ボランティア倶楽部と魔女・2
火を焚べられていない大きな暖炉の前で安楽椅子を揺らす魔女。ルシダと名乗った彼女は口をつけたティーカップをサイドテーブルに置きながら、
「客に出すにはまだ早かったか……」
と、ハーブティーの感想を述べた。
「すみませぇん……」
後ろに控える少女、ティアナはしおしおと元気なく気落ちしていた。
「美味しいですよ。な、なあ?」
俺は隣の聖と明に声を掛けた。大きなテーブルを囲んで椅子に座る俺たちにもお茶は淹れられている。
ハーブティーなんて馴染みがないから一口目は眉を寄せてしまったが、きっとこれがその内癖になるんだな、うん。
「甘やかさないでくれ。今は厳しく躾けている」
「精進しますぅ……」
ピシャリと言い放つルシダさんに、ティアナも諦めたようにその言葉を受け止めていた。なかなかスパルタな師匠なのかもしれない。
「それで。貴女は今まで何を? どうして此処へ?」
音無先輩が口火を切って訊ねると、ルシダさんは安楽椅子に深く腰掛け揺らし始めた。その様は見た目の若さとは裏腹に年季の入った所作であった。
「以前、私が炎獄の魔女としてこの国にいた頃に。かの魔導研究機関が魔女を集め非道な行為を繰り返していたことは貴様らなら知っているだろう」
知っている。
マガツ機関で宇多川健二が四之宮先輩の宿す悪夢の魔女の力を御するために何人もの魔女と称される人を利用して人体実験とも言える研究を密かに繰り返していた。
その情報はマガツ機関所長である神木夜白さんの判断で、協力関係を築いているボランティア倶楽部にもある程度開示されている。
「危険を察し逃げたところを召喚士の少女に討たれかけ、更にお主に追い詰めれた時はその場で死を覚悟したものだが……」
その時のことを懐かしむ様子で語る彼女の雰囲気は、浜辺で俺が見ていた暗い力を持った魔女とは似ても似つかない感じだった。人は変わればこうも変わるってことなのか。人っていうか魔女か。魔女を辞めれば、こんなに変わるのか?
「あれから間もなく、私は故郷の地へ数百年ぶりに戻ることにした。お主の能天気な言葉があったおかげだが」
「あたしそんな話したっけ……」
「こっち見て訊かないでよあたしが知る訳ないじゃない」
音無先輩の記憶にはその時ルシダさんと交わした言葉はないようだ。四之宮先輩も困ってる。
「故郷へ戻ったのは最期に我が人生の原点を見納めておこうと考えたからだ」
「最期って……もしかして死ぬ気だったとか……」
俺が横から口出ししてみると、ルシダさんは体を揺らしながらゆっくりと頷いた。
「これ以上生きているつもりはなかった。私は十分すぎるほど生きた。この世に未練など毛ほどもなかった。故郷の地で自然と朽ち果てるのを待つ。そのつもりだった」
生きていることに疲れたというのか。数百年も生きて世界を見ていると、そうなってしまうのか。俺には想像もつかない。
「ところが帰郷した矢先に宿泊した田舎町でその娘を見かけてな。一目見て感じたよ……驚いた」
「その子が魔女だった、から?」
話しかける四之宮先輩はどうなんだろう。あの女の子が魔女の力を有していると感じるのだろうか。
「ただの魔女ではない。途絶えたと思っていた我が血脈を継ぐ者だった」
少女はエヘンと鼻を鳴らした。彼女にとってそれは誇らしいことのようだ。
「じゃあ他に貴女の親族は……」
音無先輩の問いかけに対して頭を振って否定するが、
「古い話だ。今語ることでもあるまい」
そう言ってそのことについての発言を避けた。
「とかく、故郷の地で魔女の才を持て余していたこいつを連れ出し一人前にするべく世界を巡っていた」
「その途中でまた日本に?」
「ああ。そしてしばらくは此処に腰を据えることにした」
「そりゃまたどうして?」
ルシダさんへの質問は音無先輩と俺の役割になっていた。面識があったという事実による話しかけやすさがあっからかもしれない。
