魔法少女と洋菓子店
翌朝、五月四日午前七時ちょっと過ぎ。
祝日で学校もないのに制服に着替えて玄関で靴に履き替えている俺に、母が後ろから声をかけてきた。
「まさかうちの子がこんなに熱心に部活動にのめり込むなんて……」
「部じゃなくて同好会だから、一応」
間違えを正しておくが、肩越しに見やる母の表情はなんとも訝しげだ。実の息子が真面目に課外活動に取り組んでいるのにその表情はないだろう。
「それもこれもあの可愛らしい先輩方のおかげかしら」
「なんで先輩が出てくるんだよ」
確かに今日の活動は先輩の誕生日を祝うためのものだから間違いではないのだが。母の声のトーンがねちっこく聞こえたのが気になってしょうがない。
「あんた、どっちが本命なの?」
「そんなんじゃねえって!」
「父さんはどちらでもいいぞ」
「食卓から聞き耳立ててんじゃないよ! どっちでもねえ!」
「お二人に迷惑掛けるんじゃないよ?」
「生憎だけど今日は先輩たちとは一緒じゃないから心配には及びません」
「あらまあ! それじゃ今日は一人で活動?」
「いや……」
言いかけて止めた。説明したら間違いなくややこしくなると直感したからだ。
「行ってきます!」
何か言いかけた母とダイニングから覗く父の視線を無視し、玄関を飛び出した。ボランティア倶楽部で活動を始めてから少し面倒臭くなってきてる両親はどうにかならないものか。
今向かっている商店街は、俺の家から南西の方角になる。東西に伸びるアーケード街で、郊外型のショッピングモールが建つまでは街のほとんどの人の生活を支えていたそうだ。ショッピングモールに客を奪われたとはいえ、今でも多くの人が訪れており、西台高校生なら帰りにちょっと寄れる手軽さが重宝されている。
しかし流石に休日に制服でここに来ているのは、今は俺だけだ。というより朝早いために人の姿もほとんどない。
そんな誰もいない商店街の東口に、既に待ち人の姿はあった。
「ごめん! 遅かったかな」
声をかけて駆け寄る俺を見て、その子は可愛い顔をパッと明るくさせた。
「おはようございます! わたしが早く来すぎちゃっただけです」
茶色い髪を左右でちょこんと留めた、小柄な少女。中学校の制服を着ていなかったら小学生と見紛いそうな、鈴白音央ちゃんだ。
結った髪をぴょこぴょこ揺らして俺の方に向き直る。
「おはよう。ちゃんと眠れたのかい?」
「昨日は疲れてましたからお家に帰ってすぐ寝ちゃいました。ですから元気いっぱいです!」
握った両手を胸の前に構えてフンっと鼻を鳴らす。本当に元気が溢れているようで心配は無用だと分かった。
「それでは行きましょう」
鈴白さんに連れられて商店街を西へ向かう。通りの左右にあるお店の軒先は戸が施錠されていたりシャッターが降りているところばかりだ。開店するにはまだ早い時間である。
「こんなに静かだと、寂れた商店街って印象持っちゃうなあ。時間が悪いのは分かってるけどさ」
「ちゃんと人のいる時間になったらとっても賑やかになりますよ。おっきなお店もいいですけど、商店街も素敵な場所ですよ」
説明してくれるけど、いまいちピンとこない。
「もしかして、お兄さんって商店街利用しない人なんですか?」
「ん? そうだねえ……この街には今年引っ越してきたばっかだし、商店街よりショッピングモールの方が家から近くて便利だし」
「え! お兄さんって引っ越してきたんですか!」
「うん。親の仕事の都合でね。だから商店街のことも全然知らなくってさ」
俺が引っ越してきたことは学校のクラスメイトくらいしか知らないことだ。同じボランティア倶楽部の先輩たちにも言ってなかった。いつか話す必要が出てきたら話しておくくらいの気持ちでいよう。
「そうだったんですね。でもでも、ほんとにほんとにいいところなんですよ」
