると今来た道を戻っていった。

 あっという間に小さくなる彼女の背中を見送る花梨の胸はまだ高鳴っていた。

 先の険しい様相は微塵も覗かせなかったが、一瞬だけ見せたあの横顔は見間違いではない。だからこそ、努めて何事もなく去っていく友に言い知れぬ不安を抱いたのだった。




 そう、間違いではないはずだ。間違いないはずだ。

 すれ違う人の波間に確かにあった。彩女がこうも慌てて追いかけることになった人の姿が。

 やがて街中から少し離れ、さほど活気のない住宅地を抜けていくらか自然の溢れる場所へとやってくる。

 ロードバイクを走らせる呼吸が乱れるのは疲れからではなく緊張を感じているせいである。

 鼓動が早鐘を打つペースが次第に増していく。いつしかロードバイクを降り自分の足で駆けていた彼女が辿り着いた場所は人の気配のない空き地、人目の届かぬ空白地帯であった。

 まるでそこで待ち合わせていたかのように、彩女に背を向ける彼がそこに立っていた。

 彩女の鼓動はとうとう弾けて胸を強く締めつける。懐かしき青年の後ろ姿を見間違えるはずはなかった。

 呼吸は乱れ思考もまとまらず、なんと声をかければいいのか見つからないまま……一歩また一歩とゆっくり踏みだしていく。

 広い背中に生え際の黒い茶色の髪、そして振り返る彼が見せた顔は、やはり彼女が確信していた人であった。


「もしやとは思っていたが……来たか」


 耳に届く低い声に彩女は懐かしさを噛みしめた。彼の声を聞くのは、大戦の日以来である。


「……もしかしたらはあたしの台詞だよ。本当に、久しぶり……です」


 おずおずと口を開くと、それを契機に彼女から次々と言葉が溢れることになった。


「鴻上さん! これまでどこにいたんですか! 何でいなくなったんです! 今はどこにいるんです! みんな心配したんですよ……あたしだって」


 鴻上大雅。

 彩女の知り合いで彼のことを知っているものは少なくない。友として、仲間として、そして敵として。


「構えろ」

「なッ」


 言うが早いか彩女の言葉を待たずして、かなりあった間合いを目にも留まらぬ疾さで詰めた大雅の横殴りの一撃が彩女の右側頭部を強撃する。

 めきりと骨の軋む音が彩女の頭に直接響く。すんでのところで交差させた腕が頭部への強打を防いだのだが、防御の上からでも余りある威力が激しく頭を揺さぶってくる。


「ぐうぅ――」


 間髪をいれず放たれる膝が突き刺さりそのまま彼女は数メートル後方に吹き飛ばされ、崩れ落ちそうになるのを辛うじて踏みとどまって堪えていた。

 右腕は痺れ腹部には鈍い痛みが残っている。咄嗟に後方に跳んでいなければ立っていられなかっただろう。そして頭がぐらりとする錯覚に陥るのはダメージのせいではなく、突如攻撃を仕掛けられた事実に愕然としてしまったためだ。


「本気ですか……」


 問うまでもない。今受けた拳も膝も、手を抜いている気配など微塵もなかった。


「もう一度だ。構えろ」


 再度大雅が仕掛けるが、先と同じ展開にはならなかった。

 理由が分からず状況も飲み込めない状態の彩女ではあったが、降りかかる危機に対して体が反応していた。

 彼女以上の剛拳を誇る彼の一撃を受けるではなく、いなす。

 巧みに拳を逸し大雅の懐に潜り込めば、肩をぶつけて彼の突進を正面から受け止めた。


「何の意味があるんです……これに!」


 未だに困惑の拭えぬ表情を浮かべながらも彼の腕を取って身を当て続けることで動きを押さえようとした。彼女にしては珍しく技術を用いて相手に臨んでいるのは、傷つけまいという想いからであった。


「意味はある」


 大雅は空いている手で彩女の束ねた髪に掴みかからんとするが、彼女もすかさず手首を捕らえて制し、


「ふッ」


 大雅の手を軸にするりと宙へ跳び上がり、彼の頭上を越えてその背に軽く足を当てて距離を取った。


「あたしにはないです」


 拳を収めてもらえないかと淡い期待を抱いて語りかけるが、それとは裏腹に腰を僅かに落とし左手を軽く掲げ構えていた。構えさせられた、と言うべきか。


「……本当にそうか?」


 争いを拒む彩女に投げかけられる大雅の台詞。その言葉の意図を受け止めるより疾く、彼の後ろ蹴りが彩女に届く。

 鼻頭を打ち抜く勢いの蹴りを左腕で叩き落とし……それから、あたしはどうすればいい?