「ひ弱な弟子を鍛えるにはそれ相応の地が必要だったというだけさ。この地は良くも悪くも多くの魔が集う。修練にこれ以上の環境はなかろう」
魔が集うとは魔女や魔法少女、他にもいる特別な能力者のことか。俺も先輩たちと出会っていなければ、この街に大勢のスペシャライザーがいるだなんて知る由もなかった。
「そういうわけだ。しばしの間、ここに住まい細々と生活させてもらう。なのでこの一帯を活動の拠点としているお前たちには一言断っておかねばと思ってな。伝えたかった話とはそれだ」
ルシダさんの事情は把握した。それを受けて我が部の代表は、
「……いえいえ別段あたし等がこの辺りを統べてるわけじゃありませんから……」
手を振って否定した。
確かに先輩の言う通りだ。俺たちも俺たちで活動しているとはいえ、この辺りを拠点にして云々というつもりはない。だからわざわざお断りなんて入れて頂く必要もないのだけど。
「それでもそちらが先に周辺を縄張りにしていたのは事実。一応の筋は通したぞ……こちらとて邪魔になるような行動は取らん。極力な」
部長は魔女の師弟の申し出にへえ……と返事をするのがやっとの様子。
「だが」
ルシダさんが後ろに控えるティアナを指で呼び隣へ立たせる。
「もしもこれが困っているところを見かけたら助言の一つでもしてやってくれ。極力でいい」
「お、お願いいたしやす!」
声を上ずらせる少女を前に、うちの部長はそんなことならと胸を張った。
「お安い御用よ。ティアラちゃん……何かあった時はいつでも相談に乗るよ」
そう言って先輩は異国の少女に手を差し出した。
「ありあとうございます! ティアナです! ありがとうございます!」
少女は途中に訂正を挟みながら感謝を口にして先輩の手を握り返してくる。
「弟子のためにあたし達とお会いしたかったなんて……優しいんですね」
フンと鼻を鳴らす女性の隣で少女がにへらと緩い笑顔を浮かべ、お尻をぺちんと叩かれる。
「だがこの話は我らの事情。そちらにとっては今からする話の方が重大なものになる……特にそこの魔女には」
他に話があるのか。しかも今度は四之宮先輩が名指しされてしまった。
「魔女を引退した方が一体どのような話をしてくれるのかしら?」
いつもの調子で受け答えする四之宮先輩の表情が、ルシダさんの次の一言ですいと変わった。
「ウィッチオブナイトメアにまつわる書物がこの街に持ち込まれたぞ」
「……何ですって?」
悪夢の魔女……それは四之宮先輩に巣食う凶悪な魔女の呼び名。そいつには先輩だけでなく俺や聖たちも苦しめられたことがあるし、魔女の呪縛を解くことは特に音無先輩の強く願うことであった。
その魔女に関する書物が何故この街に。
「誰が持ち込んだんです?」
やはりすぐに問いただしたのは四之宮先輩だった。
「教え子を連れて世界を見ている時に偶然困窮している場面を見かけた。お前たちの知り合いと言っていたが、記憶しているか?」
ルシダさんが教え子に訊ね、少女はハイと返事する。
「緑のたぬきが帰ったでやんす」
「……え?」
「そのように伝えれば分かるとその人は仰ってました」
何のことだ、カップ麺のことか。俺たち一年生トリオはまったくピンと来てなかったが、先輩たちは違った。
「そう」
「カリン!」
椅子を鳴らして立ち上がった四之宮先輩に音無先輩が呼びかけた。
「先に帰るわ」
ティアナの言葉の意味は二人にしっかり伝わっていて、先輩が行動を起こすには充分なものだったようだ。
呆気に取られていた俺は、四之宮先輩が応接間から出て行くのをただただ見送っていた。
「……今日お前たちが此処へ来たのも、魔女に導かれたからではないか?」
この場所でボランティア倶楽部の用事を行うと提案したのは確かに四之宮先輩だ。他にも行える場所の候補は幾つかあったのだとしても、この館を選んだのは偶然……気まぐれかもしれない。
「内なる魔女が告げたのか、彼の者自身が予感めいたものを感じたのかは分からぬが」