「なら今度鈴白さんに商店街を案内してもらおうかな?」
「はい!」
昨日の共通の体験を通じて更に親しくなれたようだ、二つ返事で了承してくれた。すっかり仲良くなれて嬉しくなった。
「マジカルシェイクの本店、ここです」
商店街をしばらく歩いていたが、あるお店の前で彼女が足を止めたのに倣って俺も歩みを止める。
頭上には『Magical' Shake』の看板が掲げられている。その下にある出入口の扉の取っ手には『CLOSED』と書かれた札が掛かっていた。
「閉店……」
「開いてるって言ってましたけど……」
鈴白さんが取っ手を握ると、音を立てて扉は開かれた。
「開店中にしてたら間違ってお客さんが入ってきちゃうからか」
納得しながら店内に足を踏み入れる鈴白さんに続いた。
「おはようございまぁ……」
「真神店長の紹介できました、けど……」
店内に明かりは灯っておらず、通りに面した窓ガラスから入る外の明るさが照明代わりとなっていた。入ってすぐのレジカウンターにも、店内のホールにもテーブル席にも、誰の姿もなかった。
「八時にここだったよね?」
「はい……あ、でもあそこ」
彼女が気付いた方へ俺も視線を向けると、レジとホールの間の通路奥、閉めきった扉から微かに光が漏れていた。
二人で静かに店内を進み辿り着いた扉には、『STAFF ONLY』という札が貼ってある。
「厨房かな?」
「入ってみましょう」
意外と遠慮がないなあと感心する。勝手知った店だからなのか、はたまた俺が頼りないからなのか。後者だったら若干凹むが致し方ない。
「巻菱さん? いますかぁ」
コンコンと扉をノックし、返事を待たずしてガチャリと開ける。僅かに開いた隙間から中を伺う鈴白さんの頭の上から、俺も中を覗いてみた。
「あら? あらあらあら? もう来てたの?」
振り返っておっとりした声を上げたのは、調理台の前に立っていた女性だった。
この店の制服だろうか、フリルの付いたエプロンと三角巾を身につけた糸目の女性は、真神店長とは逆の右の目元に泣き黒子があった。
音無先輩と同じくらい背は高いが、大人の女性特有の丸みのある身体に加えて肉付きのいい女性だ。胸元にあるネームプレートには『巻菱』と書かれており、俺はそれを見るふりをして胸を凝視していた。
肉付きの良さはここにも現れている! というよりここが一番顕著だ! ここ最近は音無先輩、真神店長と立て続けに破壊力のある胸を見てきたがまた一段とグレードの高いおっぱいだ! いや、訂正しよう。俺が今まで拝んできた中で最上級の迫力、ナンバーワンだ……。
視線が釘付けになっていた俺をよそに、鈴白さんは一歩前に出た。
「巻菱さん、おはようございます」
「お、おはようございます!」
挨拶する彼女を見て正気に戻り、俺も慌てて頭を下げた。
「いらっしゃい。店長から話は聞いてるわよぉ」
「今日はよろしくお願いします」
「はい、お願いされました。……こうして鈴白さんに何か教えるなんて初めてかしら?」
丁寧にお辞儀を返してくれた巻菱さんは、一向に変わらぬ口調で話をされる。どうやら彼女と鈴白さんは知り合いのようだ。臆することなく店内を進むことができたのはそのためだろう。
「君は初めて会うわよね?」
「はい! 相沢草太です。不束者ですが今日はお願いします」
「お願いされました。あなたのことも風里さんから聞いてはいたわよ。素直そうな坊やね」
そんなことを言いながら頬に手を当てしゃなりと身をくねらす様は、大人の色気というものを漂わせていた。一見わざとらしく作られた仕草に思えたが、柔和な笑顔と雰囲気に人懐っこさを覚えてしまい、寧ろ幼ささえ内包しているように感じられた。
「それじゃあ音無さんのためのケーキ作りの指導に入らせてもらおうかしら。まずは身支度から始めましょう」