 彩女の意志はまだ迷いにとらわれていたが、身体はそれに引きずられることなくスイッチが入っていた。

 叩き落とした蹴撃に応えるように、跳躍した彼女も大雅の顔めがけて回転蹴りを見舞う。

 柔軟かつ鋭い蹴りを見切り、紙一重で体を引いて躱す大雅の前髪がチッと焼け、彼の瞳には翻ったスカートの奥の光景が焼きついた。

 見られた当人は見られたと気づくこともなく、何故か一瞬動きの止まった相手に対して空中で第二の脚を放っていた。

 伸びた爪先の掠めた大雅の鼻が赤くなり、微かにプッと鼻血が舞う。小さく後退った大雅は連脚を放って地に着いた彩女に間を置かず攻め立てる。


「クッ……!」


 人の姿をしていてもその膂力は人の域を越えている。連打を数度いなすだけでも彩女の腕には相当の負担がかかっていた。防御に徹しているだけではすぐにガードを崩されてしまうのは明白である。

 だから攻撃と攻撃の繋ぎにあるほんの小さな隙を縫うように突く。

 疾さで幾分勝る彩女が大雅の右腕の引きに合わせて前のめりに突っ込んでいく。彼女の動きに反応した彼は引き手と同時に体を捻り、速度と威力を乗せた左腕を打ち下ろしていく。

 ボン、と空を裂く音と共に彩女の髪が大きく揺れた。髪留めが千切れ彼女の長髪が大輪の華のように咲いたのだ。

 髪留めと引き換えに手にした好機。再びその懐に潜り込んだ彼女は対応されてしまう前に反撃を試みた。

 両掌を彼の腹部に添え、大地を砕く勢いで踏み込みながら全ての力を乗せた腕を突きだした。

 まるで交通事故にあったかのように大雅の体は弾き飛ばされ、二、三度地を撥ねて転がり……大の字で仰向けになって止まった。


「…………あ!」


 咄嗟にやりすぎてしまったと感じた彩女は慌てて駆け寄っていく。


「だ、大雅さん!?」


 怪我などしていないか心配しながら土埃が舞っているところへ近づくと、


「痛い」

「うわっ」


 突然ガバッと上体を起こすものだから彩女はビクッとしてしまう。


「わわ……ごめんなさい」


 彩女が頭を下げるさまを見て鼻を鳴らす大雅には、ついさっきまで滾っていた闘気は既に纏っていなかった。


「必要ない。突然すまなかった」


 急に態度を変え謝罪を返されてキョトンとする彩女であったが、彼が手を差し出してくるのを目にすると、素直にその手をとって引き上げた。


「……」


 理由も分からず行われた拳のやり取りを終え、あらためて間近に鴻上大雅がいることを感じたために彩女の胸は熱くなった。そこには永らく姿を消していた友との再会の喜び以外の感情も含まれている。


「あの」


 手を握ったまま彼を見上げ口を開こうとした。訊きたいことは多くまだ何一つ回答をもらえていないのだが、それに先んじて大雅が告げてくる。


「五感は冴え代謝は活発になり、与えられた加護がなくとも力は満ち制御を外れそうになる」


 途端に彩女の表情が強張った。


「お前には何が見え何が聞こえている?」

「それは……」

「気配を消していた俺に四之宮は気づかなかった。お前だけが俺を探し当てた。雑踏の中でそんな真似ができるわけがない。普通はな」


 繋いだ手に走る緊張が伝わってくるのに構わず大雅は握りしめたまま言葉を続ける。


「そしてこの場で確信した。俺の拳を受けてただの人間が無事でいられる訳がない。変異せずともその程度の力を俺が出せるのは覚えているだろう」


 忘れたことはない。彼のことは今でもよく覚えている……が、今は言葉に頷くことができずにいた。


「力の振るいすぎだ。人の域を超えている」

「……なんで分かったんですか」


 言われるがままであった彩女が声を上げるが、それを彼は一蹴した。


「分かる。お前のことならよく理解る」


 淀みなく断言する大雅に迷いはない。真っ直ぐな瞳に射すくめられたか、彩女は全身が硬直する有様であった。


「……根が単純だからな」

「…………ハ?」


 その台詞に彩女は思わず顔をしかめていた。


「冗談だ」

「なんですか、もう」


 彼の言葉に翻弄されるように今度は口を尖らせて非難していた。その折に彼が浮かべた小さな笑みが、彼女の不貞腐れそうだった心と強張っていた体をときほぐしていくようであった。