魔女だった女性に言われると不思議な説得力を感じた。
「って、いいんですか行かせて!? 追いかけないと、あの人独りで行っちゃいますよ!」
はっと気を取り直したので、俺は椅子から立ち上がって音無先輩に訴えた。
「一人にするのが心配?」
「そりゃそうですよ! いきなり自分だけ出て行っちゃうんですから!」
そう、と先輩は言ってから続けてきた。
「なら草太くんが追いかけてあげて」
「俺……がですか?」
「うん」
「先輩は来ないんですか?」
「あたしには、自分は一人で大丈夫って言ってるように思えたわ」
あの音無先輩が言うのなら、その意見が合っているんだろう。俺の杞憂はいらぬお節介といことだ。
「でも君がそう感じたなら、その気持ちに従って行動してあげて。そっちの方があの子も意外と喜んでくれるんじゃない?」
「いや、けど」
「あたしはね」
と前置きして話す先輩の表情は少し寂しげなものとして俺の瞳に映った。
「下手にあの子の事を知りすぎちゃってる分、変に察しすぎちゃうの。だから追いかけたいって君が言ってくれた時、素直でいいなって……ちょっと羨ましかった」
「先輩……」
「それにもう少し聞いておきたい話もあるから、あたしはここにいるわ。ほら、分かったなら、早く行ってあげる!」
先輩は俺の腰をぺしぺしぺしぺしと叩いて急かしてきた。
「わ、分かりましたよ! 俺もお先に失礼します!」
先輩、ルシダさんとティアナに小さく頭を下げ、
「二人はどうする?」
小声で聖と明に訊ねた。
「ついて行くなんて野暮な真似はしないよ。早く行ったらどうだい」
俺を早く行かせるためか、聖の声は突き放してくるように聞こえた。
「さっさと消えろ」
明はストレートだな!
「じゃあまたな!」
そう言い残して、俺はドタバタと客間を後にして四之宮先輩を追いかけた。
「物は言いようだな」
少年が去った後の客室で小さく言葉を漏らして苦笑したのは炎獄の魔女の名を冠していた女性だった。
「魔女の心中に触れるのを恐れた。大方そんなところだろう」
言葉の矛先は音無彩女であったが、反論する様子がないところを見るに図星を突いているのは明白であった。
代わりに鋭い眼光が魔女を射抜いていたが、それでは図星を突かれた腹いせに睨みを効かせているだけにすぎぬとすぐに思い直し頭を振った。
「話を戻しましょ」
そういう彩女の顔はいつもの部長のそれである。
「話せることは全て述べたつもりだが。後は魔女の書を持った者と遭った詳細くらいしか話せんぞ」
「それは二人から後で訊くわ」
ほう、と魔女は唸った。訊きたいのは悪夢の魔女のことではないのかと言いたげに。
「ずっと気になっていたんだけれど」
音無彩女は神妙な面持ちで大事なことを訊ねるように声を潜めた。
「この家に居着いてた男の子……どうしちゃったの?」
ルシダは目を丸くした。魔女の話から逸れて訊かれた事がとりとめのない世間話のような内容だったからだ。
「それは僕も訊ねておきたかった」
「俺はどうでもいい」
つまらない事を訊くものだと思うと同時、悪夢の魔女に固執しない彼女の姿勢に変化を感じていた。
以前に遭遇した際に悪夢の魔女について問われた時は眼の色を変えていた印象があったが、今は打って変わって冷静に落ち着いて見えた。
仲間との触れ合いが気の持ちようを変えたのか、真相はルシダには図りかねたが、一先ず問いに対する答えを口にした。
「アレの存在を知っていたなら話は早い。心配はいらんさ」
後ろに控えている魔女見習いが口を挟もうとするのを手を挙げて制し、言葉を続ける。
「そう時間はかかるまい。次にこの家を訪れる時には姿を見せられるだろう」
クククと笑う魔女に三人の女子高生が怪訝な眼差しを向けるのだが、明確な回答が返ってくることはなかった。
その後も世間話のような質問と回答のやり取りが行われ、話題の矛先は彩女の後輩や魔女の弟子の能力のことへ移り変わって行くのだが、それはまた……別のお話である。