巻菱副店長に先導され、スタッフルームのロッカーへ案内された。
「これを身につけて来てね」
俺たちに畳んだ布を手渡して、巻菱さんは厨房へ戻っていった。
「エプロンと三角巾か……」
広げた布を確認すると、巻菱さんが身につけていたものと同じ柄のエプロンである。男には抵抗のある洒落たデザインだ。
「どうしました?」
「いや……もう着たのかい?」
俺が固まっている間に彼女は既に着替え終えていた。身の丈には少し不釣り合いな大きめのサイズのエプロンと三角巾。彼女に合うサイズがなかったのかもしれないが、そのアンバランスさとお洒落なエプロンが彼女の可愛さを引き立てている。
彼女はその場でくるりと回ると、遠慮がちな笑顔で訊ねてきた。
「えへへ……似合ってますか?」
「ああ。すごくかわいいよ」
素直に感想を述べた途端、彼女の顔がぽんっと赤くなるのだった。
「からかわないでくださいっ!」
むぅ……褒めてもらいたいから意見を求められたと思ったのだが、逆に怒られてしまった。ただ同意すればよかったのか。それだとお世辞っぽくなると思ったのだが、女の子の心は難しいものだ。
「お兄さんも早く着替えてください!」
「あ、ああ……」
後ろ手にエプロンのボタンを止め、三角巾を頭につける。料理なんて中学生の頃に家庭科の実習でやって以来だ。しかもこんなに可愛いエプロンだなんて、違和感があるにも程がある。
「……似合ってるかな?」
彼女が俺に訊いたように感想を求めてみた。流石にターンまではしなかったけど。
上から下、下から上に視線を動かし、俺の顔を見た彼女はニコッと微笑み、
「はい。かわいいです」
そう言ってくれた。
「……」
「なん、なんですかその顔?」
「ううん、なんでもない……」
かわいいと言われても素直に喜べるわけもなく、なんとも難しい表情をしていたであろう俺を彼女が気にして声をかけてきた。
もしかして俺にかわいいと言われて、彼女も同じような気持ちになったのだろうか。
「ごめんなさい」
「どうして謝りますか!」
「さっき怒らせたみたいだったから……」
「お……怒ってなんかいません」
「ならいいんだけど……」
「んもお! 早く行きましょう!」
巻菱さんが待ってます、鈴白さんがそう言って背中をポクポクと拳で押してくる。痛くはないけど責められているような気がして、俺も早く巻菱さんの元へ行きたいと思い厨房へ急いだ。
「来たわね。こっちはもう準備できているわよ」
厨房へ戻ると、胸の前で指を組む巻菱さんの言うとおり調理台の上にケーキ作りで使いそうな器具や材料がずらりと並べられていた。あれらをどう使うのか、俺にはさっぱりだ。
「二人とも似合ってるわよぉ。相沢くんもかわいい」
「……」
鈴白さんと同じことを言われ、さっきと同じ顔をしてしまう。違うのは、巻菱さんはそのことを特段気にした様子はない点だ。
「早速始めましょうか。相沢くんにはスポンジ作り、鈴白さんにはデコレーションを担当してもらおうかしら」
「先生、ケーキ作りはどれくらいの時間かかりますか?」
俺が挙手して訊ねると、先生役の巻菱副店長はんふふとご機嫌そうに笑った。
「二時間くらいかしら。開店時間の十一時までには終わるように段取りしてるから気にしなくっても大丈夫よ」
それくらいの時間でケーキは作れるのか。初心者だから半日くらいかかる覚悟でいたが、そりゃあお店に迷惑がかかる程の時間はかけないか。
「じゃあまずは卵を割ります。割り方は分かるかしら?」
こうして巻菱先生による懇切丁寧手取り足取りレクチャーのバースデーケーキ作りが開始された。そんなところから教えておいて、ちゃんと二時間で終わるか不安になってきたということは口にしないでおいた。
「もっと優しく泡立てるのよ……ほら、こうやって」
「うわわわわ……は、はい!」