「狼同士感じるものがあったためだ。お前の変わりように鼻が疼いて確かめたくなった」

「そう、ですか……」


 大雅がようやく語った理由を彩女はすんなりと受け入れた。彼の言い分が理解できたからだ。当時、彼女もまた彼のことを時折理解できるような感覚を抱いた経験がある。モチーフの似た力を宿した者同士の共感覚、といったところであろう。


「今の昂揚はどれほどで落ち着きそうだ?」

「……早くて一週間かと」


 自身の体を冷静に省みた彩女の答えに大雅は神妙な面持ちをしたまま聞いていた。もとよりしかめっ面のような面構えをしているのでいつもと変わらないとも言えるのだが、知った者が注意深く観察すれば普段より眉間のしわが一ミリ程深かったりすることに気がつくであろう。


「音無」

「はい?」

「お前はもう戦うな」


 え? と不思議に思う彩女に更に言葉が続けられた。


「力を使い続ければいよいよお前は戻れなくなる」


 その意見は概ね正しいと彩女も理解している。だが彼女は否定した。


「大丈夫です! 今回は花梨のことでちょっと張り切りすぎてしまっただけで、だから普通にしてればすぐ落ち着いていつものか弱い女の子に戻るんですから!」


 ワハハと笑って言い切る彩女であったが、表情を変えずに見つめてくる大雅に対してその笑いは消沈していった。


「戦場に身を置く限り、お前が全力を出す瞬間は必ず訪れる」

「出……しませんよ。今あたしの周りには頼れる仲間がいますから。あたしが全力を出すなんてことは、きっともう」

「いいや。絶対にその時は来る」


 あまりにもはっきりと断言され、流石に彩女も訝しげな表情を浮かべた。確たる理由があるのかと考える彼女の耳に、思いもよらぬ言葉が届いた。


「……今どこにいるのか訊ねたろう」

「え? ええ……」

「俺は今アリスのところにいる」


 その告白を彩女が受け止め理解するのに、少しの時間を要した。

 何故という疑問を投げかけることを遮って大雅の話が続く。


「定員があるわけではないが、一つ頭数が減ったと声をかけられてな」

「だから……あいつらの仲間になったって……」


 悪い冗談だと思いたかったが、彼の口ぶりから本当のことであることは確かだと彩女は理解してしまった。


「貴方が……あいつらと……!」


 仲間を傷つけた者たちと同じ立場にいるという事実に彩女は怒りと困惑の入り乱れた表情で大雅を睨めつけた。


「お前が全力を振るうという根拠はそこだ。アリスの件に関われば理性的でいられるものか、必ず力を解き放つ」

「ぐっ……!」


 彼に図星を突かれた心境で声を詰まらせる。今でも大雅に掴みかかってアリスの下に集う奴らから引き離すよう試みたくあったが、そうできないのは自分はまだ理性的だと示したいという思いからであった。


「だからお前はもう戦うな。戦場に踏み込むな。それが俺にも好都合だし、お前のためでもある」

「はい、そうですかって……言えるわけないじゃないですか」


 絞りだす彼女の声は苦虫を噛み潰したように掠れそうなものであったが、次第に語気が荒くなっていく。


「折角再会できたらいきなり仕掛けられて、でもこっちを心配してくれてるからだと思ったら突然そんなこと言われて、あまつさえ敵に加わったって!」


 終いには悲しみを孕んだ叫びに変わっていた。しかしその訴えが彼を変えることはない。


「……忠告はした。まだ時はある。それまでに賢明な判断をしてくれ」


 突然のことに冷静さを欠く彩女が感情的な言葉をそれ以上吐き出す前に、大雅が彼女の頭をぽんと撫でて通り過ぎていく。


「髪留め、すまなかったな」


 最期にかけられた言葉に不器用な気遣いを感じてしまったせいで結局言葉を吐き出すことは適わず、裏切られた心中であったにも関わらず心をほだされそうになったことに悔しくもあった。


「あ――」


 振り返った時、そこにはもう誰の人影もなかった。残された彩女が彼の忠告を受け入れて答えを出すには……まだその未熟な胸は幼く、零れそうになる涙を堪えるだけで精一杯なのであった。

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