「ふにゃ!? すす、すみませんクリームがお顔に……」
「あらあらいいのよ。練習用の生クリームはたぁっぷり用意しているから……ペロッ」
「生地ができたら型に流し込んで温めておいたオーブンでチンするのよ……ほら、こうやって」
「あわわわわ……は、はい!」
「はにゃ!? すす、すみませんクリームが胸元に……」
「いいのよいいのよ。まだまだ生クリームはたぁっぷり用意しているから……ペロッ」
「スポンジができたら横に切って間にストロベリーとクリームを敷き詰めましょうか。準備はいいかしら」
「いけます!」
「あん、ダメよナイフはこう使うのよ……」
「うひょおお……」
「いちごはこうでいいですか?」
「上出来上出来。さ、盛りつけましょう」
「仕上げに鈴白さんが書いたプレートを乗せて……はい、完成。音無さんのバースデーホールケーキよぉ」
「「つ……疲れたぁ」」
俺と鈴白さんは椅子に腰掛けるとお互いの背中を背もたれ代わりにしてぐったりと体を預けた。しかし、巻菱さんが完成したケーキを俺たちの前に差し向けてくるとそちらに目を向け、
「おぉ……」
「ちゃんとできてます……」
じっくり見ると盛り付けやデコレーションが少し歪んでいるけれど、パッと見は立派なストロベリーホールケーキだ。プレートには鈴白さんが何度もやり直して書いた文字が記されている。
俺たちは背中越しに顔を見合わせると、完成した喜びを分かち合うように微笑んだ。初心者だけど頑張って作り上げたケーキ、先輩は喜んでくれるだろうか。
「それじゃあこれは魔法の冷蔵庫に入れて明日まできっちり預からせてもらうわね」
巻菱さんがケーキを箱に収め、それを壁際の大型冷蔵庫の中へ仕舞った。そうか、明日ここまでケーキを取りに来なければならないのか。その辺の時間の都合も後で考えておかなくては。
「十時過ぎ……予定通りの時間ね。そろそろお店の子たちも来るから、鉢合わせしない内にお着替え済ませてきてくれるぅ?」
「ああ、はい。そうします」
背中に張り付く少女を促し、一緒にロッカーへと向かう。
「上手にできましたね」
「ああ」
「あやめさん、喜んでくれるといいですね」
「そうだね」
着替えを終えてロッカーを閉めた時に、この後のことを彼女に確認する。
「次は部室の飾り付けか……。忙しいけど、頑張ろうね」
「はい!」
「少し早いけどお昼を食べてから必要な物を買いに行こうか。それとも買い物を先にする?」
ランチには大分早い時間であるので、彼女の意見も伺ってみたが、首を捻ってから返ってきた答えは、
「おまかせします!」
というものだった。
「じゃあお店を出てから考えようか」
「はいっ」
俺と彼女がロッカーのあるスタッフルームから出ると、巻菱さんは厨房の入り口で小柄な女性と話をしているところだった。マジカルシェイクの店員さんなのだろう、こちらに気付いて頭を下げられたので、俺たちも頭を下げた。
「それじゃあしばらくよろしくね」
巻菱さんはエプロンと三角巾を外すと、今まで話をしていた女性にそれらを預けた。店員さんは俺たちの横を通り、スタッフルームへと姿を消し、巻菱さんはこの場に残る。ふわりと流れるロングウェーブの髪に、また大人っぽさを感じてしまった。
「お待たせ。じゃあ次に行きましょうか」
「……」
「……」
俺と鈴白さんは視線を交わし、同時に「え!?」と声を上げていた。
「行くって、どちらへ……」
「ケーキを作って終わりじゃないんすか?」
俺たちの問いかけに対し、長髪を露わにした女性は人差し指を立ててニッコリと答えてきた。
「私、風里さんからあなた達のことを任されてるでしょ? だからぁ、二人の悩みも解決してあげようと思うの」
言葉の意味を図りかねる俺たちに、巻菱さんは思いがけない言葉を続けるのだった。
「行きましょうか。魔女退治」




